第7話 森の生存術と弓の訓練
本作は代表作の「氷の奇公子~変人王子の生存術~」のサブです。
代表作の方が完結するまでは更新はとても少なくなります。
5歳になってから始まった大族長の後継者教育は、思っていた以上に幅が広かった。昨日までブリガン族の領域や村、町の位置を教えられていた俺は、今日も父さんに連れ出され、朝から森の中を歩いている。
「今日は何をするの?」
「森で生きるための知識を教える」
「めんどくさい。具体的には?」
「水の探し方、食べられる植物、危険な植物、動物の痕跡、天候の読み方、それから火の扱い方だ」
「……結構あるね」
「まだあるぞ」
「おっと幻聴が聞こえてしまった。」
「現実だ」
知ってるよ!ッチ
どうやら大族長の長男という肩書きは、何の役にも立たないらしい。
森の中をしばらく進んだところで、父さんが突然足を止め、地面を指差した。そこには土が掘り返されたような跡がいくつも残っている。
「リース、これは何だ?」
「穴掘りが好きな人もいるんだね。」
「猪だ」
「牡丹鍋食べたい。」
「猪が鼻で土を掘った跡だ」
俺は地面を見つめた。言われてみれば確かにそれらしいが、何も知らずに見ればただ土が荒れているだけにしか見えない。
「森では動物そのものを探すだけじゃない。足跡、糞、食べ残し、木についた傷……そういう痕跡から、どんな動物がどこを通ったのかを判断する」
「じゃあ、これを見れば猪がいるって分かる?」
「この痕跡だけで全てを判断するわけじゃない。新しいものなら近くにいる可能性が高いし、古いものなら別の場所へ移動しているかもしれない。周囲の状況と合わせて考えるんだ」
なるほど。
前世の俺なら、森に入って動物を見つけたら「あ、動物がいる」で終わっていただろう。しかしアルヴァン民族の狩人たちは、動物そのものではなく、その動物が残した痕跡から情報を読み取るらしい。
その後も父さんは、森に生えている植物を次々と教えてくれた。
「これは食べられる」
「これは?」
「食べられない」
「じゃあ、これは?」
「毒がある」
「……こっちは?」
「それも駄目だ」
「よく食料なんて確保してきたね。ほんとに何にも食べられない。」
俺が思わず言うと、父さんは呆れたように俺を見る。
「森に生えている植物が全部食べられると思う方がおかしい」
「命を引き換えに差し出すなら、この世に食べられない物はないよ。」
食べられる木の実や植物には印をつけるように覚え、似ているが危険な植物については特に注意して教えられた。時期によって食べられなくなるものや、見た目が似ている別種の植物まであるらしい。
さらに、水を探す方法や天候の変化を読む方法、火を起こす場所と扱い方まで教えられた。
森で生きるというのは、ただ木々の間を歩き回ればいいという話ではない。
どこに水があるのか。
何を食べられるのか。
どこが危険なのか。
動物はどこを通るのか。
雨が降る前にどう判断するのか。
そういった知識を積み重ねて、初めてこの森で安全に暮らせるのだ。
「父さん」
「なんだ?」
「森で迷ったらどうするの?」
俺が尋ねると、父さんは少し考えてから答えた。
「まず慌てないことだ」
「それだけ?」
「それが一番大事だ。木々の位置、地面の傾斜、水の流れ、太陽の位置……分かるものを一つずつ確認する。何も考えずに歩き回れば、余計に迷う」
「なるほど」
「森には人間が作った道だけじゃない。動物が通る道もあれば、水が流れる場所もある。森を見れば、自分がどこにいるのか判断できる」
俺は周囲を見渡した。
今までなら、ただ木が大量に生えている場所としか思わなかっただろう。しかし父さんに教えられたあとでは、木々の間にもいろいろな情報が隠れているように見えてくる。
「森は敵じゃない」
父さんが言った。
「だが、何も知らない者に優しい場所でもない。だから森を知るんだ。アルヴァンの民にとって、森を知ることは生きることそのものだからな」
その言葉は妙に印象に残った。
アルヴァン民族がこの大森林で何百年、何世代と暮らしてきた理由が、少し分かった気がする。
森は単なる住居ではない。
食料を与え、水を与え、狩り場を与える一方で、何も知らない者には危険を突きつける。だからこそ、アルヴァンの民は森について膨大な知識を持っているのだ。
「さて」
父さんが立ち上がった。
「戻るぞ」
「やっと終わり?」
「ああ。午前の教育はな」
「……午前?」
嫌な予感がした。
父さんがこちらを振り返る。その手には、いつの間にか弓が握られていた。
「午後は弓の訓練だ」
「めんどい」
アルヴァン民族にとって弓は、軍事用の特殊な武器ではない。狩猟のために日常的に使われる道具であり、一般の部族民にも扱える者が多い。当然、大族長家の跡継ぎである俺が扱えないなどということは許されない。
訓練場へ移動すると、木で作られた標的がいくつか並んでいた。
「まず構え方だ」
父さんが弓を持つ。
「足を安定させる。肩に力を入れすぎるな。腕だけで引くな。体全体を使え」
俺も言われた通りに弓を構えた。
思っていたより重い。
「……これ、結構大変だね」
「最初はな。慣れればどうということはない」
父さんが弓を引く。
その動きには無駄がなかった。
「こう?」
「違う」
「こう?」
「まだだ」
「じゃあ、こう?」
「今度はいい」
俺は弓を引き絞り、正面の標的を見る。
そして矢を放った。
ヒュッ、と音を立てて飛んだ矢は――的の端をかすめ、そのまま後ろの地面へ突き刺さった。
「……」
「……」
妙な沈黙が流れる。
「惜しかったな」
「的に当たってないけど」
「最初から当たる方がおかしい」
「そういうもの?」
「ああ」
父さんは笑った。
俺はもう一度矢を取る。
前世の俺は弓なんて触ったことすらない。高校生が学校帰りに弓を持って歩いていたら、間違いなく問題になるだろう。長弓が良かったな...
だが、この世界では違う。
弓はアルヴァン民族の生活そのものだ。
俺もここで生きていく以上、使えるようにならなければならない。
「もう一回」
「よし」
今度はさっきより落ち着いて弓を構えた。
肩の力を抜く。
足を安定させる。
ゆっくりと弦を引く。
標的を見る。
そして――放つ。
矢はまっすぐ飛び、今度は標的に突き刺さった。
「当たった!」
思わず声が出た。
「そうだ」
父さんも笑っている。
たった一度当たっただけなのに、妙に嬉しい。
「どうだ?」
「楽しい」
「そうか」
父さんは満足そうに頷いた。
「なら、続けるぞ」
「何本?」
「今日は50本だ」
結局その日、俺は日が傾くまで弓を引き続けることになった。
最初は的から大きく外れていた矢も、練習を重ねるにつれて少しずつ標的の近くへ集まるようになった。もちろん、熟練した狩人たちと比べればまだまだだ。それでも初めて弓を扱った5歳児としては悪くないらしい。
帰り道、腕にはしっかりと疲労が残っていた。
「父さん」
「なんだ?」
「明日も弓?」
「もちろんだ」
「……休みは?」
「あるぞ」
「本当?」
「狩りに行く日だ」
俺は足を止めた。
「それ、休みじゃないよね?」
父さんは楽しそうに笑った。
俺はため息をつきながら、夕暮れの森を歩いていく。
5歳になって始まった大族長の後継者教育。
どうやら俺の新しい人生は、前世よりもずっと忙しいものになりそうだった。




