第69話 バカの夢
第68話 バカの夢
ガタゴト。
静かな沈黙の中、荷馬車の車輪がガタガタと鳴る音だけが聞こえていた。
ロトゥンウォルで乾燥メイズとチリパウダーを荷車に積んだ商団は、これ以上遅れることなくすぐに村を出発した。
村人たちはもう少し休んでいけばいいと商団を引き留めたが、先を急ぐという理由で副商団主のアカンが頑なに断った。
大慌てで荷物をまとめ、逃げるように村を出た商団の一行は、しばらくの間誰も口を開くことができなかった。
「……ロトゥンウォル子爵が早く帰ってくることを祈るしかないな」
「あの爺さん、首都で何か一仕事するって言ってなかったか?」
「まあな、あいつがいつ領地のことに気を使ったっていうんだ」
村から離れるのを待っていたかのように、商会の人々はヒソヒソと囁き合い始めた。
「ロトゥンウォル子爵の評判って……そんなに悪いの?」
ルセテリと一緒にベッシーに乗って進んでいたジアは、荷車に腰掛け、呆然とルセテリから視線を外せずにいるカイランに向かって尋ねた。
少し前、ルセテリとの手合わせで負けたことが相当なショックだったようだった。
アークがこっそり耳打ちしてくれたところによると、今まで手合わせで一度も負けたことがないらしい。
初めての敗北を経験したせいで、おそらく今は魂が抜けている状態なのだろうと……。
「ねえ! ロトゥンウォル子爵ってそんなに悪い奴なの!」
「あ?」
ボーッとしているカイランに向かって、ジアは大声で叫んだ。
まだ状況が掴めていないようだったが、それでも正気は取り戻したようなので、とりあえずそれで満足することにした。
「自分の領地も面倒見ない領主みたいだけど、どうしてこんなに気を使って援助してあげてるのかって聞いてるの」
いくら質の良いメイズだとはいえ、メイズはメイズだ。
せいぜい高く見積もっても、あの荷車一台分で10ペラもらえるかどうかの相場だというのに、商団はメイズ一荷車に100ペラも支払った。
メイズだけではなかった。
チリパウダーの場合は、10個の壺に2千ペラも支払ったのだ。
二つの品目を合わせて2千100ペラなら、焼け落ちた村の家をすべて建て直しても十分にお釣りがくる金額だった。
見方によっては、プレシア商団がロトゥンウォル子爵を援助しているとも十分考えられる問題だった。
「そりゃあ、あっちの土地が欲しいからだろ」
「土地? プレシア公国は領土を広げるつもりなの?」
「そういう意味じゃねーよ……。いや、面倒くせえのに何で広げるんだよ」
何を馬鹿なことを言っているんだとばかりに、カイランは呆れたような反応を見せた。
「大陸の覇者になるんでしょ」
「うん」
「……プレシア公国の勢力を広げて帝国に圧力をかけるって意味じゃないの?」
「はあ? 面倒くせえ……何のために?」
「ロトゥンウォル子爵をそそのかして協力させて、帝国を討つ計画じゃなかったの?」
ジアの言葉に、カイランは途端に面倒くさそうな顔になり、手をブンブンと振った。
「俺はこのプレシア商団を帝国一にする覇者になりたいんだよ!」
……あ、そういうこと?
それにしては言葉の選び方に少し問題があるように見えるけど。
カイランを見つめるジアの目が細くなった。
「……戻りましたら、シェイク様にカイラン様の読書量を少し増やすようご相談しなければなりませんね」
ほとんど諦めたように深いため息をつき、ナビルが頭が痛いというように指で片方の額をギューッと押さえた。
「そう、覇者ってそういう意味だったのね」
「だろ、かっこいいだろ?」
見せつけるようにルセテリにボコボコにされてしょげていたカイランはどこへ行ったのか、すぐさま立ち直ったかのように意気揚々とした姿になっていた。
どうやらカイランの言う覇者とは、帝国を制覇する覇者ではなく、ボロ雑巾のように打ち負かされる「敗者(※韓国語で覇者と敗者は同音異義語)」の方に近く見えた。
あんなに調子に乗ってたら、またルセテリ様にボコボコにされそうだけど。
「そうだな、俺はお前をまだ叩き足りなかったようだな」
「ヒック!」
鋭く冷ややかなルセテリの脅迫めいた低い声に慌てて口を塞いだが、隠しきれないしゃっくりがそのまま漏れ出た。
「おそらくカイラン様が言いたいのは、ロトゥンウォル子爵を援助するのではなく、ロトゥンウォルの村の未来に対して投資をするという、そういうことだと思いますよ」
会話を聞いていたアークが見かねて口を挟んだ。
「未来への投資? 品物の代金を高く支払うことがですか?」
「うーん、私の口下手ではどう説明したらいいかよく分かりませんが」
アークは頭を掻きながら、適当な説明をするために頭を絞った。
「火田については、お二人ともよくご存知ですよね?」
ジアとルセテリが同時に頷いた。
火田とはロトゥンウォルで見たように、収穫を終えた畑に火を放って地力を回復させることを言う。
時折火が手のつけられないほど大きくなり、村を焼き尽くすことも多々あったが、この方法ほど地力を回復させるのに良い方法はなかった。
だからこそ危険を冒してでも、ロトゥンウォルの人々は畑に火を放つしかなかったのだ。
「ほとんどの領地では現在、火田を禁止しています。それこそ火を一つ間違えれば、その被害が想像を絶するものになるからです。火田が良いとは分かっていても、簡単に扱える方法でない以上危険度が大きいため、領主たちにとっては毎回かかる費用が惜しいのです」
「それとロトゥンウォル子爵と何の関係があるんだ?」
「ロトゥンウォル子爵は、自分の領地に全く関心がないですからね」
「あ、私がもっと詳しくご説明いたします」
鼻筋を滑り落ちる眼鏡を指で押し上げながら、ナビルが前に出た。
「基本的にロトゥンウォル子爵は、自分の領民が何をしようと大して関心を持ちません。特別に領主の金を注ぎ込んで村を改善したり発展させたりすることに興味はなく、ただ税金を取り立てることにしか汲々としていません」
「ああ、典型的な無能な領主像ね」
「はい、まさにそれです」
ジアの阿吽の呼吸の答えに、ナビルは機嫌が良くなり始めた。
「ですから村がどうなろうとハナから関心すらないので、我々が村のために何かをしたとしても何も感じないでしょう」
「でも、それとカイランが言った覇者と何の関係があるんですか?」
ジアはナビルが言う言葉の意味がよく理解できないというように、首を左右に傾げた。
「チリという作物はですね、非常に生長条件が厳しい植物なのです。土地もそうですが、気候条件もこの上なく厳しいのですよ。暑すぎてもダメで、寒すぎる場所もダメで、風は必要ですが強すぎるとすぐに病気にかかってしまい、非常に厄介な代物なのです」
「そうだ。だからチリは中南部の一部地域でしか育てられないんだ」
我慢できないというように、不意にカイランがナビルの説明に割り込んできた。
「そして俺が目をつけた地域が、まさにこのロトゥンウォルってわけだ」
まるで褒められるのを待っている子犬のようにカイランは両目を輝かせ、その重苦しい両の眼差しはルセテリへと向けられていた。
その視線にルセテリはビクッと体を震わせ、わざとベッシーを荷馬車からゆっくりと遠ざけることまでした。
「チリってそこまでして投資する価値がある作物なの?」
「さっきお前も食べてみて分かっただろ? 一度味を占めたら、やめるのは難しいぜ?」
確かに、たった一口食べてみただけなのに、不思議なほどあのヒリヒリとした辛さがずっと忘れられず、食べたくなっていた。
まさか、怪しい麻薬のような類ではないわよね?
「あ、プーが考えているようなそういう種類の薬じゃないぞ。ただ辛味を出す植物だ」
いつの間にかジアの考えを読んでいたのか、カイランの代わりにナビルが素早く答えてくれた。
そういう類の薬の成分ではないと聞いて、とりあえず安心した。
「そうですね。簡単に忘れられる味ではありません」
「このチリパウダーが帝国に広まれば、多くの人が求めるだろ? そしたらチリの人気が広まって、それを買おうとする人は増えるだろう。でも育てる条件が厳しいから、いくつかの地域でしか取れないだろ? そしたら絶対に先に独占した方が勝つってわけだ」
カイランが最後まで説明を終えると、ジアはなぜだかカイランが違って見え始めた。
完全なバカな放蕩息子ってわけじゃなかったのね?
今のカイランには少し失礼な言葉になるかもしれないが、実はジアにとってのカイランの第一印象とは、頭は空っぽの肉体派のバカ息子?
まさにそんなイメージだったため、今の姿は非常に見慣れないものだった。
「おたくの若君、完全な白痴ってわけじゃないみたいだな?」
カイランの言葉を聞いていたルセテリが、ナビルの耳元で静かに囁くほどだった。
「はぁ、もしあのような姿さえ見せてくれなかったなら、私は本当に逃げ出していたところですよ」
深いため息をつくナビルの瞳から、ルセテリはカイランに対する彼の愛情を読み取ることができた。
口ではチクチクと言ってカイランを叱ってばかりいたが、その中にはカイランを大切に思っているナビルの心が込められていた。
[こういうのも、あいつの福(運)だな]
[私もバカだと思っていましたが、意外ですね]
ベッシーまで、カイランの意外に賢そうな頭脳を褒め称え始めた。
「間違った言葉じゃないわね」
「だろ?」
カイランがジアに向かってニヤリと笑ってみせた。
「これから俺はこのプレシア商団で大陸を制覇する身になるんだ。そういう意味では覇者で合ってるだろ」
奇妙な論理だったが、その通りだった。
大陸の商圏を一手で握りしめる覇者。
「夢が大きいね?」
「男に生まれたからには、夢もこれくらい大きく持たないとな?」
隠すことなく自身の抱負を語るカイランの顔は、キラキラと輝いていた。
思わず何度も見てしまうその自信に、ジアは密かに羨ましくもあった。
自分はただ一介の皇宮の中でどうやって生き残るかについて戦々恐々としている間に、同じ年頃のカイランは大陸へ向けた夢を見ていたのだから。
夢のスケールが違うじゃない。
再び人知れず、ジアは自分の唇をギリギリと噛み締めていた。




