第63話 ロトゥンウォルと火田民
「良い君主……?」
「そう。お前が考える良い君主像ってのがあるだろ? お前が考える良い君主ってのはどんな君主だ?」
唐突なカイランの真剣な質問に、ジアは言葉に詰まってしまった。
これまで読んできた数多くの本、ルセテリの教え、父親であるジョゼフの言葉……そのどれを組み合わせたとしても、簡単に答えを出せる問題ではなかった。
もしかすると、カイランが言った「誰も飢えさせず、そして彼らの陰となってくれる君主」というのが最も正確な正解なのかもしれない。
「はぁ、そうね……あんたが言った通り、あんたの下にいる人たちが心配しないようにさせるのが君主でしょうね」
諦めたようなジアの答えに、カイランは得意げになった。
[最初から答えのある質問ではないじゃありませんか。私はジア皇女様のお考えも正解だと思いますよ]
これまでずっと口を閉ざしたまま商団について歩いていたベッシーが、ジアに話しかけた。
[そうだな。特に正解が決まっているわけではない。状況によって良い君主像というのは変わるものだ]
[パパが良い君主じゃないってことくらいは分かってる。でも、私にとっては良いパパだもん]
[悲しいことだがそうだな。父親という立場と君主が持つ立場は違うからな]
ついさっきまでカイランの言葉にいちいち反論して噛み付いていたジアが、突然口を固く閉ざして表情を硬くすると、カイランは密かにその様子が気になった。
「なんだよ? 急に?」
「何がよ。馬鹿に聞いた私が間違ってたわ」
馬鹿という言葉に密かにプライドを傷つけられたカイランが、大声で怒鳴った。
「馬鹿じゃねーよ!」
「まだ九九も言えないんだから馬鹿でしょ」
「うるさいです。もうそろそろロトゥンウォルに着きますから、カイラン様は口を閉じて静かにしていてください」
おお、強い。
ルセテリは低く口笛を吹きながら、ナビルの方へ顔を向けた。
丸い眼鏡を指で押し上げながらピシャリと言い放つ、意外にも芯の強い姿にルセテリは驚いた。
ただ大人しそうで力も弱そうな顔をしていて、カイランに振り回されてばかりいるのかと思っていたが、そうではなかった。
[やる時はやる先生みたいですね]
[そうだな。驚いた]
[それにしても、さっきから前の方で焦げ臭い匂いが充満しているんですが、大丈夫なんでしょうか?]
ベッシーの言葉に、ルセテリは足を止めた。
「焦げ臭い匂い?」
「どうされましたか?」
突然立ち止まったルセテリの様子に異変を感じたアークが近づいてきた。
「焦げ臭い匂い……間違いなく焦げ臭い匂いがする」
ベッシーの言葉を聞いたルセテリが鼻をクンクンとさせながら、空気中を漂う火炎粒子の匂いを嗅ぎ分けた。
ただの焚き火を燃やすようなレベルの焦げ臭さではなかった。
広大な野原を数百ヘクタールも焼き払ったかのような、煙たい匂いが広がっていた。
「お前ら、この匂い分からないか?」
荷馬車から突然カイランが飛び起きた。
頭が悪い代わりに動物的な第六感でも生まれ持っているのか、ほとんど犬レベルの嗅覚だった。
「匂いですか?」
「この一帯が焦げ臭い匂いでいっぱいだぞ」
「ああ、もしかしてあれじゃないですか? この時期ならメイズを収穫し終わって、畑に火を放つ時期ですよ」
カイランの騒ぎっぷりにナビルまで荷馬車から降りてきて、火田について説明する準備をしようとした。
「いや、そんなレベルの……」
他のことはともかく、動物に匹敵するカイランの本能的な感覚だけは優れているという事実を認めているナビルも、荷馬車から降りて匂いを嗅ぎ始めた。
ナビルの鼻先にも、乾いた草の葉が燃えるカラメル臭ではなく、木と土が燃える煙たい匂いが風に乗って吹いてきた。
「確かに、畑に火を放っただけの匂いではなさそうですね」
「じゃあ、領地に火事でも起きたってことじゃないのか? 早く行ってみなきゃならないんじゃないか?」
アークは馬首を巡らし、急いで駆け出す準備をした。
「もう手遅れじゃないでしょうか?」
ルセテリは淡々とした表情で言った。
すでに匂いは、火ですべて燃え尽きてしまった灰の匂いがした。
少なくとも、今日火事になったわけではない。
「それでも早く行って、助けられることがあれば助けなきゃならないだろ!」
アークは急いで馬を走らせ、先頭を切って駆け出し始めた。
商団の行列もその後について急いで追いかけるのに忙しくなり、ルセテリとジアだけがベッシーの上に取り残されてゆっくりと動いていた。
村の入り口に入った瞬間から、一面を灰に覆われた煙たい煤と煙が息の根を締め付けてきた。
火消しに疲れ果てた兵士たちは、商団を見ても微動だにしなかった。
それがルセテリとジアにとっては幸運だったと考えるべきか、何の検問も受けずに無事に村の中に入ることができた。
村はすでに村と呼ぶのも無惨なほどに焼け落ちた残骸で、修羅場と化していた。
燃え盛る炎は収まって見えなかったが、あちこちに突き出た残骸の中にまだ熱を帯びた熱気が感じられるところを見ると、まだ完全に消火しきれてはいないようだった。
顔が真っ黒になった小さな子供たちが、焼け落ちた家の前で目をこすりながら泣いて立っているのも目に入った。
「悲惨だな」
「村の半分が火事で燃えてなくなってしまったようですね?」
アカンは慣れた様子で足早に村の中央へと向かった。
そこには腰の曲がった一人の老人が杖を頼りに、ただ虚ろに焼け落ちた家の跡地を見つめていた。
「どうしたのですか? なぜ村がこんなに燃えてしまったのですか?」
老人はアークを発見すると一瞬顔が明るくなったように見えたが、すぐにすべてを失ったように虚ろな表情に戻った。
「メイズを全部収穫し終わった後だったんじゃよ。いつものように豆を植える前に火を放って、土地を肥沃にしようとしてな」
ジアも本で読んだことがあった。
土地の地力を高めるために、作物を植える前に畑に火を放って肥沃にする「火田農法」というものがあると。
最も手軽に土地の地力を回復させる方法でもあるが、同時に注意しなければあっという間に大火事になりかねないという欠点があった。
今のここのように。
「全部燃えてしまったんですね」
「残らず燃えてしまったよ」
すべてを諦めたような老人の答えが聞こえてきた。
「村に怪我をした住民はいないか?」
短い間に、カイランはすでに村を一周して戻ってきていた。
「幸い、女神様が見守ってくださったおかげか、誰も怪我をした者はおらんよ」
[ちぇっ、その女神様とやらが一体何を……]
[なんて不敬なことをおっしゃるつもりですか]
[いや、そうじゃないか。何をしたわけでもないのに、タダで手柄を横取りするなんて]
[そんなことおっしゃっていると天罰が下りますよ]
[俺に? そんなはずあるか?]
厚かましいルセテリの態度に、ベッシーまでもがブルルとため息をついた。
確かに、世界の大行者をやれと命じた女神様が、その大行者に罰を下すとは思えなかった。
「それならよかった。壊れたものはまた建て直せばいいんだから、あんまり心配するなよ」
思ったより細かく気を配るカイランの言葉にも、老人の顔色は全く明るくなる気配がなかった。
「何だ? どうしたんだ?」
「村を再建するには領主様に来ていただかねばならんのだが……まだ何の知らせもないのじゃ」
「あのロトゥンウォル子爵なら、やりかねない奴ではあるな」
カイランはまるでロトゥンウォル子爵に会ったことがあるかのようだった。
そしてその評価は、まるで人間以下のゴミでも見るかのような表情だった。
「それでも、皆様が来てくださってよかった。収穫物の倉庫は無事じゃったから、今回収穫した作物を売ればいくらか足しになるじゃろう」
老人は無理やり唇を引き上げて笑みを作った。
「もしかして怪我をした者はいないか? 今回の商行には薬師の先生も同行しておられるから、必要なら助けを求めなさい」
副商会主であるアカンも、焼け落ちた村を一周して戻ってきたところだったようだ。
チラリとルセテリに視線を送って頷くと、老人の手を握って優しく叩いた。
「ああ、お言葉だけでもありがたい。そういえば、火消しをしていた村の者の中で何人か軽い火傷を負ったようじゃが。それ以外は皆無事なようじゃ」
「それならよかったが……」
「火傷に効く薬草のようなものをお持ちなら、少し分けていただければ十分じゃ」
老人の言葉に、ジアはごそごそと斜めがけしていた大きな鞄を開けて中をかき回した。
軽い火傷に効く、ラベンデュラで作った軟膏を常備薬として間違いなく持ち歩いていたはずだ。
ラベンデュラの花と葉をすり潰し、植物の種から搾った油に入れて抽出したオイルを蜜蝋と混ぜて作ったもので、火傷による熱を冷まし、傷もすぐに治癒させる効果があるものだった。
いくつか作っておいたため、ジアは手当たり次第に軟膏の容器を老人に差し出した。
「火傷に効く軟膏です。怪我をしたところにこまめに塗れば、傷跡も残らずによく効くはずですよ」
「おお、これはこれは。ありがたいことじゃ」
老人はジアの手をガシッと握った。
長年の労働で荒れた手だったが、老人の手は温かかった。
自分にできることはこんな小さなことしかないのだということに、ジアは胸の片隅がチクッと痛んだ。
父親であるジョゼフ皇帝に少しでも力があったなら、果たしてこんなことが起きただろうか?
自分でも気づかないうちに、ジアは唇を強く噛み締めていた。
血生臭い匂いが口の中に広がり、唇の皮を歯で噛みちぎって血が出たようだった。
静かにルセテリが近づいてきて、ジアの顔を両手で支えながら唇を観察した。
「チッ、血が出てるじゃないか」
「大丈夫。ただちょっと間違えて剥けちゃっただけだから」
ルセテリの指先がジアの唇を掠めていくと、いつ血が出たのかと言わんばかりに傷が綺麗に消え去った。
「薬師ってのは、そんなことも一瞬でできるのか?」
誰も気づかないような一瞬の出来事だったが、じっとその様子を見つめていたカイランが感嘆の声を上げて尋ねた。




