Chap.2 - EP4(7)『魔女 ―夢の中で―』
アムロイは微睡みの中にいた。
全身の打撲と発熱で、未だ意識を覚ましていない。
夢の中、アムロイは思い出す。
この復讐のはじまりを――。
はじまりは、姉ヘレーネがクローディアに殺され、力を奪われた三年前の事件からだった。
姉は聖女に選ばれたばかり。
その直後に、姉の友人であったクローディアは姉から力を奪い、自分がダンメルク王国の聖女となったのだ。つまりクローディアこそが魔女なのだと、アムロイは信じていた。
しかし魔女はクローディアではなく、自分が信頼していた下女のギルダだったのだ。
いや、魔女が一人とは限らない。聖女が複数同じ場所にいるように、魔女だって二人、三人といても怪訝しくはないはず。
けれどもその魔女であるギルダが言ったのだ。
クローディアは、聖女でも魔女でもない、ただのまやかしだと。
どういう意味なのか。
分からない。
そもそも聖女とは何なのか。
恵みと力を齎す、神霊の地上代行者。
そんな型通りの言葉はどうでもいい。
思い返せば復讐の原因も、元を辿れば姉に聖女の力が宿ったからに他ならなかった。そのせいで姉は殺されたのだ。
聖女の力が宿らなければ、今でも姉のヘレーネは生きているはず。
それに、姉から力を奪ったと思っていたクローディア。
あの女が聖女でも魔女でもないなら、正体が何なのかなんて全く分からない。
けれどもそのクローディアも、様子が怪訝しくなっているのだけは確かだった。
もしかしたら、自分やレイアもいずれは同じように――。
そんな事さえ考えてしまう。
何もかも、誰も彼もが聖女のせいで、不幸になっているのかもしれない。
亡くなったオヴィリオ王子は、かつて言っていた。
この世の全ての聖女を、認めない――と。
出会って間もない頃、オヴィリオは世の不幸の元凶は聖女であると思いこんでいたのだ。しかしアムロイことジャンヌという聖女に会った事で、彼は考えを改めて聖女を受け容れた。しかしその結果起きたのは、死という破滅である。
アクセルオだってレイアだって悉くの人間が、聖女との関わりで不幸になっていく。
そもそもゼーラン王国を縛り上げていたのも、前の聖女との関わりの中で起きた事件からであった。
その罪が聖女にあったわけではないにせよ、聖女が原因なのも事実。
もしかしたら本当に、オヴィリオの言っていた事は正しいのかもしれない――。
それが妄想と真実かどちらなのかさえ、アムロイには分からなくなりつつあった。
そういえば――。
姉のヘレーネも、そんな事を言っていた。
三年前――。
ヘレーネは聖女として見出された時、どこか悲しげで苦しそうな顔をしていた。
アムロイはそれを、てっきり重積からくるプレッシャーなんだろうと思った。しかし姉は、こんな事を呟いたのだ。
「本当はあたし、聖女になんてなりたくないのかも」
思ってもみなかった姉の言葉に、アムロイは「どうして」と尋ねた。
「聖女になったら、あたしはずっと聖女として縛られてしまう。それがあたしは嫌」
聖女に縛られるという意味を、この時のアムロイは分からなかった。けれど今なら、少しは理解出来る気がする。
「どうしてこの世界には聖女なんているのかしら。聖女が必要なのかしら」
アムロイには、答えになるような言葉を持っていなかった。
「きっとあたしじゃなく、世界の方が間違っているのね。聖女が必要な、この世界が」
それはまるで、この世への恨みそのものに聞こえたから、とても悲しい気持ちになったのをアムロイは覚えている。
もう一度、そんな言葉を聞くだなんて――と。
アムロイの悲しげな様子に、姉は優しく大丈夫よ、と微笑んでくれた。
「きっと、聖女に選ばれた事で不安になったのね。駄目ね、あたし。アムロイのためにもしっかりしなきゃ」
その翌日、姉は殺されたのだ。
果たして姉の言葉には、どれだけの本心があったのだろうか。
本当に聖女を、聖女のいる世界までも、恨めしく思っていたのだろうか。
そう言えば、同じような言葉を別の誰かも言っていた。だからアムロイは、もう一度だと思ったのだ。
あれはいつだったか。誰だったか。
姉が聖女に選ばれるよりずっと前。そうだ、もっと子供の頃だ。
アムロイは、人質になっていた幼いレイア姫の遊び相手として、ダンメルクの城に登っていた。一緒に机を並べて学び、城壁内とはいえ城の外や中で遊び、仲の良い日々を過ごした。
とはいえ、長い期間ではない。およそ二年と少し。
あくまでレイアは人質だっただけに、特定の人間との親密な人間関係が築かれる事を、前のダンメルク王は嫌がったのだろう。
やがてくる別れを前に、レイアは泣きじゃくってアムロイから離れようとしなかったのだ。
「いや。アムロイと離れるなんていや。レイアはずっと、アムロイとずっと一緒にいるの」
あまりの執着ぶりに、アムロイ以上に近習の人間が困り果てる始末。
そんなレイアにアムロイは、
「また会いに来ますから」
と、宥めるように言った。
「ほんと? ほんとに? 絶対にまた会いに来てね」
続けてレイアは、周囲を驚かせるような事を口走ったものだった。
「レイアはアムロイの事、大好き。だから将来はアムロイと結婚するの」
子供の戯言と言うには、一国の姫という立場がある以上、笑って聞き逃す事は出来ない発言だった。周りの大人もどう言っていいやら呆れるばかり。
それは無理です、と嗜めるのがせいぜいだった。
「どうして? どうしてダメなの?」
「それは……レイア様は王女殿下ですから、そういうのは……」
「そんなの知らない。そんなのいや。レイアは間違ってない。だって好きな人と一緒になるのが女の子の幸せだって、お母様も言ってたもの。だからレイアは好きな人と一緒になるの。もし間違ってるって言うのなら、レイアじゃなくてこの世の中よ。世の中のみんなが間違ってるわ」
子供のレイアが言った、姉と同じ言葉。
その時、無性に悲しくなったのをアムロイは覚えていたのだ。
だから姉の言葉を聞いた時、とても悲しくなったのだろう。
あの時から、レイアは変わってないような気がする。きっと今でも同じ事を言うだろう。
であればやはり、この世界が間違っているのか。
いや、間違っていようがいまいが、それがこの世の道理なのだ。
聖女によって、神霊によって、世界は安らかであるのだ。
けれど、その聖女や神霊が、今の苦しみの原因ではないのか。
ラグイルは言っていた。
神霊は嘘をつかない。本当の事しか口にしない。
だったら教えて欲しい。
一体何が本当なのか。
どうしてこんな事になっているのか。
夢の中、深い深い水底から浮き上がっていくような感覚があった。
見えてくるのは水面なのか、それとも空の向こうなのか。アムロイは、そこにラグイルがいるような気がした。
ラグイルは何かを言っている。
でも、何と言っているのか聞き取れない。
聞こえない。
何て――
何て言ってるんだ。
ラグイルが語りかける。
それは――
「おはよう、アムロイ」
いや、その声はラグイルではなかった。誰か別の女の人。
瞼が重い。
体はもっと重い。
泥の中というより鉛の海に浸かっているみたいで、思考すらも不鮮明だった。
しかし意識はまだ混濁していても、アムロイは自分が眠りから目を覚ましたのだという事は理解した。
自分はベッドで横になっているのだろう。
レイアが目を丸くして、誰より真っ先に泣きかけているのが分かった。
今の「おはよう」はレイアだったのかと思った矢先、同じ声がもう一度して、アムロイはそちらに首と目線を傾けた。
「やっと会えたわ」
声の方に目の焦点が合った時、アムロイの思考もまた鮮明になっていく。
だが目覚めきった頭の中は、同時に思考停止もしていた。
「どういう……事……」
まだ夢の中なのか。
目覚めたのは嘘で、ここは夢の中なのかと、己を疑った。
「どうして――」
いや、夢ではない。現実だ。
なのに、夢よりも夢のようであった。
ただしそれは、幸福な夢なのか、それとも悪夢であったのかは分からない。
「姉さん……」
ジェラルド王、ホランド、ギルダの三人を付き従えて微笑んでいたのは、
「ヘレーネ姉さん……」
死んだはずの、姉であった。




