Chap.2 - EP4(10)『魔女 ―絶望の淵―』
ヘレーネ達は、玉座の間に戻った。
本来は王が座るべきその席に、今は輝かしい青のドレスを纏ったヘレーネが座っている。
「こんな大袈裟なの、落ち着かないわ」
促される形でそこに腰を下ろしたものの、ヘレーネは照れ臭そうに笑う。言葉だけだと遠慮しているようにも聞こえるが、表情はまんざらでもないようにも見えた。けれども誰もが好感を持つような、柔らかで麗しい容姿もあってか、傲慢さや驕っている印象を周囲には微塵も与えない。
これがヘレーネという女性の特徴なのだろう。
「この国の本当の主、いえ、この世界の新たな主になられるのですから、その座に相応しいのはヘレーネ様です。それに、私は貴女に仕えるギルダの守護士。ですから貴女の配下も同じです」
まるで家臣のように、ジェラルド王が述べる。
クローディアの聖女としての力が偽りの作り物なら、彼女の守護士や聖堂聖騎士はどうなるのか。
それもまた、当然ながら〝紛い物〟なのだ。
コーネリアとホーク兄弟三人の騎士の力は、ヘレーネと彼女の守護士であるホランドの力が強力なため、擬似的に発生したもの。その根源は偽りである。
ミトロンという有りもしない、存在しない聖女兵器も同じ。
だからそれは、通常の聖女と守護士の関係から生まれたものではなかった。そもそもが写し鏡のような虚像なのだから、クローディアに守護士の存在は必要ない。
だからこそ三人の騎士は、モーリス博士によって力を強化する必要があったのだ。
では、ジェラルド王はどうなのか。
実は彼が契約したのは、聖女ではなく魔女。
ギルダの守護士なのである。
待て。ジェラルド王はクローディアの持つ異能と同じ種類のものを出していたではないかと思うかもしれない。実はあれは元々ギルダと彼女の邪霊が持つ力であり、ヘレーネがコピー聖女とも言うべきクローディアに力を与える際、ギルダの異能を模倣したにすぎなかったのだ。
そこへ、聖女の王となったヘレーネに仕える、別の道化者も姿を見せた。
モーリス・ヴォルデマル博士である。
「おお、これはこれはヘレーネ様。遂にこの日がやって参りましたな。ワタシも準備は万端です」
「クローディアは?」
「今は眠っております。目覚めてもこれ以上〝壊れない〟ように安定剤を投与するようコーネリアに命じておりますのでご安心ください」
モーリスは、縛られる恰好になっているレイアに視線を向けた。
「オヤオヤ、いい眺めだ。だが勿体ないヨ。キミに宿っている神霊はマーセラやクローディアと違い本物だからネェ。本当は色々と調べたかったのだが」
「博士」
相手をいたぶるようなモーリスの言動に、ヘレーネが硬い声を出す。
「ぐっ……がっ――がはっ……!」
突然――。
モーリスが、己の首を掻きむしるようにして喘ぎ出した。
顔を真っ赤にし、声を詰まらせてもがいている。
何か見えざる手で、喉を締め付けられているような。
「彼女を愚弄するような言葉は、あたしが許しません。クローディアの前なら許されても、あたしは違います」
向日葵のような優しげなヘレーネからは想像もつかない、冷たい声。
「もっ……も、モウ……モうしわっ……」
不意に締める力が解かれたのか、モーリスは四つん這いになる恰好でその場にへたり込み、ぜいぜいと息をする。
「も、申し訳……ございません」
「以後は謹んでください。彼女には敬意を持って接する事。いいわね」
「は、はい……」
涙目で口の端からは涎を垂らすみっともない姿に、捕えられたままのレイアは小気味いいというより唖然となるばかりだった。
「それで? 他には何かありますか」
「は、はい……〝二つの門〟に必要な数の人間も、規定の数は揃っております。腐敗についても心配はございません。ただ、昨夜の聖女兵器戦で王都民にも不安が広がっていて、騒ぎが大きくなる可能性もあるかと」
「ジェラルド陛下」
「は。何人か配置させておきましょう」
「以上でしょうか、博士」
「は、はい」
先ほどの〝力〟を己の身に受けた事で、あのモーリスも怯えをもったらしい。報告を終えるとそそくさとその場から退出していく。
「ご免なさい、レイア。あんな男に貴女の事を任せなきゃならないなんて、嫌よね」
嫌かどうかより、この状況そのものにまだ理解が追いついていないという方が正しいだろう。
アムロイの姉は生きていて、全ての元凶がその姉だったなど、予想すらしていなかった。
しかもレイアが生まれる前より続く故国の苦難、今起きている何もかもがこの姉の仕業なのだ。
レイアが何も言えないでいると、代わるように、黒いドレスを身に纏う魔女ギルダが発言をする。
「今のは〝事象の拒絶〟ですか?」
「ええ。その応用よ。あの男の呼吸を〝拒絶〟したの。ホランドが元通りになったお陰かしら。力が前以上に扱い易くなっている気がするわ」
「〝祈りの実現〟〝現実の書き換え〟〝万物の切断〟――そして〝事象の拒絶〟。やはりメタトロニオス様のお力には誰も敵いませんね」
ギルダが口にした四つ。
それがヘレーネと、彼女に宿るメタトロニオスの異能だった。
力の名前を聞いただけでも、それがとんでもない能力だという事は明らか。
ここではじめて、レイアは今己が抱いている感情の正体に気付いた。
それは、絶望。
空想を現実にし、相手の現実を上書きし、現実を拒絶する。
それは最早、神そのもの。この世の摂理を操っているのに等しい。
そのような神にも等しい存在に、何をどう立ち向かえばいいのか。
抗う事はおろか、そんな考えを抱くだけ無駄であろう。
その圧倒的な絶望感が、レイアから言葉を奪っていたのである。
「それじゃあギルダ、レイア陛下の事は任せるわね」
「はい」
「それと、あたしに内緒で妙な動きをしてるようだけど――」
直後――目にも止まらぬ神速で、ギルダの喉元に剣先が突き付けられていた。
いつの間に抜剣したのか。
剣聖王ジェラルドの剣だった。
「貴女の〝剣〟が見張っている事を忘れないで頂戴」
「勿論です」
剣を突き付けられながら、ギルダは表情一つ変えずに答えた。
青の聖女と黒の魔女。
ヘレーネとギルダ。
二人の美女が互いを見つめる。
「ご免なさい、ギルダ。何もかもが上手くいきすぎていて、ちょっと不安になったの。本当にご免なさい」
「いえ、そんな滅相もございません。お気持ちは分かりますから」
「本当にね……まさかアムロイが、あの突然あらわれた聖女だったなんて思ってもみなかったし、そのアムロイと、望んでいた以上の新世界を迎えられるなんて……。それもこれも貴女がいたからよ」
「ありがとうございます」
礼を述べ、ギルダは呆然となっているレイアに立ち上がるよう促した。
レイアはどうしようもない無力感に苛まれながら、言われるままに従う。
だが、玉座の間から出た後で、ギルダがそっと囁いた。
「まだよ。まだ希望は捨てないで」
え? となるレイアに対し、ギルダは己の唇に指を当てて、返事をしないようにサインした。
レイアは咄嗟に、顔を逸らして聞いてないフリを装う。
そんな彼女の姿を見て、ギルダは薄く笑った。そのまま囁きを続ける。
「あの〝二人〟がまだいるから。終わりには、まだ早いわ」
二人とは誰の事だろうか。
アムロイと――残されたホランドだろうか。それとも別の誰かなのか。
もうお仕舞いだと、絶望の縁にいたレイアの心に、くすぶっていた火が灯る。
それが偽りの希望でも、希望は希望だと、彼女は己に語りかけていた。
もしかしたらその逞しさこそが、聖女や女王といったものではなく、レイアという人間の最大の武器なのかもしれなかった。




