Chap.2 - EP4(8)『魔女 ―原初の神霊―』
彼女はしなやかで優美な肢体を、青を基調とした鮮やかなドレスで包んでいた。
まるでこの世のものではないような美しさ。
さながら青い薔薇の花を思わせた。
髪の色はアムロイと同じミルクティー・ブラウン。瞳も同じ、狼眼の琥珀色。
ただしアムロイよりも目つきはずっと優しく、まるで風のない湖面のように涼やか。女性らしい緩やかに波打つ長い髪は、束ねないで後ろに流していた。
ヘレーネ・シュミット。
アムロイの死んだはずの姉が、目の前にいた。
痛む体を無理に起こしながら、アムロイは呆然となる。
ベッドの横で泣いているレイアも、驚きと喜びと困惑で感情がぐちゃぐちゃになっているのが分かった。
レイアもアムロイとほとんど同じタイミングで、ヘレーネの存在を知ったからである。
アムロイが目を覚ます前――。
ヘレーネがこの部屋に姿を見せた瞬間、レイアは理解不能のあまり呆然となった。
そのまま彼女が固まっていると、ヘレーネは円字を切るサインをし、その手からアムロイに向けて光の粒を放ったのだ。それは頭部にまとわりついたかと思った次の瞬間、アムロイが目を覚ましたのである。
ヘレーネが生きていたという事実そのものが奇跡だと言えるのに、いきなり見せた行いも奇跡。
「何で……何で……そんな……」
「愛しのアムロイ」
当惑するアムロイに、ヘレーネは歩み寄り、優しく抱きしめる。
柔らかな腕。優しい肌の温もりに、甘やかで上品な花の香り。姉の香り。
「姉さん……」
疑いようもなく、夢でもなく、偽りでもない。
紛れもなく姉のヘレーネだった。
「姉さん――!」
体の痛みを忘れたように、アムロイも姉を抱きしめる。その頬に、とめどない涙が流れていた。
感動の再会。
そこに疑問の余地はない。
けれどレイアもホランドも誰も、素直に「良かった」と喜べない、複雑な顔をしていた。涙を流しているアムロイも、己の嗚咽が小さくなってくるにつれ、それを自覚していく。
「どういう事なの、姉さん」
まだ声をしゃくりあげながら、アムロイが抱き合った体を引き離して姉に問う。
ヘレーネは己とアムロイの涙を拭って、微笑みながら答えた。
「今まで黙っていてごめんなさい」
「黙っていたって……でも姉さんは三年前、クローディアに殺されるのを僕は見たのに……。生きていたって事? ずっと生きていたの?」
「そう。あたしは死んでない。この通りよ」
「一体どう言う事なんだ。もう……わけが分からないよ」
「そうね。レイアもいる事だし、ちゃんと説明した方がいいわよね。――って、元からそのつもりだったけど」
淑女のような外見らしくない、悪戯な笑みを浮かべるヘレーネ。
それがどこか場違いにも思えた。
ヘレーネは笑顔のまま立ち上がり、もう一度空に円字を切る。
その瞬間――
「えっ――」
声を漏らしたのはレイアだった。
何か、と思う間もなく、レイアの体から光が放たれ、それは宙を舞いながら人の形をつくっていく。
「ヤルダ……ヴァート?」
具象化したヤルダヴァートが、レイアの意思とは関係なくいきなりあらわれたのだった。どういう事かと問う前に、ヤルダヴァートはレイアの横に着地し、その場で恭しく頭を下げる。
すると今度は、ヘレーネの体からも光の粒がいくつも浮かびあがった。
光は数を増し、徐々に何かの形をつくりはじめる。収束した光はプリズムのように色を変え、やがて青の色へと落ち着いていき、薔薇の花に似た形をとっていった。その薔薇は花びらをめくるように形を大きく広げていく。
中からあらわれたのは、人型の神聖。
紛れもなく、神霊の具象化だった。
青い花びらをドレスのように翻した、神々しい妖精。
いや、ラグイルやヤルダヴァートの具象化の方がより妖精らしく、ヘレーネのそれはただの妖精というより、妖精の女王とでも言うべき華やかさだった。
「ご機嫌麗しゅうございます。母格神霊」
ヤルダヴァートが、配下の者のようにかしづく。
「ロード……? どういう事……?」
いぶかしむレイアに、ヤルダヴァートが答えた。
「こちらの神霊は、ボク達の統率者。最上位の神霊である〝原初の神霊〟」
「エオス……! それって確か、一番最初に地上にあらわれたっていう……」
「原初の神霊の一人〝メタトロニオス〟様です」
レイアだけではない。アムロイやホランドも予想すらしていなかった名前に、三人の体は固まり、思考が止まる。
「原初の神霊……。待って、それじゃあ姉さんは――」
「ヘレーネ・シュミット。彼女こそ、この国の本当の聖女だよ」
これに答えたのは、ジェラルド王。
「姉さんが……それじゃあ三年前のあのクローディアの事件は一体……」
「勿論、クローディアに殺されたなんていうのは嘘。あなたはね、ずっと夢の中にいたの。あたしの作った、夢の中に」
ヘレーネの抽象的な答えに対し、メタトロニオスが続いた。
「ヤルダヴァートは知っているが――儂の力は〝虚構の現実化〟」
透き通った吹奏楽器を思わせる、耳心地の良い低音。しかし声は艶のある女性なのに、口ぶりは老齢な男性のもの。
ヤルダヴァートもラグイルも一人称は「ボク」や「オレ」であるところから、神霊とはそういうものなのかもしれない。
「虚構の現実化?」
「そう。祈りを現実にし、願いを形に変える。その時、偽りは形を持つ。ヘレーネは聖女である事を受け容れながら、人の営みの中での聖女の役割を拒んだ。だから役割としての聖女にならぬよう、友であったクローディアに、聖女としての力を与え、彼女に己の代わりを務めさせたのだ」
「ちょ……ちょっと待って。聖女の力を与えるって、それじゃあクローディアに宿っているあのミトロンは」
「あれに宿る〝ミトロン〟とは、儂の分け身のようなもの。ヘレーネが願う事で現実化させた、虚構の神霊。そしてお前達人間の言う〝蒼穹の聖女〟なる女も、中身のないがらんどうの聖女。あれは何者でもない、ただの普通の女だ」
尋ねたアムロイも、思わず何と言っていいか分からなかった。
だが、それで腑に落ちる。
かつてラグイルはミトロンと戦った際、あれほど強力なのに、ラグイルが知らないなど怪訝しいと言った。しかしそれが虚像で造りものの神霊であり聖女兵器なら、ラグイルが知らないのも当然だろう。
「儂の力が全ての神霊の中でも最も強力な一人だからというのもあるが、それ以上にヘレーネの持つ力も並外れたものがあった。だから有りもしない存在を、〝現実に〟〝実現〟させたのだ。が、それでも、何年もの間、自分の分身を実体化させるのは難しい。しかしヘレーネには、並外れた力を持つ己に相応しい、桁違いの力を持った〝守護士〟がいた」
アムロイはジェラルド王を見る。けれども、ジェラルド王はクローディアの守護士であるはず。
そもそもクローディアが偽りなら、王や三人の聖堂聖騎士はどうなるのだ? それすらも偽りの力として生み出したのか?
アムロイがそのように問うと、メタトロニオスは「そうだ」と答えた。
唖然とする他ない。
偽物、借り物なのに、通常の守護士を超える力など――。
「ヘレーネと契約した守護士とは、この男――」
まさか――とアムロイは驚愕する。
「ホランドだ」
ホランドは、こちらを見ていなかった。顔を俯かせ、肩を震わせている。
「儂の知る限りでも、この男ほど強大な神霊力を持った人間は見た事がない。あまりに桁外れすぎて、自分の力のほぼ全てをヘレーネに譲渡しておきながら、それでも残った絞り滓のような力ですらも、通常の神霊力だと錯覚させてしまうほどよ」
「ホランドが……姉さんの……ちょっと待って。じゃあ、ホランド、君は……君は何もかも、全部分かっていて――知っていて今まで僕に協力するふりをしていたのか……!」
「ち、違う」
今日はじめて、ホランドはアムロイの方を見た。
「わた、私も知らなかったんだ。私がそんな」
「知らなかった?! 守護士なのに知らなかったなんてそんな話――」
「いいえアムロイ。ホランドの言っている事は本当よ」
諍いが憎悪へ変わりかける直前に、ヘレーネが柔らかくそれを否定した。
「ホランドもね、本当に知らなかったの」
「知らないって、そんな事」
「あなたと同じなの、彼も」
「僕と、同じ……?」
「そうよ。あなたもホランドも、私の力の影響下にずっといたの。ずっと、夢の中――幻を現実だと認識していたのよ。私の聖女に宿る四つの力の一つ。それが――現実の上書き。あなたとホランドに、あたしがそれをかけたの」
「現実の上書き……?」
「祈りを実現させるのとは別の力。相手の認識している現実を上書きし、こちらの用意した現実を、〝真実〟だと思い込ませる能力。ホランドには、自分が守護士である事を忘れるようにしたの。だって、守護士がいたら、あたしが聖女だってばれてしまうから。だから今まで彼は、自分があたしの守護士であるなんて思いもしていなかったの。忘れていたというより、その認識すらなかったの。守護士である事、それにまつわるあらゆる記憶や体験を、彼の現実から消していたのよ」
ホランドは再び目を逸らして、顔を横に向けていた。
「でも、そんなの」
いくら守護士であるという認識を消されても、守護士である以上聖女との繋がりは残る。己に自覚がなくとも、力の結び付き、互いを感じるものはどうなるのだと、アムロイは言った。
それに答えたのは、ヘレーネに宿る原初の神霊であった。
「さっきも言ったが、この男の神霊力は途方もないものがあるのだよ。あまりに巨大すぎて、自分の力がヘレーネと繋がっている事を忘れてしまうほどにな」
そう言えば以前、ラグイルはホランドに対し〝危なっかしい奴〟だと言っていた。もしかしたらラグイルは、ホランドに眠る力に気付いていたのではないのか――。
「それに勘違いしているかもしれんが、この男がヘレーネの守護士になったのは、お前の思っているよりずっと前だぞ」
「え……?」
「そうよ」
ヘレーネはホランドの側に寄り、いたわるように優しく、彼の手を己の手で包み込んだ。
ホランドがびくり、と全身を震わせる。
「初めて会った時ね。私達家族と」
「初めてって、じゃあ」
「ずっとずっと子供の時よ。――初恋、だものね」
ホランドはまだ俯いたまま。何を考えているのか、どう思っているのか分からない。
けれどもアムロイは、何故だか酷く嫌なものを見ているような気持ちになった。
「じゃあ、もしかして姉さんは子供の時からずっと、聖女の力を隠していたの?」
「そうよ。でも、それも永遠には隠しておけなかった。三年前のあの時、私が聖女である事が、王国に見つかってしまった。それで私は仕方なく、クローディアを聖女にして、私が魔女堕ちしたという風に現実を書き換えたの。だからアムロイ、あなたのに苦しい思いをさせたのはあたしなの。本当にごめんなさい」
謝罪の言葉で、アムロイは気付く。
「じゃあ、さっきから言っているのって……」
「三年前、あなたの認識を改変したのよ。あたしがクローディアに力を与えたんじゃなく、クローディアが私から力を奪い、殺したっていう風に」
三年前の夜。
炎で焼け落ちる家と火に焼かれる家族。
闇夜に浮かぶ巨人。
苦しむ姉。
それは今でもありありと眼に浮かぶ。忘れるはずがない光景。
その記憶と復讐心こそが、己の生きる目的だった。
過去への報復こそが、アムロイの全てだった。
けれども今――そのビジョンが揺らいでいく。
まるで擬態が解かれていくように、今まで信じていた景色が――記憶が――ぼろぼろと剥がれ落ちていく。
めくれて見えてくる。信じたくない本当の本当が。
そうだ。
家に火をかけたのはクローディアではない。
それは、姉だった。
そして嫌がるクローディアを神霊力で縛り上げ、姉はクローディアに――
キスをしたのだ。




