第75話 テランカナの宴は特別だ
あらかじめ準備されていたに違いない。
三人の包囲のような護衛を受けながら、ルセテリとジアは宴会場に入るや否や感じ取ることができた。
扉を開けた途端、独特な香辛料の匂いと花の甘い香りがフワッと漂ってきたからだ。
「南部では、お客様がいらっしゃった際には手厚くもてなして送り出す風習があるのです。どうかお気になさらず」
気にするなと言われても……。
宴会場の中をぐるりと見回したルセテリは、手厚いを通り越して豪華絢爛な客へのもてなしに、重圧をビシビシと感じていた。
[ルッ様。まるでルッ様が何を好きなのか、あらかじめ知っていたみたいじゃない?]
と、ジアが言うほど、会場の中は食べ物で埋め尽くされていた。
もちろん食べ物だけでなく、異国情緒あふれる楽器を演奏する楽団や、際どい衣装の踊り子たちも二人を歓迎し、熱烈に出迎えていた。
先に目に入ったのが床に並べられた料理の皿ではあったが。
ふとよぎった不吉な予感に、ジアはゆっくりと顔を向けてルセテリを見た。
案の定、目がイッてしまっている状態だった。
荒い息遣いがジアの耳元に届くほどで、これはもう口から火を吹いていないだけの、ドラゴンブレス顔負けの熱気だった。
[肉! 肉! 肉!]
そうだ。そうだった。
テランカナに到着するまで、二人は肉を見るどころか、そこにあるメイズとジャガイモで持ち堪えていたのだ。
もちろん途中で狩りをして鳥肉はなんとか手に入れたものの、鳥肉と肉のギャップはあまりにも大きかった。
よくもまあルセテリが理性を失わなかっただけでも、御の字ではあった。
ジュルリ。
いつの間にかジアの口元にも涎がたっぷりと溜まっていた。
ツンとくる肉の匂いに、スパイシーに広がるチリと各種香辛料のカレーの匂いは、ジアにとっても避けられない致命的な誘惑だった。
そんなカレーが一皿ではなく、宴会場の床にズラリと並べられていた。
それも様々な種類の肉と共にバリエーション豊かに。
当然のように脳はその匂いに即座に反応し、大量のアミラーゼを分泌したというわけだ。
本能の反応なので、ジアにもどうしようもなかった。
スッと袖口で口元を拭い、必死に平常心を保とうと努力した。
「我がテランカナの客のもてなし方だ。気を遣わずに楽しんでくれ」
言葉を終えたミルザが、チラリと自称薬師というルセテリとその弟子であるプーというジアに視線を送った。
一般的な平民と言うには、ルセテリの容姿は目を引く神秘的な力があった。
よく見てみると、ナビルの進言がなくとも、藍色の長い髪からは月明かりのような淡い光が瞬いているように見え、透き通るほど白い肌に驚異的な黒い瞳が印象的だった。
なぜそんな気がしたのかは分からないが、ルセテリの瞳と目が合ったミルザの目は微かに震えていた。
畏敬の念?
生涯感じたことのないような感覚に、ミルザは普段なら一度見て終わるようなその容姿を、しきりにチラチラと盗み見していた。
そして、プーという子供もやはり同じだった。
外見だけは平凡な短い茶髪に、鼻筋にはそばかすもある平民の少年のように見えていた。
そうだ。
『見えている』という点が重要だ。
癖のようにミルザの人差し指が、顎の辺りをトントンと叩いていた。
『確実ではないが、あの姿がどうにも不自然なんだよな……』
やはり何でも見通す洞察の目を持つカイランの父親らしかった。
ミルザの眼力はカイランのようにそこまでのレベルには及ばないようだったが、かなり鋭い観察力を持っていた。
怪しく見えるわけではないのでミルザが大きく気にするようなことではなかったが、密かに気になる二人だった。
「まあ、商団がテランカナに戻ってくる度に開かれる宴だから、気にすることないぞ」
何にすねているのか、ひどくふてくされたカイランがジアとルセテリの間を通り過ぎながらポツリと吐き捨てた。
そして、床に敷かれたたくさんのクッションの中で一番ふかふかしていそうな場所へ行き、ドスッと床に座り込んだ。
「早く来て座れよ」
カイランはジアに向けて、隣に敷かれた座布団をポンポンと叩いた。
少し前までの騒動にもかかわらず、カイランの態度に変わるものはなく、未だに不信感を拭い切れていないナビルとアーク、そしてミルザの三人の疑念に満ちた視線を気に留めていなかった。
やれやれ、カイラン。
あのバカな奴。
深いため息をつきながら、ジアはカイランが指差した座布団ではなく、彼の向かい側に陣取ってラムチョップにかぶりついているルセテリの隣にある座布団の上にドスッと座り込んだ。
がっかりしたようにカイランの肩がだらんと垂れ下がった。
[あいつ、いつか一度こっぴどく痛い目に遭わせてやらないと正気に戻らないな]
ラムチョップを口いっぱいに頬張ってムシャムシャと噛みながら、ルセテリはカイランに向けて殺伐とした目をギラつかせた。
[その姿で唸られても、ちっとも怖くないんですけど]
[唸る? 俺が犬か? この高貴なドラゴンである俺を何だと思って……]
[その高貴な存在が今、片手でラムチョップをかじりながらムシャムシャ食べていらっしゃるのは目に入らないんですか?]
ジアの指摘にようやく我に返ったように、ルセテリは持っていたラムチョップを大人しく皿の上に戻した。
「コホン」
[空咳しても遅いですよ]
ツンとして、ジアは自分の前に置かれた皿を手に取った。
肉に気を取られたルセテリのおかげで、ジアの目にはようやく宴会場の風景が入ってきた。
緻密な幾何学模様が織り込まれた絨毯の上に、色とりどりの大小の座布団が敷かれていた。
よく見るとジアとミルザ一行の他にも、商団に同行していた人々がそれぞれ楽な姿勢でその座布団の上に陣取ってくつろいでおり、ドーム型の天井からは金色や銀色、紫色の布が涼しげに垂れ下がっていた。
宴にはカイランの言う通り、商団の人々のほとんどが身分の高低を問わず、シェイクの前であるにもかかわらず気兼ねなく過ごしていた。
床に並べられた皿の上には、商団と行動を共にするうちに慣れ親しんだジャガイモや野菜で作ったカレーや平べったく焼いたパンもあったが、味付けした肉を薄くスライスし、平べったいパンに野菜やソースと一緒に巻いたものも見え、初めて見る不思議な果物のようなものもあった。
ジアがキョロキョロと辺りを見回している間に、宴会場に入るべき人が全員入った頃、シェイク・ミルザが手を上げると、隅でリュートに似た楽器を持っていた奏者が弦を弾き、曲を演奏し始めた。
異国的な旋律が流れると、どこからかシャラシャラと衣装の裾についた金属の飾りが揺れる音を立て、際どい衣装を身にまとった踊り子たちが官能的な動きで踊りながら登場した。
その魅惑的な舞に、ジアはしばらく言葉を失った。
ツンと鼻を突くムスクの匂いにふと我に返ると、自分でも気づかないうちに持っていたラムチョップは骨だけになっており、お腹はいっぱいになっていた。
なんだかたくさんあったのに、急になくなりました状態に、ジアは内心驚いていた。
普通の宴の席であったなら、手で食べる行為は礼儀に反するため、節度ある動作でフォークとナイフを使うのに緊張してしまい、少し食べただけでも消化不良を起こしていた。
それなのにここ南部では、みんなに倣って食べ物を手でつまんで食べていたため、いつの間にかお腹がいっぱいになっていたのだった。
何だ? 食べ物に薬みたいなものでも盛られたのかな?
戸惑ったジアは、空っぽになった自分の皿をまじまじと見つめた。
「どうだ、料理は皆の口に合ったか?」
ミルザの合図が下ると、食事の間に演奏されていた曲の調べがピタッと止まり、踊り子たちと共に静かに宴会場を立ち去った。
今更、とは思ったが、落ち着いて口元をハンカチで押さえるように拭きながら、ルセテリが口を開いた。
「さすが香辛料の国らしいお食事でした」
「ハッハッハ。南部の料理に香辛料は欠かせないからな」
「だからか、胃が温まり消化が良かったです。とても魅力的な料理でした」
「それは、料理をもてなした立場として誠にありがたい言葉だな」
「いいえ。手厚いおもてなし、ありがとうございました」
まだ言いたいことが残っているのか、ミルザの手は再び顎を撫で下ろした。
「それはよかった。料理が口に合ったというなら……」
何か意味深な言葉が続きそうな不吉な予感がした。
「ハートプールへ向かうとアカンから聞いたが」
「はい。フォンテンの森へ向かう予定ですので」
フォンテンの森という言葉に、ミルザの手がビクッと止まり、驚いたように身震いした。
フォンテンの森と言えば、魔獣でいっぱいの禁断の森ではなかったか。
そんな場所へ、剣術士や格闘士でもなく、いくら優れた武芸を持っていたとしても、たかが人間である薬師が入っていくと言うのだから、驚くしかなかった。
危険でもあったし。
「そんな危険な場所へわざわざ?」
「あ、中心部ではなくその周辺部で育つ特別な薬草が必要なので」
フォンテンの森へ入ると言えば皆ミルザと同じ反応を示すため、もう驚きもしなかった。
反射的につい、ルセテリは親切にも笑みまで浮かべて答えてしまった。
「なるほど。だからそれほどまでに武芸に秀でていたのか」
独り言なのか誰かに聞かせようとしている言葉なのか、ミルザが呟いた。
その呟きにふと不吉さを感じるのは、ルセテリの一人よがりな錯覚だろうか?
ミルザの次の言葉を待つルセテリの心臓が、緊張感で縮み上がった。
「ナビルの話では、そなたの弟子が非常に優秀だということだが」
来た。
どうして嫌な予感は外れたことがないのか。
「ということは、そなたの弟子の教育方針が優れているということだろう? よろしければ、もしかして我がバカ息子の教育を任せてみたいのだが」




