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第68話 天才の壁

すでにそちらへ攻撃してくると予想していたルセテリの木剣が、飛んでくるカイランの木剣を防いだ。

コツンと、力がこもっているようにも見えないルセテリの木剣だったが、阻まれたカイランは一歩後ろへ押し出された。


「くっ!」


まるで硬い岩にでもぶつかったような感覚だった。

後ろへ押し出されたカイランの唇の間から、うめき声が漏れた。


「なかなか悪くない最初の一撃だったぞ」


全く力を入れていないかのようなルセテリの顔は、平穏そのものだった。


カイランは悔しかった。

それなりに隙を突いて攻撃したつもりだったが、通用しなかったのが残念だった。

一寸の乱れもない完璧なルセテリの構えに、カイランは正攻法で攻略するのは不可能だと悟ったからだ。

まさにこんな時のために身につけておいた、ストリートファイト(喧嘩)の戦法だ。


カイランは舌をペロッと出すと、最大限動きを大きく保ったまま姿勢を低くした。

地面に平伏したかのように見える姿勢に、ルセテリの両目が糸のように細くなった。


カイランがどんな手を使おうと、どうせルセテリの掌の上を抜け出すことはできないだろう。

何を企んでいるのか透けて見える行動に、ルセテリは少しばかり悩んだ。


分かっていてやられてやるか、それとも徹底的に踏み躙ってやるか。

あるいはあれこれ全て面倒だから、一網打尽に吹き飛ばしてしまおうか。


簡単には決められずにいるルセテリに向かって、カイランが地面を蹴って飛び上がり、木剣を持っていない左側へ向けて体を飛ばした。

突然の奇襲に備えていなかったわけではないが、なかなか鋭く突っ込んでくるカイランに、ルセテリは急いで木剣を持ち替えた。


「チッ!」


飛び出しながら足で土を払い、わざと土埃まで起こして攻撃を仕掛けたのに、通用しなかったためカイランは不満を露わにした。

自分では会心の攻撃のつもりだったようだが、ルセテリには全く通用しなかった。


『ほう、こいつ?』


ルセテリの眉尻がピクッと動いた。

手合わせという名の下で行われている躾の現場であったが、何か条件や規則を定めていたわけではないので反則ではなかった。

反則ではなかったが、ルセテリの神経を逆撫でしたことは紛れもない事実だった。

適当に相手をして打ち負かせばいいだろうという安易な考えで木剣を振るっていたが、少しばかり本気を出しても構わないような気がしてきた。


下へ垂らした剣から、目につかないほどの微かな白い煙がモヤモヤと立ち昇った。


[ルッ様!!]


驚いたジアがルセテリを呼んだ。

10歳の子供相手に本気を出すとは思っていなかったが、剣気だなんて!

ジアとしては肝を冷やすには十分だった。


[大丈夫、大丈夫。ただのお試しみたいなもんだから]


ニッコリと余裕の笑みまで浮かべてみせたが、その隙を見逃すまいと飛びかかってくるカイランの攻撃に、ルセテリは素早く剣を振り上げずにはいられなかった。

カキィン! と木剣からは絶対に出ないような音が鳴り、歯を食いしばって飛びかかったカイランはルセテリの剣とぶつかって後ろへと弾き飛ばされた。


木剣をへし折る覚悟で飛びかかったが、今回もやはりルセテリの剣の前に阻まれると、体を捻って脇腹に蹴りを放った。

帝国剣法では絶対に出てこない、実戦の喧嘩殺法だった。

素早く反対の手で脇腹に攻撃を仕掛けてきたカイランの足首を掴み、空中に投げ飛ばしていなければ、まともに入っていた攻撃だった。


「今のはなかなかスパイシーだな?」

「ふっ、これでもストリートじゃちょっとは名を馳せたんだぜ」


それが自慢?

ナビルは偏頭痛でも起きたのか左の額がズキズキするようで、指で額を押さえながら顔をしかめた。


[まさか、本気で手合わせするつもりじゃないよね?]


二人の手合わせを見守りながら、ジアが静かに竜言を飛ばした。

まさかとは思ったが、なんだか不意にルセテリの本気が出てしまうのではないかと心配になったからだ。


[本気だからってなんだ。心配しなくても、むやみに殺したりはしないつもりだ。少し本気が混ざるかもしれないが]


……殺す気もあるんだね。


ジアは無言でカイランの冥福を祈ってあげた。


「よそ見する余裕があるみたいだな?」


いつの間にか後ろに弾き飛ばされていたカイランがルセテリの目の前に跳び上がり、彼の頭に向けて木剣を振り下ろそうとしていた。

瞬間的に戸惑ったルセテリが振り下ろされる木剣を避けて体を翻したが、木剣は正確にルセテリの右肩に食い込んできた。


「うっ!」


痛くて漏らしたうめき声ではなかった。

慌てたルセテリの口から反射的に出た声に過ぎないと、後になってルセテリは弁解したが、最後までジアは信じてくれなかった。


「よしっ、一本!」


有頂天になったカイランが歓声を上げた。


「見たか? 俺の実力が嘘じゃないってこと」


上機嫌なカイランの後ろに、恐ろしいほど怒り狂ったルセテリの顔が浮かび上がった。

アークでさえ体をブルブルと震わせるほどの恐怖感が押し寄せてきたが、カイランは少しの恐怖も感じていないようだった。

木剣を振り上げて無邪気に笑っているだけだった。


「いいだろう。なら、いっちょ本気を出してみるか?」


ギリギリと歯を軋ませる音が、ジアにまで聞こえてくるような錯覚さえ覚えた。


「最初からそうすりゃよかったんだよ」


未だに事態を把握できていないカイランが、ニヤリと笑って剣を構え直した。


「ああ、謝ろう。昔から『長短は比べてみなければ分からない(勝負は時の運)』とは言うが、少し油断していたようだな」

「少し? だいぶ油断してたんじゃないのか?」


一度の攻撃に成功したからといって、カイランは得意満面にルセテリを見下し始めた。

この先どんな災いが降りかかるかも知らずに。


「いいだろう。認めるべきは認めよう。だが、次はないぞ」

「望むところだ」


自信満々に木剣を振り回すカイランに、ジアはチッチッと舌打ちをした。

虎の前の仔犬(身の程知らず)とはよく言ったもので、カイランがまさにその状態だった。


[お止めにならないのですか?]

[私がなんで?]

[あのままだとあの男の子、本当に死んでしまったらどうするんですか?]

[適当に手加減してくれるでしょ]


ルセテリの気迫にベッシーが心配になったのか、ブルルと鼻息を鳴らしながらジアに近づいてきた。


[それで、ただ見守るだけにするおつもりですか?]


ルセテリが本気を出すとどうなるかを知っているベッシーは、カイランという奴が非常に心配だった。

少なくともどこか一箇所以上は無事では済まないか、命が危うくなるという事実を知っていた。

なぜだかカイランという奴のことはベッシーは好きではなかったが、悪い奴には見えなくて気になっていたのだ。


[心配しなくてもいいよ。よく見てな]


言葉が終わるや否や、本気を込めたルセテリの木剣がカイランの木剣を瞬く間に粉砕し、ひんやりとした木剣の切っ先をカイランの首元に突きつけていた。

何が起きたのかカイランが認知すらする前に、尻餅をついて地面にへたり込んだカイランは呆然とした表情だった。

あまりにも一瞬の出来事だったため、アークでさえすぐには反応できなかった。


「それで、誰が油断したって?」

「ア、ハ、ハ」


理解できないような感嘆の声がカイランの口から漏れた。


「調子に乗るなよ、青二才。お前が優れているからといって、お前より優れた奴がいないとは限らないんだからな」


カイランは呆気に取られた。

薬師だと言っていたのに……。

薬師の基本素養の中に剣術でもあるかのように、これまで一度も負けた歴史がなかったカイランにとって、ただの通りすがりのしがない薬師だと言っていたルセテリに負けてしまった。

序盤に有効打を一つ食らわせたのを除けば、どうやられたのかも分からないまま、すでに負けて地面を転がっていた。


「帝国の薬師たちは、みんなあんたみたいなの?」


もしそうだとしたら、それはそれで大問題だった。

カイランの唇がカラカラに乾き、ルセテリの答えを待った。


「何を言ってるんだ。そんなわけあるか」

「じゃあ、あんたが特別だってこと?」

「俺が特別なのは当然のことだろ」

「ル先生!」


素早くジアが二人の間に割って入った。

もう少し遅れていたら、ルセテリが失言しそうだったからだ。

ジアがしゃしゃり出ると、ルセテリはしまったという表情を浮かべた。


「とにかく勝負はついたんだからこの辺にしておいて、罰ゲームは後で決めることにしましょう」

「そうだな。カイラン若君の負けだ。手合わせの約束通りル先生に負けたんだから、ル先生の言うことに従わないとな?」


ジアの介入に我に返ったアークも駆け寄り、カイランをルセテリから引き離した。

ジアがいなければ、カイランは今頃目をキラキラさせて、もう一度手合わせしたいと飛びかかりそうな勢いだった。

アークまで加わったせいで、カイランは残念そうに舌なめずりをしながら引き下がるしかなかった。


「分かったよ。俺が全部悪かったよ」


両手をすくめて悪かったと認めるその態度はあまり気に入らなかったが、少なくともアウレリア公爵のバカ息子、ジェレミアよりはマシだった。


「じゃあこれから、ル先生の言うことには無条件に従うのよね?」


そういう条件をつけた手合わせではなかったが、カイランの性格上100パーセント肯定するだろうと考えたジアは、ルセテリが口を開く前に先手を打った。


「ああ。そうするよ」


両手を頭の後ろで組みながら、カイランはチラリとジアを見て答えた。

名残惜しそうな様子ではあったが、未練はなさそうだった。


[あの若君が死ななくてよかったです]

[あんたはそれが心配だったの?]

[本当ですね。どうしてユニコーンである私が、男の人間なんかに気を揉んでいるのか分かりません]


そうだよね。

純潔な乙女しか乗せないというユニコーンなのに、世界の大行者であるドラゴン・ルセテリはさておき、カイランに関心を持つベッシーの姿がとても奇妙だった。

ジェレミアがベッシーの背中に乗った時は、振り落として足を折る騒動まで起こしたベッシーだったのに。


何が違うんだろう?

人差し指を立てて口元に持っていったジアの首が、コテンと傾いた。

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