Chap.2 - EP4(4)『魔女 ―オズワルド―』
ウールヴ教会の名前は、アクセルオも知っていた。
ダンメルク王都オールフスの中でも特に名高い大教会――なわけではなく、この教会で、王国の最初の聖女が見出されたと言われている場所だからだ。
規模も建物も大きなものではないし、信仰的にも観光的にもそこまで目を惹くような所でもないが、王国最初の聖女の所縁の地なだけに、格式はあった。とはいえ、それから何代も色々な場所で聖女があらわれているだけに、今となっては最初というだけの場所、歴史上の記録に残っている建造物以外の意味はなくなりつつある、辺鄙とも言える教会だった。
そこまで有名でもないが名前は知られているし、かといって人が多く来るところでもない――。
だがそれだけに、秘密裏に落ち合うには打ってつけだとも言えた。
石畳が続く街を城とは少しずれた方角に向かって進むと、徐々に地面が露出してくる。やがて、木々が建物よりも数を増していった先に、その木造の建物はあった。
大きい民家だと言われたら納得してしまいそうな佇まいである。屋根には魚の鱗のような木片が敷かれ、建物自体もほとんどが松の木づくりという簡素さだった。
教会という事を示す鐘楼と、屋根の上にある縦一文字の円字飾りがなければ、これがテルス教教会だとは信じないかもしれない。
外套を被ったアクセルオは、首元を強く握って目深にし、人目を憚るように教会へ入っていく。
司祭がいれば挨拶をするつもりだったが、礼拝の日ではない事に加え、どうやら人払いがされているらしい。おそらくこの場所を指定した聖堂聖騎士オズワルドによるものだろう。
外観どおりに広くない説教壇は街の集会場ほどの広さで、木造りの椅子に一人だけ座っている人物がいた。
メガネをかけたその男が、オズワルドである。
アクセルオは何も言わず、横並びの反対側の椅子に腰を落ち着けた。フードだけ脱いでいる。
「何が目的だ」
開口一番にアクセルオが尋ねるも、オズワルドはすぐには答えなかった。
「俺達兄弟は、クローディア様に恩がある」
射し込む光がメガネに反射し、オズワルドの目が見えない。表情も分からない。
「俺達は元々流れ者のような生活をしていた。言ってみれば野盗みたいなもんだ。それを、クローディア様が拾ってくださり、聖堂聖騎士にまでなったんだ」
「待て。流れ者だった、だと? 貴族じゃないっていうのか」
「そうだ」
「ならどうしてそんな強力な神霊力を持っている。騎士階級以上でなければ〝白い血の貴族〟にはなれないぞ」
神霊由来の力、神霊力は、幼い頃より聖女の創造した果実〝聖餐果〟を一定量食べる事で発現するもの。より正確には、そういったケースが多いと言うべきか。
この聖餐果は聖女しか生み出せない希少なものなだけに、食べられるのは必然的に貴族だけである。それだけに神霊力は騎士階級以上の貴族にしか生じない事がほとんどであり、その特権性から貴族の事を〝白い血の貴族とも呼んだのだ。
「俺ら兄弟が貴族じゃないってだけだ。よくは知らないが、おそらく祖父母かその上の代は貴族だったんだろうな。ガキの頃に死んだ俺の親父がそんな事を言っていたのを、薄らぼんやりと憶えている。で、ごく偶にこういうのがあるって聞くだろう? 自分より前の世代で、強い神霊力を持っていた親族がいたら、それが遺伝で発生する事があるって」
「神霊力の隔世遺伝か――」
確かにそういう事例もある事は、アクセルオも知っている。先天的な才能のようなものとして。
「けど、俺らが神霊力を持っていてもそれだけだ。正規の訓練なんて受けてねえし、もし今のようになれず、そのまま流れ者生活を続けていたら、早々に何処かの騎士に討たれて野垂れ死にしていただろうな」
「だからクローディアに恩義があると。で、それが何だというんだ」
「その恩に報いるため、俺らは懸命に仕え、騎士になった。けど、それだけじゃ不充分だった。そこでジェラルド陛下は俺ら兄弟に持ちかけたんだ。モーリス博士の実験台にならないかって」
「あいつの……? まさかそれは」
「ああ。アンタも飲まされたんだろう? 博士自慢の薬ってヤツを。けど、俺はそれを断った。どうにもあの博士の事がいけ好かないし、胡散臭いって思ってたからな。幸い俺には剣の腕があった。それに神霊力も、訓練をしている内にそこそこのものにはなれた。逆に言うとその兆しがあったから、陛下も博士も俺ら兄弟に目をつけたんだろう。けれど、俺はそうだったが弟は違った。あいつは博士の薬を飲んだんだ」
弟――大剣使いのリカードの事だった。
半年以上前、アクセルオはリカードと手合わせをしている。
「ああ見えて、博士の薬を飲む前のあいつは、繊細で臆病な性格だったんだ。どれだけ修羅場を潜ってきても、人を殺す事を躊躇っちまうような、そんな奴だったんだ」
アクセルオと剣を交えた姿からは、およそ想像もつかない。まるで正反対ではないかと唖然となる。
「けど、今はアンタの知ってる通りだ。今のあいつはまるで違う。博士の薬で確かにあいつは強くなった。神霊力も守護士以上になった」
「待て。それじゃあボクも――」
「薬を飲み続けていれば、いずれそうなるかもな。いや、既にその兆候は出てるんじゃねえのか? 俺が出した蔓を咄嗟に伝って塔を降りた判断。普通なら、あんな躊躇いなく出来ねえ。ちょっとは躊躇するもんだ。けどアンタはそれをした。それに、俺の呼び出しを受けてここへ来た事も、ある意味無謀って言えるんじゃねえのか」
指摘を受けて、初めてアクセルオはハッとなった。
考えてみれば昨夜からの自分の行動は、およそ今までのそれに比べると、大胆すぎるというよりむしろ思慮に欠けると言える。だが言われるまで、まるでその事に気付かなかったのだ。
「博士の薬を飲んでねえのは、ダンメルクだと俺ぐらいのもんだ。あとは陛下か。コーネリアも飲んでるし、クローディア様だってそうだ」
「何だって」
「アンタもあの時見ただろう。博士がクローディア様に対し、命令するみたいな言い方をしてるところをよ。薬を飲めば神霊力は強くなるけど、博士には逆らえなくなるらしい。――まァ、だから俺は、コーネリアの奴に何で博士を裏切るみてえな動きをしたんだって聞いたんだけどな」
「?」
後半の言葉は、コーネリアがアムロイを呼び出して儀式の中止に協力してほしいと言った、密談の時の話である。無論、アクセルオはそれを知らないから、何を言っているのか分からなかったが。
「――まぁ、その事はいい。ともかく、この国は今や博士のいいようにされてるって事だ。それが気に喰わねえってのもあるが、ここ最近、全員の様子がどうにも怪訝しいんだよ」
「怪訝しい?」
「クローディア様は、なんつーか情緒不安定で昨夜もアムロイに執着するような事を言い出すし、何よりリカードは、王国に帰還してから度々発作みたいなものに苦しんでる。あいつを問い詰めたら、実は少し前からその症状は出てたらしい。で、聞いちまったんだよ。リカードはもう長くないって話を」
「聞いた? 誰から?」
「博士が陛下と話してるのをな」
「つまり薬が原因だと、お前は思ってるんだな」
「そうだ。話が早くて助かるぜ。でも今更薬を止めさせてもどうにもならねえし、俺にはもうどうする事も出来ねえんだ。けど、そのリカードからの報告で、あんたの妹、女王陛下の話も聞いたんだよ」
「レイアの話?」
「レイア陛下の聖女の力は、毒だって事をさ」
「そうなのか」
「ああ。毒を盛るのも解毒するのもどっちもイケるってな。そこで思ったんだよ。あんたの妹の女王陛下なら、弟を蝕んでる薬の効果を消す事が出来るんじゃねえかって」
「そう――なのか」
「あくまで推論だ。でも、根拠はある。博士の研究は、神霊と邪霊の力を利用したもんだ。だったら、神霊による解毒こそが一番効く可能性が高い」
アクセルオは少しだけ考えた。
「それこそ根拠じゃなく推論だろう」
「まあそうだな。けど、弟が使い物にならなくなったっつって死んじまうくらいなら、試す価値は充分あると俺は思う。奇跡を起こすのが聖女なんだろう?」
「……」
「だが大きな問題があって、レイア陛下の周りは常に博士の見張りが付いていて、俺でも近付けねえんだ。それに、俺自身が警戒されてるってのもあるしな」
「博士らにか?」
「違う。アンタの妹にだよ。で、もっと問題なのは、ここにレイア女王やアムロイが来た理由だ。それは知ってるか?」
「確かクローディアとレイアの二人の聖女による大規模な浄化の儀式を行うんだろう?」
「そう、神霊降誕祭だ」
それが何だというのかと、アクセルオは話を促した。
「神霊降誕祭をすれば、どちらかの聖女が死ぬ可能性が高いんだよ。いや、どちらどころか二人ともにかもしれねえって話だ」
「何だと」
窓から注ぐ光の角度が変わり、オズワルドの瞳がアクセルオにもはっきりと見えた。
白子症特有の赤い瞳。それがまっすぐに見据えている。
「ここからが本題だ。俺は弟を助けたい。それには、アンタの妹の力がいる。けど、儀式がされたらアンタの妹は死んでしまうかもしれねえ。だから俺と一緒に、レイア陛下を助け出すのに協力して欲しいんだ」
意外な申し出に、アクセルオの目は大きく見開いた。すぐさま思考が激しく巡るも、真っ先に出たのは、
「無理だ」
という現実的な言葉だった。
「妹を救えるなら、ボクは協力する。でも、それは無理だ。いや、不可能だ。あのオーデンセ城に忍び込む事自体が不可能だ」
「まあそうだな」
「おい」
「だが、やるしかねえ。何せその儀式は、明日行われるんだ」
「明日?!」
「明日には、レイア女王の命は奪われる。そうなりゃあ、弟の助かる見込みはなくなる。アンタはそれを、見過ごすっていうのか?」
言葉に詰まるアクセルオ。
「もう不可能とか無謀だとか言ってる段階じゃねえんだよ。昨夜の事もあって、今、レイア陛下はアムロイってあの守護士と一緒に閉じ込められている。こいつは俺だけだと、どうしようもねえ」
「待て。待て待て……。ボクとなら、どうにかなるって言うのか?」
「アンタは半年前、あのジェラルド王と一騎打ちをして、負けはしたが生き延びた。しかも聖女兵器の攻撃で城が吹っ飛んだのに、それでも死ななかった。普通じゃねえ。アンタ自身の持って生まれた才能なのか、それともアンタの異能が特殊なのか、それは分からねえ。けど、アンタは奇跡を自分で起こせる人間だと、俺は思ってる」
「そんな無根拠な」
そう返しながらも、あながち間違いではないかもしれないとアクセルオは思った。
アクセルオの異能は予知。
先を見通し、未来を識る。
しかも今は、その力が例の博士の薬によって底上げされている。確かにこの力なら、使いようによっては万に一つもあるかもしれない、という事だ。
「だったら、このまま手をこまねいて自分の妹をアンタは見捨てるのか? 言っておくがな、ジャンヌって聖女の正体はあのアムロイなんだろう? そのアムロイも、レイア陛下が死ねばお払い箱で処刑されるんだぞ」
やはりアムロイがジャンヌだったのか――という事実と、それをダンメルクにも知られているという二つの意味で、アクセルオは絶句する。
「クローディア様はアムロイを助けなさいなんて言ってたが、ようはレイア陛下と守護士の関係なんだったら、その守護士が死ねば聖女のレイア陛下は力が弱まっちまう。だから儀式が終わるまでは生かしておこうってだけの話だ。つまり、レイア陛下を助け出す事は全部を救う事でもあるんだ。それをしないっていうのか、アンタは?」
赤い瞳が、真摯な鋭さでアクセルオに突きつける。
臆病に見捨てるか、無謀に死地へ行くか――どちらかの決断を。
そして今のアクセルオは、慎重な今までの彼ではなく、衝動的な自分の方が強かったのである。
「ボクが妹を見捨てるわけがない」
「だったら」
「お前の話は理解した。いいだろう。協力する」
互いの視線が絡み合う。
どこか相手を推しはかるような、二人共に攻撃的な眼差しだった。
こうして、急拵えの呉越同舟の相棒が、ここに出来上がったのであった。




