第97話 ミンティア茶と共にする真昼のティータイム
「ですから、そう簡単に奪われるようなものではないのですよ」
「むしろ奪えるものなら奪ってみろと言ってやってください。決して簡単にはいかないでしょうから。フフフ」
ヤパの最後の笑い声がどうにも怪しかった。
まるで、「奪えるものなら奪ってみろ!」と肝が据わっている。
もちろんただの自信だったのかもしれないが、ジアが見たところ、少し見ただけで真似しようとしても簡単にできるような技術ではないように思えた。
「簡単じゃないみたいですね?」
「もちろんです。一朝一夕で学べるようなものだったら、どうして城でバクラヴァを作る技術を独占していたと思います? それだけ難しいからこそ、外部に漏れないように城の中で人を育てていたのですから」
ヤパは腰に手を当てて豪快な笑いを弾けさせた。
上半身が揺れるたびに上腕二頭筋と腕の筋肉がピクピクと動くのには、カイランはどうしても慣れなかった。
「じゃあ、あいつらが半分は合ってて、半分は間違ってたってことだな?」
「まあ、強いて言うならそうですね?」
「さあさあ、ここで立ち話もなんですし、ひとまずむさ苦しいですが我が家へお入りください」
杖を突いて立ち上がった老人は、自分の家へ三人を案内した。
小さな小屋のような老人の家は、外観はみすぼらしかったが、家の中だけはこぎれいだった。
エキゾチックな模様で織られた絨毯が敷かれた居間へと案内した老人は、一番の上座と思われるクッションが敷かれた場所に三人を座らせた後、お茶が入ったティーポットとお茶菓子の皿を運び始めた。
あっという間に三人の前は、数え切れないほどの種類のお菓子が盛られた皿と湯呑みで飽和状態になった。
この最中にもお茶菓子が盛られた皿は絶え間なく運ばれ、これ以上置く場所がないほどだった。
まるで、三人が来るのを待っていたかのように。
「このバクラヴァというやつは、この濃いカファ(コーヒー)というものと非常によく合うのですが、これは大人専用ですので、お二人はこのラジスタンが誇るミンティア茶と一緒にお召し上がりください」
「ミンティア茶ですか? ミンティアをお茶として飲むこともできるんですか?」
「はい、もちろんですとも。蜂蜜を入れたミンティア茶は、バテやすい暑い気候の中で元気を引き出してくれるのにぴったりなんですよ」
トクトクとヤパがカイランとジア、二人の前に置かれた湯呑みにお茶を注ぐと、ミンティア特有のスーッとする香りが心地よく辺りに広がった。
村長の言う通り、清涼感のあるミンティアの香りが、暑さでバテた気分を爽快に変えてくれた。
そこに甘さを加える蜂蜜まで……。
熱いお茶であるにもかかわらず、涼しさが体中に染み渡った。
「これも一緒に食べてみてちょうだい」
ヤパがニッコリと笑い、皿を一つジアの方へ差し出した。
皿の上には、砕いたナッツ類が散りばめられた一口サイズのパイのように見えるものが置かれていた。
「これがバクラヴァというものですか?」
「そうだよ。これを一口食べてから、お茶を一口飲んでみてごらん」
ジアは慎重にバクラヴァを一つ、指でつまみ上げた。
指を触れた途端にサクッと崩れ落ちてしまいそうな生地が何層にも重ねられており、その中に甘くてねっとりとしたシロップが表面をツヤツヤと輝かせていた。
サクッと一口かじると、粗く砕いたナッツの粒と混ざったもっちりとした餡が香ばしく口いっぱいに広がり、生地と絡み合って甘さが口の中を満たした時、ミンティア茶を一口流し込むと、優しく舌の上でとろけていった。
「うわぁ、これ……本当に美味しいです!」
しきりに驚いて目を丸くしながら感嘆の声を漏らすジアを見て、ヤパは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ありがとう。うちの師匠が作ったものも一度味わってみるかい?」
ヤパが差し出したもう一つの皿の上には、髪の毛よりも細い麺のようなもので鳥の巣のようにくるくると巻かれ、真ん中にはシロップで表面をツヤツヤにしたナッツ類がまるで鳥の卵のように巣を作っているお菓子が置かれていた。
一口、口の中へ入れるや否や、サクサクと鳥の巣は口の中で砕け、ポリポリと噛む楽しさが格別だった。
甘さがしつこくなりかけた頃に、爽やかなミンティアティーを一口ごくりと飲み込むと、最後をスッキリとまとめ上げ、ほのかな甘さが口の中に残った。
「師匠? ここに城の専属料理人がいるのか?」
黙ってヤパと老人が運んできたお菓子とお茶を飲んでいたカイランが、突然珍しく鋭い質問を投げかけた。
カイランの問いに、二人はしばらく戸惑ったように互いに目配せすると、外へ出て誰かを呼んだ。
「お前、柄にもなくどうしたんだよ?」
「何がだ? 城の料理人が勝手に城の外に出るのは重罪だぞ」
「え? そうなの?」
「技術が外部に漏れるかもしれないんだから当然だろ」
予想以上に深刻になりそうな状況に、ジアはサクサクとした鳥の巣の形をしたバクラヴァを噛みながら、なんだか口の中がザラザラしてきたような気分になった。
「まあ、私が見たところ、そうではなさそうだがな……」
ルセテリは老人が勧めたカファというものをズズッとすすりながら、思いのほか淡々とした口調で独り言のようにつぶやいた。
ひどい苦味が口の中に流れ込み、自然と顔をしかめたくなるような苦さだった。
やがてその苦味が通り過ぎると、口いっぱいに濃いカカオの香りが余韻を残した。
これは……。
何かに気づいたルセテリは、もう一度カファを一口飲んだ後、今度はバクラヴァを一つ口へポイッと放り込んだ。
「アハハ……」
舌が麻痺しそうなほど苦かったカファだったが、バクラヴァを一口口に入れただけで、瞬く間に甘いバクラヴァの味がカファを中和させ、濃いカカオの苦味、ナッツの香ばしさ、そして蜂蜜とデーツ(ナツメヤシ)の深い甘さが、味を増幅させる起爆剤となった。
「こいつは傑作だな」
カファを一口、バクラヴァを一口。
そうやって絶え間なく繰り返す無限ループだった。
「お気に召していただけたようで嬉しいですな」
厨房の奥へ入っていったヤパが、痩せこけてひょろひょろとした男を一人連れてカイランたちがいる居間へと戻ってきた。
もじゃもじゃの髭と頭には、真っ白な小麦粉が白い埃のように積もっていた。
「カイラン若君、お久しぶりでございます」
「ん? ハッサン?」
「はい、ハッサンでございます」
ハッサンと呼ばれた男は照れくさそうな笑みを浮かべ、目を丸くしているカイランに向かって頭を下げた。
「ハッサンがなんでここに?」
「ハハハ……どういうわけか、こうなりまして」
「どういうわけかって?」
「それが、本当に気がついたらヤパについて、ここラジスタンまで来てしまっていたのですよ」
頭を掻きながら、恥ずかしそうにハッサンはヤパの方をチラリと見た。
「シェイク・ミルザ様もすでにご存知でいらっしゃいます」
「親父が?」
「はい。ヤパにバクラヴァの技術を教えよと命じられたのが、シェイク・ミルザ様でしたから」
「師匠の城を出ることを、暗黙のうちに許可していただいたのと同じというわけですよ……フフ」
ヤパとハッサン、二人の間に交わされる甘い視線がなんだか……カイランの目には非常に怪しく映った。
「バクラヴァを作ってるうちに、バクラヴァじゃなくて二人で愛でも捏ねちゃったみたいだな?」
「……えっ? はい??」
ルセテリの言葉の意味を正しく理解できなかったカイランが、ジアとルセテリを交互に見つめて疑問を呈した。
「バカなの? 二人がデキてるってことでしょ」
「デキてる? どういう意味だよ?」
カイランの耳を引っ張りながら親切に懇切丁寧に説明してあげても、なかなかカイランが理解しないため、ジアはもどかしい気持ちになり、ギャーッと叫んだ。
「ああもう、二人が互いに恋に落ちたってこと!」
「……?!」
はぁ、結局この気まずい雰囲気、どうしてくれるのよ!
なんでこういう問題になると全く空気が読めないのよ!!
ジアは思わず、カイランの頭を一発殴ってやりたい衝動を抑えなければならなかった。
「ア、ハ、ハ」
ハッサンはぎこちなく笑いをこぼし、ヤパは恥ずかしさに顔を赤らめてうつむいた。
それでも二人は、お互いの手をしっかりと握ったまま離そうとしなかった。
「隠そうとしたわけではございません。すでに二人は正式な夫婦ですから」
老人がハハッと笑い、慌てて取り繕いに回った。
そこでようやく言葉の意味を理解したカイランの顔も真っ赤になり、シュッシュッと両耳から湯気を噴き出すほど恥ずかしさで熱くなった。
「あ、う……そうか。親父が知ってるならいいんだ」
自分が空気を読めなかったせいで気まずい空気になってしまったことが恥ずかしく、しばらくカイランは顔を上げられなかった。
「じゃあ二人は、ここラジスタンにどうやって定住することになったんですか?」
「おや、カイラン様から何もお聞きになっていらっしゃいませんか?」
口を開こうとしたハッサンが、カイランの顔色をうかがって再び口を閉ざした。
みんながカイランの顔色をうかがっているように見え、気になったジアはカイランの脇腹を指でツンツンとつついた。
「何なの? ここ」
「……母さんの故郷だ」
「お母さんの故郷?」
ズズッ。
一瞬にして部屋の中は、カファをすするルセテリを除いて、すっかり静まり返った雰囲気になった。
意図せずみんなに事実を隠した形になってしまったカイランは、しばらく口を開けなかった。
「強盗に両親を殺されたエルパシャ様を快く受け入れてくれた場所なので、ここがエルパシャ様にとっては故郷のような存在だと、よくおっしゃっていました」
過去を回想するように、遠い山を見つめるような目をしたヤパが、カイランの代わりに話を切り出し始めた。
「ほうほう、それで?」
「私とエルパシャ様はここで一緒に育った仲でしてね。シェイク・ミルザ様とエルパシャ様が初めてお会いになった時、私もその場に一緒にいたのですが……」
感慨が次々と蘇ってくるように、ヤパは思い出の包みを一つずつ解き始めた。
「今でも忘れられません。シェイク・ミルザ様がエルパシャ様を一目見た瞬間、恋に落ちたあの瞬間を……!」




