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第9話 モンスターペアレントの元には問題児が育つ

「陛下! こんなことがあってはなりません! たかが一介のシッター風情が公爵の息子に危害を加えるなどと!」


ジョゼフ皇帝は頭がズキズキと痛んだ。

書類にサインしようとしていた手を止め、息巻いて許可もなく皇帝の執務室に押し入ってきたアウレリア公爵を呆れ顔で見つめた。

彼は皇帝が公務中であろうとなかろうと、そんなことはお構いなしに振る舞っていた。


「なんの騒ぎだ、アウレリア公」


それでも皇帝は最大限の忍耐をもって落ち着いて応対した。

アウレリア公爵の後ろには、片手片足に包帯を巻き、足を引きずりながら入ってくるジェレミア公子も見えた。

額の青筋が今にも千切れそうに膨れ上がっているアウレリア公爵は、皇帝の前だからといって決して感情を抑えようとはしなかった。

むしろ凶暴なオークのように乱暴に唾を飛ばし、腕を振り回してさえいた。


「これをご覧ください、陛下。どこの馬の骨とも知れぬ卑しい下働きが、私の息子をこんな目に遭わせたというではありませんか! よりにもよって厳粛なる帝国の皇宮内でこんなことが起きるなどと!」


卑しい下働き、か……その卑しい下働きが、世界で最も尊きドラゴン様だという事実を知ったらどんな反応をするのか、皇帝は少し気になった。

おそらく一言も発せられず、部屋の隅に縮こまってガタガタと震えるのではないだろうか。


「これをご覧ください。私のかけがえのない息子の手足を折ったというのですよ」


公爵は見せつけるようにジェレミアを皇帝の前に突き出した。

チラリと皇帝がジェレミアに視線を向けたように見えた途端、彼はわざとらしい嘘泣きを始め、手で目をこすった。


「僕は、ただジア皇女様が通りかかられたので、挨拶をしようと近づいただけなのに……」

「なんと恐ろしい下克上でしょう! その下働きを今すぐ捕らえ、罰を与えるべきです!」


泣きじゃくる公子の演技は見事なものだった。

その横では、口角に泡を飛ばして熱弁を振るう公爵までいる。

ありったけの力で喉に青筋を立てながら熱弁を振るっていたアウレリア公爵は、とうとう皇帝の机を拳で叩きつけた。

そのせいで机の上に綺麗に並べられていた書類が散らばり、皇帝の目元が一瞬ピクッと歪んだ。

皇帝よりも権力が強く、帝国全土にその威勢を轟かせているというアウレリア公爵であった。


「下働きとは、どこの者のことを言っているのだ?」


羽ペンを置き、皇帝は仕方なくため息をついて公爵に尋ねた。

まあ、聞くまでもない答えだろうが。


「先日召し入れたという、コセン公国のジア皇女のシッターだとかいう下働きのことです!」

「それで?」

「それで、とはどういうことです! これをご覧ください。帝国にただ一つの公爵家の跡取りをこんな体にしたのですから、その代償を払わせるべきです!」


アウレリア公爵は、思ったよりものらりくらりとした皇帝の態度が気に入らなかった。

普段なら彼の一喝で震え上がり、何でも言うことを聞いてくれる皇帝だったが、今日は何かが違った。


「そのシッターがやったという証拠でもあるのか?」

「証拠ですと? 帝国にただ一人の公爵である私の言葉が信じられないと仰るのですか?」

「いくらなんでも、証拠もなしに民を捕らえるわけにはいかないだろう」


急に証拠云々を言い出した皇帝に、アウレリア公爵は苛立ちのあまり目を吊り上げて皇帝を睨みつけた。


「今、陛下がご覧になっているではありませんか! ならばうちの子が外で自傷行為でもして嘘をついているとでも! たかが5歳の子供が!」

「嘘だと言っているわけでは……」

「呼び出して白状させればいいではありませんか! 私たちは被害者なのです!」


確かに、単に挨拶をしようとしただけなのにルセテリが公子の手足を折ったというなら、一般の帝国臣民であれば無事では済まされない重罪であることは間違いなかった。

しかし相手がルセテリとは……おまけに普段からジェレミア公子の蛮行をちょくちょく報告されていたため、皇帝は見ていなくても何があったのか容易に察しがついた。

だからといって、不用意に眠れるドラゴンの逆鱗に触れたところで何一つ良いことはないだろうに。


ひどい偏頭痛が襲ってきた。

片方の額をこすりながら、皇帝はドアの横で補佐していた文官に手招きした。


「かしこまりました、陛下」


皇帝が耳打ちで文官に何かを命じると、静かに頷いた彼が執務室を出て行き、間もなく警備兵とともにルセテリとジアを連れて入ってきた。


「帝国の太陽であられる皇帝陛下にお目にかかります」


軽く膝を曲げて礼を尽くしたルセテリが、執務室に入るなり皇帝に挨拶をした。

皇帝の横で息巻いて全く怒りを収めきれずにいるアウレリア公爵とジェレミアを見たルセテリは、どういう用件で皇帝が自分を呼び出したのか見当がついた。

ジェレミアの腕と脚には、あまりにもあからさまに包帯がぐるぐると巻きつけられていたからだ。

その姿を見たルセテリは、思わずプッと吹き出してしまった。


「ご覧ください、陛下! なんて不遜な態度ですか!」


顔を真っ赤にして青筋を立てるにとどまらず、今やルセテリに向かって指まで差すアウレリア公爵だった。

そんな公爵を制止するように、皇帝が先立ってルセテリに質問を投げかけた。


「そなたがここにいるジェレミア令息の手足を折ったというが、本当か?」

「陛下!」


自分の言葉が信じられないというような皇帝の質問に痺れを切らした公爵が、皇帝に向かってギャンと叫んだが、皇帝は瞬き一つしなかった。

皇帝にとっては今、公爵の脅迫なんかよりも目の前にいるあのドラゴンの方がはるかに恐ろしい存在だった。


「何をおっしゃっているのやら」

『うん、ロッ様じゃなくて、女神様が罰を与えたのに』


もっと正確に言えば、ルセテリが小言を言いながら礼儀を直接体に叩き込み、ジアが公子の肩を外してしまったのだが。


そんなくだらない事一つ解決できずに自分まで呼びつけた皇帝が気に入らないとでも言うように、ルセテリは彼をチラリと横目で睨んだ。

皇帝はその視線にどうしていいかわからず、冷や汗を流した。


「よくもまあ、卑しい公国出身の分際で私の息子に危害を加えたな! その安っぽい命で償ってもらおうか!」


皇帝の代わりに彼の横に立っていたアウレリア公爵が、声を限りにルセテリに向かって怒鳴り散らしていた。


ルセテリの後ろに隠れて状況を見守っていたジアが、彼のスカートの裾を引っ張った。


『ロッ様、あの子笑ってる』


こっそりと公爵の後ろに隠れて陰険な笑みを浮かべているジェレミアを言いつけた。

まだ懲りていないのかニヤニヤしていたジェレミアがルセテリと目が合うと、偉そうなパパの後ろへスッと隠れた。


ほう、そういうことか?

惜しい魔力を無駄遣いしてやる必要すらなさそうだ。


「ブーーン」


どこからか虫が一匹部屋の中に入ってきたのか、羽音がやかましくジェレミア公子の耳元を飛び回った。


「ヒッ! 蜂?」


虫の羽音に震え上がったジェレミアは、無意識に手足を振り回して虫を追い払うように、ドタバタと部屋中を駆け回った。

目には見えないが、確かに耳元で聞こえる蜂の羽音はずっと自分に向かって飛んでくるようだった。

公子はせっせと虫を追い払うために動き回った。


「公子。手足が折れたと言っていなかったか?」


見かねて発した皇帝の一言に、ジェレミアはせわしなく動かしていた手足をピタッと止めた。


「あ、えっと……」


慌てたジェレミアは口ごもりながら目をキョロキョロと泳がせ、自分の父親を見た。

自分の計画が狂ったことに気づいた公爵は、唇を噛み締めて自分の息子を睨みつけた。


「そ、そなたが私の息子を脅迫したと聞いたぞ!」


公爵はとりあえず大声を出してごまかした。

昔から声がでかい奴が勝つと言うではないか。

この事を口実に、皇后側の側近たちを根こそぎ皇宮から追い出す機会にしようとしていた公爵は、このチャンスを逃すわけにはいかなかった。


「脅迫? つまり、私が公子を脅して怖がらせたということですね? どのようにでしょうか?」

「そ、だから……」


おかしかった。あのシッターという女に言葉を吐き出すたびに、公爵の背筋には冷や汗が流れた。

なんとかして罪を着せようと頭をひねってみたが、適当な理由を思い浮かべられずにいた。


「私に身に覚えのないことを白状しろとおっしゃるので、どのように申し上げるべきか悩みますね。ひとまず、私は公子様の髪の毛一本すら触れたことはございませんが」


黙って口を閉じていろと言うように、ルセテリはジェレミアに向かって冷ややかな視線を送った。

その視線にすっかり怯えてしゃっくりを始めたジェレミア公子は、咄嗟に手で口を塞いだが、無駄だった。


「それに、あのように見事に手足を動かしておられるところを見ると、折れたと言うには非常に健康的なお体のようですが?」


皇帝が見ても、ジェレミアの状態はピンピンとして器用に手足を動かしていた。

見え透いた強引な主張にルセテリの声は冷え切っており、つられて皇帝も二人の間で顔色を窺うのに必死だった。


どこの世界に、そんな筋の通らない論理を展開しようとする者がいるんだ。


ルセテリの痛快な発言は、皇帝の鬱憤が溜まった胸の内をスカッと貫いてくれたかのようだった。

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