第57話 遭遇
予想に反して、南西のルートを進む道には村はおろか、通り過ぎる人間の姿すら見当たらなかった。
ジャガイモのローテーションもそろそろ飽きてきて、今ではジャガイモという言葉を聞いただけで吐き気がするほどだった。
卵でも食べようかと口に出そうものなら、ジアの目が一瞬にして冷ややかになるため、あの日以来卵集めなど夢にも見ることができなかった。
これでは体からジャガイモの芽が生えてきても全くおかしくない。
「美味しいものぉ……」
ベッシーに乗って進むルセテリの肩はひどく垂れ下がり、すでに半分魂が抜けたように呟いた。
焦点の合わない目、カサカサに乾いた唇。
何よりも随分前から腹の虫をけたたましく鳴らしている「グー」という音が、現在のルセテリの状態を代弁していた。
その音を聞くと、ジアは無性に自分のせいのような気がして、申し訳なく思えてくるほどだったから。
「もう少し我慢してみてよ。何かあるって」
「いや。そもそもオーギュストがこっちの道を勧めた理由もこれだからな」
道で人と出くわす確率はあるが、兵士の検問が厳しくない道。
それがこの南西ルートの長所だった。
代わりに、本当にこんなに何日も何日も進んでも村はおろか人一人見ないとは思ってもみなかったが。
軽く通り過ぎる村で食事を済ませればいいという考えで出発したのだが、ここまで何もないとは予想外の変数だった。
伊達にこの道を勧めたわけじゃなかったんだな。
「いくらなんでもこれはひどいだろ!」
[それでも兵士たちの目につくよりはずっとマシじゃないですか]
「体も洗いたい……それにジャガイモにも飽きた……」
ルセテリの愚痴にも、ジアは静かに口を閉ざしていた。
チラリとベッシーがジアの顔色をうかがいはしたが、それだけだった。
実は二人もそろそろジャガイモに飽き飽きしてきていたのだ。
そして野宿のせいで土埃を被ったまま体も洗えない日々が続き、疲労が溜まってきているのも確かに一因だった。
ところどころにある小川で体でも洗って、魚でも捕まえて焼いて食べようと提案はしたのだが、自分は釣りなんかできないとルセテリがそっぽを向いたせいで、ジアもジャガイモ以外ならなんでもできそうな気がしていた。
「ああ、面倒くさいな。前の方で戦闘が起きてる。迂回するか?」
仕方がないというように、ベッシーの背中に突っ伏していた上半身を起こし、ルセテリがブツブツと文句を言った。
「戦闘? 行って助けてあげなくていいの?」
「面倒くさい……俺が、なんで……」
「人が怪我するじゃない? それに、もしかしてジャガイモ以外の食材を分けてもらえるかもしれないよ?」
「……そうか! なんで俺はその考えを思いつかなかったんだ?」
突然生き生きと蘇ったルセテリが、ベッシーの手綱を引っ張って猛スピードで駆け出した。
[そ、それを今お気づきになられたのですか?]
「いいから! 早く走れ!」
突然のルセテリの態度豹変は、ジアはもちろんベッシーでさえも戸惑う状況だった。
ずっと無気力だったのに急に生き生きと蘇ったルセテリが不思議でもあり、呆れもして。
そうしてウキウキと駆けつけた現場では、数匹の灰色狼が荷馬車を運んでいた商団を襲撃していた。
「ウフフッ!! 飯ぃぃぃっ〜〜!!!! 俺の飯ぃぃぃっ!!」
笑いながら狂人のように馬を走らせるルセテリが恥ずかしくて、ジアはベッシーの上で到底顔を上げることができなかった。
武器を持っていた人々はもちろん、商団を襲撃していた灰色狼までもが、駆け寄ってくるルセテリを見て一斉に動きを止めた。
「俺の飯に手を出したら、お前ら残らず皆殺しにしてやる!!」
ルセテリの手には、いつ取り出したのかも分からないモーニングスターが風を切って振り回されていた。
その殺伐とした気迫に灰色狼たちがビクッと身をすくめ、互いに目配せをして尻尾を股の間に巻き込んだ。
その表情はまるで……あいつ何だ? という表情だったが、ルセテリがそんな些細な問題に気を留めるはずがなかった。
恥ずかしさはすべてジアのものとなり、顔が真っ赤になった。
できることならこのままどこかへ消えてしまいたい気分だったが、ルセテリと一緒にベッシーに乗っている以上不可能だった。
だからできるだけ顔だけでも隠そうと、フードを深く深く被り直した。
「危険だ、止まれ!」
自分の身長より大きなバスタードソードを持った男が慌ててルセテリを制止した。
商団に雇われた傭兵のように見えたが、おそらく彼の目には、狂ったようにモーニングスターを振り回しながら猛スピードで駆け寄ってくるルセテリが危険に見えたのだろう。
そうでなければ、どこかの狂人が脅しに近づいてきていると思ったのかもしれない。
「止まれと言っている!」
制止にもかかわらず止まらないルセテリに向け、傭兵はバスタードソードを構え直した。
『狂ってるにしても、相当な狂人のようだが!』
もしかしたら灰色狼よりも厄介な相手になりそうな予感に、傭兵の喉仏が大きく動いた。
灰色狼にはまだ攻撃パターンがあるが、狂人はどこへどう飛び出してくるか分からないから狂人と言うのではないか。
ひどく緊張したせいか、手に汗を握った。
「ウォウ、ウォウ。ル先生。落ち着いてください」
男の子か女の子か分からないが、狂人と一緒に馬に乗っていた小さな子供が、まるで馬を宥めるように男の背中をポンポンと叩いていた。
何だ?
男は今目の前で繰り広げられているこの状況を理解し難かった。
自分たちを攻撃してきた灰色狼たちは突然尻尾を巻いてコソコソと逃げ出す隙をうかがい、狂ったようにモーニングスターを振り回しながら駆け寄ってきた狂人は口角に泡を溜めて意味不明な言葉を叫び……興奮した馬を宥めるかのように唸り声を上げる狂人の背中をウォウウォウと叩いている子供。
「何者だ!」
どう見ても敵にしか見えなかった。
傭兵はバスタードソードをルセテリに向け、叫んだ。
「ほら見て! ル先生のせいですよ!」
「いや、俺が何を……どこからどう見ても俺が怪しいって言うんだよ」
「どこからどう見ても怪しさそのものなんですけど? あいつら見てよ。あんなに怖がって逃げようとしてるじゃない」
子供が指差す先には、尻尾を巻いてコソコソと顔色をうかがいながら後ずさりする灰色狼たちの姿があった。
ついさっきまで全員を噛み殺す勢いで攻撃を仕掛けてきていた奴らの様子がおかしかった。
ガルルッでもなくキュゥンキュゥンと鳴き、突然子犬にでもなったかのように地面に平伏していた。
「それは、あいつらが俺のことを怖がってるからじゃないか?」
「ひとまずあの方を説得してから言ってください」
子供の言葉に、ようやくその狂人、いや男の視線が傭兵へと向かった。
「ルと申します。薬師です」
「薬師……だと?」
ルセテリが名乗っても、傭兵は簡単には信じられないという顔だった。
それもそのはず、どこの薬師が狂ったように馬を走らせながらモーニングスターを振り回すというのか。
ジアは傭兵の心情を十分に理解できた。
「私はル先生の弟子のプーと言います。遠くから見て、助けが必要かと思って駆けつけてきたところ、つい……」
ジアはチラリとルセテリを睨みつけた。
普段なら自分で上手く説明もできるくせに、食べ物にすっかり目がくらんで前後の見境がなくなっているルセテリが憎たらしかった。
[ルッ様のバカ! おたんこなす〜]
さすがに口に出して言うことはできず、竜言でジアが知っている限りの悪口を浴びせかけていた。
[……いくらなんでも世界の大行者様に向かって、おたんこなすはないんじゃないですか?]
[それだけじゃ足りない! 食いしん坊大魔王だよ!]
[食いしん坊大魔王とは……それはひどい、うむ。それは否定できませんね]
ベッシーと一緒に竜言バトルでもしているかのようにやり取りする言葉を聞きながら、ルセテリはさすがに違うと反論することはできなかった。
ジャガイモばかり食べていたせいで、一時的に理性を失っていたようだった。
あるいはジャガイモの芽を間違えて食べて食中毒になったせいでこんなことになったんだと、もっともらしい言い訳も考えてはみたが、ただ黙っている方がはるかに賢明だと思えた。
二人の竜言を聞いているうちに、ルセテリはゆっくりと正気を取り戻した。
「道を歩いていたところ、灰色狼の群れに襲撃されているようでしたので駆けつけました。ルと申します。ブリトル北部の貧民街で働いていた薬師です」
「ブリトル北部の貧民街……ル……あ! では、あのセンティという行商人が言っていたル先生とは!!」
センティ……まさかこんな遠く離れた場所でまで、あの名前の恩恵に預かるとは思ってもみなかった。
「アハハ。センティをご存知なんですね」
「もちろんです。彼が売る薬はいつもよく効いて、信頼できたんです! あの薬を作られた方だったんですね」
傭兵の顔にパッと明るい色が差した。
「ええ、まあ。灰色狼を追い払う薬がこの中に入っていましてね」
ルセテリはさりげなく、モーニングスターの中に灰色狼が嫌がる薬草が入っているという風に誤魔化した。
灰色狼は単にルセテリがドラゴンであることに気づいて逃げ出そうと顔色をうかがっているに過ぎなかったのだろうが、そんな詳しい事情を傭兵が知るはずもなかった。
ただルセテリの言う通り、灰色狼が嫌がる薬草を撒いたからだと信じるしかない。
「お助けしましょう」
実は助けるという言葉を言い終わる前に、すでに尻尾を巻いて逃げ出す隙をうかがっていた灰色狼たちは、ルセテリから遠く離れ去った後だった。
モーニングスターで一網打尽にできたのにという名残惜しさにルセテリは舌なめずりをした。しかしそれを横で見ていた傭兵は、しきりに感嘆の声を上げた。
「やはり、すさまじい効能ですね!」
傭兵の称賛に、ルセテリは無駄に照れ臭くなり、頭を掻きながらぎこちなく微笑んでみせた。
何はともあれ誤解は解けたようなので一安心だった。
「アーク! まだ終わらないのか?」
突然、荷馬車を覆っていた天幕が開き、黒い癖毛に浅黒い肌をしたジアと同い年くらいの男の子が飛び出してきた。
「俺がそんな雑魚の相手をさせようとお前を雇ったと思ってるのか?」
叫ぶ姿が、あの暴れん坊ジェレミアの頬を引っ叩くほど無礼極まりないんだが?




