第8話 お悩み相談室
一難去ってまた一難と言うべきか。回廊を抜け、まさに本城の入り口に差し掛かった瞬間、ルセテリとジアはジェレミアの一行に出くわした。
今日も相変わらず同年代の取り巻きを引き連れては、先頭で堂々と腕を組み、ジアを待ち構えていたかのように見えた。
『チッ、この前、確実に仕留めておくべきだったのに』
ジアの竜言に、ルセテリはビクッと体を震わせた。
これまでルセテリに見せていたのとは180度違う、ジアの新たな一面だった。
これもこれでクールで新鮮なんだけど?
「半端者の皇女様はどこへ行かれるのかな?」
ニヤニヤと笑い、頬に意地悪さがベッタリと張り付いているようなジェレミアを、ルセテリはまじまじと見つめた。
せいぜい5歳程度にしか見えない貴族のガキのくせに、あろうことか皇族の前で半端者だと?
ひどく両親の顔が見てみたくなった。
「半端者の皇女の下働きだからか? アウレリア公爵家の令息であるこの私、ジェレミアを見たら脇へ退くべきなのに、よくも私の行く手を遮ったな! この皇宮における礼儀もまともに知らない愚か者め!」
なんだ? こいつ今、俺に向かって言ってるのか?
ルセテリは呆れ果てた。
「どこの皇宮の侍女風情が、私に向かってふんぞり返っているのだ?」
たかが5歳の小太りのチビが怖いもの知らずにもほどがある。ドラゴンを見て、いや違う……皇女を見てもあんなに堂々とした態度だとは。
戸惑ったルセテリはロアンを見た。
侍女であるロアンはすでに脇へ下がり、頭を下げていた。
『こいつ、何なの?』
『ジェレミア・ド・アウレリア公子だって。アウレリア公爵家の一人息子なんだけど、毎日あんな感じ』
ああ、皇帝に皇妃を迎え入れろと言って、毎日皇帝をいじめているというあのアウレリアか?
ジアの言葉に、ルセテリはもう一度ジェレミアをじっくりと観察した。
美的センスなど微塵も感じられない、金糸で派手に刺繍された白い服は、公子の金髪金眼に似合うどころか、むしろ彼の太った体をさらに膨張させて見せていた。
おまけにダイヤモンドが埋め込まれたカフスボタンに、ありとあらゆる宝石で装飾されてギラギラと輝くおもちゃの剣の鞘まで、眩しいを通り越して目が痛くなるほどの極悪なセンスだった。
まさにアレだ。
一言でまとめるなら、金に物を言わせた成金テイスト。
公子本人がそれに気づいていないのが問題というか。
いや、たかだか人間年齢5〜6歳に何がわかる。親が問題なんだ。
「アウレリア公爵家の公子であらせられましたか」
重圧感のある中年女性の声がルセテリの口からこぼれ出た。
一応子供であることを考慮してフィアー(竜の威圧)までは流さなかったが、声だけでも十分に威圧感が感じられた。
その証拠に、ジェレミアの後ろにいる子供たちはブルブルと体を震わせて怯えていた。
「無礼者!」
むしろさらに大きな声で怒鳴りつける怖いもの知らずの小犬、いや小太り豚。怖いもの知らずに振る舞うこと自体が異常だった。
『はぁ、どっちが無礼なんだか……』
4歳の口からため息から出ている時点で、もうお察しではないだろうか。
「主がまともでないと、下の者まで礼儀を知らないのだな!」
「今、誰が誰に礼儀を説いているのですか?」
「当然ではないか! お前が私に頭を垂れるのが筋というものだ!」
無知は勇気なり、と言うべきか。
ルセテリを前にして、一歩も引くことなく一貫していた。
これも一種の才能なのか?
到底理解できない論理に、ルセテリの首が片方に傾いた。
「それはどこの国の礼法でしょうか? 皇族が公爵家に先に礼を尽くすべきだとは?」
「当然、アメリア帝国に決まっているだろう! 帝国の皇室礼法書にそう書かれていた」
あまりにも堂々と間違ったことを言うせいか、周りにいた者たちは皆頷いていた。
ただジアの一行だけが呆れて言葉を失い、ジェレミアをぼう然と見つめているだけだった。
「帝国皇室礼法書、ですか?」
「そうだ。私が先日、帝国の有名な礼法の教師から教わったのだ」
その礼法の教師とやらが誰なのか、ひどく気になるところだ。
『ちがうよ、嘘つき。帝国の皇室礼法書のどこにも、皇室がたかだか公爵家に先に礼を尽くさなければならないなんて内容はなかったもん』
ジアの言う通りだった。
その礼法書でなくとも、世界中のどこの礼法を探しても、支配者が先に臣下に礼を示す礼法など存在しなかった。
「不思議ですね。私もかなり多くの礼法書を読みましたが、そのような内容は一度も見たことがありませんが」
「それはお前が愚かな皇女の従者で、半端者だからだ。私は偉大なるドラゴンに認められた皇家の血筋なのだから当然だ」
言い終えたジェレミアは、見せつけるように前髪をかき上げ、金髪と金眼をルセテリの前で誇らしげに自慢した。
まるで、お前たちが持っているそんなどんよりとした暗い色の髪など下等生物だ、と言わんばかりに見下していた。
「だからといって、傍系である公爵家が皇帝の直系より身分が高いなどという話は初耳ですが」
ルセテリの淡々とした口調の返答がよほど気に入らなかったのか、それともこれ以上自分の主張する強引な論理が通用しなくて腹を立てたのか、ジェレミアの顔が今にも爆発しそうに真っ赤になった。
「こ、この、下等な輩が!」
結局、怒りを抑えきれなくなったジェレミアの手が、ルセテリの頬を張り飛ばそうと上へ向かって振り上げられた。
しかし、しばらく待っても誰もが予想していた音は鳴らなかった。
ルセテリでさえ、たとえ蚊が一匹頬に止まる程度の衝撃だと予想していたものの、何の感覚もないため、そっと閉じていた目を開けてジェレミアを観察したほどだった。
ジェレミアは真っ赤に歪んだ顔で必死に力を込めているようだったが、腕が空中で固定されたまま動かないように見えた。
それはまるで、誰かが空中でジェレミアの腕を掴んでいるかのように、不自然極まりなかった。
力を入れれば入れるほど、ジェレミアの腕はさらに奇妙な方向へ曲がっていった。
『悪いお手々だね』
ジアの竜言で、その時ようやくルセテリは公子の手首の周りにある不自然なマナの動きが見えた。
驚いたルセテリの視線が、自分の後ろでドレスの裾を掴んでいるジアへと向かった。
『叩くのはダメ』
ジアはルセテリに手を上げようとするジェレミアを睨みつけていた。
『ジア? もしかしてあれ、君がやったの?』
『ん? なにを?』
自覚していないのか? 無意識に?
ルセテリは簡単に納得できず、首を傾げた。
それを見たジェレミアは、自分をあざ笑っているのだと勘違いしたのか何なのか、さらに躍起になっていた。
あんなに力を入れたらもっと悲惨なことになるのに……とルセテリは呟いたが、ジェレミアは止める気配がなかった。
物理の法則に『作用・反作用の法則』というものがある。すべての作用に対して、大きさが同じで方向が反対の反作用が存在するという法則だ。
その法則に従えば、間もなくジェレミア公子にはとてつもなく大きな苦痛が訪れるだろう。
「ボキッ」
「ぎゃああああっ!!」
大きな悲鳴と共に、公子の右腕が力なくダランとぶら下がった。
見事に肩の関節が脱臼していた。
「お前、こんなことしてただで済むと思ってるのか?」
苦痛のあまり涙と鼻水をダラダラと垂れ流す顔は実に見ものだったが、罪をなすりつけようとするその態度はさらに見ものだった。
「私、ここでは指一本動かしていませんよ」
「お前の仕業に決まってる! じゃなきゃどうして私が動けなくなったんだ! お前が私の腕を掴んだんだろ!」
ジェレミアが泣き喚きながら理不尽な言いがかりをつけている姿は、ジアの目にはひどく情けなく映った。
『たかが肩が外れたくらいで……』
『いや、それは違うぞ。肩が外れたら結構痛いんだ』
『ロッ様がやったんじゃないのに』
ルセテリは無言でまじまじとジアを見つめた。
本当に自分が魔法を使ったことに気づいていないのだろうか?
意図してやったのだとしても、まだ4歳であのコントロールなら相当な才能だった。
『僕がやったわけじゃないしな』
だから厄介なことに巻き込まれる可能性もあるわけで。
少しは頭を冷やしただろうかと思い、ルセテリはジェレミアに近づき、ダランとぶら下がっている右肩を掴んでニコリと微笑んでみせた。
その姿にジェレミアの瞳孔が激しく揺れた。
おそらく、ドラゴン特有の縦に動く瞳孔を見たせいだろう。
「どこの皇室の礼法かは存じ上げませんが、少なくともここアメリアにおいて直系の皇族にお会いした際は、このように礼を尽くすものですよ」
「ぎゃああああっ!!」
ジェレミアが悲鳴を上げようが押し退けようが、ルセテリの手が真っ直ぐに伸びきって曲がろうとしないジェレミアの頭を押さえつけた。
続いて、絶対に曲げそうにない片方のすねに向かってキックを放ち、ひざまずかせた。
過程はどうあれ、立派な貴族の挨拶の姿勢だった。
「素晴らしいではないですか」
ルセテリの言葉が終わるとジアは拍手をしており、ジェレミアの後ろにいた他の子供たちは驚いたのか、しゃっくりを始める子から、泣きそうになってその場で粗相をしてしまう子まで、実に様々だった。
『ロッ様、優しい』
いつの間にか外れていた肩が元の位置に戻ったジェレミアは、ありったけの力でルセテリを睨みつけていた。




