Chap.2 - EP4(2)『魔女 ―贈り物―』
魔女と言っても、外見に特徴的な違いがあるわけではない。
その意味では聖女と同じである。
それでもレイアがギルダを一目で魔女と判別したのは、彼女の肩の上に浮かんでいた、小鳥サイズの人型を目にしたからだ。
いや、人型にしては異形だった。
頭部からは、甲虫類の大顎を思わせる突起物が、ツノのように突き出ている。体つきはほっそりとしているが、女性的な神霊と違い、どちらかと言えば男性を思わせる肢体である。また、魚類か両生類のものに似た長い尾が生え、背中にある羽根は、朽ちた植物の葉を思い起こさせた。
どことなく悪魔的。もしくは小さな怪物――。
神霊の具象化とは明らかに異なる、別の具象化された怪異。
つまりギルダの肩に浮かぶ不気味なものこそ、霊蟲などではない、真の邪霊。
ギルダが魔女だという、これ以上ない明らかな証だった。
その彼女が纏っているのは、いつもの侍女の衣服ではなかった。
黒を基調にした、体の線が浮き出るような艶っぽいドレス。
髪型もほどいて流し、見慣れぬ装飾品を身に付けている。肩にはストールのような何かの毛皮が巻きつけられ、貴族の淑女というより、高級娼婦を思わせるような出で立ちにも見える。
毛皮をオモチャのように指で弄びながら怪しく微笑み、ギルダはもう一度さっきの言葉を繰り返した。
「ねえ、聞かせて。レイア、貴女はそこのアムロイを殺すの? アムロイ、あなたはクローディアを殺すの?」
しかしその問いに答えるよりも、アムロイには洪水のような混乱と疑問が頭の中で渦巻いていた。
「君が――君が魔女だって……? どういう事なんだ? 君がどうして……?」
「どうして? どうしても何もないわ」
「ずっと……ずっとそうだったのか……。ずっと……僕を騙していたのか」
「騙していたとは、ちょっと違うかしら」
「何……?」
「魔女だというのは黙っていたけれど、それは言わなかっただけ。嘘はついてないわよ」
「言わなかったから嘘じゃないなんて、そんな――」
「本当よ。もしもあなた達に尋ねられていたら、私は魔女だって正直に答えたでしょうね。多分」
あの誠実で朴訥なギルダではない。魔女と呼ぶに相応しい、虚実の分からぬ不気味さが、彼女の全身をドレスよりも印象的に着飾っていた。
何よりおぞましく思えるのは、それが見知った姿よりも、彼女に馴染んでいるように見える事だった。
「私は最初から、魔女としてゼーラン王国にいたわ。それこそアクセルオ殿下の元で働くずっと前からよ。それを騙したって言うのなら、騙した事になるかもしれないわね」
信じられないし突然すぎて、未だにアムロイの理解が追いついていない。
いや、このままずっと、理解出来ないままなのかもしれない。
けれども同時に、過去に起きた他の出来事も、ギルダが魔女であれば辻褄が合うと頭では理解しはじめてもいた。
ゼーラン王国で頻発した霊蝕門。
門を人工的に開く術を解き明かしたモーリス博士と彼女が組んでいたのなら、どうしてあの地であそこまで頻発しているのかの説明はつく。
それに、アムロイがジャンヌであるとパウル王に知らせた犯人が誰なのか。それも同様だ。ギルダはジャンヌのお付きだったのだから、秘密を知ろうと思えば知りようはあっただろうし、パウル王にこっそりと知らせるのも容易であろう。
「じゃあ、君はもしかして……最初から僕の――ジャンヌの正体も知っていたのか」
「ええ。あなたの本当の正体なら、そうね」
含みのある言い方だが、二人は驚きが先走ってそれに気付かない。
「知っていて、利用した。僕の目的も、僕から聞かされる前から知っていたのか?」
「それは違うわ。あなたがゼーラン王国で何かをしようとしていたのは分かっていたけど、まさか姉の仇としてクローディアを殺そうというのが目的だなんて、聞かされるまでは知らなかったわ。あなたの口から直接聞いて知ったのよ」
改めてアムロイの真の目的を耳にし、レイアは思わずアムロイを見る。
「君は――僕の敵なのか。クローディアやモーリス博士の仲間なのか」
「そうね。少し前まではそうだった――というところかしら」
「少し前? 今は違うとでも?」
「こうやってクローディア達が来る前に、先にあなた達二人の前にあらわれたのが何よりの証拠よ」
クローディアが来るという言葉に、思わずアムロイは警戒するように表情を険しくした。
「安心しなさい。ちょっと仕掛けをしておいたから。あいつらが来るまでには、もう少しだけ時間があるわ」
ギルダが、婀娜のある笑みを浮かべる。
「それよりも、さっきの質問の答えを聞かせて頂戴」
「答えたらどうなるんだ? 何が目的なんだ」
「落ち着きなさいな」
ギルダが口元に手を当てて、コロコロと笑う。
「そんなに警戒しないでいいから。そうね――答え次第で、とてもいい事を教えてあげる。それだけよ。反対に私の気に入る答えじゃなくても、ああそう、ってだけ。それで私とはお別れね」
いきなり正体を見せた事も含めて、何が目的なのかまるで分からない。
「何もしないと言うのか」
アムロイの問いに、ギルダはただ艶笑うのみ。
睨むアムロイ。
全身の痛みで顔からは血の気が引き、息も荒い。なのにアムロイの眼光は鋭かった。
まだこの状況が信じられないし、むしろ混乱だってしている。信じていたはずのギルダこそが魔女で、ずっとアムロイを謀っていたとなれば、怒りも悔しさも戸惑いも、何もかもをごちゃ混ぜにして暴発したいくらいだろう。なのにかろうじて激情的にならなかったのは、あまりの現実味のなさと、己の肉体の疲弊がそれだけ酷かったからでしかない。
「レイア陛下」
ギルダの視線が、レイアのそれと絡み合う。答えぬアムロイにではなく、問いかけをレイアに変えたのだ。
しかしレイアもまた、アムロイと同様、憤りと混乱の中にいた。
が、理解したのか呑み込んだのか――少しだけ、アムロイと様子が違った。
彼女もまた、殺意に等しい目を向けつつも、堪えるように下唇をぎゅっと噛み、魔女の問いに返したのだ。
「貴女の言った言葉が本当かどうかは分からない。レイアは何も分からない。でも――」
「でも?」
この時レイアの脳裏には、ロスキレの街での聖女兵器同士の戦いが、そして先ほど自分を庇ってクローディアのミトロンと戦ったラグイル――アムロイ――の姿が浮かんでいた。
「ジャンヌへの憎しみはあっても、アムロイの事は信じてる」
「そのアムロイこそがジャンヌなのに?」
「そうよ。だってレイアは、アムロイを愛しているもの」
数瞬の迷いもなく、女王はきっぱりと言い切った。
琥珀の瞳は彼女の髪の色以上に、燃え盛る炎を宿しているかのよう。
ギルダはほんの少しだけ目を見開くも、むしろ納得したように表情を変えた。
「貴女……分かっているのね?」
そのままチラリとアムロイを見て、こちらにも再度問いを繰り返すのかと思いきや、魔女はほんの少しだけ何かを考えるようにして、視線を逸らす。そして、
「そう――そういう事なのね。私も勘違いしていたというわけか」
一人腑に落ちたように呟いた。
「どういう意味だ」
「知っている者、知らない者。それだけのパズルだと思っていたけど、そうじゃないのね。いえ、あの力そのものを考えれば当然だし、執着心にしても辻褄が合うわ。愛情と同情……いえ、同じ種類の人間への好意と言ったところかしら」
「何を言っている……?」
しかしギルダは、アムロイの問いを無視し続けた。
「そうね、今の女王陛下の答えだけで充分だわ。いいでしょう。あなた達二人に、いい事を教えてあげる」
何をどうしたらそんな判断になったのか。
アムロイにもレイアにも、まるで意味不明だった。
そもそも、いい事などと言って、どんな嘘偽りや惑わしを吹き込まれるのか知れたものではない。むしろ警戒されるし、するのが普通だろう。
何せ目の前の黒衣の女こそ、本物の〝魔女〟なのだから。
「と言っても、思ったより早く、ここにクローディアが来るわね。だから手短に言うわ。いい? まず一つ目。クローディアは聖女じゃない。あれはただの偽物よ。アムロイ、あなたの復讐は、間違っている」
「どういう意味だ……?!」
さっきまでの問いで半ば予想していた返答だが、それでも信じられるはずもない話だった。
「全てはアムロイ、あなたこそがはじまりなの。あなたの身に起きた事件、それが何もかものはじまりよ」
「僕の? さっきから一体――どういう事かちゃんと言え」
「それは言えない」
「は?」
「ちゃんと話したらダメなの。私がそれを言った瞬間、全てが終わる」
余計に訳が分からなかった。
謎かけにしては悪趣味だし、こちらを惑わせるにしては意味不明すぎた。
「私もね、あなたと同じなの。あなたに起きた出来事がきっかけで、あれの支配下になった。そしてその呪縛をあなたが自分で解かない限り、何もかもが無駄になる。今言ったように、私があなたに〝真実〟を告げても駄目」
「何を言ってるんだ。どういう意味だ。もっと分かるように話せ」
だが再びそれには答えず、ギルダは己に巻きつけた毛皮のストールから、何かを取り出した。
両の手の平に一つずつ。
緑と黒がマーブル状の模様になった、ウズラの卵ほどの小さな球体。
「受け取りなさい。これは私に宿る邪霊、この〝ザエボス〟の力を閉じ込めた〝召び水の卵〟」
「邪霊の、だって……? そんなもの――」
「いらなければ捨ててもいいわよ。ただし、話を聞いてからでも遅くないわ」
欺瞞と偽証で化粧した魔女の言葉など、ましてやそんな者からの贈り物など受け取れるはずはない。
しかし、これを取り出した時のギルダの顔は、何故かアムロイとレイアの知っている、あの朴訥で純朴な侍女の時の顔そのものだった。
どうして彼女がそんな顔をしたのかを察するより先に、その時の記憶が染み付いていたからか、二人は思わず卵を受け取ってしまう。
「いい? まずこれから、あなた達はクローディアらによって捕まる。そして城に戻され、決断を迫られるでしょう。――いいえ、違うわね。決断もなく、運命は決められてしまう。何もかもの運命が」
魔女というより預言者のような言葉。
「そしてアムロイ、そこであなたはいくつかの真実を聞かされるでしょう。でも、もしもその時に、あなたが〝最後の〟真実まで知らされてしまったら、全ては終わってしまう。何もかもが手遅れになるわ。けれどももし、その前にあなたが自分の意思と力で真実に気付けたなら――真実の一端でも――その呪縛をほんの一部でも解けたなら、終わりにならずに済む。違う道が拓けるわ。ただしその真実は、今までの人生で、最も苦しい選択をあなたに強いるでしょうね」
「どういう意味なんだ」
「言ったままの意味よ。これは予言や予測じゃないわ。決定事項なの。どちらの道になるかは分からないけど、必ずどちらかになる。そして最も大事なのはこれから。いい? もしもあなたが自分で真実に気付いても、それだけじゃあ駄目。だってあなたに宿るラグイルは、かなりの重傷を負ってるでしょう? それじゃあ非力な赤子も同じ。虫よりも無力。真実に辿り着いても何も出来ずにお仕舞いになるわ」
「それは――」
「その時、決断なさい」
「何を――」
「その卵を、使うかどうか」
「これを……?」
不気味さしかない邪霊の力の塊を使うなど――。
「真実に辿り着いた上で、もしもあなたがある決断をするのなら、その卵を割りなさい。その卵は、神霊力を注がないと割れないように出来ているわ。そして二つの片方が割れたら、もう一つにもそれが伝わるような仕組みになっている。だからアムロイが卵を割って、レイア様もそれを受け容れるなら、同じようにその卵に自分の神霊力を放ち、割るの」
「割ると何があるんだ」
「私があなた達二人に呼び出される。意識の空間の中でね」
「……?」
「そうすれば――」
ギルダは一息を入れ、わずかだが逡巡するような表情を浮かべた。
「本当の意味での、聖女と神霊の奇跡が起こせるわ」
まるで意味不明だった。なのに、何も口を挟めない。
そんな静かな迫力が、ギルダにはあった。
それは邪な魔女の恐ろしさではなく、あの純朴なギルダと同じ何かを感じさせた。
「そしてもう一つ大事な事を言うわ。アムロイ、あなたが真実に気付けるかどうかは、レイア様にかかっている」
「え――?」
「さっきのレイア様の言葉。それに対しあなたがどうするか。レイア様の言葉の本当の意味を、あなたが受け容れる事が出来れば、きっと真実は見えるはず。全てはアムロイとレイア、二人の心次第よ」
さっきの言葉。
それはギルダの問いへの回答。
――レイアは、アムロイを愛しているもの。
その言葉の本当の意味とは、どういう事なのか。思わずアムロイはレイアを見るも、レイアすら当惑した目で見つめ返すのみ。
愛しているという言葉に、それ以上のどんな意味があるというのか。
それは愛というものへの問いなのか? だとしたら、まるで哲学者の問答ではないか。
いや、そもそも――
――自分はレイアに対して、愛というものがあるのだろうか。
ずっとジャンヌという〝聖女〟として過ごしてきた。ジャンヌとして、心が揺らぐ瞬間もあった。じゃあ自分は偽りだけでなく心も女性になったのか。分からない。
それに、今は違う。今はアムロイ・シュミットという本当の姿だ。その自分は聖女だけど、果たして本当に聖女と言えるのか。少なくとも社会的立場においては聖女ではない。
そんな自分がレイアの〝愛している〟にどうやって答えを出せるのか。何を受け容れるというのか。
考えるほどに、頭も胸の内も、ずきずきとした締め付けが増してくる。
いや、それは現実の痛みだった。ギルダとのやりとりで無意識に痛みを忘れていたが、体が限界の悲鳴をあげはじめたのだろう。
「これは賭け。私の賭けよ。〝あれ〟があなたへの執着を見せたのがはっきりしたから、私はあなたに賭けた。だからモーリスにも、アクセルオ殿下を攫うように提案したの」
「殿下を攫ったのはお前なのか……!」
「そうよ。彼もまた重要な一人。それでも全てはあなた達二人にかかっている。全ての中心にいる生贄のアムロイと、偶然と必然の積み重なりで、全てを裏返しにする可能性を持ったレイア。二人に」
「待て。全然――何を言っているのか全然分からない。何の説明もしてないじゃないか」
「説明ならしたでしょう。レイア様の言葉から真実を見つけ出して気付く事。そして決断する事。それだけよ。その決断が良きにつけ悪しきにつけ、どちらにしてもそれで何もかもの決着がつく。二つの王国の未来も含めて、本当の何もかもの決着が」
ギルダはもう、いつもの侍女の顔ではなく、蠱惑と魔性で着飾った魔女の微笑みに戻っていた。
そして毛皮のストールを翻すと、徐々に彼女のドレスが闇夜に滲んでいくように溶けていった。まるでギルダ自身が、夜の一部に帰るかのように。
「ま、待て。まだ何も――何もちゃんと聞いてないぞ! 教えろ! ギルダ」
しかし再三に渡ってそうだったように、最後までギルダは、アムロイの問いかけに応えなかった。そうする事が、必然であるのだと言わんばかりに。
「待て!」
最後の声も、虚しく夜闇に呑み込まれていく。それと同時に、アムロイはその場に膝をついた。
頭痛が強さを増したのだ。
息はかつてなく激しく、体が震えている。
寒かった。凍えそうだった。歯が鳴っていた。
「アムロイ!」
咄嗟に駆け寄るレイアだが、その声は遠くに感じていた。意識が消え入りそうになる。
アムロイの額から流れ出る血を見て、レイアは己のドレスの袖でそれを拭おうとするも、触れた瞬間息を呑むのが分かった。
「酷い熱……!」
そうか。発熱もしているのか――と思った途端、視界がぼやけだした。
遠くの方で複数の馬蹄の音がしたような気がしたが、それももう、混濁する意識の波にさらわれていくのみだった。




