第1章 無能な兄に追い出されたので、古代竜に餌付けされています
「アイリーン、話がある」
「なんでしょう、お兄様」
午後のひと時、片付けた仕事の山を前にヴェルゼ侯爵家三女の私に兄のセドリックがやってきて話しかけた。
「実はお前を嫁がせる先が見つかった」
「そうですか」
兄が家督を継いで1年、ついにこの時がやってきた。
「お前は帳簿仕事しか取り柄がないしな」
もう私のことは邪魔で仕方ないのだろう。
「ローエン家の若君だ。この前の舞踏会でお前もあっただろう」
確かに会った。
ローエン家、古来より王国に仕えた高貴な血筋。
だがそのせいかお屋敷は古く、この前の舞踏会はめっちゃ寒かった。
「向こうがお前をたいそう気に入ってな、ぜひに、とのことだ」
アウグスト・ローエン。
確か私と同じ歳だ。
少し儚げな青白い顔が目に浮かんだ。
すぐ死ぬんじゃないの?
でもしゃーない。
最近居心地悪くなってたし、いい頃合いか。
「健康に優れないそうだが、お前が嫁いで健康管理をすればいいだろう」
「私のお仕事はどうすれば?」
母の死後、税務、領地経営、家計管理、使用人の採用まで侯爵家の業務全ては私が担当していた。
「お前は午前中で仕事を終わらせてるくらいだからな、私の妻が引き継ぐ。そんなに難しくないだろう」
軽く言ってるけど、仕事は執事としていたから兄は本当は誰がやってるか、理解していないのだ。
もういいや。
「わかりました。では引き継ぎましょう」
「アイリーン・ヴェルゼと申します」
ローエン家のやたらデカくて古い屋敷に入ると、暗い執事が出てきた。
「こちらへ、アウグスト様がお待ちです」
長い廊下を歩いて奥の部屋に入る。
トカゲがいた。
「マジで?」
「アウグスト様、アイリーン様がおいでです」
「あ、ごめん」
トカゲがぐるっと回った。あの青白い顔のちょっとだけイケメン伯爵になった。どういうこと?
「アイリーン、待っていたよ」
「なんでトカゲなんです?」
「トカゲじゃない、古代竜だ。ローエン家は竜の血筋を引いていてね」
——そんなの聞いてない。
「君はヴェルゼ家の事務一切をやっていたとか」
「はい、ここに来るまで、ですけど」
「そうか、実はちょっと相談したいことがあってね」
アウグストは微笑んだ。
「アウグスト様、ここの徴税官の報告、ちょっと辻褄があいませんけど」
「なんで?」
アウグストは白い顔で私を見つめる。
「だってほら、去年の数字から……」
私は隣の領地の報告書を引っ張り出す。
「……これを足すと明らかにおかしいです」
「——確かに。アイリーン、君は、やはり」
ちょっと待っていて、そう言って彼は部屋を出る。
数秒後、廊下の向こうから声が聞こえてきた「おい、今の帳簿出してきた徴税官、今すぐ捕まえて牢屋にぶち込んどけ」「ギャー!」「旦那様、お怒りになりますと屋敷が半壊いたしますのでお静かに」「ああ、すまない」
マジ!?
戻ってきた時、アウグストの手にはターコイズのポットが。
「これを君に」
「なんですの?」
「古代より伝わる香草のハーブティーだ。我が領地のトランキル地方で取れる名産品でね」
彼が注いだカップのお茶を一口飲むと、使いすぎて痺れていた頭がスッと軽くなってくる。
「お菓子もある」
アウグストが指を鳴らすと、あの暗い執事がサッとプレートに乗ったお菓子を差し出した。
美味しい———
「餌付けされてる気分です」
「それもいいんじゃない?」
彼は笑った。
結婚式は盛大だった。ケチな兄からしたら手切れ金みたいなものだったのだろう。
数ヶ月後、ウィザー家の舞踏会。
王国の貴族の間では重要なイベントだ。
当然、私もアウグストと招待される。
頑張って綺麗にしたお屋敷から馬車で出かける。
そして——居た。兄夫婦が。
「アイリーンさん?ちょっとあの引き継ぎ書無理がなくって」
開口一番文句言ってくる兄嫁。
「いいえ、一ヶ月かけてやったんですから十分では?」
「——そんなにやったの?それで理解できないなんて……」
アウグストの血色はだいぶ良くなってる。
まだ青いけど。
あのハーブティー飲みすぎるとヤバいのが分かって控えさせてたのだ。
すぎたるは及ばざるが如し、美味しいけど。
「ちょっとだったら手伝ってあげたら?」
彼は優しすぎる。
でももういいよね。
知らんわ。
「行こうか」
アウグストは私の手を引き寄せ、ダンスホールの中心へ歩き出した。
「——あ、あの病弱いつまで生きるのかしら」
ぼそっと呟く声が聞こえた。
なにっ!ふざけんな!私は心の中で呟く。
アウグストは微笑んでいた。
シャンデリアがミシッと軋んだ。
執事だけが真っ青な顔をしていた。




