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第91話 怪しい商人

はい……? も、申し訳ございません。お客様。何とおっしゃいましたか?」


客を迎える時の愛想の良い満面の笑みを裏腹に、サリフの背中からは滝のような冷や汗が流れ落ちていた。


「グラブジャムン12個、持ち帰りで」

「あ、はいはい……」

「バラ茶、大きな急須ごと」

「え……? き、急須ごとですか?」


数を数えていたサリフの指が滑り、グラブジャムンをコロコロと落としてしまった。

長年商売をしてきたが、急須ごと頼まれる注文は初めてだ。


「これに入れてもらえますか?」


ルセテリはサリフに、口の狭い大きな壺を一つ差し出した。

壺の口にはしっかりと木を削って作られた蓋が閉まっており、少々の動きでは中身がこぼれそうにない代物だった。


「も、もちろん。お入れいたします」


冷や汗とは裏腹に、サリフは大人しくその壺を受け取った。


この人、本当にただグラブジャムンとお茶を買うためだけに来たのだろうか? という疑問が頭の中を埋め尽くしたが、口に出すことはなかった。

恐ろしかったからだ。


「こちら、ご注文のグラブジャムン12個とバラ茶になります」


丁寧に包んだ品物をルセテリに渡し、チラリと様子をうかがった。

殺し屋の勘が、赤信号をチカチカと点滅させ続けていた。

何食わぬ顔で笑みを浮かべ続けてはいたものの、緊張のあまり持っている品物を落としてしまいそうだった。


「昨日一度味わってから、ずっとこれのことが頭から離れなくてですね」

「ハハハ。そうでしたか」

「昨日あの場所にいらっしゃらなかったので、随分と探し回ったんですよ」

「ハハ、申し訳ありません。市場で決まった場所があるわけではないので……」


いや、実は逃げ出したくて……と言いたいのをグッと飲み込んだ。


「なるほど。てっきり正体がバレたからかと思いましたよ」

「ゴホッ!」


何気なく吐き出されたルセテリの発言に、サリフはむせてしまい、しばらく咳が止まらなかった。

息も絶え絶えに咳き込むサリフを気の毒そうに見つめながら、ルセテリは彼が差し出した品物を受け取った。


「殺気を隠すのがあんなに下手だとは……」

「はい……?」


わざと知らないふりをしてサリフはしらばっくれたが、短く舌打ちをするルセテリからは逃れられなかった。


「人間の中では最高レベルだろうけどな……」

「何を……」

「いえ、私がお会いした方の中では最高だということです」


気づかれないようにルセテリはそっと言い換えた。

幸い、サリフは恐怖でガタガタ震えて正気ではなかったため、聞き取れなかったようだ。


「ハハハ。私はただおやつを作って売っている平凡な……」

「はずがないでしょう。違いますか? その手さばき、足さばき……超一流の密偵とお見受けしますが?」


はぁ……終わった。

サリフは拳にギュッと力を込めた。

いざとなればすぐに屋台をひっくり返して三十六計逃げるに如かずだ。


「そちらが密偵だろうが殺し屋だろうが私には関係ありませんし、私はただ美味しいおやつさえ手に入ればそれで十分なんですよ。ええ」


全身の神経を尖らせているサリフの肩を、無関心なふりをしてポンポンと叩きながら、ルセテリは一層柔らかい声でなだめるようにサリフを説得した。


「私はな〜んにも知らないんです。だから……ただ気楽に一箇所で商売してくださいな」

「ハ、ハハ、ハハハ。お客様は一体何者で?」


すべてを諦めたように、サリフは虚しく笑い声をあげた。

頭の中では絶えず目の前のこの男の正体について推測しながらも、恐怖を宿した目はルセテリの様子を窺っていた。


「そんなことどうでもいいじゃないですか……これっぽっちも重要じゃないですから、これからも美味しいグラブジャムンをよろしくお願いしますね?」


ルセテリはサリフの目の前で、バラ茶の入った壺とグラブジャムンが入った袋を振ってみせた。

サリフが密偵であろうがなかろうが、ルセテリには何の関係もないことだった。

本当にただ美味しいグラブジャムンさえ食べられれば、そんなこと知ったことか。


昨日ここで味わって以来、他の店でも味見をして回ったが、ここほど口にぴったり合う店はなかったのだ。

朝早くから苦労して歩き回った甲斐があった。

帰り道、軽い足取りでルンルンと浮かれ、飛ぶように踊りながら城へと戻るルセテリだった。



カイランが朝早くから机に座っているというのは、太陽が西から昇る確率と同じくらい不可能に近いことだった。

たとえ昨日引き抜かれたほうれん草のようにしおしおと机に突っ伏していたとしても、大人しく座っていること自体が奇跡だった。


「外に出たいよお……市場で売ってるドーサが食べたいんだよ……」


急に生活パターンを変えるのが簡単ではないのは理解できるが、だからといってボロボロ涙を流すほどのことではないんじゃない?

隣に座ったジアは情けない目をし、カイランを一度キロッと睨んでため息をついた。


「自分から言い出した約束でしょ?」

「そうだけどさ……約束は守らなきゃいけないんだろ。それが俺だし……」


声に全く力が入っていなかった。

いや、それより子供がたった一日で干からびて死にかけているような感じなんだけど?


「だからって手加減はしないから」

「好きにしろよ……。どうせ外に出られないなら、同じことだからさ」


力無くジアが差し出す問題用紙を受け取ると、首をガクッと下げたままカイランは問題を解き始めた。

予想外に素直に従うカイランを、ジアは不思議に思った。


教室の扉を開けて入るまでは、ジアは椅子の上で大人しく座って待っているカイランなど想像もしていなかった。

その意外性にジアは驚いていた。


「どういう風の吹き回し?」

「何が?」

「珍しくてさ。正直、あんたのことだから逃げ出すと思ってたのに」

「わぁ……マジか。俺ってそれくらいにしか見られて……いや、違う。返す言葉もないな」


カイランは信じられないとでも言うように不満げに見つめるジアに呆れたが、すぐに首を横に振って理解しようとした。

少し理不尽な気もするが、すべて自業自得なので言い訳の余地はなかった。

後味が悪いな……。


サラサラサラ。

無言で再びカイランは問題用紙に集中した。

今日は計算問題ではなくなぜか単語の穴埋め問題というのが少し引っかかるが、とにかく。


「ヤッホー! お? なになに? どうした風の吹き回しで大人しく座ってんだ?」


教室の扉が勢いよく開き、ニコニコと何らかの理由で上機嫌なルセテリが入ってきた。

彼もまた、入ってくるなり目があったカイランが珍しくて目を丸くし、夢か現か手で目をこすってからもう一度見直した。


「俺……ここにいちゃダメなんですか?」

「そういうわけじゃないが、意外だったからな」

「なんでみんなして俺にだけそうなんだよ」

「そりゃあ、お前が今までそういう行動をとってきたから当然だろ?」

「それでも俺、約束は守る男っすよ」

「それはおいおい見ていくとして。勉強の『べ』の字も出そうとしただけで逃げ出していたのは事実じゃないか」


無駄に口を滑らせて、藪蛇をつつく結果になってしまった。

カイランの唇がブスッと前に突き出た。


「それでも一度約束したことは、俺、守るんで」

「そうか。その覚悟を勉強するのにも少し分けてやってくれ」


ルセテリは相変わらずふてくされているカイランを見ながら、グラブジャムンが入った袋とバラ茶をテーブルの上に置き、一つを取り出して口の中に放り込んだ。

相変わらず後頭部をぶん殴られるような強烈な甘さは、変わらず美味しかった。


「だからさ、お前も良くて俺も良い、提案が一つあるんだけど……」


ズズッ。壺に入ったお茶を湯呑みに注ぐルセテリに、ジアとカイランの視線が集まった。

カイランは疑問に満ちた目でルセテリを見つめていたが、ジアは違った。

あのカイランに負けず劣らずのトラブルメーカーのドラゴン様が、またどんな事故を起こすと言うのか、心配が先に立った。


「題して体験! 現場学習の中へ!」

「ブホッ!」

「どうだ? 現場で転がりながら学びの時間を持つってわけだ」


それ、今までカイランが授業をサボる時の言い訳と一体何が違うっていうのよ?

ルセテリが渡してくれたお茶を飲もうとしてむせたジアが、お茶を口から吹き出した。

口元にこぼれたお茶を袖でササッと拭きながら、ジアは戯言を抜かすルセテリをキロッと睨みつけた。


「何を言ってるんですか? 現場学習だなんて……それもある程度の基礎ができてからだって言ったのは、まさに昨日じゃないですか」


呆れ果てたジアがルセテリに向かって首に青筋を立てて抗議した。

もちろん、ルセテリは聞こえないふりをしてピクリともしないだろうけど。


「そうは言っても、あんまりキツく縛りすぎてあいつが壊れちまったら?」

「はあ……? いつからそんなこと気にするようになったんですか?」

「いや、まあ……ちょっと気が引けるだろ?」


執拗に問い詰めるジアの尋問に、ルセテリは助けてくれとばかりにカイランへ視線をそっと逸らしたが、それに気づくほど目端の利くカイランではなかった。

どうしてこういうことには鈍感なんだろうな……。


「??????」


顔いっぱいにクエスチョンマークだけを浮かべている奴を見ていると、そもそも助けのサインを送ったルセテリがバカのように感じられた。


「何なのよ? ルッ様。何を隠してるの?」


さすがジアだ。

ルセテリに何か魂胆があるということを正確に把握し、追求するように隅へと追いやっていた。


「大したことじゃないけど……」

「その言い方は、何かあるってことでしょ……何なの? また食べ物のことでしょ?」


ギクッ。

否定できない事実に、ルセテリの良心がチクチクと痛んだ。


「今度はまた何なのよ? これ?」


殺伐と、ルセテリが買ってきたグラブジャムンにフォークを突き刺すジアだった。

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