第6話 ブリガン族の領域
本作は代表作の「氷の奇公子~変人王子の生存術~」のサブです。
代表作の方が完結するまでは更新はとても少なくなります。
5歳になった俺は、少しずつ大族長家の後継者として教育を受けるようになった。もちろん、いきなり「政治とは何か」だの「外交とは何か」だのと難しい話をされるわけではない。まずは自分が生まれ育ったブリガン族について知ることから始めるらしい。教育方針がしっかりしている父親だ。最近はそういう人は案外少なかったりするからな。
朝食を終えた俺が母さんと話していると、父さんがやってきた。
「リース、今日は俺と出かけるぞ」
「めんどい」
「引きずってでも連れていく。ブリガン族の領域を見て回る」
「勉強だ」
俺は少しだけ嫌な予感がした。父さんが「勉強」と言うときは、だいたい俺が思っているより面倒なことになる。運動音痴である俺がサッカーをするくらいのレベルで。
品性のかけらもない愚民の競技を嗜むなど以ての外!
それに...
「嫌です!僕はこのまま美白男子に育つんです!」
このイケメン社長令息に転生した以上、お坊ちゃまに育ってやる!
運動音痴に外に出ろなどと死刑宣告を受け入れられるものか!
しかし、もう俺が何を言っても話に付き合うつもりはないようで華麗にスルーされた。
「まずは、お前が暮らしている土地を自分の目で見てもらう。ブリガン族には20の村、2つの小さな町、そして1つの中規模の町がある。それぞれの場所と役割を覚えていくんだ」
「20の村……」
俺は思わず遠い目をした。
前世の俺が5歳だった頃、何をしていたのかはあまり覚えていない。たぶん遊んでいた。少なくとも、20個の村の位置を覚えろと言われた記憶はない。
「全部覚えるの?」
「最終的にはな」
「今日?」
「今日全部覚えろとは言わん」
よかった。
「だが、何度も連れていく」
よく考えたら、あまりよくなかった。
「……父さん」
「なんだ?」
「僕、5歳なんだけど」
「知っている」
「もっとこう……5歳らしい勉強とかないの?」
「今やっているだろう。」
どうやらアルヴァン民族における5歳児の教育水準は、俺が想像していたものより随分と高いらしい。
俺は父さんと護衛たちと一緒に、ブリガン族の本拠地を出発した。
大森林の中を歩く。周囲には見慣れた木々が並び、鳥の声や遠くから聞こえてくる動物の鳴き声が森の中に響いている。俺にとっては生まれてからずっと見てきた景色だが、今日は少しだけ違って見えた。
今までは単なる「森」だった。
だが今日は違う。
ここはブリガン族の領域であり、父さんが治めている土地であり、将来的には俺が受け継ぐかもしれない土地なのだ。不動産屋に転職してもいいかも....
「まずはこの道を南へ進む。しばらくすると最初の村がある」
「村には何人くらいいるの?」
「村によって違う。数百人程度のところもあれば、それより少ないところもある」
「じゃあ全部違うの?」
「当然だ。村ごとに狩場も違えば、採れるものも違う。川に近い村もあれば、山に近い村もある」
父さんは歩きながら、周囲の森を指差して説明していく。
「あの辺りは鹿が多い。あちらには薬草が多く生えている。向こうには川がある。さらに進めば別の村へ続く道がある」
俺はそれを聞きながら、頭の中に少しずつ地図を作っていった。
でも、俺は鹿肉があまり好きではない。こう....脂のない臭みのある牛肉みたいな感じだ。
猪は臭みさえなければ美味しいが。まあ、猪を家畜化したものが豚なのだから馴染みやすい味なのだろう。
それはそれとして村の名前を覚えるだけではない。
どこに何があり、どこに誰が住み、どの道がどこへ繋がっているのか。
そういうものを全部まとめて覚える必要があるらしい。
「父さん」
「なんだ?」
「これって、戦争にも関係する?」
俺がそう尋ねると、父さんは頷いた。
「よく気付いたな」
そして、近くに落ちていた枝を拾うと、地面に簡単な地図を描き始めた。
「例えば敵がここから来たとする。お前ならどうする?」
「……逃げる。可及的速やかに。」
「まずそこから考えるのか?」
「それ以外の選択肢があるの?」
父さんが不安そうな顔をした。
「まあ、それも間違いではない。だが、逃げるにしてもどこへ逃げる?」
「……森?」
「どの森だ?」
「……」
「森ならどこでも安全というわけではない。敵がどこを通れるのか、自分たちがどこへ移動できるのか、食料をどこから手に入れるのか。それを知らなければ、森の中にいても追い詰められる」
父さんは地面に描いた川を指差した。
「だから土地を知ることが重要なんだ」
「なるほど。逃げるためには道を事前に確保しておく必要があるんだね。」
俺は改めて周囲を見渡した。
森はただ木が生えているだけではない。
川があり、道があり、狩場があり、村がある。それぞれが繋がり合っている。
そして、それを理解している者ほど、この森を自由に使える。
「じゃあ、父さんは全部覚えてるの?」
「もちろんだ」
「20の村も?」
「ああ」
「人口も?」
「ああ」
「狩場も?」
「ああ」
「どこで何が採れるかも?」
「ああ」
「ッチ」
「何か言ったか?」
父さんに聞こえていたようで少し睨まれた。5歳児にその視線はダメだろう。
しばらく歩くと、最初の村が見えてきた。
木々の間に家々が並び、村人たちがそれぞれの仕事をしている。狩りから戻ってきた者、弓を手入れしている者、斧を使って木材を加工している者。子供たちが走り回り、その横を大人たちが笑いながら眺めている。
俺たちに気付いた村人たちが、次々とこちらへ声をかけてきた。
「コルマック様!」
「大族長様、今日はどうされたんです?」
「おや、リース様も一緒か!」
「もう5歳か。大きくなったな!」
俺は少し驚いた。
どうやら俺は、この村の人たちにも知られているらしい。
「父さん、みんな俺のこと知ってるの?」
「当然だ。お前は俺の息子だからな」
「それだけ?」
「それだけで十分だろう」
父さんはそう言って笑った。
かなりフレンドリーな部族らしい
その直後、村の奥から大柄な男が歩いてきた。
「リース様!」
「こんにちは」
「いやぁ、立派になられましたな!」
男は満面の笑みを浮かべながら俺の頭に手を伸ばした。
嫌な予感がした。
そして次の瞬間、俺の髪は盛大にぐしゃぐしゃにされた。
「わははは! 元気そうで何よりです!」
「ちょっと……!」
俺は慌てて髪を直す。
父さんを見る。
笑っている。
護衛を見る。
笑っている。
周囲の村人を見る。
やっぱり笑っている。
……なるほど。
大族長の長男という肩書きがあっても、こういう扱いなのか。
身分差はある。
敬意もある。
だが、距離が近い。
近すぎる。
前世の日本で言えば、会社の社長の息子を社員が捕まえて髪をぐしゃぐしゃにしているようなものではないだろうか。
いや、さすがにそれは許されない。
俺は将来、大族長になる。
だったらせめて、髪型くらいは自分で守れる立場になりたい。
そんなくだらない決意を胸に、俺たちは村を後にした。
その後も父さんは、ブリガン族の領域について次々と教えてくれた。
20の村はそれぞれ役割が異なり、狩猟を中心とする村もあれば、木材や薬草などを扱う村もある。2つの小さな町には村より多くの人間が集まり、様々な物資が集められている。そして、そのさらに上にブリガン族最大の集落である中規模の町が存在する。
俺は父さんの話を聞きながら、少しずつブリガン族というものの輪郭を理解していった。
ブリガン族は単純に「森の中に人が住んでいる集団」ではない。
20の村と3つの町が互いに繋がり、それぞれが役割を持っている。
狩人が獲物を獲り、職人が道具を作り、村人が食料や物資を集め、それらが町へ集まっていく。
その全体を父さんたち大族長家が管理している。
そして、その先にはアルヴァン民族全体がある。
俺はそこで初めて、自分が将来背負うものの大きさを少しだけ理解した。
……とはいえ。
「父さん」
「なんだ?」
「20の村の名前、全部覚えないと駄目?」
「ああ」
「今日?」
「今日は3つでいい」
「3つなら……まあいいでしょう。」
「5歳児が何様のつもりだ。そして明日は5つだ」
「少し身分の高い5歳児。増えててめんどくさい。」
早くも反抗期が来てしまったらしい
どうやら大族長家の後継者教育というものは、思っていた以上に厳しいらしい。
そして俺はこの日、ブリガン族の領域について学んだ。
そして、明日から暗記という苦行が始まる。




