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第51話 愛しき(牡蠣)は遠くへ去りぬ

メモに書かれた内容を、ルセテリが声に出して読み上げた。


「やっぱりそうだったんですね。だからジア皇女様が必要だったんです」


ルセテリに指名手配が下された理由を理解したように、ローザが頷いた。

誰もが納得したように頷いている中、ルセテリだけが状況を理解できずにいた。


『どうして皇城に軍事まで動員して制圧しておきながら、皇位を簒奪できなかったというんだ?』


あれほどであれば、十分に皇帝を皇位から引きずり下ろし、自らが皇位に就くことは可能だったはずだ。

自分の目で見た時、間違いなくそう見えたからだ。

それなのに、どうして今になって、公爵は皇位に就けないというのだ?

容易に理解できない状況には、やはり説明が必要だ。

間違いなくオーギュストなら、理解できるように何かしらの説明を付け加えてくれるだろうと思ったルセテリが、オーギュストをじっと見つめた。


「ああ、ルセテリ様はご存知ないのですか? アルメニア帝国で皇位に就くための条件を」

「そんなものがあるのか?」


人間の歴史に興味のないドラゴンが、帝国の皇帝になる条件など知ったことか。


退屈そうにしながらも、ルセテリはオーギュストに続きを促すような視線を送った。


「帝国で正当な皇位を受け継ぐためには、大きく三つの条件が必要です。一つは金髪に金眼であること。これは黄金のドラゴンに祝福されているという象徴のようなものだと言えます」


ゲッ、金髪金眼にそんな意味があったとは。

ソラレティ様、一体何をしてくれたんですか?

帰ったら、ちょっと問い詰めないとな。


「そうだな。二つ目は適当な皇族の血筋であること」


二つ目の条件は、まあ似たり寄ったりなのでパス。


「そして最後の三つ目は、戴冠式を行うために必要な『守護の首飾り』。この首飾りこそが、黄金のドラゴンから直接祝福を受けたという証なので、この首飾りを受け継いでいなければ、元老院や代議員でさえ皇帝の認可を下せないと聞いています」


守護の首飾り?

どこかでその似たような言葉を聞いたことがあった。

いつだったか?

ルセテリは記憶を辿ってみた。


ああ、あれか?

皇帝がジアにかけてくれた首飾り。

間違いなくソラレティの加護がついた首飾りだと言っていた。


「前皇帝が次の後継者を皇帝として認めた時にだけ下賜されるという守護の首飾りを持っていなければ、絶対にアルメニア帝国の皇帝にはなれません。アルメニア帝国法第一条二項に真っ先に明記されています」

「そんなものがあったのか?」

「はい。帝国法第一条一項。黄金のドラゴンの祝福を受けたアルメニア帝国皇帝は、三つの祝福の証を持つ者でなければならない。一項、二項の祝福の証を戴冠式で証明した者が帝国の皇帝となる」


法まで別に定められているほどだとは、ソラレティ様は一体何を考えてそんなものを与えたんだ?


「この守護の首飾りを証明できなければ、絶対に皇帝として認められないんです。それは、黄金のドラゴンの祝福が途絶えるということを意味しますから」

「アウレリア公爵は前の二つの条件はすべて満たしていますが、おそらく守護の首飾りを奪うことには失敗したみたいですね」


オーギュストの説明に補足説明を続けていたアルの視線が、自然とジアへと向かった。

もちろんその疑いは妥当なものではあったが、そんな視線を向けるべきではないだろう。


ルセテリがギロリと睨みつけ始めると同時に、アルは顔を背けて罪のない鷹をじっと見つめた。

あのぱっとしないみすぼらしい首飾りが、そんな大層な代物だとは思いもしなかったが?

いくら信頼できるオーギュストだとしても、あの首飾りがそんなにすごいものだとしたら、教えるわけにはいかないな。


「それなら、皇女様の指名手配の件も納得がいきます。守護の首飾りを探さなければならないのに、皇帝陛下が持っていないとなれば、当然皇女様が持っていると考えるでしょうからね」


首飾りのことについてはローザも知らなかったのか、オーギュストの説明に頷きながら口を開いた。

その一言で全員の表情が深刻に強張り、しばらくの間、部屋の中には息遣いすら聞こえないほどの沈黙が降りた。


「困りましたね……」


長い沈黙を破り、オーギュストが重い口を開いた。


「このまま我々の目標であるカーディフへ移動するのは危険な気がします」

「あっ、そう言われてみればそうかもしれません」


ジュールがオーギュストの言葉に激しく同意するように首を縦に振った。


「カーディフはルロワ伯爵領なので簡単にはいかないと思います。これまで私たちは皇帝派に近い都市ばかりを移動してきたのでバレませんでしたが、アウレリア公爵派である伯爵領がどう出るか分かりません」

「警戒が今よりさらに厳しくなるでしょうね。村の中を動くのも難しくなるでしょうし、移動する時は常に監視がつくかもしれません」


ジュールの説明も理解はできるが、そこまでか?

訝しげにルセテリが首を傾げた。

ドラゴンである自分がいるというのに、バレる心配をするだと?

容易には納得がいかなかった。


「ルセテリ様の腕を疑っているわけではありません。ただ、あちらがどんな手を用意しているか分からないから言っているだけです」


不満げに顔の筋肉をピクピクさせているルセテリの表情を見たローザが、ルセテリの機嫌を損ねる前に素早く手を横に振りながら補足説明を付け加えた。


「あちらの情報収集が簡単ではないので、我々も安全だと断言できないんです。決してルセテリ様やジア皇女様がバレると思っているからじゃありません」

「ローザの説明通りです、ルセテリ様。奴らがどんな場合の数を準備しているのか確認が取れないから言っているだけですので、どうかお怒りをお鎮めください」


自分でも気づかないうちにフィアー(恐怖のオーラ)が漏れ出ていたようだ。

全員の顔色が悪くなり、ブルブルと震えながらうつむいてオロオロしている姿が……おっと、悪いことをしたな。

こういうつもりじゃなかったんだが。


[ルッ様、ひどい]


ツンと唇を尖らせたジアが、ルセテリの腕をペチペチと叩いた。


[いや、俺を信じられないから言ってるんだと勘違いすることもあろう]

[だからってフィアーはないでしょ]

[無意識に出ちゃったんだから、仕方ないだろ!]

[一体歳はどこで食ってきたの、ルッ様]


ここで年齢を持ち出すのは反則だろ!


「コホン、いや。ちょっと失敗した」


フィアーを収めながら、ルセテリはさりげなくジアの顔色をうかがった。

しかし依然としてジアの冷ややかな視線は変わらず、腕を叩く手の力が次第に強くなっていった。


[あ、なんだよ……。フィアーは収めただろ]

[間違ったなら謝らなきゃ。謝ってないじゃん]


そこが問題だったのか。


[ちゃんと謝って]


「ゲホッ、ゲホッ」

「どこかご不快なところでもおありですか、ルセテリ様?」


なかなか止まる気配のない咳の音に、心配そうな顔でオーギュストがそっと様子をうかがった。


「ゲホッ、コホン……いや。あー、その……うむ。……すまん」


泣く泣くというわけでもなく、たとえかろうじて聞こえるか聞こえないかくらいの声だったとしても、とにかくルセテリの立場からすれば謝罪したのだ。

蚊の鳴くような声ではあったが、とにかく謝罪は謝罪。

ジアは見開いていた両目を和らげ、今回だけは見逃してやるふりをすることにした。


「それでですね、我々はどうしてもカーディフの前に別れた方が良さそうです」


なんだと? え??

ちょっと、ちょっと、ちょっと待て!!!

嫌な予感にルセテリの瞳孔がまん丸になった。


「別れる?」

「え、はい。どうしても私たちと一緒に行動されると、かえって目立ってしまうでしょうから?」


アルは、ルセテリがなぜ慌てた様子でオロオロしているのか理解できないように首を傾げた。


[もう諦めたら、ルッ様]


ジアは深いため息をついた。

ルセテリの下心があまりにも見え見えだったからだ。

間違いなく、今ルセテリが慌てている理由もそれのせいだろう。


「俺の牡蠣いいいいいぃぃぃっ!!」


だから、ドラゴンとしての威厳というのはだな……。

ジアの頭の片隅がズキズキと痛み始めた。

すでにあの発言一つで、世界の大行者というドラゴンのイメージは粉々に砕け散ってしまった。

いや、すでにそんな威厳自体はずっと前に壊れていたのかもしれない。


ジアの頭の中には、あの時リバーヒルを離れた時からのルセテリの行状がくっきりと描かれた。

すでに十分に幻想が打ち砕かれるには余りある行動ばかりだったな。

オーギュストとローザはすでに顔を背けて見ないふりをしているところだった。

微かに肩まで震えているところを見ると、必死に笑いを堪えているようだった。


ダメだこりゃ。

この世の終わりとでも言わんばかりに床に突っ伏して牡蠣を叫び続けているルセテリを、ジアはどうしても見捨ててしまいたい気持ちでいっぱいだった。


「ルッ様」

「俺の牡蠣……どれだけ心待ちにしてたか……」


大粒の涙がドラゴンの目からボロボロとこぼれ落ち、床がビショビショに濡れていた。

どうやらまだ気づいていないようだな?

ジアは床で放心状態になり、簡単には泣き止みそうにないルセテリの肩をトントンと叩いた。

やはり牡蠣が食べられないというショックに打ちひしがれているせいか、ジアが呼んでいることに気づいていないようだ。

今やもう床を叩いて号泣しそうな勢いだった。


「ルッ様、ルッ様」

「グスン……なんだぁ?」


肩を叩くどころか、バシバシと埃が立つほど叩いてから、ようやくルセテリは顔を上げ、涙に濡れた目でジアを見上げた。

ルセテリは今、最も重要な事実を忘れていた。


「ルッ様、今何の季節?」

「え? 季節?」


唐突に不思議な質問をしてきた。

急に季節はどうして……?


「今? 初夏だろ?」


そうだった。

外に立っている古木には、そろそろ脱皮して交尾の準備をしようとする蝉が本格的に鳴き始める前の、日差しが強くなる初夏の始まりを告げていた。


「忘れてるみたいだから言うけど、ルッ様、牡蠣は冬にしか食べられないよ」

「……あ!」


だから、最初から間違った前提条件だったってことだよ?

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