第72話 水面下で浮上する勢力
東部の出来事は、実はこれまでシェイク・ミルザの関心の外にあった。
特に気にする必要性もなかったし、彼らが帝国の属国に成り下がろうがどうなろうが、これまでは彼の公国とは全く関係のないことだったからだ。
あえて帝国でさえ容易に手出しできないのが、自身のプレシア公国だった。
帝国の経済力の半分を握っており、たとえペシャワール港は帝国に奪われたとはいえ、それ以外の港を占拠し南部の全物流を牛耳っている帝国一の商団を率いる自身に手出しできる者は、帝国にはいなかった。
いるとすれば、それは見境のない狂犬くらいだろうと考え、実は気にも留めていなかったのだ。
それなのに、この狂犬のようなアウレリア公爵は、やらかすにしても大事故を起こしていた。
手をこまねいていては小さな火の粉でも飛んでくるかもしれないと考えたミルザは、遅ればせながらアークとナビルを商行に同行させ、北部や東部の状況を探らせたのだが、これを収穫と呼ぶべきか呼ばざるべきか……。
ミルザのしかめられた額のシワはさらに深くなった。
「知られている者がいないだと……見当もつかないのか?」
「申し訳ありません。あまりにも隠密で、我々の手勢を放って探り出せたのは、東部に独立連合と呼ばれる者たちが地下で密かに活動しているという情報がすべてでした」
アークが深く頭を下げ、シェイク・ミルザに報告した。
「……手勢を放っても、分かったのはそれだけだというのか?」
「はい。独立連合の存在を突き止めただけでも大変なことでした。我々の手勢の戦力は、シェイクもよくご存知ではありませんか」
どれほど徹底的に機密が保たれているのか、自身が持つ諜報部隊を動員したにもかかわらず、分かったのはただ「東部にはコセン公国の独立のために密かに動いている者たちがいる」ということだけだった。
「徹底的かつ組織的なのだろう」
「そうでしょう。我々以外にこの事実を知っている者もいないはずです」
ナビルの言葉に、アークもやはり頷いて同調した。
「アウレリア公爵は気づきすらしていない確率が高いです。まあ、あえて教える理由もありませんが」
「当然だ。知っていたとしても、俺があいつに教えてやる義理などないしな」
いや、できればあのぶ厚いツラにはお目にかかりたくないミルザだった。
見ていると、欲望がベタベタとこびりついた不快な臭いがミルザの胃を刺激し、嘔吐を催しそうだった。
「そこまで隠密な組織なら、その組織を率いている人物が確実にいるということだが……疑わしい者すら一人もいないのか?」
「申し訳ありません。ルシネリ家の封臣の家門である可能性はあると見ておりますが、確実ではありません」
「封臣の家門? ヨハネスバーグ子爵家はまだ生き残っているのか?」
「それはないでしょう。何しろアウレリア公爵家が徹底的に瓦解させてしまったので、家門に残っている直系の存続は一人もいないはずですから。そうでなくても、ヨハネスバーグ子爵家だけでなくランド家もルーズ家も、すべて絶滅したも同然ですから」
コツン。
ミルザの指が肘掛けの丸みを帯びた部分を叩いた。
「最後まで抵抗した家門の名前だな。確かに、あれほど徹底的に滅門させておいては、その直系が生き残っていると見るのは難しいだろう」
「そうでしょう。おそらくその家門で働いていた食客の一人だろうという推測はできますが、あくまで推測に過ぎません」
かなり信憑性のあるナビルの推測だった。
ミルザもやはりその推測が妥当だと考え、何人か思い浮かぶ人物もいた。
その中で、ヨハネスバーグ子爵家の執事長だったプリンツという男のことを思い出した。
彼の仕事ぶりを長期間目をかけていたミルザは、家門が消滅して行き場を失った彼に巨額の金銭を提示してまで引き抜こうとしたが、彼はその提案を一刀両断に断った唯一の人物だった。
自分が直接出向いてまで説得しようとしたが、彼は自分が仕えていたヨハネスバーグ子爵の遺志を最後まで守り抜くという忠節を示し、それ以上説得することはできなかった。
そうだ、彼なら東部独立連合を率いる人物になってもおかしくないだろう。
早まった判断は禁物だったが、ミルザの勘は方向を定め、彼の動向を見守る必要があるという気がした。
「ヨハネスバーグ子爵家の執事長だった者、覚えているか?」
「ああ、我々の陣営に引き込もうとして失敗した、プリンツという者のことですか?」
「そうだ、そのプリンツだ。あいつが最近どこで何をして過ごしているのか、一度探らせてみろ」
「……シェイクは、あ者が有力だとお考えですか?」
ミルザの言葉をじっくりと反芻していたナビルが尋ねた。
「今は特に、あいつ以外に思い浮かぶ者がいない。それでも一度調べてみる価値はあると思うがな」
「なるほど。調べたとしても損をするわけではないと思います。私も彼の品行や人柄が特別に格別だったという印象を持っておりました」
「承知いたしました。諜報部隊に伝えておきます」
「では……その問題はこの辺で一旦整理することにして、そろそろ我がバカ息子についての話を少ししてみようか?」
緊張していた雰囲気が一瞬で緩み、ミルザは足を組み、上体を斜めにして背もたれに寄りかかった。
やれと言った授業はサボって外ばかり遊び歩くので、カイランというこのバカ息子を商行に無理やり押し込んだのだった。
もし、全く見込みがないのなら早々に後継者の座から引きずり下ろし、代わりにその座には親族の中でまともそうな奴を養子にして座らせる覚悟までしていた。
「今回の商行でカイランはどうだった?」
ミルザの質問に、ナビルとアークは困ったように互いの顔を見合わせた。
「これから俺がプレシア商団を信じて任せられそうだったか?」
「うーん……正直に申し上げてもよろしいでしょうか?」
「正直に言えとその席に座らせているのだ。隠したところで我がバカ息子の頭の中が空っぽだということは俺もよく分かっている事実だし、今更気づかせてくれなくても構わん。俺にとって重要なのは、あいつの器がどうだったかだからな」
互いの顔色をうかがっていた二人は、決心したようにナビルが先にミルザの前に出た。
「確かに、基本的な学問の知識は浅いですね」
「あいつが本を開いて勉強している姿を見たことがないから、当然だろう」
鼻で笑いながら、ミルザはナビルの評価に大して期待している様子ではなかった。
自分のバカ息子なのだから自分が一番よく分かっているという考えだったのか、ミルザは決心を固めているように見えた。
「だからといって、品性や考えが浅いわけではありませんでした」
意外な評価に、ミルザの耳がピクッと動いた。
「これまで街で見て聞いてきたことがあるのか、民に対する確固たる信念は持っておいででした」
「知略のようなことには確かに見識が不足しているのは事実ですが、剣術や体術はずば抜けて優れておられます。実際に商団に脅威があった時は、率先して前に出たりもされましたし」
ナビルに続き、アークも前に出てカイランについて厳しすぎない評価を下した。
だからといって甘いという意味では決してなく、二人ともカイランの知識が不足しているという点を指摘していた。
それなのに見込みがないわけではないという話に、ミルザの顔に微かな笑みが浮かび、すぐに消え去った。
「よかった。人間性まで腐っていたなら後継者をすげ替えなければならなかっただろうが、そんな苦労まではしなくても済みそうで。知識など、傍に良い参謀を置けばなんとかなるだろう」
「それについてですが、方法があるかもしれません」
ナビルの意外な答えに、ミルザは上体を起こし、まるで椅子からガバッと立ち上がりでもするかのように前かがみになった。
「方法? あのバカ息子に勉強させる方法があるというのか?」
勉強に関してはすでに半分諦めていたミルザだったが、ナビルの言葉に耳を疑った。
我が子が勉強できるようになる方法があると言われて、関心を持たない親がどこにいるだろうか。
公王としての体面もあるので顔には出せなかったが、ミルザはかろうじて落ち着きを保ちながら、ナビルに先を続けるよう切実な視線を送った。
「来る途中で、皇都で薬師をしているという薬師と少年一人に出会ったのですが……」
ナビルはルセテリとジアに出会ったことから、道中で共にしながらあった出来事、ジアとカイランの間にあった出来事などを余すところなくミルザに報告した。
話を聞いたミルザは、薬師とその弟子という子供に興味を持つのは当然だった。
「薬師だと?」
「普通の薬師のようには見えませんでした。剣術にも相当な素養があるのか、一瞬でカイラン若君を制圧して膝を突かせていましたよ」
アークはルセテリとカイランの手合わせという名の下で行われた、合法的な躾の場面を思い浮かべた。
「同年代はもちろん、大人でさえ敵う者がほとんどいなかった若君だったというのにです。その弟子だという子供も凄かったですね」
「その通りです。特に『プー』と言ったでしょうか……知識が相当なものに見えました。同年代だからか、若君がさらに悔しがっていらっしゃるご様子でしたし」
ナビルもまた、様々な本を読んで知識を披露していたジアを思い出し、恍惚とした表情を浮かべた。
めったに他人を褒めることのない二人だからこそ、ミルザの好奇心を刺激するには十分だった。
「そうか? その二人、一度会ってみたいものだな」
「よろしければ、薬師は若君の先生に、そしてその弟子は伴読(※身分の高い人の子供の学友)にするのはいかがでしょうか?」




