第34話:ド級の船出と、海を塞ぐ悲痛な壁
第34話:ド級の船出と、海を塞ぐ悲痛な壁
東の大公領最大の港町、『ポート・アクアリア』。
ジン伯爵の権限により、港の最も巨大な第一ドックが丸ごと空けられ、物々しい警戒態勢が敷かれていた。
「おいおい、大公軍の軍師様が直々に立ち会って、一体何が始まるんだ?」
「さあな。だが、あの頭のおかしい船大工のゲイルも偉そうに立ってるぜ。あいつの妄想の『鉄の船』でも降ってくるんじゃねえか? ギャハハッ!」
遠巻きに見物していたベテランの船大工たちが、ゲイルを指差して下品な嘲笑を浮かべる。
しかし、ゲイルは腕を組み、鼻で笑って海面を見つめていた。
「ジンさん。準備、OKです!」
「よし。リオン君、いつでもいいぞ!」
ジンが合図を出した瞬間。
港の海上の空間が、突如としてバキバキと音を立てて歪み、縦数十メートルにも及ぶ超巨大な光のポータルが展開された。
「な、なんだぁっ!?」
見物人たちが悲鳴を上げる中、ポータルの向こう側の『箱庭』から、純白の木材と白銀のミスリル装甲で覆われた、全長百メートル超の超弩級魔導客船『天空海竜号』が、静かに、そして圧倒的な威容を放って海面へと滑り出してきた。
ズザザザザァァァッ!! と、巨大な波飛沫を上げて、最強の船が現実の海に産声を上げる。
「う……う、うそだろ……」
「あんな金属の塊が、浮かんでる……!? し、しかも帆がないのに、魔力の光だけで波を切り裂いて進んでやがる……っ!」
先ほどまでゲイルを嘲笑っていた船大工たちは、顎が外れんばかりに口を開け、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。船造りの常識を数百年は進めたオーパーツを前に、彼らのちっぽけなプライドは木っ端微塵に粉砕されたのだ。
ゲイルは船の甲板から身を乗り出し、満面のドヤ顔で言い放った。
「見たかオヤジども! これが俺の、いや、俺たちの造り上げた最強の船だ!!」
「「「おおおおおっ!!」」」
甲板で歓声を上げる孤児院の子供たちや、イグニスをはじめとする魔物たち。
かくして、大公軍の護衛艦隊すらも随伴させるほどの圧倒的な存在感を放ちながら、グランド・アルカは青龍の待つ『蒼海群島』へ向けて、滑るように出港したのである。
◇
「信じられません……。外海に出ているというのに、ワイングラスの水面が微かにしか揺れていないなんて」
数時間後。最高級ホテルのような船内のラウンジで、ルミナスは優雅に外の景色を眺めながら感嘆の息を漏らしていた。
船酔いの心配は皆無。外のデッキではティムやミアたちがプールで遊び、大公軍の若手たちが魔物たちと日向ぼっこをしている。
完璧で快適な航海。しかし、船が目的地の海域――巨大な岩山が点在する『蒼海群島』に近づくにつれ、空は暗く淀み、海面は不気味な荒れ模様を見せ始めた。
「キュイッ!!」
「シュルルゥッ!」
海中を探知していたシズクとハク(白大蛇)が、同時に鋭い警戒の声を上げる。
操舵室にいたリオンとジンが甲板へ飛び出すと、船の前方の海面が激しく波立ち、無数の黒い影が浮上してきた。
「敵襲か!? 全員、戦闘態勢!」
カイルたち辺境伯軍と大公軍の精鋭たちが武器を構える。
海から姿を現したのは、巨大なシーサーペント、三叉槍を持つマーマン、硬い甲羅を持つ海亀など、数百匹に及ぶ水棲の魔物たちだった。
間違いなく、この海域を統べる『青龍』の眷属たちだ。
「イグニス、ライガ! いつでも撃てるように準備しろ!」
リオンが叫ぶが、ふと、彼は違和感に気づいて手を止めた。
何百匹という水棲魔物たちは、グランド・アルカを完全に包囲しているにもかかわらず、一切の攻撃を仕掛けてこないのだ。
彼らはただ、魔法で巨大な「水の壁」を作り上げ、船の進路を物理的に塞ぐようにして、密集したバリケードを築いている。
「ピィィィッ……!」
「シャァァァァッ……!!」
威嚇の鳴き声。しかし、そこに宿っているのは殺意ではない。
恐怖と、懇願と、悲壮なまでの『拒絶』だ。
「これ以上、進むな……って言ってるのか?」
リオンは【神羅万象の絆】の共感力を研ぎ澄ませた。
彼らから伝わってくる感情の波。それは、かつてゲン(玄武)やハク(白蛇)が見せたような「自己犠牲」の念ではない。
彼らは、自分たちより遥かに強い「主」を守ろうと必死に壁を作っているのだ。
「……ジンさん、ルミナス様。攻撃は中止です。こいつらは、俺たちと戦う気なんかない」
リオンは甲板のへりに立ち、群島の奥深く、黒い雲が渦巻く中心部を睨みつけた。
「今まで俺が出会ってきたSクラスの魔物は、弱い魔物たちを守るために、自分が盾になって瘴気に耐えていた。……でも、今回は逆だ。青龍の眷属たちが、強いはずの主を守るために、俺たちを遠ざけようとしてる」
「それは……どういうことだ、リオン君?」
ジンの問いに、リオンはギリッと奥歯を噛み締めた。
「青龍は多分、霊峰の虎の時みたいに、瘴気に侵されて理性を失いかけてるんだ。……だから、大切な眷属たちを自分の手で傷つけないために、自らをあの群島の奥に封印して引きこもってる。眷属たちは、主が完全に暴走するのを恐れて、部外者の俺たちを近づけさせないように必死に壁を作ってるんだ」
最強の龍が、己の牙で家族を傷つけることを恐れ、孤独な暗闇の中で毒に苦しんでいる。
その悲しすぎる真実に気づいた瞬間、リオンの胸の奥で、かつてないほどの激しい怒りとテイマー魂が燃え上がった。
「誰がそんな悲しい我慢比べ、許すかよ」
リオンは大きく息を吸い込み、海を塞ぐ眷属たち、そして群島の奥で苦しむ『青龍』に向かって、空気を震わせるほどの大音声で叫んだ。
「どけええええっ!! 俺は、お前らの主を助けに来たんだ!!」
交渉の余地などない、絶対的な救済の宣言。
琥珀色の瞳を熱く燃やす規格外のテイマーは、悲痛な水の壁を打ち破り、東の海の守護神を救い出すため、最強の船に前進の号令を下すのだった。




