第92話 逃げ出すための言い訳
フォークが突き刺さったグラブジャムンは、ジアの残酷な滅多刺しによって原形をとどめないほど潰されていた。
その様子を見たカイランは怯えて顔を真っ白にしてしゃっくりを始め、ルセテリでさえ肝を冷やしてゾッとしたほどだった。
「いや、せっかく南まで降りてきたついでに、ぐるっとティシャールってとこまで行ってみるのもいいかなーって……。そ、急ぐことじゃないし……」
遅ればせながら言い訳を並べ立てるルセテリだったが、すでにジアの視線は冷ややかに冷え切った後だった。
ルセテリの見え透いた手口に引っかかるのも一度や二度ではなく、その下心が透けて見えるどころか厚かましいほどだった。
「じゃあ、今すぐ行かなくてもいいってことですね?」
その下心を見透かしていないふりをしてしらばっくれながら、ジアはわざとプイッと顔を背けてルセテリの視線を避けた。
今すぐ動く気がないなら、あんなに焦った顔をする理由なんて全くないじゃない?
「それでも気にならないか……? そのピスタチャっていうのも気になるし、ティシャールってところを見て回るのも勉強になるだろうしな……」
見苦しくあれこれと言葉を並べてはいたが、結論は一つだった。
「結局は、食べに行きたいだけじゃないですか」
「アハハ。まあ……絶対にそうだっていうんじゃなくて、見て回るついでにな、立ち寄る道すがら……」
後頭部を掻きながら今更ながらバツの悪さを感じ、ルセテリはぎこちない笑みを浮かべた。
今やジアは、ルセテリのことをよく知りすぎていた。
雰囲気を見るに、口では大きなため息をつきながら何やら大声で小言を浴びせるだろうが、特に反対しているようには見えなかった。
ここはさりげなくジアの機嫌を取りつつ、それとなく探りを入れてみるのも悪くなさそうだった。
「本には載っていないこともたくさんあるはずだ」
ルセテリはジアの好奇心をチクチクと刺激した。
ジアなら間違いなく、簡単には聞き流せないだろう。
今その証拠に、腕組みをして目を閉じたままルセテリに背を向けているジアの耳が、ピクピクと動いているのが見えた。
そうさ、ただ通り過ぎるには本人も惜しいだろうからな。
せっかく南部まで来て、部屋に引きこもって本ばかり読んで時間を過ごすより、外へ出てみることもまた、二度とは来ない大切な機会かもしれない……というのがルセテリの考えだった。
ジアはそんなルセテリの考えを読み取っても、知らないふりをしているところだった。
あれこれ口実をくっつけてはいたが、結局はすべて同じことだ。
南部。
さらにそれに加えて最南端まで。
指名手配で追われている身で、大人しくしていなければならない状況なのに、さらに外をうろつき回るだなんて……ジアは自分の方がおかしくなりそうだった。
ないことすらもねじりドーナツのように編み上げてしまうルセテリの才能は、ジアを諦めさせた。
『まあ、反対したからといって聞くようなドラゴンでもないし』
予定がずっと後ろにずれるだろうが、ジアの知ったことではない。
どうせ行くなと止めても家出してまで絶対に行くに決まっているのに、最初から無駄な体力を使う必要があるのかということだ。
それならいっそ、多少の押し問答はするにしても、足かせはある程度はめておいた方がはるかにマシだった。
「じゃあ、こいつはどうするんですか?」
二人の視線が同時に、顔を埋めて問題用紙を解いていたカイランへと注がれた。
「連れて行くさ」
当たり前だと言わんばかりに堂々とした顔をするルセテリを、ジアは呆れたような表情で見つめた。
「え? 俺?」
この状況で、カイランが空気を読まずに割って入った。
そうよ、あんたでしょ。ここに他に誰がいるって言うの。
「ガイド、連れて行かないとな」
パチパチと目を瞬かせながら二人を見つめているだけのカイランを、ルセテリが指差した。
「こいつの勉強はどうするんですか」
「道中でやらせりゃいいだろ」
口だけは達者なんだから。
ジアはまずため息をついた。
間違ったことは言っていないが、決して簡単な道のりではないことをよく知っているため、首の後ろが凝ってきた。
ジアの年齢、7歳。
早くもストレス性の首の筋肉の硬直が来るには、まだ早すぎる年齢じゃないの?
「僕にこいつの監視までしろって言うなら、僕はやりませんよ」
はっきりさせておくべきことは、はっきりさせておこう。
片手を腰に当てながら、ジアはルセテリから確答を得るために、まず問い詰めることから始めた。
あくまでベビーシッターはルセテリであって、自分ではないのだから。
すぐにルセテリは困ったように頭を掻いたが、やがて顔をパッと明るくした。
「大丈夫だ。別に監視しなくてもいいさ」
「……あの、これ一体どういうこと?」
ベッチーに繋がれた荷車のて綱を握って道を進んでいたカイランは、ずいぶん後になって気づいたように、当惑した表情でジアに顔を向けて尋ねた。
て綱を握るカイランの隣で、本を読みながら道を進んでいたジアは、聞こえないふりをして冷淡な反応だった。
「何って、あんたを拉致してティシャールに向かってる最中だよ」
「えっ?」
初めて聞く言葉だというように、カイランが御者席から飛び上がった。
「いつ? 俺行くなんて言ってないけど?」
「あんたに選択権なんてあったわけないだろ。て綱でもしっかり握ってなよ」
本からそっと目を離したかと思うと、不親切な一言をポツリと投げて、ジアは再び本へと視線を戻した。
「少なくとも聞くくらいはできたはずだろ?」
「「……何で?」」
「「わざわざ?」」
ルセテリとジアが同時に答えた。
すでにナビルとアークに話し、シェイクの許可まですべて得ている状況で、カイランの意見など関係なかった。
単に、遅れて気づいたカイランが一人で勝手に騒いでいるだけで、大きな問題ではなかった。
だから反応が冷淡にならざるを得ない。
寂しい気持ちになったカイランはほとんど泣き出しそうなレベルにまで至っていたが、誰も気にかけてくれる人はいなかった。
あ、たった一人だけいた。
無言で荷車を引いているベッチーがね。
[いくらなんでもちょっとひどすぎますよ]
[何がだ?]
[一度聞いてみることくらいはできたじゃありませんか]
[そうしたところで、結論は同じなのに何を聞くってんだよ]
[間違ってはいませんが……それでもですよ]
苦い干し草でも食べたようにベッチーは口を歪めたが、ベッチーであってもなおさらルセテリの意見に逆らうことはできなかった。
事がこうなった以上、楽しむしかない。
「お前は何が不満なんだ? ただ言われた通りについてくればいいものを」
「これは拉致ですよ? 俺が行きたいなんて一言も言ってないのに、こんなのあり得ないって!」
悔しそうにウルウルと涙ぐみながら、カイランは手足をバタバタさせて抗弁するようだったが、ルセテリに通用するはずがなかった。
「お前、拉致って言葉の意味、分かってる?」
見かねたジアが本を閉じた。
「俺がそれも分からないとでも? 誰も知らないうちに人を盗んでいくことだろ」
「……盗む? 誰を? あんたを? 何のために?」
一つ一つ理路整然と問い詰めるジアの質問に、カイランは返す言葉がなくなった。
それもそのはず、カイランが考えてみても、荷車を引いて城を出るのに何の制止も受けないはずがなかったからだ。
少なくとも城門を守る門番が引き止めるにしても、とっくに引き止めていたはずだからだ。
それなのに何もなかったようにこうして田舎道を走っているということは、城門の外へ出るのに何の問題もなかったという意味だろう。
『バカじゃないの……』
「当然、ナビル様やアーク様には別に話してあるに決まってるだろ? シェイク様も喜んで連れ出せって言ってたし」
シェイク・ミルザの反応が意外と言えば意外だった。
カイランを連れて南部の巡礼の旅に出たいと言うと、豪快な笑いを弾けさせ、喜んで連れて行って使えと背中を押すほどだった。
あまりにもあっさりと押し出してきたせいで、もしかして後頭部を殴られる(裏切られる)ような裏があるんじゃないかと疑ってしまうほどだったから。
ジアの言葉に、カイランはしばらく正気を失ったように呆然と立っていた。
問題は、今カイランが立っている場所が地面ではなく、荷車の御者席だということが問題だが。
おかげで荷車の車輪が石につまずいたのか揺れたせいで、カイランはよろめいてその場にドスンと尻餅をついた。
「親父、いや、シェイク様が……そのまま行かせたって?」
呆然自失の表情になって御者席に座り込んでいるカイランの手から、て綱がスルスルと抜け落ちた。
「快く行かせてくれたよ?」
「そうさ。なんだか清々しい表情だったぜ」
「それよりて綱はしっかり握りなよ。危ないだろ」
ぽかんと口を開けていたカイランは、二人の小言に辛うじて手から抜け出そうとしていたて綱をしっかりと握り直した。
それでも父親であるシェイク・ミルザがためらうことなく行かせたという事実が信じられなかった。
前回商団について行った時も、まるまる一ヶ月はミルザに苦しめられた。
『プレシア商団と共に行動すべき50の理由』というタイトルの報告書を提出しては却下されること数回、ようやく条件付きでカイランは商団についてテランカナを出ることができたのに……それをこんなにも簡単に?
カイランの頭の中に数え切れないほどのクエスチョンマークが浮かんだ。
「何だか分からんが、シェイクがお前を連れて南部へ現場学習に行くって言ったら、ひどく喜んでいたぞ?」
「理由は……? 理由も聞かずに?」
「現場学習に行くのに理由がなぜ必要だ? 勉強しに行くってことじゃないか」
「勉強するって言って嫌がる親はいないってな?」
荷車に寝そべっていたルセテリが、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながらカイランに向かって手を振ってみせた。
その暇そうな姿がカイランの神経を逆撫でし、なぜかカッと悲しさがこみ上げてきた。
グスングスンと肩まで震わせて、10歳にもなる男の子が泣く理由とするにはみすぼらしく見えた。
「なんで泣くんだよ?」
「それでも……ヒック、一人息子がすることなのに……グスン、関心もないなんて……」
「……」
はぁ、もう本当に。
そんな行動自体が関心だということを、この世間知らずの坊ちゃんは本当に分かっていないのだろうか。
ジアは頭がズキズキと痛み始めた。




