第90話 バラ茶と宝石砂糖
気が狂いそうに甘いだけだった菓子が、お茶の一口でこんなにも変わるものなのか?
思いもよらなかった意外な組み合わせに、ルセテリの手は再びグラブジャムンへと伸びた。
「ククク、うちのグラブジャムンを気に入ってくださったようで嬉しいですな。うちの品はちょっと特別でしてね」
「特別?」
「生地にピスタチャ(ピスタチオ)というナッツを使っているんですよ」
「ピスタチャ?」
「聞き慣れない名前でしょう? 帝国の南東にあるティシャールという国でしか取れないナッツなんですが、私がそこの出身でしてね。向こうではこれでお菓子を作ってお茶と一緒に食べたりもするんですが、それをグラブジャムンに入れてみたんです」
確かに……甘さの中に香ばしい風味が隠れていた。
「このピスタチャが、このバラ茶と最高に合うんですよ。もっと甘いのがお好みでしたら、こちらの宝石砂糖をお茶に入れて召し上がってみてください。また違った味わいになりますから」
男が、ゴツゴツとした飴のようなものが盛られた皿をルセテリの前に置いた。
透明なクリスタルのようにキラキラと輝くそれが、まるで宝石のように見えるから宝石砂糖と呼ぶらしい。
いざ宝石砂糖を前にして、ルセテリは今、迷っていた。
これをお茶に入れてさらに甘くして飲むか、それともこの満ち足りた甘さで満足するか。
『それが問題だ……』
なかなか決断できずにいるルセテリの震える指先を見たジアは、ためらうことなく自分の湯呑みの中に宝石砂糖をポチャンポチャンと落とした。
「うおっ! 何してんだよ?」
ルセテリに首根っこを掴まれていたカイランが、飛び上がるように驚いた。
「なに? どうしたの?」
「甘すぎないか? そんなにポンポン入れたら……」
「ハハ、この砂糖は見た目ほど甘くないから、それくらいなら大丈夫ですよ」
男がハハハと笑った。
「カイラン様ですね? ここの商人たちから話はよく聞いていますよ」
「俺はあんたを初めて見るけど?」
「テランカナに定住してからまだ日が浅いもので。これからよろしく頼みますよ、若君?」
よく笑う男が、カイランにスッと手を差し出した。
あちこちに細かい傷跡がいっぱいの、荒々しく無骨な手を、渋い顔のカイランがそっと握ってすぐに離した。
カイランの性格を考えれば意外だった。
今までジアが知っていたカイランなら、先にガシッと手を握って虚勢を張ったような笑いを飛ばしていただろうに、こんな小心者みたいな姿、初めてだ。
[あいつ、やっぱり勘だけは天性のものを持ってるって認めざるを得ないな。完全に野生動物そのものじゃないか]
[あいつが人間だったことなんてありましたっけ?]
[まあ、それはそうだな]
[でもほんと、あいつ何であんな風になってるのか、ルッ様は分かる?]
やはりこういう部分では、いくらジアといえども経験不足のようだ。
一目見ただけでも、グラブジャムンというおやつを売る男にしては平凡な動きではなかった。
男は巧みに隠しているつもりだろうが、世界の大行者の目は誤魔化せなかった。
痩せこけた体格に羽織っただぼだぼの服の下には、専門的な密偵の動きに必要な筋肉がウネウネと蠢いていた。
それだけではない。
平凡なおやつ売りの商人の体に、あんな刀傷が一ついっぱいに残っているはずがないじゃないか。
そういう意味で、本能的に男を避けようとするカイランは大したものだった。
「ああ、これからしっかり見守らせてもらうよ」
カイランがさりげなく体をルセテリの後ろに隠しながら、男を強く警戒した。
「やっぱり手強いですねえ」
そんなカイランを見た男は、苦笑いを浮かべて呟いた。
「まあ、いいでしょう。ゆっくり親しくなっていけばいいですから。とにかくよろしくお願いしますよ、若君」
三人はそれぞれ一つずつグラブジャムンを手に持ち、並んで屋台から離れた。
[どういう風の吹き回しですか?]
[何が]
[ルッ様が珍しくおやつを買い占めなかったから]
あー……。
美味しかったのは確かだ。
美味しかったんだけど、買い溜めしておくには甘すぎるんだよ!
ルセテリは舌なめずりをした。
いくら亜空間とはいえ、お茶と一緒に飲まなければならない甘味を突っ込んでおくのはお断りだった。
亜空間から熱いお茶を取り出そうとして、うっかりお茶がこぼれたりして他の荷物まで汚れてしまうのは御免だった。
それより、思い立った時に来て買って食べる方がずっといい。
「あの店主……怪しい」
グラブジャムンを少しずつちぎりながら、カイランは深刻な顔をしてモグモグと噛んだ。
「ふむ? そうか? 何でそう思うんだ?」
「ただ感じがそうなんだよ。ナイフの扱いがすげえ上手そうに見えた。それに、なんだか気味が悪い」
こういう点はジアよりも優れているな。
ジアは未だに理解できないという顔で、黙って口を閉ざしたままルセテリとカイランの後を歩いていた。
ウンウンと考えを巡らせていたが、
「え? じゃあただの普通のおやつ屋さんじゃなかったの?」
ジアらしくないワンテンポ遅れた反応に、ルセテリとカイランが同時に振り返った。
「「はあ?」」
「それを今更?」
まるで打ち合わせたかのような二人の驚いた反応に、ジアは思わずビクッとした。
二人の息が意外にもこんなにピッタリ合うだなんて……?
「それで……バレたようだと言うのですか?」
「バレてはいません。おそらく……?」
ルセテリとカイランにグラブジャムンを売っていた男は今、必死にペンを走らせて書類整理をしている高位貴族の前に立っていた。
男の顔は、背後の窓から差し込む逆光に遮られてぼんやりとしていたが、一つだけははっきりと見えた。
男の口元に浮かんでいる、偽善的で慈悲深い笑みが。
机の上で休むことなく羽ペンを動かしていた男の手が突然止まり、顔を上げて男の顔をじっと見つめた。
「おそらく? どういう意味ですか?」
「いや、ですから……想像以上に若君の勘が鋭くてですね。疑われるのはなんとか避けることができましたが、正体がバレたわけではないので、まあ引き分けということにしましょう」
頭を掻きながら、男は両腕を広げて肩を一度すくめてみせた。
冗談抜きでかなり深刻な雰囲気だったと。
あえて男の前では言葉を慎み明かさなかったが、男は今でもあの時のことを思い出すだけでゾッと鳥肌が立った。
カイラン若君は気づかなかったが、ただ一人、若君の横で自分の正体を見抜いた視線があるということは明かさなかった。
それほど長く生きたわけではないが、あの短い瞬間にもえぐるように鋭い視線は、一生かかっても忘れられない恐怖だった。
いくらぐるぐる巻きにして隠そうとしても、そのすべてを見透かすような視線からは永遠に自由になれそうになかった。
まるで真冬に一糸まとわぬ姿で一人ポツンと放り出されたような、そんな不気味さ。
深い深海の暗闇を湛えた両の瞳は、こう言っているかのようだった。
分かっても知らないふり、見ても見ないふり、そして最後は聞いても聞こえないふり。
永遠に口を閉ざせという無言の圧力。
死んでも口は割らないさ。
「……そうですか?」
男の答えに、止まっていた羽ペンが再び忙しく動き始めた。
サラサラ。
二人の間に気まずい沈黙が長く続いた。
「あなたの考えがそうなら……分かりました。あえてこれ以上は聞かないことにしましょう、サリフ」
長い沈黙を破り、男は羽ペンをインク瓶に差して顔を上げた。
「いや、いくらなんでももう一度くらい聞くふりでもするべきなんじゃないですか?」
「何をですか? どうせ話すおつもりはないのでしょう? そんなことをあえて聞く必要性もない」
いや、それでも情けとしてもう一度聞いてくれることもあるだろうに。
血も涙もない男の態度に、サリフはなぜだか寂しさを感じた。
男の言う通り、もう一度聞かれても答えるつもりはないけれど。
「そうじゃなくても……あるじゃないですか、ほら……これからどうするつもりか、とか、若君に対する私の考えとか、まあ、そんなの?」
「すでに答えを決めて来られたようですが……違いましたか? なら二度聞く必要はありませんね」
トントン。
男の人差し指が机の上で落ちた。
強烈な逆光のせいで輪郭しか見えなかったが、間違いなく男は「自分の考え通りだ」というように薄い笑みを浮かべているはずだ。
「まあ、そうですね」
「どんな結論を下されたとしても、全面的にあなたの意見に同意し、従うと言った約束は変わりませんよ」
確かに、あの約束ならナイフのようにスパッと守ることで有名な男が、自分と交わした約束を破るはずがなかった。
男が言うまでもなく、サリフはすでに重々承知で彼と交わした約束だった。
それなら、そんな彼が今自分を呼び出した理由はただ一つ。
「あなたの言う通りでした。それだけでも、このテランカナまで来た甲斐がありましたよ」
「そうですか。それは良かったです」
男の声に安堵感が感じられるのは、サリフの気のせいだけではないだろう。
今、男が気にしているのはただ一人、シェイク・カイラン・ビン・ミルザ・アル・プレシア。
それ以上でもそれ以下でもなく、まさにその理由だった。
男の顔に微かな笑みが浮かんだように見えたのは、ただの気のせいだ、気のせい。
「あなたの言葉通り、我がティシャールは南部独立軍連盟に加担することを決定しました。近いうちに、アル・シャイルの名で親書が届くはずです」
「願ってもない知らせですね。ありがとうございます」
「感謝するだなんて、こちらこそ心強い味方ができて嬉しいですよ。あの、大プレシア商団の支援だなんて……夢ではないかと思うほどです」
サリフは男に向かって手を差し出した。
「では、引き続きテランカナに滞在される予定ですか?」
サリフが差し出した手を両手でしっかりと握りしめて振りながら、男が尋ねた。
「当分の間はそうなるんじゃないですかね。どうせこれからのために、お互いの連絡を担当する連絡係くらいは必要になるでしょう?」
「確かにそうですね」
「そのためには、どうしてもお互いに信頼できる人間でなければならないでしょうが、ただの私なんて、いかがですか?」
サリフは堂々と親指で自分を指差して尋ねた。
自分ほどの適任者は他にいないだろう。
少しばかり、あの恐ろしい瞳と向き合わなければならないというのが怖くはあったが、大丈夫だ。
出くわさないように逃げ回っていればいいだけのこと、自信はあった。
だから、
「グラブジャムン12個と、バラ茶を大きな急須で一つ」
お前! お前が何でここにいるんだ!!
場所を移したのにもかかわらず、幽霊のように見つけ出し、朝っぱらから甘いものを求めているルセテリに、サリフはひどく狼狽した。




