第89話 まん丸のグラブジャムン
「一言で言えば、お前と僕が公平にさえなれば何の問題もないってことだろ。な?」
突然乱入してきたルセテリに、カイランも戸惑うしかなかった。
不安げに揺れる瞳が、今のカイランの内面状態を代弁してくれている。
「こうすればいいんじゃないか。二人で同じ薬草と香辛料を見て、名前を当てるんだ」
「いいぜ。俺だってできる」
ルセテリの言葉が終わるや否や、顔をパッと明るくしたカイランが堂々と叫んだが、その後に続いた条件には崩れ落ちるしかなかった。
「それじゃあ簡単すぎるから、目隠しをしてな」
いつ用意したのか、手には黒い目隠しまで持ってルセテリはニヤニヤと口角を上げていた。
あの顔は間違いなく、100パーセント何か企みがある顔だ。
「な……!」
「なんだ、自信ないのか? これほど公平で透明な方法はないと思うんだが……」
「うっ……」
自分の策に溺れてしまったカイランは泣きそうな顔だったが、反論できずルセテリの言う通りにするしかなかった。
布の隙間から少しでも見えるのではないかという一抹の望みを抱いてルセテリから目隠しを受け取ったが、すぐに絶望した。
どんな方法で織られた布なのか、隙間が……全く見えない。
[よくも見つけてきたわね?]
[言っただろ。あいつに首輪をつけといたって。俺のマナを追っていけばいいだけなのに、難しいことなんてあるか]
[まあ、それはそうですね]
[逃げたところでドラゴンの爪の中さ]
意気揚々としたルセテリの顔に、無言で手渡された残りの目隠しを手に持ち、ジアはカイランの隣へ近づいた。
「ま、負けないぞ」
拳までギュッと握りしめ、自分に向かって闘志を燃やしているカイランを見て、ジアは大きくため息をついた。
だから、その根拠のない自信は一体どこから来るんだってば。
「そう、頑張りなよ」
ジアはチラリとカイランに哀れみの眼差しを送った。
あの状態なら……半分当たればよくやった方じゃないのかな……。
目隠しをした二人の前に、モリおばさんがそれぞれ小さな皿を10枚ずつズラリと並べた。
「時間は5分だよ。頑張りな」
やけに楽しそうな声だけど、あれ……何企んでるの?
ジアはあの笑顔の中に隠されたルセテリの怪しげな本心が何なのか、ひどく気になった。
とはいえ、ルセテリがあんな反応を見せる理由は一つしかないけどね。
「そのグラブジャムンというのは何ですか?」
やっぱり、そう来たか。
目隠しをして見えなかったが、ニヤニヤしているルセテリの姿が目に浮かんだ。
「牛乳を煮詰めて乾燥させた粉に、バラの抽出水を入れて油で揚げ、シロップをかけたお菓子さ。これが熱いお茶と一緒に食べるとぴったりなんだよ」
「美貌の女将さんが説明してくださるからか、説明を聞いただけでも美味しそうですね」
「ホホホ、いいわよ。この通りで一番のグラブジャムンのお店に案内してあげるわ」
ルセテリのお世辞に気を良くしたモリおばさんの声が一層高くなった。
「全部書きました」
ルセテリの代わりにいつも薬草の下処理をしてきたジアにとって、こんな試験など目をつぶっていても10秒で解ける問題だった。
ジアは目隠しを外し、書き終えた解答用紙をルセテリに突き出しながら唇を尖らせた。
すでに食べ物のことで頭がいっぱいであろうルセテリの妄想にブレーキをかけたのだ。
「お? おう……そ、そうか」
すっかりいい気分になっていた想像を邪魔されたルセテリが、渋い顔でジアが差し出す解答用紙を受け取った。
「あいつが終わるまで待てますよね」
とは言ったものの、実のところはこれ以上食べ物のことでのぼせ上がろうとしているルセテリを監視するという意図が多分に含まれていた。
ジアの痛い視線を浴びてプレッシャーを感じたルセテリは、そっとカイランの方へ顔を向けた。
刺激を受けたのか、カイランは慌てふためきながら解答用紙の記入を急いでいた。
「俺も終わ、終わった……です」
ルセテリの顔色をうかがいながら、急いで敬語に直すカイランだった。
声を聞く限り、正解である確率は極めて低そうだった。
そっと書かれた解答を見ても……うーん、これはさすがに差がありすぎじゃない?
解答用紙に雨が降ってるわね(※バツ印ばかりという意味)。
いや、一つでも正解があるのかしら?
ルセテリはジアの解答用紙をカイランの解答用紙と一緒に、カイランの目の前に突きつけた。
「これでお前の身の程がよく分かっただろ?」
堂々としていた首が力無くうなだれ、カイランの顔は真っ赤なバタタ(サツマイモ)も同然だった。
「はい……」
「少しは勉強しなきゃいけないって気になったか?」
「はい……」
返事に力がなく、虚勢でいっぱいに張っていた肩がだらんと垂れ下がった。
「それで、賭けの内容は何だったっけ?」
「プーが勝ったら……授業に出る……です……」
「これからは逃げ出さないよな? 男対男の約束だからな」
「うっ……」
カイランの目元がしっとりと涙ぐんだ。
まさか男の子がこんなことで涙を見せるわけじゃないわよね?
「泣いてるのか?」
「違う!……です。泣いてません」
拳を握った手でスッと目元を拭ったカイランが、遅ればせながらしらばっくれてみたが、赤くなった目元は嘘をつけなかった。
「悔しいか?」
「いえ……」
「最低限の良心はあるみたいだな。そうさ、悔しがってちゃダメだろ。これまでお前が自分の責任を怠ってきたことについて恥じるべきだろ。違うか?」
「はい……」
「そんなに落ち込むなよ……。これから頑張ればいいさ、な?」
なかなか顔を上げられないカイランの肩をポンポンと叩きながら、ルセテリの口調は怪しいほどにとても優しかった。
「ル先生?」
歯を食いしばったジアが、ルセテリの服の袖を引っ張った。
[一体また何を企んでるんですか?]
[何って……俺を何だと思って……]
[何って、この食べ物に目のないドラゴン様め!]
[ゲッ! そ、そこまでは……!]
あまりにもストレートなジアの竜言に、ルセテリは言葉を失ってしまった。
いや、ちょっと……ほんのちょっと……そのグラブジャムンというヤツが気になっただけだって。
ルセテリは思わずゴクリと唾を飲み込んでしまった。
チッ、やっぱり。
短く舌打ちをしたジアは、そっと掴んでいたルセテリの袖を下ろした。
止めてみたところで痛い目を見るのはジアだし、自分の口が疲れるだけだ。
「はぁ、もう知りません」
降伏を宣言したジアの言葉が終わるや否や、カイランを掴んだルセテリが、モリおばさんが教えてくれた店に向かって矢のように飛び出していった。
くねくねとした市場の道で、ごった返す人々の間をかき分けて到着した店は、店と呼ぶのも難しいような、小さな板と樽だけを置いて商売をしている小さな屋台だった。
暑い気候にもかかわらず、鍋にはジュージューと油が煮えたぎっており、油の中で丸い生地がプカプカと浮かび上がっていた。
茶色に美味しそうに揚がった生地は、大きなザルを持った男の素早い手さばきによってあっという間にすくい上げられ、宙に投げられた。
余分な油が落ちて一層サクサクになった生地は、そのまま隣でグツグツと煮えたぎっているドロドロのシロップに向かってポチャンポチャンと飛び込んだ。
滝のように汗を流している男は、シロップに浸かった生地たちを平たい鍋の中で休むことなくコロコロと転がした。
「いらっしゃいませ!」
暑い気候で大変だろうに、客を迎える男の顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「これが、そのグラブジャムンというものですか?」
「はい! その通りです。お客さん、北から来られたようですね?」
「よくお分かりで。リバーピルから来ました」
「よく来てくださいました、テランカナへ。歓迎の印に、これ一つ召し上がってみてください」
男は転がしていたグラブジャムン三つを器に盛り、ルセテリに手渡した。
黄金色によく揚がったお菓子は、ドロドロのシロップをたっぷりと含み、美味しそうに艶がキラキラと光っていた。
見ているだけでも、ないはずの頭痛がしてきそうなほどの甘さだ。
「あ……ありがとうございます。いただきます」
これは甘いものなら目がないルセテリでさえも、簡単にはいかないほどの糖分だった。
お菓子に木の串を刺し込むルセテリの手が微かに震えていた。
「おっと。いやはや……失敗するところだった。グラブジャムンは、このお茶と一緒に召し上がってこそ、本当のグラブジャムンと言えるんです」
うっかり忘れていたというように、男は鍋の下から急いで急須を取り出すと、湯呑みにお茶をトクトクと注いだ。
濃い茶色の水色が紅茶と似ているように見えたが、男がお茶を注いだ瞬間、フワッと花の香りが漂ってきた。
「バラの……香り?」
「その通り。よく分かってるね? これ、バラのお茶で間違いないよ。これがうちのグラブジャムンとすごくよく合うんだ」
なみなみと湯呑みいっぱいに注いだ男が、ルセテリとジアに湯呑みを手渡した。
お茶を手渡す男の顔は幸せに満ちていた。
ルセテリは片手にはシロップをたっぷり含んだグラブジャムン、そしてもう片方の手には暑い気候の中で湯気が立ち昇る湯呑みをまじまじと見つめた。
ゴクリ。
フワリと漂ってくるシナモン(桂皮)の香りと甘み、そしてバラの香りが食欲を刺激した。
全く予測できない未知の味。
もちろんある程度味が想像できる味も恐ろしいが、新しい味の組み合わせは常に挑戦欲求を刺激する法だ。
まん丸くて可愛いお菓子は、一口にすっぽりと入る大きさだった。
入れるや否や歯で噛んだ瞬間、ジュワッと口の中で弾ける容赦ないシロップ爆弾は、気が遠くなるほど甘かった。
甘いどころか舌が麻痺しそうになった頃に流れ込んできた熱いお茶の一口が、固く結ばれていた生地を一瞬で解きほぐし、ほのかなバラの香りを口の中でフワッと広がらせた。
すると、驚くほどクラクラするだけだった甘さが舌の上でほろ苦いお茶と溶け合い、瞬く間に優しい甘さへと味の調和が完璧になった。
「何だ、これ……」
ルセテリの目がまん丸く見開かれた。
お前、一体正体は何なんだ!




