第60話 回転トルネードポテト
少し前にアルーゴビというジャガイモのカレーがあるという話を聞いて、思い出したことがあった。
ジャガイモとカレーが合う料理があるなら、カレーを作る時に使うガラムマサラをジャガイモに使ってみてはどうだろうかという考えが頭をよぎったのだ。
さっき通り過ぎた時、人々が平べったいパンに何かを塗って食べているのを見た。
もしそれがジアの考えている材料で間違いないなら、より斬新で美味しいジャガイモ料理が作れそうな気がした。
「すみませんが、あれは何ですか?」
ジアの指先にアカンが視線を向けると、パンを食べている商団の人々が目に入った。
「ああ、ギーという精製バターです。不純物を取り除いたものなので、腐らずに持ち歩くのにも丁度いいんですよ」
バターという言葉に、ジアとルセテリの目が輝き始めた。
これまでジャガイモを茹でて食べながら一番食べたかったのがまさにバターだったのに、精製バターだなんて!
黄金よりも貴重なものを発見した気分だった。
「もしかして、そのギーバターというものも少し分けていただけませんか?」
ジアは切実な眼差しでアークを見つめた。
初めて見るものではあったが、間違いなくあれはジャガイモをさらに美味しくしてくれる核心的な材料になるはずだから。
「食材の管理者に伝えておきましょう。必要なものがあれば、いつでも持っていってください」
快く承諾したアカンの提案は、ルセテリの尻尾を自然とピクピクさせる魔法の言葉だった。
ポリモーフ(変身)した今の姿で尻尾が出ているはずもないが、ジャガイモ地獄から抜け出せるというだけでも、ルセテリの足取りはポンポンと軽く弾んだ。
「でも、何をするつもりだ?」
ジアの前には今、ジャガイモとアカンが分けてくれたガラムマサラ、そしてギーバターが置かれていた。
ギーバターというのは、バターのように硬かったりクリーム状だったりするのではなく、黄色い液体が瓶の中でタプタプと揺れている様が油に似て見えた。
もちろん、油臭い匂いではなく乳脂肪特有の香ばしい匂いは漂ってきたが、バターの匂いよりは香りが弱かった。
それでも、久しぶりに見る油だ。
「ルッ様、ルッ様って剣術得意だよね?」
「うむ、今でこそ有名無実極まりない制度ではあるが、これでもソードマスター級だぞ? どうしてだ?」
「あのさ、じゃあ……このジャガイモ、串に刺してクルクルと切ってくれる?」
「何だと?」
ルセテリは聞き間違えたかと思った。
今、ソードマスター級の剣術で何をしてくれって?
「だから、こうやって串に刺したジャガイモを薄くクルクルと回し切りにしてくれるかって聞いてるの」
しっかりと木の枝を握り、地面に絵まで描きながら説明する姿に、少し呆れそうになりつつも、初めて見る形に好奇心も湧いてきた。
ルセテリは複雑な心境になった。
こんな高度な技術をたかがジャガイモを剥くのに使うだなんて、自己嫌悪に陥りそうだった。
「できる?」
「……やってみよう」
ソードマスターの薄っぺらいプライドよりも、やはり食欲だ。
最近剣が少し上手く使えたところで大して役立つこともないし、そんなプライドが食わせてくれるわけでもない。
ルセテリはジアが渡した短剣を手にし、串に刺さったジャガイモを持ってシャシャシャッと素早く動かすと、一瞬にしてジャガイモが薄いアコーディオン状に切れた。
「うわあ、薄く綺麗に切れたね!」
ジアの称賛に、なぜかルセテリは肩をそびやかした。
たかがジャガイモを一つ切っただけなのに、それが何だというのか……。
「もっと寄越せ。全部切ってやるから」
やはり称賛はドラゴンをも躍らせるようだった。
すっかり鼻高々になったルセテリは、瞬く間に串に刺さったジャガイモの山をすべて切り終えた。
「この次はどうするんだ?」
アコーディオン状に薄く切られたジャガイモの串を一つ手に取ったジアは、アカンからもらったガラムマサラの容器の蓋を開けた。
黄色がかった赤い粉が異国情緒あふれる匂いを漂わせ、鼻を刺激した。
「この粉をジャガイモの隙間にひとまず振りかけるの。塩も混ぜて少し塩っぱくすれば、味もずっと良くなるでしょ?」
小さなスプーンでジャガイモの上にガラムマサラをパラパラと振りかけながら、ジアが先にお手本を見せた。
難しいことのない工程に、ルセテリとジアは串に刺さったジャガイモの山すべてにガラムマサラを振りかけた。
刺激的な粉が舞い散り、ルセテリとジアはしきりにくしゃみを連発したが、それよりも味が気になって我慢できなかった。
「じゃあ、この次はギーバターを入れた鍋で揚げるように焼くの」
「ん? それで終わりか?」
「うん。簡単でしょ?」
思ったより簡単な工程に、ルセテリは首を左右に傾げていた。
ジアはギーバターを火にかける時、乾燥させたローズマリーも一枝加えて香りだけ引き出してから取り出し、その中にジャガイモの串をギーバターに浸かるまでスッと入れてグツグツと火を通した。
ジャガイモが薄いおかげで、完全に火が通るまで長い時間はかからなかった。
試しに揚げるように焼いた串を一つ取り出すと、サクサクに見える黄色い美味しそうなジャガイモがルセテリを誘惑していた。
「もう食べてみてもいいか?」
ゴクリと唾を飲み込みながら、ルセテリが恐る恐る尋ねた。
「ちょっと待って」
串に向けて手を伸ばすルセテリをきっぱりと遮ったジアは、ルセテリが精製してくれた塩を一つまみ、パラパラと串の上に振りかけた。
「これでよし」
待ってましたとばかりにルセテリの喉仏が大きく動き、串に向けてブルブルと震える手を伸ばした。
果たして期待通りの味だろうか?
震えるほどの期待感を胸に、串を一口かじった。
サクッ!
期待通り、口に入れた瞬間、ジャガイモはサクサクと音を立てて崩れた。
サクサク感だけでなくジャガイモのモチモチとした食感も残っており、歯を立てるたびに異なる質感の感触に口の中が大忙しだった。
ガラムマサラと言ったか……初めて感じる香りの調和につい魅了され、あっという間に串が一本消えてしまった。
当然のことながら一本では物足りないルセテリは、鍋で煮えたぎっている串たちを強烈な眼差しで見つめた。
ブレスでもお見舞いしてやろうか?
瞬間、我慢できずに大きなミスを犯すところだった。
ブレスだなんて、とんでもない。
丸焦げにしてどうするんだ。
最大限の忍耐力を発揮し、ルセテリはジアに向けて切実に渇望する眼差しを送った。
「ルッ様たくさん食べるんだから。ちょっとだけ我慢してよ」
我慢しろだなんて……そんな残酷な言葉を。
「我慢できるような味じゃないんだが?」
初めて嗅ぐ香りだったが、あの香りが狂おしいほど手を止めさせなかった。
一度味わってしまうと、次から次へとおかわりを叫びたくなるような中毒性のある味に、ルセテリは最大限の忍耐力を振り絞った。
「これはまた何だ?」
通りすがりのカイランが、山のように積まれた串の束を見て唖然とした。
「うーん……回転トルネードポテト?」
ジアは少し前にジャガイモを切っていた時のルセテリを思い出しながら答えた。
己のカッコよさに酔いしれて剣撃でジャガイモを切っていたルセテリが、突然残りのジャガイモの串を宙に放り投げ、体をクルッと回転させながら剣を振り回したのだ。
パラパラと落ちてくるジャガイモの串は、どれもこれも薄い厚さで竜巻のように切られていた。
自分が頼んだこととはいえ、得意満面でジャガイモを切るルセテリの姿が思い浮かび、回転トルネードポテトという名前を思いついたのだ。
「回転……トルネード?」
その耳慣れない名前に首を傾げながらも、カイランは串を掴もうと手を伸ばした。
「ピシャッ!」
「うわっ! なんだよ?!」
「触らないでくれる?」
突然のジアの制止に、カイランは呆気にとられた。
真っ赤に手の甲に浮かび上がる手形を見下ろし、カイランはムカッとした。
この世で一番悲しいのは、食べさせてもらえないことだったか?
「なんで食べちゃダメなんだよ?」
厚かましいカイランの叫びに、ジアは呆れ果てそうだった。
おならをした者がかえって怒る(逆ギレする)と言うが、まさにその様だった。
「さっき自分がした行動は考えられないみたいね?」
「何言ってんだよ! この商団にあるものは全部俺のものなんだから、当然これも俺のものだろ! うちの材料で作ったんだからな!」
「何ですって?」
子供特有のわがままにカチンと来たジアが一言文句を言おうとした時のことだった。
コツンッ!と空き缶を蹴り飛ばすような音と共に、カイランの目からチカチカと火花が散った。
カイランの後ろから近づいてきたナビルが、聞いていられないとばかりに情けない台詞を叫ぶカイランに向かってゲンコツを一つ食らわせたのだ。
「俺が何したってんだよ!」
ヒリヒリする後頭部を抱え込み、理不尽だとばかりにカイランが叫んだが、全く通用しなかった。
「私がそのように教えたではありませんか? 人は古くから謙虚さが美徳であると」
「それでも!」
「それでもとは何事ですか? 口を開く前に、常に考えるということをしてから言葉を発しろと言いましたよね!」
「この商団にあるものは全部俺のものなんだからいいだろ!」
「コツンッ!」
今度はルセテリの鞘がカイランの脳天に飛んできた。
「この商団がどうしてお前のものだと言い張るんだ? シェイク・ミルザの所有であって、まだお前のものではないだろう? 所有権ははっきりさせておこうな、俺たち? ん?」
ニッコリと笑った顔で事実をいちいち指摘して攻撃してくるルセテリに対し、カイランは何の反撃もできず口をパクパクさせるだけだった。
あまりにも明白な事実に、反撃どころか攻撃する言葉の一つも見つけられないカイランは、息をするのさえ許可をもらわなければならないような威圧感に押しつぶされていた。
目を上げ、カイランはナビルに助けてくれと切実なサインを送ったが、ナビルはカイランと目が合うや否や、プイッと顔を背けて見ないふりをした。
さっきから状況を見守っていたのだが、密かにカイランがルセテリにやられている姿を見ると、胸のつかえがスッキリと取れる気分だったのだ。
止めるつもりは微塵もなかった。
むしろもっと懲らしめてほしいくらいで、絶対に、絶対に絶対に。
「その通りではありませんか」
ナビルは心の中で快哉を叫んだ。




