第62話 バカはバカなりに
「ガタンッ!」
荷馬車がデコボコとした砂利道を通るたびに、ガタガタと大きな音がした。
それにしても、カイランの両親は誰かさんと比べると、しっかりとした教育理念を持っているようだ。
公爵家の後継者だとふんぞり返り、最高級品でなければ見向きもしないような馬鹿息子もいるが、カイランは口では後継者だと言いふらしてはいたものの、商団の他の者たちと同じように荷馬車に同乗していた。
こういった扱いに慣れているのか、文句一つ言わないところを見ると、ルセテリはカイランのことを見直してしまいそうだった。
「あと少し進めばロトゥンウォルです。ロトゥンウォル領について、私が何と言ったか覚えておいでですか?」
「うーん、ロトゥンウォル子爵の領地で、北部とは違って小麦じゃなくメイズっていうトウモロコシを主食として栽培してる地域だって聞いたぞ」
「幸い、お忘れではなかったようですね」
「ちぇっ……俺を何だと思ってるんだよ」
カイランは頬をいっぱいに膨らませて不満を露わにしたが、ナビルは全く動じることなく言葉を続けた。
「では、メイズ以外の主要作物は? それも覚えておいでですか?」
「ああ。チリ」
「覚えていらっしゃったのですね」
「当然だろ。うちの商団の主要取扱品目なんだから」
気のせいか、カイランが肩をそびやかして得意げにしているのがルセテリの目に入った。
「チリか……私はまだ本の中でしか触れたことがないので気になりますね」
「そうでしょう。生産量も少ないですし、一部の南部の人々を除いては口にもしませんから」
「食べるものだったのですか?」
「はい。たいていの帝国人はチリをただの観賞用としてしか知らなことが多いのですが、南部では香辛料としてよく使われています」
食べられる材料だという言葉に、長旅に疲れ果てていたルセテリの顔が一気に生気を取り戻し、パッと明るくなった。
ルセテリと一緒にベッシーの背に乗っていたジアは、できることなら顔を背けたかったが、背けたところでどうせ同じことなので、唇を軽く噛むことで我慢した。
実はジアも、植物図鑑のような本でチリは観賞用だと説明されていたため、ナビルの説明に非常に興味をそそられてはいた。
ルセテリがあまりにも目を輝かせるものだから、顔に出せなかっただけだ。
「カイエンペッパーと言ってカレーに入れて辛味を増したり、パプリカというチリで辛味の中にまろやかな甘みが感じられる粉末を使用したりして、多様な辛味の表現を可能にしてくれるんです」
「そんなにたくさんの種類があるんですね」
ゴクリと、ジアはリアルタイムでルセテリが唾を飲み込むのを一番近くで見守らなければならなかった。
ロトゥンウォルに行けば、おそらくその地域の飲食店はすべて店を閉めなければならないかもしれないと考え、ため息しか出なかった。
「おそらく帝国の人々の口には合わないでしょう。辛味というのは味というよりは痛覚ですからね。慣れない味ですし、容易に手に入る材料ではないからだと思います」
ナビルの説明に、ルセテリは納得したように頷いた。
「帝国の奴らは馬鹿なんだよ。チリがどれだけ素晴らしい材料なのか経験してみることもなく、自分たちと違うからって頭ごなしに嫌うんだ」
ナビルとルセテリの会話の間に、不意にカイランが割って入ってきて文句を言った。
チリに対する不満なのか、それともアルメニア帝国に対する不満なのか、よく分からない一言だった。
「カイランは、帝国が嫌いなの?」
「好きになる理由があるか? 親父が言ってたぞ。帝国にいる貴族の奴らは泥棒みたいな奴らばっかりだって。みんな私腹を肥やすことにしか興味がなくて、領民や帝国の民がどんな生活をしているかなんて関心もない連中ばかりだって」
「カイラン様!」
びっくりしたナビルがカイランの口を塞ぐために遅ればせながら事態の収拾に乗り出したが、覆水盆に返らずだった。
むしろ、溢れるなら溢れろとばかりに、カイランは止まることなく突進する暴走馬車のようだった。
「何がだよ? ナビルだって親父と話す時はいつもそう言ってただろ。帝国の貴族の中でまともなノブレス・オブリージュを果たしている奴は両手で数えられるくらいだって」
「それはあくまでも私的な席での話でしょう」
「今は私的な席じゃないのか?」
ナビルが無駄に不安そうに周囲を見回した。
誰もそんな言葉を気にする者などいるはずもなかったが、万が一通りすがりの兵士にでも聞かれないかと警戒しているような素振りだった。
どうやら村が近づいてきたため、そのようだった。
「馬鹿じゃないの? 私的な席って個人的に秘密が守られる場所のことを言うんでしょ。こんな風に広くて開けた場所じゃなくて」
何か言葉の意味を間違って理解しているカイランに、一行は一斉に言葉を失ったように一瞬静寂が訪れた。
「何で? 何か間違ってたか?」
未だに空気が読めないカイランは、どうしてそんな雰囲気になったのか理解できずにいた。
「あんた、私的な席って意味、本当にちゃんと分かってるの?」
「間違ってたか?」
「本読んでる? 私的な席っていうのは、家族や友達みたいに親しい仲の人たちが会うことを言うのよ。広くて開けた場所じゃなくて」
「どっちも間違ってる。かといって全部間違ってるわけでもないが」
このまま放っておいては、私的な席という言葉の本質がどこかへ行ってしまいそうだったので、ルセテリは二人を止めた。
「私的な席は、公的ではなく個人的に会う席のことを言うんだ。二人とも中途半端にしか知らんな」
ジアが言葉の意味を間違って覚えていたとは、意外だった。
ルセテリの指摘にすねたように、ジアはツンとした表情を浮かべてルセテリの視線を避けた。
カイランはルセテリの指摘にも、いつものことだとでもいうように何食わぬ顔をしていた。
こんなにもはっきりと分かれるとは。
「とにかく、お前は帝国に属していながら、帝国が嫌いだっていうことだな?」
「そうだ。そう考えたからって悪いことじゃないだろ?」
カイランは何をそんなに誇らしいのか、胸を張った。
第一印象はジェレミアのように公爵家の後ろ盾を信じて傍若無人に振る舞うどうしようもないバカ息子だと思っていたが、どうやらそれだけではないようだった。
たとえ頭は空っぽで、不意に後先考えずに行動が先走ってしまうとはいえ……。
「頭に詰め込むには、少し苦労しそうだな」
ルセテリはなぜだかナビルが可哀想に思えた。
並大抵の時間と労力を注いだくらいではどうにもならないという事実に気づいたからだ。
哀れむようなルセテリの視線に、ナビルは恥ずかしくなり、少しでも隙間があればそこへ頭から突っ込んで隠れたい気分だった。
「それでも、あんな風に芯の通ったバカ息子なら、それはそれでマシなバカ息子なんじゃないか?」
「腐りきった精神状態だったなら、とっくに逃げ出しております」
嘆きが混ざったようなナビルの呟きを聞いて、ルセテリは静かに頷いた。
双葉の時から黄色く枯れている(見込みがない)なら、逃げるのが正解だ。
二人の嘆き混じりの呟きが自分に向けられたものだということに気づいていないのか、カイランは表情一つ変えなかった。
少し聞いていれば自分のことだと気づきそうなものだが、全く変わらずに鼻息を荒くして堂々としているところを見ると、全く知らない他人の話でも聞いているかのようだった。
「あんた、本当に何も考えてないのね?」
「ん? 俺が何だ?」
「普通はいくら何も考えてないとしても、これくらい言われれば気づくはずなのに……。あんたも本当に救いようがないわね」
「救いようがない? それはどういう意味だ?」
本当に分からなくて聞いているかのように、カイランの黒曜石のように黒い瞳がジアに向けてキラキラと輝いた。
「公国の将来が心配だ」
そうではないか。
この無知で力だけが有り余っている後継者の未来だなんて。
「それをどうしてお前が心配するんだ?」
「そうね、私が心配する問題じゃないわね。ただあんたの下で働く人たちが心配になって」
「心配するな。俺の下で働く奴らはそんな心配をするんじゃないと教わった。そういうことを心配するのが君主のやることだと、親父がいつも言っていたからな」
あ、そうですか?
ジアは、生意気な態度で全くそうは見えない言葉を吐くカイランにひどく不快感を覚えた。
自分の父親であるジョゼフ皇帝も、同じ言葉をいつも口癖のように言っていたからだ。
今更同じ言葉を聞いたからといって、カイランを見直すだとか、そんなありきたりな展開はなかった。
ただ少し複雑な気分になった、それだけだ。
「そのためには頭の中も少しは詰め込む必要があるとはおっしゃらなかった?」
「大丈夫だ! 俺の代わりに頭のいい奴を引っ張ってくれば済むことだからな」
まあ、間違った言葉ではない。
自分の代わりに働く賢い人間を雇い、適当な地位に就かせて仕事をさせれば済む話だからだ。
それでも、「適当」という言葉は必要ないと思わない?
「そうね。あんたの言う通り、適当に賢い人を連れてきて仕事をさせればいいとしよう。それでも、あんた自身が何か分かっていないと、仕事をさせるにしてもさせられないんじゃないの?」
「え? そうなのか?」
ジアの指摘に、カイランはひどく深刻な表情になった。
これまでカイランは、自分の力が強ければあとはどうなってもいいという考えから、実は学問を修めることを怠っていたのだ。
じっと座って勉強するのは性に合わなかったし、いっそそんな時間があるなら外に出て体を鍛える方が効率的だと考えていたからだ。
そのため、父親であるシェイク・ミルザがカイランに家庭教師兼お目付役としてナビルをつけた時、その不満が爆発した。
自分を信用できないからそうしたのだと誤解したカイランは、ナビルの授業をありとあらゆる言い訳をしてサボることが多く、大人しく屋敷の中にいずに外へ出歩いてばかりいたため、同年代の子供たちと比べると学習能力が著しく低くなるしかなかったのだ。
「なら、お前が考える良い君主って何だ?」
カイランらしくなく、真剣な質問がジアに向かって投げかけられた。




