第79話 マンギフェラ
「全部?」
「全部」
サムサの店の主人であるアヒムは、隅に置いてあったサムサを作る時に使っていた大きなお盆を持ってきて、ルセテリが注文したサムサを積み上げ始めた。
瞬く間に山のように積まれたサムサが危なっかしく揺れた。
「お前んちの先生、あれを全部食べる気か?」
ジアの後を追ってサムサの店に入ってきたカイランは、目の前に積まれたサムサを見て呆れ返った。
人が見たら、朝ごはんも食べられなくてお腹が背中にくっついてしまい、目の前が見えなくなっている人のように、大変な量がルセテリの前に積まれていた。
当然のように店内のすべての人の視線がルセテリへと注がれていた。
「何か問題でも?」
「ヒック!」
氷の刃のようなルセテリの低音で響く声に驚き、カイランがしゃっくりを始めた。
「はぁ、まあ問題なんて……私にも少し分けてくれるんですよね?」
ルセテリの前に陣取ったジアが、ルセテリに向けて小さな取り皿を差し出した。
「羊肉?」
「それが一番美味しいって言わなかったっけ?」
差し出された皿に、ルセテリは羊肉のサムサを二つ取って乗せてやった。
しっかり者のジアは、サムサのお盆の上に置かれた大きな器の中に入っている緑色の調味料も自分の皿に取り分け、サムサをちょこんとつけて口の中へパクッと放り込んだ。
ドーサがサクサクとした食感を持つおやつのような感じだったとしたら、サムサはサクサクとよく揚がった中華まんなのか?
その中にガラムマサラで和えたジャガイモや豆、ひき肉などがしっかりと詰まっている感じだった。
緑色に刻まれたミンティアの葉が、油で揚げてともすれば脂っこくなりそうな部分を爽やかに抑えてくれていた。
そして何より、揚げたてだから外の皮はサクサク、中はアツアツで天国のようだった。
何より、ひき肉にガラムマサラ以外にもしっかりと下味が染み込んでいて、非常に柔らかかった。
「アヒム、俺は野菜を一つ」
「他のいらないのか?」
「……とりあえず野菜を一つと、ラッシーを」
「ラッシーは何にするんだ?」
「おすすめを一つくれ」
「じゃあマンギフェラにするよ。最近が旬だからね」
ふとジアは気になった。
先ほどドーサを食べた時も感じたことだったが、そのマンギフェラというのがどんな果物なのか、全く見当がつかなかったからだ。
本はたくさん読んできたけれど、本から味や香りが感じられるわけではないじゃない?
「いったいマンギフェラって何の果物なの?」
ソースにして食べるほどなのだから、南部ではかなり簡単手に入る果物という意味ではないだろうか。
「え? マンギフェラを知らないのか?」
カイランが驚いているのを見ると、知らなかったらしい。
だから、何なんだよ。
「これくらいの黄色い果物で、真ん中に平べったくて大きな種があるんだけど……本当にそれが分からないのか?」
こいつ、騙されてばかり生きてきたのか?
なんでこんなに人の話を信じないんだよ。
両手を合わせて果物の大きさを説明しようとするカイランの両目が丸く見開かれた。
「知らない。皇都にはなかったもん」
「皇都まで持って行くには果物が簡単に傷んで腐っちまうからな。だから皇都から来たんなら知らなくても無理はないさ」
カイランの前にラッシーという飲み物のグラスを置いとやりながら、アヒムが二人の会話に割り込んできた。
「そうなのか?」
「ここじゃあゴロゴロ転がるほどあるのがマンギフェラだけどさ。北にはないだろ?」
「それはそうだな。ここは南でしか取れない果物だから」
「じゃあこれを皇都に持って行って売れば、かなり儲かるんじゃないの?」
お盆に盛られたサムサをすでに半分も平らげてしまったルセテリが、いつの間にか頼んでいたラッシーという飲み物をグイッと飲み干しながら言った。
「北じゃ珍しい果物なんだろ?」
カイランが頷いた。
「じゃあ、珍しいものなら目が無い貴族の旦那どもに売りつければ、ボロ儲けできるんじゃないか?」
確実に……他の地域の品物を安く仕入れ、その品物がない地域に高く回す。
商売の基本ではあった。
ただ一つ問題があるとするなら、
「じゃあ、皇城までその傷みやすい果物をどうやって運ぶんだよ?」
まさにその点が障害なのだ。
もちろん一息で魔法がチャララと展開されるルセテリにとって、簡単に時間の流れが止まった亜空間に放り込んでしまえば簡単に解決! だろうけれど、魔法がほとんど消滅した世界で時間を止めさせる方法など存在しなかった。
ジアはしらばっくれて尋ねた。
「これ、追熟させられる果物なの?」
「追熟? それって何だ?」
やっぱりそうだ。
少しでも難しい言葉が出てくると、これまで勉強してこなかったボロが出すぎる。
商人が『追熟』という言葉を知らないなんて、そもそも商人になろうということ自体が間違っているんじゃないの。
「本当に、少しは勉強しなよ……あんた」
どうしようもない無知さに、ジアは憐れみの眼差しでカイランを見つめた。
「なっ……俺だって知ってるし! 追熟!」
「へえ、追熟って何なの?」
「つ、追熟と宿しゅ……(胡椒とモヤシ)!」
(※原 文:「後、後椒和宿主(후추하고 숙주:コショウとモヤシ)」のダジャレ/勘違い発言)
ガチャーン、ロゴロゴロロ……。
アヒムが持っていたお盆が床に落ちて転がっていった。
「プッ! プハハハハ!! どうやったらそこでコショウとモヤシが飛び出してくるんだよ?」
「それ違うのかよ?」
お腹を抱えて椅子から転げ落ちそうになりながら笑い転げるルセテリのおかげで、ジアの悩みはさらに深まるばかりだった。
ふと、あいつを捕まえて何かしら教えようと悪戦苦闘しているナビルの苦労が、今更ながら偉大に感じられた。
どう見ても、すべての祝福と才能は肉体にしか限られていないようだった。
「そんなわけないでしょ?」
「じゃあ何なんだよ? どういう意味だよ?」
無知なら勇敢、いや、昔から「頭が悪いと手足が苦労する」という言葉があったけれど、それはまさにカイランのためにある言葉ではないだろうか。
「まだ熟していない果物を取って、後から熟させることを追熟って言うのよ」
「何でわざわざ熟してない果物を取って別に熟させるんだよ? 全部熟してから取らなきゃ美味いだろ」
今まで僕たち何の話をしてたの?
ジアは呆れ果ててカイランを見つめた。
ルセテリはまだお腹を抱えており、サムサの店の主人のアヒムは完全に後ろを向いてクスクスと笑っていた。
「ククク、主人。残りのサムサは……クク、持って帰れるように包んでくれ。クッスクス」
「はい、包みますよ。プッ!」
店を出てからも、ルセテリの笑いはなかなか収まりそうになかった。
ずっとクスクスと肩を震わせ、腰もまともに伸ばせないまま道を歩いている。
おかげで店の主人が包んでくれたサムサの袋は、ジアが持って行かなければならなかった。
袋を手渡された時、アヒムが言ってくれた言葉がまだジアの耳元を回り続けていた。
『うちの若君はちょっとばかり意気込みが強すぎてね。それが魅力ではあるんだけど』
魅力が全部逃げ出しちゃったんだけど、いくらなんでも自分たちを率いるリーダーの頭の中がお花畑だったら困るんじゃないの?
「だからさ、わざわざ何で追熟なんてしなきゃいけないわけ?」
店を出てからもしつこくジアの背中にぴったりとくっついてきたカイランは、うんざりするほど繰り返し尋ねた。
ワンちゃんじゃあるまいし、続く質問にジアは頭がズキズキと痛んできた。
「頭は飾りとしてつけてるわけ? さっきまでどんな話をしてたか覚えてないの?」
「どんな話? ああ、皇都にはマンギフェラがないってこと?」
そこまで分かっている奴が、なんでその先が理解できないのよ……。
「そう、皇都にはマンギフェラっていう果物はないの。そもそもアナナっていうのもないしね。あの緑色のパルタ? とかいう果物もないの」
「なのに?」
このように質問がいつまでも終わらなかった。
「……あんた、商団を継ぎたいって言ってなかったっけ?」
「そうだ。プレシア商団を継ぐ後継者は俺一人だけだ!」
自信満々なのは良いことだが、あまりにも自信が過ぎるのも問題だ。
意気揚々と指で自分を指差しながら肩をいからせているカイランを見ていると、先行きが目に見えて涙が前を隠しそうだった。
「じゃあ、ちょっと考えてみなよ?」
だからといって簡単に答えを教えてあげる気など、爪の先ほどもなかった。
「あー、なんだよ!」
カイランはさっきから質問に対する答えは教えてくれず、話を持たすばかりの態度にイライラが募りに募っていた。
追熟だの商いただの、二人の間にどんな関係があるというのか、カイランの頭では到底理解できなかった。
爆発するようにカッとなって怒鳴った。
「そこまで」
イライラしているカイランの頭に、ルセテリは手を置いて頭をクシャクシャと掻き乱した。
「怒る相手が間違っているってことは、お前もよく分かってるよな?」
片目をじっと細めながら、ルセテリはカイランを観察した。
ジアの考え通り、カイランは全くのバカではなかった。
勘も鋭かったし、頭は少し鈍かったけれどセンスはそんなに悪くなかった。
むしろそのセンスが抜群すぎて、すべてを勘で解決しようとするから問題なだけで。
不思議なことに、ルセテリが頭に手を置いただけでカイランは興奮を鎮めた。
冷たい冷気が頭に触れるのが、心地よい感触だった。
「悪かったよ。お前がしきりに俺をバカにしてるような気がしてさ」
素直に、カイランは頭を下げてジアに謝罪した。
「ううん。私もちょっと言いすぎたし」
口は尖らせていたものの、ルセテリの顔色を一度うかがったジアもまた、カイランに謝罪した。
実はジアも、空気をどこかに売り払った人のように質問攻めにしてきたので、ついカッとなって怒鳴ってしまったなと少し気がかりだったのだ。
「わざとじゃないんだろ?」
「違うよ! 本当に知らなかっただけだから!」
またカッとなるカイランの頭を、ルセテリは無造作にポンポンと叩いた。
「お前は質問する前に、もう一度質問について考えてから質問する仕方も必要だな?」
「はい?」
「十分に自分の中で答えを探してみた後、それでも本当に分からないなら質問をしろってことだ。そうしても答えは逃げずに、お前を待っているからな」
分かったような分からないような、何とも言えないルセテリの言葉に、カイランは首をコテンと傾げた。




