Chap.2 - EP4(9)『魔女 ―儀式の真実―』
忘れもしないと心に刻んだ記憶は、偽りだった。
心の拠り処だった復讐心は、歪められた過去だった。
何もかもが偽りで虚像だったなど、思うはずがない。疑うはずがない。
人の心を、記憶を、思い出を、現実を見る目そのものを書き換えてしまう力など。
そんなものに、どう抗えというのか。
そこで、はたとアムロイは別の事を思い出した。
気を失う前、ギルダの言っていた言葉を。
アムロイが自ら呪縛から解かれ、真実に気付けたなら、まだ希望はあると――。
まさに今のがそうではないか。ヘレーネの生存とクローディアという虚構。そしてホランドとアムロイへの呪いと真実。これこそがギルダの言っていた事ではなかろうか。
だとしたら、最早希望はない。手遅れである。
何故ならアムロイは、ヘレーネから聞かされたこの真実を、自分の意思と力で気付けなかったのだから。
全部を、ヘレーネと原初の神霊メタトロニオスによって知らされてしまったのだ。
「一体、姉さんは何でこんな事を……。何のために……。聖女になるのが嫌だっていうんなら、逃げればいいだけじゃないか。なのに何で」
「現実を書き換えるといっても、そのほとんどは記憶を操作するようなもの。本当の意味で、現実そのものを完全に書き換えるなんて出来るはずがないの。でも、それじゃあ幸せにはなれない。苦しさが残るだけ」
「苦しさ? どういう意味……?」
「いくらあたしとメタトロニオス様の力があっても、守護士のホランドの力が強大でも、限界はあるの。人の記憶と認識を上書き出来ても、〝なかった事〟には出来ない。当たり前だけど。それでも、認めたくない現実に、縛られたくないこの世の中のために苦しむのを、あたしは変えたかった。どうしてあたしやあたしのアムロイが犠牲にならなくちゃいけないのか、納得がいかなかったの。だからね、あたしはギルダとジェラルド陛下を仲間にした」
二人の無表情が、不気味な仮面のようだった。
アムロイに希望はあると言ったギルダなのに、何の感情の揺らぎも見せない。やはりこの女は、心の底まで〝魔女〟なのだろうか。
「聖女……魔女……どれもこれも本当は素晴らしいものなのに、人々はあたし達を己の欲のために利用し、いいように奉りあげ、結果的に聖女となった女性は苦しむ。本当は幸せになれるかもしれない力なのに、誰も彼もが自分を犠牲にして苦しんでいく。そんな現実は間違っている、そう思わない?」
聖女という存在が不幸なのかどうかは分からない。けれどアムロイの知る聖女達はみな、一点の曇りもなく幸福だったのかと問われれば、疑問に思わざるをえないだろう。
「あたしはそんな世界そのものを変えたいの。この世界の理そのものを書き換える。全てはそのためだったのよ」
「全て……? 全てって……」
嫌な予感がした。
「神霊も邪霊も、僅かしかない存在だから人はこれを利用する。でも、もし神霊も邪霊もありきたりの、当たり前の存在だったら?」
「……?」
「ごく普通に神霊や邪霊がいる世界――。そうなれば、聖女を利用しようとはしない。いえ、むしろ聖女はより重要になるでしょう。そうすれば、あたしもアムロイも、きっと幸せになれる」
「どういう事なの……言っている意味が……」
アムロイには分からなかった。
「だからするのよ、真の神霊降誕祭を」
「え――」
「神霊、邪霊、その二つのいる世界とこちらの世界を永久に繋げる。門は開き、閉じない。開けたままにするの。そうすればあたしが言ったような、聖女が虐げられるような世界ではなくなるわ」
「まさか……霊蝕門も」
神霊の世界への門だけではなく、邪霊の世界と繋がる門も開き、こちらの世界と繋げる――いや、繋いだままにする。
つまり、世界を混ぜ合わせる。
ヘレーネが言っているのは、そういう事だった。
――無茶苦茶だ。
とアムロイは思うも、どこかで話を受け容れてしまう自分もいた。
何故なら姉は、聖女として人々にいいように利用される事を拒み、救いを求めるのではなく自らの手で、この世を変えようと言っているわけだから。
昔、姉が言っていた言葉そのままである。
――きっとあたしじゃなく、世界の方が間違っているのね。聖女が必要な、この世界が
だから世界を変えてしまう。
それは果たして自分勝手な悪なのか。それとも、未来へ向けた正義なのか。
今のアムロイには答えが出せなかった。
「ゼーラン王国やアムロイにしてきた事も、レイアさんへの事も、全部そのため。そんなあたしは、我が儘かしら? ねえ、アムロイ、この世界をより良くしようとするあたしは、悪い女なの?」
アムロイは、姉のヘレーネが大好きだった。
優しくて、女性らしい繊細さがあり、みんなを笑顔にするような人。姉を嫌うような人などいない。
そんなヘレーネが大好きだったから、今まで彼女の復讐のために行動してきたのだ。
けれど、その姉は生きていた。死んでなどいなかった。
生きて――姉こそが全ての元凶で。
目の前で自分に問いかけてきている。あの優しい目で。美しい笑顔で。
けど、今でも姉が全てなら。姉のためになるなら。
姉の行いは正しいという事なのか。
だがそれは、今までの自分の何もかもへの裏切りになるのではないか?
己に問うても、答えなど出せるはずがない。
「そうよね。悪いわけがないわ。だから国王陛下もギルダも、あたしに協力してくれているんだし」
本当に協力なのかどうか、それもアムロイには分からなかった。少なくとも二人に加えてホランドの様子からは、とても希望などといったものは感じ取れなかったからだ。
「まだまだちゃんと話せてない事は沢山あるし、アムロイだって聞きたい事もあるわよね。当然よ。時間をかけて、ゆっくりと分かっていってくれたらいいから。――そのためにも、やらなくちゃいけない事があるの」
そう言って、ヘレーネはジェラルドに目配せする。
ジェラルド王は王というよりまるでヘレーネの手下そのものといったように、無言の命令に忠実に従った。
レイアの前に立ち、彼女の腕を掴むジェラルド。
半ば無理矢理に立たされた恰好になり、レイアは苦痛の悲鳴をあげる。
「ご免なさい。貴女にはやってもらわなきゃいけない事があるから」
「レイア! ちょっ――姉さん!」
「二人以上の聖女がいないと、儀式は完成しない。そのために私が造り出したのがクローディア。そしてレイアも、クローディアとは別で生み出した聖女」
アムロイとレイア、二人が共に顔を引き攣らせる。
「メタトロニオス様の力を使って、神霊の世界からヤルダヴァートを呼び出して貰い、彼女に宿って貰ったの。だからクローディアとは違ってある意味本物の聖女でもあるけど、あくまでメタトロニオス様とギルダに宿るザエボスの協力で呼び出されているだけ」
「ちょ、ちょっと待って。レイアはじゃあ――」
「儂が呼び出し、ザエボスの力でその器に憑依させた、人為的な聖女という事だ」
ヘレーネの後を継いだメタトロニオスが告げる、衝撃的な一言。
何もかもが――何もかもが全部作り物で紛い物。仕組まれた事なのか。
「もしかして僕も」
アムロイの問いに、ヘレーネは微笑んだ。
「いいえ違うわ。あなたは本物よ。だから吃驚したの。ダンメルクの本物の聖女は、私一人だけど、その力の影響でゼーランにもずっと聖女が出現しなかったはずなのに、今更どうして、って」
「ちょっと……待って……」
その瞬間、アムロイの脳裏に閃くものがあった。
アムロイは現在一七歳。
姉のヘレーネは一〇歳違いだから今は二七歳のはず。
そしてゼーラン王国の前の聖女、パウル王によって悲劇にあったフランチェスカが自殺したのが確か一六年前。以降、ゼーラン王国には、何故か聖女が出現しなかった。
一六年前となるとヘレーネは十一歳。
そしてヘレーネがその頃には既に、その身に神霊を宿していたのだとしたら。
その力があまりに強大だから、周辺国であるゼーランにも聖女が出現しなかったのなら――。
レイア
クローディア
マーセラも
幾人もあらわれた聖女は、誰も偽物で、本物はヘレーネとアムロイだけだったのか。
いや――。
「待って、前のダンメルクの聖女は、四年前に亡くなったんじゃあ」
「ああそうだ。彼女は急激に力が衰えていき、病のように死んでしまった。ヘレーネの力の影響だが、それもあって、彼女の存在に気付いたのもある。とはいえ、一〇年以上も自分の力を隠していた事自体が、とんでもない事なのだがな」
レイアを掴んだまま、淡々とジェラルド王が告げる。
「おそらく、あなたが南の方に離れた事が、神霊を宿らせた一因なのかもしれないわね。でも仮にそれを最初から知っていたとしても、あたしはあなたを儀式には使わなかったでしょう。クローディアとレイアの二人に〝協力〟して貰って、あたしの力でこの世界を変える。それは変わらないから安心して。――この世と神霊の世界を一つにするための、最後の協力者には」
「な……っ! レイアはそんな事、絶対に協力しないわ!」
「ご免なさい、レイア。でも駄目なの。あたしは、貴女だけは絶対に許せないの」
涙目で抗おうとするレイアに、ヘレーネは悲しそうな表情を浮かべる。
多分、心底悲しんでいるのだ。そういう人だと、アムロイは知っていた。
そして心底憎んでいる事も。
「な、何で……」
「だって貴女は、アムロイが好きなんでしょう?」
「え……?」
「アムロイを愛しているんでしょう? そんなの許せないわ」
「な、何を言って」
「だってこの世で一番アムロイを愛しているのは、あたしだもの。姉のあたしだけ。アムロイを愛していいのは」
「何を言ってるの……? 血が繋がった家族なんでしょ? なのに愛している……?」
「それも、この世の中で間違っている事の一つよ。どうして兄弟姉妹や家族で愛し合ってはいけないの? そんなの誰が決めたの? 誰かが勝手に決めたそんなもの、あたしは認めない。あたし達二人を苦しめるものを全部、あたしは壊す。そのための神霊降誕祭でもあるのよ。だから残念だけど分かって頂戴」
そのまま引き摺られるように、レイアは部屋から連れ出されようとした。
「い、いや……! いや! アムロイ! 助けて、アムロイ!」
アムロイが手を伸ばそうとするも、体の痛みでそれが叶わない。
まだ回復には、あまりにも早かったのだ。助けたくともどうしようもない。
ヘレーネ、ギルダもまた、部屋から出て行こうとする。
ヘレーネはその際、ホランドにそっと耳打ちをした。
「それじゃあ後の事はお願いするわね。ちゃんと貴方から言ってあげてね」
ホランドは体を強張らせて、声を震わせる。
「私に……そんな」
「貴方なら出来るわ。大丈夫、あたしは信じているから。だって貴方は、あたしだけの守護士なんだもの」
扉が閉じられる。
残されたアムロイの前には、男が一人残された。
彼は親友だった。
仲間だと思っていた。
でも――
裏切り者でもなかった。
目の前にいるのは、ただの憐れで愚かな、道化だったのだ。




