第5話 子守り竜は可愛さに弱い
第5話 子守り竜は可愛さに弱い
「世界の代行者であり、太陽のドラゴン様のことよ」
目の前の黒いドラゴン以外にも他のドラゴンが存在するという言葉に、ジアの目はキラキラと輝いた。
母であるミエリアから昔話のように聞いていた存在が本当に実在するのだから、ジアが好奇心を抱くのも無理はなかった。
「月光のドラゴンであられるルセテリ様をお迎えするには、みすぼらしい場所で申し訳ありません」
「いや、それはミエが謝ることじゃない。皇帝の野郎が俺のところへ来て土下座すべきだろ。ソル様に、お前を守るって誓約までしたじゃないか」
「ふふっ、あの人も彼なりに最善を尽くしているところなので……理解してあげてください」
ミエリアはルセテリの愚痴に静かに微笑みながら、落ち着いてティーカップを下ろした。
「それでも北の離宮は人が出入りしないので、あれこれと視線を避けるには一番良い場所なんですよ」
「チッ、もし兄弟がもう一人でもいたら、皇位に就く前に粛清の筆頭候補だったような奴が……全く!」
気に入らない。
ルセテリが眉間をひそめると、ジアが心配そうな瞳でルセテリの服の裾を引っ張った。
『うちのパパ、怒られちゃう?』
ウルウルとした目で、もしかして自分のパパがルセテリに怒られるのではないかと心配になったようだ。
いや、そんな可愛い顔で見つめられたら、どうしようもないじゃないか、くっ!
「ううん、怒ったりしないよ」
怒るかわりに、これからは少し苦労してもらわないとな。全くだ、平穏に暮らしていた公女を攫うように連れてきて、皇后として贅沢させても足りないくらいなのに、こんな扱いだなんて……俺があんなに駄目だと反対したんだから、少しは痛い目を見てもいいだろ?
「ルセテリ様が一人で反対されたんじゃないですか。皇帝陛下も最善を尽くしておられるのに、そんなことを言われると私、悲しいです」
急に真顔になったミエリアを前に、ルセテリは降伏を宣言するしかなかった。それに加えてジアの視線攻撃である。ドラゴン限定で、ルシネリ家の娘たちに対抗できるはずがなかった。
それにしても、俺はいつ口に出して皇帝を痛い目に遭わせるなんて言ったっけ?
「わかった、もう言わない。だから、そのパイの残りを片付けないでくれ」
さっとベリータルトが盛られた皿を片付けようとするミエリアを誤魔化すことはできなかった。幸運(?)なことにパイの皿は再び置かれ、また奪われまいとルセテリは慌てて残りのパイを一口で放り込み、モグモグと頬張った。
「実はソラレティ様にお願いしていたことなのですが、ジアのことでお願いがあり、やむを得ずこちらにお呼びすることになったのです」
「お願い? 何のお願いだ?」
お願いと言うか、ソラレティ様は『アメリア帝国の皇女を誘拐してこい』としか言わず、他に何も言わなかったので、ルセテリは耳をピクッと動かした。
話を切り出す前、ミエリアがチラリとジアに視線を投げるのが見えた。
「当分の間、ジアの面倒を見ていただきたくて」
「えっ? 俺が? 面倒を見るって?」
「はい」
「帝国には乳母とかシッターはいないのか?」
「それが……ジアは竜言しか使えないんです。今まで一度も声を出して話したことがありません」
「それがどうした?」
理解できないといったルセテリの態度に、ミエリアは曖昧な微笑みを浮かべてみせた。
「ここはコセン公国ではありませんから」
「あの年齢で自由自在に竜言を使えるなんて天才じゃないか? あの感応力なら、我々ドラゴンに近いということなのに、何か問題があるのか?」
だから、ここはアメリア帝国なんですよ。
ミエリアはなかなか理解してくれないルセテリに向かって、長い溜め息をついた。
「私もジアに特別な才能があることはよくわかっています。ただ、アメリア帝国においてドラゴンとは、あくまで伝説の中にのみ登場する神話の存在ですからね。誰も信じないんです」
「それ、ソラレティ様が聞いたら、すごく寂しがりそうな言葉だな?」
「ですから、竜言しか使えないジアが排斥されるのは仕方ないことです。ジアの性格も人見知りですし、外見も外見なので……」
外見がどうしたって?
特に獣人の耳がついているわけでも尻尾があるわけでもない。チラチラとルセテリはジアの外見を観察したが、特別なところは何もなかった。
むしろ見れば見るほど、ふっくらとした赤ちゃんのほっぺた、潤ったチェリーのような小さな唇、子供にしてはお澄ましでクールな印象の黒いおかっぱ頭が魅力的で……ぎゅっと抱きしめて頬ずりしたい気持ちでいっぱいなのだが!
ルセテリの下心でも覗き見ているかのように、ミエリアはそっと目元を細めて彼を見守っていた。
「私にとってもジアは可愛い娘です。ただ、アメリア帝国の皇族の外見ではないため、貴族たちの視線が少々……」
「少々?」
「受け入れがたいようです。どうしても……」
ルセテリはジアの黒曜石のような黒い瞳をじっと覗き込んだ。
深さの知れない深淵のような静けさだった。
帝国の奴らはどうやら審美眼がみんな節穴らしい。たかが金髪金眼がなんだって言うんだ。
ミエリアの言葉の中には、おそらく取るに足らないコセン公国の公女が帝国の皇后になったことが、貴族たちは気に入らないという事実が隠されていた。
しかも、皇族の金髪金眼を最高とする帝国において、黒髪黒眼はまさに差別されやすい外見でもあったのだ。
「俺から見りゃ、みんなどれも同じ人間種族にすぎないんだがな」
タルトを食べ終え、お茶の代わりに牛乳が注がれたカップを持ち、もみじのようなふっくらとした手で両手飲みしているジアの頭を撫でながら、ルセテリは再びメラメラと燃え上がった。
これも全部あの野郎のせいだ。
「皇帝、あの野郎を……」
思わずルセテリの口から罵りが飛び出してしまった。
『ロッ様、これ食べて怒るのやめて』
ジアが皿の上に置いてあった自分のマドレーヌを一つ、ルセテリに差し出した。
はにゃにゃにゃにゃん~
だから、この可愛い子猫ちゃんを一体誰が嫌うって言うんだ!
ルセテリはジアをぎゅっと抱きしめた。
ドラゴン限定で、ルシネリ家の娘たちにだけは無条件で好感度が最大値に振り切れるバフを持っているとはいえ、ルセテリのジアに対する執着はミエリアが制御しきれないほど格別だった。
少しだけ、ミエリアは自分の選択が正しかったのか心配になった。
「ソラレティ様にもご相談してみたのですが、ソラレティ様が動かれるわけにはいかないとおっしゃって」
話を終えたミエリアは、そっとルセテリの様子を窺った。
相変わらずルセテリは、ジアの頬から離れそうになかった。
「代わりにルセテリ様がジアの面倒を見てくださるなら……」
「ん? ソラレティ様の代わりに俺が?」
「今のところ、私にはルセテリ様以外にジアを信じて任せられる人がいません。お願いします」
『おねがいちましゅ』
ミエリアが深く頭を下げてルセテリにお願いすると、ジアもママの真似をして頭を下げた。
ルセテリがジアを抱っこしているため、ジアのつむじがはっきりとルセテリの視界に入ってきた。
なんてことだ、頭のつむじまでこんなに可愛いなんて。つむじが一つじゃなくて二つもあるぞ?
ミエリアはルセテリの口元が緩むチャンスを逃さなかった。
「ジアのシッター、やってくださいますよね?」
『やってくれましゅよね?』
両脇からルシネリ家の娘たちが目をキラキラさせてお願いしてくるのに、ドラゴンであるルセテリが耐えられるはずがなかった。
「う、うん……わかった」
勢いに押されたルセテリは、すっかりミエリアの策にハマってしまった。いや、ハマるしかなかった。
それ以外の答えなんて必要とされてないじゃないか、これは。
ルセテリの完敗だった。
「引き受けてくださるんですね?」
「ああ、やる、やるってば!」
その時ようやく、ミエリアの口元に満足げな笑みが浮かんだ。
全く、恐ろしいルシネリ家の女たちだ。
「それなら、もう一つお願いしてもよろしいでしょうか?」
「またかよ、何だ! 何があるってんだ!」
もう自暴自棄だった。いや、最初から腹をくくってすがりついてきているのだから、ドラゴンである自分が断れるはずがないではないか。
「私も大変申し訳ないお願いではあるのですが……」
「言えよ。どうせ俺が断れないってよくわかってて言ってるんだろ」
今更だな、と思いながらルセテリは手を横に振った。
「よろしければ、ポリモーフの姿を少し変えていただけないでしょうか?」
「うん?」
「可能であれば、経験豊かで慈愛に満ちた、少し年配の女性の姿に……?」
経験豊かで、慈愛に満ちた……何だって?
ティーカップを口に運んでいたルセテリは、危うくお茶を吹き出しそうになった。
ミエリアは何かとても恐れ多いと言わんばかりに、両手を合わせて祈るようにルセテリに向かって哀願する視線を送った。
「ほら、あるじゃないですか。ベビーシッターや乳母と言えばパッと思い浮かぶ、あの、おばあちゃんみたいな印象の……」
お、おばあちゃん……
この世界にドラゴンを攻撃する勇気を持つ生命体はいなかったが、もしいるとすればこの二人ではないだろうか。この二人の精神攻撃だけでも、相当疲弊しそうだった。
「ごめんなさい。どうしても今のルセテリ様のお姿は、とても美しいことは確かなのですが、シッターとしての外見としては怪しまれるのにぴったりだと思いまして」
「怪しまれるだと?」
いや、言われなくてもわかりそうだった。愚民な人間どもが作り出す、気味の悪い噂のことだ。
額に手を当てたルセテリは、あえて答えなくてもいいと言うように手を上げてみせた。
『ロッ様、おばあちゃん、しゅき』
いや、そんな無害な顔で見つめないでくれ……。
ニコッと笑うジアの顔を見ながら、ルセテリは身動き一つとれずにこの二人の罠にハマったことを認めざるを得なかった。




