第58話 プレシア商団
ジアは無性に腹が立った。
イライラが込み上げてくるような、そうでなければ胸の奥に詰まったサツマイモが喉に引っかかっているような気分だった。
「雑魚だなんて! じゃあお前が戦ってみる?」
「当然だ! 俺にできないとでも思ってるのか?」
男の子が馬車からピョンと飛び降りた。
手には、彼のサイズにぴったりの曲線状の剣「ジャンビーヤ」が握られていた。
そうは言っても、ジアから見れば尻尾を巻いて逃げようとしている灰色狼の半分にも満たない体格だった。
大口を叩けるような状況ではないと思うけど?
「どけ! 俺がやる!」
男の子はアークと呼ばれた男を押し退け、前に出て灰色狼に向けて剣を構えた。
面白い見世物が新しくできたルセテリは、腕を組んだまま一歩後ろへ下がり、その様子を見守ることにした。
ついでに、すでにフィアー(恐怖のオーラ)はとうの昔に収めていた。
そのため灰色狼たちは、いつ逃げようとしたのかと言わんばかりに再び鋭い牙を剥き出しにして唸り声を上げていた。
狼の状態を確認したジアは慌ててルセテリの方を見たが、ただ肩をすくめてみせただけで、これといった反応は示さなかった。
[あの子、あのままだと死んじゃうんじゃないですか?]
[全くだな]
ベッシーまで心配して竜言で話しかけてくるくらいなのだから、言うまでもないだろう?
時には言葉で言うより、身をもって体験する方が理解するのにずっと役立つとは聞くが、これはちょっとやりすぎではないか? という気もした。
とはいっても、灰色狼に向けて剣を構えた時点で、すでにゲームは終わったも同然だろうが。
「かかってこい!」
すでにこの時点からして、灰色狼に負けたも同然ではないか。
ジアには分かっていた。
あの子の力強い声と剣を握る険しい顔とは裏腹に、足が容赦なくガクガクと震えていることを。
おまけに、
「あいつらが馬鹿だと思う? あんたがかかってこいって言って、素直にかかってくるわけないでしょ」
頭が悪いと手足が苦労するとは言うが、まさにその通りだった。
自ら進んですべてのトラブルを招き寄せるような性格のようだ。
『大人しく見物でもしていれば勝手に解決したことなのに、わざわざ事態を悪化させてるね?』
自分もルセテリのように一歩下がって見物でもしようかと思った。
「俺はプレシア公国の後継者だ! これくらいの些細なことは、一人で切り抜けなきゃならないんだ!」
自分なりにはかっこいいと思っているのか気張っているようだが、ジアから見れば全く……。
「剣を握ってる手、それで合ってるの?」
姿勢がなっていないということだ。
開いている両足の角度とか、腰の位置、重要な剣を握る手の位置までバラバラだった。
あんな姿勢なら、灰色狼が前足で軽く叩いただけで崩れ落ちてしまうだろう。
自称プレシア家の後継者という奴は、まともな剣術の授業も受けていないのか?
ジアの指摘に、アークという傭兵が困ったように手で額を押さえ、首を横に振った。
「ここからは俺も知りません。助けませんからね」
「必要ない!」
そろそろと様子をうかがっていた灰色狼の一匹が、一歩一歩慎重に間合いを計りながら近づいてきた。
それを見逃さず、男の子が気合いを入れて飛びかかった。
「ハァッ!」
「グルルルッ!」
無鉄砲に正面から飛びかかってくるのを、大人しく座って食らってやるような灰色狼ではなかった。
一緒に前に飛びかかるふりをして、後ろへ身を翻して跳躍し、後ろ足で正確に腹部を蹴り飛ばした。
巨大な体格の狼の体重まで加わり、手を打つ暇もなくあの子の体は、そのまま一行の後ろにあった木に向かって一直線に飛んでいき、伸びてしまった。
「チッ、やっぱりね」
あの子は飛ばされた衝撃で気絶したのか、ピクリとも動かなかった。
もしかして死んでしまったのではないかと、傭兵のアークが近づいて息を確認してみた。
安堵のため息をつく様子からして、幸い息はあったようだ。
「じゃあ、次は私の番でもいい?」
その辺に転がっていた木の枝を拾い上げたジアが、ルセテリに向かって尋ねた。
「好きにしろ」
答えるのすら面倒だというようにルセテリが指をパチンと鳴らして合図を送るや否や、ジアは滑るように思い切り木の枝を振り回し、ジアに向かって飛びかかってきた狼の腹の下を強打した。
「キャイイイイインッ!」
思い切り木の枝で打たれた灰色狼が地面を転げ回り、痛みを訴えるように泣き叫んだ。
剣でもなく、たった一本の木の枝で狼を吹き飛ばしたことに、アークと隠れて状況を見守っていた商団の一行の目は大きく見開かれた。
まさかあの木の枝一本で、あの小さな体格の子供が狼を吹き飛ばすとは!
誰もが自分の目で見ても信じられないという顔だった。
当然だ!
あの木の枝には、目には見えないが強化魔法がかけられていた。
普段はジアの魔力使用を厳格に禁止していたが、せっかくのハプニングによる実戦の機会に、ルセテリは魔力使用を許可したのだ。
先ほどの指を鳴らしたのが、魔力使用を許可するという合図だったし。
残りの灰色狼たちでさえも、この状況が理解できないのは同じだった。
未だに立ち上がれず地面を転げ回っている仲間を見て、どの狼も容易には足を踏み出せずにいた。
「来ないなら私から行くよ?」
「グルッ?」
木の枝を握り直したジアは、体を反転させて近くにいた狼に向かってタタッと跳ね上がった。
一足遅れてジアの攻撃に反応した灰色狼が後ろを向いて逃げようとしたが、時すでに遅しだった。
ジアが振り回した木の枝は狼の脳天を叩き割り、地面に叩きつけた。
その光景を見た残りの三匹がジアに向かって一斉に飛びかかってきたが、ルセテリは慌てることなくのんびりとしていた。
クルッ、円を描きながら飛びかかってくる狼たちに向けてジアが木の枝を振り回すと、そのまま後ろへと吹き飛ばされた。
やがて我に返った狼が大きく口を開けて再びジアに向かって飛びかかってきたが、鼻面を打たれてキャンと鳴き、前足で鼻を覆い隠した。
ここまでくると、ルセテリがフィアーを放った時よりもさらに強い恐怖を感じたのか、狼たちは我に返るや否や一目散に逃げ出すのに必死だった。
たった数回木の枝を振り回しただけで尻尾を巻いて逃げ出す灰色狼たちを見て、商団の一行は開いた口が塞がらなかった。
「あ、あの、本当に薬師でいらっしゃいますか?」
ジアの動きを見たアークは、到底この二人がしがない薬師だという言葉を信じることができなかった。
傭兵特有の直感なのか、彼はルセテリがただの平凡な薬師ではないことを感じ取っていた。
「ただの通りすがりのしがない薬師ですよ」
しがない薬師と言うには、木の枝で戦うジアの構えが完璧な帝国第一型剣式に見えた。
心の片隅に引っかかる部分はあったが、困っていた自分たちを通りすがりで助けてくれた人たちを、犯人を取り調べるようにこれ以上根掘り葉掘り聞き出すのは失礼にあたるだろう。
アークはそれ以上は聞かないことにした。
「助けていただき、ありがとうございました」
「いえいえ、袖振り合うも多生の縁と言いますからね。お役に立てたようで何よりです」
人当たりの良さそうな笑みを浮かべているルセテリの顔が、なぜかアークには冷ややかに感じられた。
おそらく理由は明らかだった。
あの忌々しい商団の後継者のせいだろう。
「私たちはプレシア商団でして、あそこに倒れている奴は、シェイク・ミルザ・ナセル様のご子息であらせられるシェイク・カイラン・ビン・ミルザと申します。無礼な態度をとってしまい、申し訳ありませんでした」
アークは丁寧にも胸に手を当て、ルセテリに向かって正式に礼を尽くした謝罪の言葉を述べた。
商団の名前を聞いたルセテリの目尻が弧を描いた。
帝国南部で最大規模を誇るプレシア商団だなんて、口の中に涎が溜まった。
ようやくジャガイモ以外の食べ物にありつけるという期待に、ルセテリは胸を高鳴らせた。
「申し訳ないと感じられたなら、食料品はお売りいただけませんか? ジャガイモ以外で……」
「はい? ジャガイモ……ですか?」
急発進でグイグイと来るルセテリの質問に、アークは戸惑いを隠せなかったのか、顔が不自然に引きつった。
「ル先生! 怖がってらっしゃるじゃないですか!」
木の枝を手にしたジアが近づいてきて、ルセテリの背中をバシッと叩いた。
かなり痛烈な手応えにルセテリは身をよじって痛みを訴えたが、ジアに通じるはずがなかった。
「申し訳ありません。うちの先生、数日間ジャガイモばかり食べていたもので……失礼いたしました」
「あ、そういうことでしたか。ひとまず私たちも商団ではありますが……取り扱っている品目の中に食料品はほとんどなくて……」
アークの一言は、ルセテリを絶望の淵に突き落とすのに十分だった。
言葉が終わるや否や地面にヘナヘナと座り込んだルセテリは、すべてを失ったような顔になっていた。
「ご飯……」
やれやれ、この食い意地の張った人ったら。
「食料品ではありませんが、私たちは香辛料を積んでおります。もしこれでも必要でしたら……」
「一合あたり1万ベラ。それ以下では売らないぞ」
突然取引に乱入してきた男の子、つまりシェイク・カイラン? とかいう名前だったと思うが……高額な金額を提示してくるや否や、ジアの目がギラリと光り、カイランを睨みつけ始めた。
「1万ベラ? 市価の10倍以上じゃない!」
「道端で簡単に手に入るような香辛料じゃないからな? 当然それくらいはもらって妥当だろう」
「これ、完全にぼったくりじゃない?」
「ぼったくりだなんて、正当な需要と供給の法則による適正価格だぞ?」
カイランの脈絡もない理不尽なぼったくり価格を聞いていると、ジアは頭がクラクラしてきた。
いくらなんでも10倍はひどすぎるんじゃないか?
唇をギュッと噛み締めた。
できることなら、目を覚まさせるために一発殴ってやりたいくらいだが、そういうわけにもいかず……。
拳を握った手がブルブルと震えた。




