第66話 メイズの食べ方
「ブフォッ! な、なんだって?」
瞬間、ジアは聞き間違えたかと思った。
予想外のカイランの言葉に、ジアは口いっぱいに頬張っていたメイズの粒を吹き出してしまった。
粒はジアの口から飛び出してカイランの顔に向かって飛んでいき、そのうちの一部はカイランの顔にペタペタと張り付いてしまった。
突然思いがけないメイズの雨を浴びたカイランは、ゆっくりとポケットからハンカチを取り出して顔を拭いた。
ハンカチで顔を拭くカイランの表情は、良く言っても腐りきっていた。
「あ、えっと……ご、ごめん」
かなりムカつく奴とはいえ、メイズ爆弾、それも他人の口の中に入っていたもので雨あられと浴びせられたのだから、気分が良いはずがなかった。
「いいよ。洗えば済むことだ」
サッと瞬く間に顔に張り付いたメイズをすべて払い落としたカイランは、何事もなかったかのように顔をしかめていたのを元に戻したが、残念ながら眉毛の横に一つ、頬っぺたに一つ、そして最後に顎の下に一つ張り付いたメイズの粒はそのままだった。
「まあ、お前がどうしても言いたくないって言うなら俺には関係ないことだから、もういい」
いや、だからそういう顔で必死にかっこつけてキメてみせてもさ……。
教えてあげるべき?
ジアはためらうように指をもじもじと動かした。
それにしても不思議だった。
間違いなくルセテリの魔法は完璧で、誰にも気づかれないはずなのに、魔法が解けたわけでもないのにどうして見破ることができたのか、ジアには理解できなかった。
[ほう、真実を見通す目か……本当にあったんだな?]
両手に一つずつメイズを持ってムシャムシャと食べていたルセテリが、不思議そうな眼差しでカイランの目をまじまじと観察していた。
[真実を見通す目ですか?]
[ああ、あの目の持ち主には魔法だろうが何だろうが嘘が通じないようになっているんだ。あの目の前ではすべてが真実の姿でしか見えないからな。実際に見るのは初めてだな]
ルセテリの説明にも、ジアは戸惑って理解できなかった。
世界の大行者、女神の使いであるドラゴンの魔法が通じない相手だなんて……あり得るの?
なかなか納得がいかないのか、ジアの首が傾いた。
あっという間に両手にいっぱい持っていたメイズを平らげると、何が気に入らなかったのかひどく顔をしかめたルセテリがカイランに近づき、その前にピタッと立ち止まった。
「チッ、なんで俺が……」
未だにしっかりとカイランの顔に張り付いているメイズに少しでも触れないように、ブルブルと震えながら一つ一つ指でつまみ取った。
なぜだか分からないが、ジアがカイランの顔に張り付いたメイズの粒を取ってやる姿を想像すると、腹の虫が治まらなかった。
だから無意識のうちにカイランに近づき、こんな気乗りしないことをしている自分が、ルセテリには理解できなかった。
「な、なんだよ!」
カイランも驚いたのは同じだった。
ルセテリの指が顔に触れるのを感じるや否や、慌てて後ずさりして逃げながら叫んだ。
「拭くならちゃんと拭けよ。くっつけておいて、あとでお腹が空いた時に食べようとでも残しておいたのか?」
「な、何の関係があるんだよ。みっともない……」
「まだほんのガキのくせに、みっともないとは何だ。お前みたいに手のかかる奴は初めてだぞ?」
後ずさりしながら自分から逃げようとするカイランを見るルセテリの表情は、半分は面倒くさそうに、そして残りの半分は好奇心でカイランをじっくりと観察した。
ソラレティ様から聞いただけで、実際に目にするのは初めてだったので不思議だったのだ。
「全くそんな風には見えないのが特異だな」
なるほど、だから自信満々で頭の中は空っぽでもいつも明るいのか。
[聖君になる資質か……]
[え? あいつがですか?]
戸惑ったのか、ジアが指でカイランを指差しながら口をパクパクさせた。
ルセテリはふと、ソラレティから聞いた話を思い出した。
ソラレティが初めて人間の世界に遊戯(お忍び)に出た時、出会った3人の友人たち。
彼らにソラレティは、別れる時に一つずつ贈り物をしたと言っていた。
一人の友人にはドラゴンと友達だったという証を、もう一人の友人にはすべての真実を見抜く眼力を、そして最後の友人には永遠に友達でいるという約束を……。
そしてそのすべての後始末を自分が押し付けられたような面倒くささが、ルセテリを襲った。
「俺はそういう趣味じゃないからな?」
胸を両腕で抱え込んで隠そうとするカイランを見て、ルセテリは深いため息をつきながら髪をくしゃくしゃに掻き回した。
「俺も年下には興味ない。それに俺の好みでもないし」
「ヒッ……」
周囲にいたすべての男たちが、こそこそとルセテリの顔色をうかがいながら一歩ずつ後ずさりした。
そういう意味じゃないんだってば……しかし、また言い訳するのも面倒だった。
ああ、もう知らない。
「もういい。チッ」
答える代わりに、ルセテリは短く舌打ちをすることで済ませた。
「みんな無駄にそんなことしてないで、メイズでも食べないか?」
大きな鍋を運んでいたアークが、その様子を見守ってから通り過ぎざまに一言投げかけた。
アークが運んでいる鍋には、茹でたてのメイズがホカホカと湯気を立てていっぱいに入っていた。
「ちなみに、メイズってやつは収穫したてが一番美味いんだ」
アークが運んでいた鍋を下ろすや否や、人々がドヤドヤと群がり、それぞれ手にメイズを一つずつ掴み取った。
ジアとルセテリも人々に混ざって茹でたメイズを手に取り、湯気を立てている外側の皮を剥いた。
白っぽく黄色い中身が、プリプリとガラス玉のように輝いていた。
「こいつは沸騰したお湯に塩とテンサイを入れて茹でたものだから、味がさっぱりしているはずだ」
木の枝二本をトングのように使ってメイズをすくい上げ、人々に配りながらアカンがジアとルセテリに説明してくれた。
「それに、村のことは気にしなくても大丈夫です。ここのメイズは我々が十分な値段で買い取ることにし、別途村の再建に必要な道具を提供することにしましたから」
おお、それならもう少し軽い気持ちで……という考えで、さりげなくルセテリはメイズをもう一つ取り出そうとして、ジアの目とバッチリ目が合った。
鋭い眼差しでルセテリの行動を注視しているその目から逃れることはできず、残念ながらルセテリはそっとメイズを元の場所に戻した。
「村を再建するのに必要な物品を提供するのですか? 良いことをなさいますね」
気まずくなったルセテリは、無駄にアークに社交辞令混じりの称賛を並べ立て始めた。
「良いことだなんて。これはすべてお互いに豊かに暮らすための相互扶助ですよ」
「いくらそうだとしても、簡単なことではないでしょう」
「未来のための投資ですよ。我々の商団主であらせられるシェイク・ミルザ様のお考えでもありますし」
「未来のための投資?」
「はい、そのようにおっしゃっていました」
「帝国中南部の中でも土地が比較的肥沃で、作物を育てるのに適しているここが良い投資先だとおっしゃっていました」
ゲッソリとした顔でナビルが会話に不意に割って入ってきた。
彼は鍋の中に残っていたメイズを一つ取り出し、皮を剥きながら説明を続けた。
「メイズは地力を削ぎますが、比較的育てやすい作物です。チリは栽培するには気候条件が厳しく、雨も適度に降らなければなりませんが、暑すぎても寒すぎてもならず、土壌も肥沃でなければならないんです。意外と栽培が難しい作物なんですよ」
説明を終えたナビルがメイズをガブッと口に頬張り、モグモグと噛んだ。
「チリ? そんなに重要な作物なのか?」
「帝国から来られたのなら、ご存知ないかもしれませんね。南部では重要な香辛料の一つとして数えられているんですよ。そのまま料理に入れて食べたり、赤く熟したものを乾燥させて粉末にして辛味を出すのに使ったりと、重要な作物の一つなんです。これが意外と中毒になるとやめられない味なんですよ」
「ああ、そうです。もう辛味なしでは生きていけません」
茹でたメイズを一鍋すべて配り終えたアークは、今度は焚き火の上に乗せた鉄板でメイズを焼き始めた。
先ほど最初に食べたギーバターに塩を振りかけたものとガラムマサラを振りかけたもの以外にも、アークは赤い粉が入った調味料の容器を取り出し、ギーバターと一緒に振りかけてこんがりと焼き上げていた。
「この赤い粉がチリで作った粉です」
アークがルセテリに調味料の容器を差し出し、中に入っているものを見せてくれた。
容器の中には、真っ赤な粉が他の調味料と一緒に混ざっていた。
「匂いも一度嗅いでみてください」
ルセテリはアークから調味料の容器を受け取り、鼻を近づけてクンクンと嗅いだ。
ビリビリと刺激するような感覚が鼻の奥をくすぐった。
「フ……ハックション!」
幸いルセテリがくしゃみをする前に素早くアークが調味料の容器の蓋を閉めたため、粉が四方八方に舞い散る惨事は防ぐことができた。
「か、辛いですね」
ルセテリが鼻をすすった。
帝国で辛味と言えば胡椒やマスタードと呼ばれるポリアを指すが、あのようなツンとくる辛味とは明らかに違った。
チリパウダーが鼻をチクチクと刺激するだけでなく、ごく小さな粉が鼻の奥の粘膜に触れてヒリヒリと熱を帯びるほどだった。
「これが本当に厄介な代物なんですよ。一度召し上がってみてください。ル先生は初めてなので、あまり振りかけていません」
アークが不意にルセテリの目の前に、赤い粉がまばらに振りかけられたメイズを突き出した。
香ばしいバターの匂いに刺激的な辛味がパチパチと吹き上がり、食いしん坊のルセテリでさえも容易に手を伸ばしてそのメイズを掴むには勇気が必要だった。
微かに震える指で、ルセテリはアークが差し出したメイズを受け取った。
ツヤツヤと輝くメイズに、アークの言う通り赤い粉は本当にまばらにしか振りかけられていなかった。
大丈夫だ、と催眠をかけながら両目をギュッとつむったルセテリは、メイズをガブッと、大きく一口かじった。
「うわあっ! み、水!!」




