第49話 遥か遠い北東の砂漠の向こうには
劇団の全員が中庭に出て楽しく飲み食いしている姿を、ルセテリは愉快そうに眺めていた。
これまでは彼らの姿をじっくりと観察する暇がなかったが、こうして全員が集まっているのを見ると、劇団の個性がはっきりと一目で分かった。
特に、ルセテリに話しかけてきた空中曲芸を担当しているリンビンとイェンパが目を引いた。
帝国出身ではないことだけは確かな外見だったが、かといってフォンテンの森付近の住民でもない、異国情緒あふれる顔立ちだった。
藍色の髪に、小さく横にスッと切れ長な濃い青い瞳。他の人々に比べて背が低く骨格の細い体型で、そのせいかとりわけすばしっこく、素早い動作での身のこなしが並外れていた。
「二人はどの地域の出身なんだ? 帝国の近隣ではないのは確かみたいだが」
「すぐに分かっちゃいますか? まあ、私たちの見た目ってかなり目立ちますもんね?」
「かなりどころか目立ちすぎて、帝国で暮らすのは大変でしたよ」
そう言って締めくくったリンビンを見つめながら、イェンパがため息をついた。
それでも劇団で曲芸を披露する身であるためいくらかマシな方ではあったが、二人が帝国を巡回しながら感じたことは、帝国の人間ほど外見で人を激しく差別する国はないということだった。
皇族を意味する金髪と金眼、少なくとも金色に近い茶色の髪や瞳でなければ、どこへ行っても人々の鋭い視線が付き纏うのが帝国だった。
「私たちは北東にある『死の砂漠』を越えた先にある、ジエンという国から来たんです」
「ジエン?」
初めて聞く耳慣れない地名に、ジアはピンと耳をそばだてた。
本でも、死の砂漠の向こう側に関する話は見かけなかった。
それほど危険で、足を踏み入れた瞬間、死が支配する場所から抜け出せなくなるという意味で「死の砂漠」と名付けられた場所なのに、そこを抜け出してきた人間がいるということに興味が湧いた。
「幼い頃に両親に連れられて通ってきた道なので、記憶に残っていることはあまりないんですけどね」
「ほう、それならお二人は兄妹だったんだな?」
全く帝国人らしくない外見に気を取られすぎたあまり、二人がよく似ているということに今になって気がついた。
「まあ、中には俺たちのことを夫婦だと思ってる人たちもいたみたいですがね」
「うっ、こんなのが私の夫だなんて、絶対に嫌ですよ」
エールにこっそりと手を伸ばすイェンパに向けて、リンビンはピシャリと叩くどころか肘打ちを食らわせながら、ルセテリに向けてニッコリと笑った。
「こんなのが夫だったら、とっくに追い出してますよ。飯ばっかり食う穀潰しじゃあるまいし」
「お前こそ、将来誰がもらってくれるのか激しく心配なんだが? とっとと俺のそばから離れろよ」
ああ、マジのリアル兄妹で間違いないな。
お互いがお互いを嫌悪する表情があまりにもリアルすぎて、あれを演技だと錯覚する方が難しそうだった。
いや、たとえ演技だったとしても、あんなに生々しく嫌悪感が滲み出ているならそれはもう演技ではない。ただの現実だ。
「もしかして、ジエンという場所をご存知なのですか?」
ジエンという言葉を聞いても好奇心をあらわにしないルセテリの反応に、そんな人は初めてだとでもいうように、リンビンは目を輝かせて両手を大人しく前で組み、顎を乗せて彼を見つめた。
「行ったことはないが、昔の古書で見た記憶があってね」
ルセテリの答えに、リンビンもそうだがイェンパもどこか寂しげな表情を浮かべた。
「いいえ、私たちの故郷だとは言っても、私たちには記憶がないものですから。どんな場所なのか聞いてみたくて」
「あまりにも遠い場所なので簡単に行ってみることもできず、俺たちも両親から聞いた話しか知らなくて。ジエンを知っている人に会ったのは、ル先生が初めてなんですよ」
リンビンとイェンパの言う通り、ジエンという場所は帝国の立場から見れば、幻想の中にしか存在しない国だった。
そんな国があることすら知られていなかったし、死の砂漠を越えた生存者がいるという話も、今ここで初めて聞いた言葉だった。
いくらハッチリングとして長い歳月を過ごしてきたとはいえ、ルセテリでさえ聞いたことがなかったのだから。
そんな国から渡ってきたという二人が、両親から故郷の話を聞きたがるのは当然だった。
誰もが自分の存在に対する疑問を抱いているはずだからだ。
それが家門に対する誇りであったり、あるいは誰かに認められることで自分の存在を証明することもできるが、自分のやって来たルーツを探すこと、そこから始める人もいるものだからだ。
この二人の好奇心はもっともだった。
ルセテリもまた、大昔に読んだ本の内容がすべてであるため、どんな国なのかについて二人に伝えてやれることは極めて限定的だったが、二人にとってはそれさえも気にならないのだろう。
「二人が知っているジエンという国は、どんな場所なんだ?」
いつか生きていれば、一度くらいは行ってみる機会もあるだろう。
「ジエンには、大半が私たちのような外見をしていると聞きました。藍色の髪に青い瞳だって」
「ジエンは山も多くて、みんな森の中に小屋を建てて暮らしていると。畑を耕してその中に水を張り、育てた『オリッジ』というものを食べていると言っていました」
「オリッジ?」
見慣れない食材の登場に、ルセテリの両目が輝き、二人の方へ自然と体が身を乗り出した。
「えっと、つまり小さな粒がたくさんついた穀物の名前なんですが、これを煮て食べると聞きました。俺たちも子供の頃のことなので記憶にはありませんが」
「父が、オリッジは雨がたくさん降らないと育てられない作物だと言っていました。だからその雨を溜め込んだ畑? そういうものが必要なんですが、ここではそういう方式を使う畑がないので育てるのが難しいと、ため息をついているのを聞いたことがあります」
二人が互いに知っている知識を総動員してルセテリに説明したが、想像だけでは簡単にどんな食べ物なのか全く分からなかった。
あらゆる調理法が頭の中をかすめていったが、どうしてもどんな味なのか想像がつかなかった。
それでも、美味しいから人々が食べているんだろうな?
「いつかジエンへ行くことがあれば、ぜひ一度食べてみたいものだな」
自分の知らない未知の味なのに、食べてみない理由がなかった。
ルセテリの答えに、かえって戸惑ったのはイェンパとリンビンだった。
二人は驚いて顔を見合わせた。
「そこへ、行かれると言うのですか? ジエンへ?」
リンビンが恐る恐る尋ねてきた。
まあ、砂漠を越えてきた生存者はいないと知られている場所なのだから当然の反応ではあるだろうが、ルセテリにとって行けない理由にはならなかった。
「行く機会があれば、一度は行ってみたいものだな」
「ジエンは砂漠に囲まれた国なので、砂漠を越える以外に方法がなくて、簡単に行けるような場所じゃありませんよ」
心配そうな顔で、イェンパが今にもジエンへ旅立ちそうに浮き足立っているルセテリを止めていた。
「死の砂漠がどうして死の砂漠と呼ばれているか。あそこへ一度足を踏み入れた人はいても、戻ってきた人はいないんです」
「別名が『亡者の砂丘』ですからね。俺たちの両親もそこを渡ってきた時は相当苦労したと聞いています。ほとんど死にかけたところを、誰かが助けてくれたんだとか。目を覚ました時は砂漠の向こう側だったと言っていました。そうでなければ、俺たち家族はみんな死んでいたと」
猛烈な勢いでルセテリに詰め寄る二人だった。
記憶にはない出来事とはいえ、あの時経験した死にかけた恐ろしい記憶だけは、目を閉じても未だに悪夢のように自分たちに付き纏う恐怖だった。
故郷を恋しがっていた両親は、再び戻る勇気も出せず、ただ北の空を眺めては郷愁を紛らわせていた。
そして彼ら自身に自分たちが育ってきた故郷の話を何度も繰り返し聞かせることで、故郷への郷愁を慰めていた。
子守唄のように聞こえてくる見知らぬ異国のメロディーは、イェンパとリンビンにとっては幻想の中に存在する物語だった。
たまたま運良く劇団について回り、大陸のあちこちを旅してきたが、腰を据えて故郷と呼べる場所はなかった。
かといって再び命を懸けて砂漠を渡るには、両親にはイェンパとリンビンがいたのだ。
亡くなって土に埋葬されるその瞬間まで、二人は行くことのできない故郷への恋しさに完全に目を閉じることはできなかった。
代わりといっては何だがイェンパとリンビンも行ってみたかったが、二人だからといって簡単な道があるはずもなかった。
それを知っていれば、とっくに旅立っていただろう。
激しく止める二人を、ルセテリはただゆっくりと瞬きをしながら見つめていた。
あんな砂漠なんて、空を飛んで行けば済むことだった。
ジアがいたとしても、乗せて砂漠を越えればいいのだから、万が一帝国からこれ以上逃げ場がなくなった時にうってつけだった。
簡単に行き来できない土地、身を隠すには最適ではないか。
「今すぐ行くという意味じゃなかったんだが」
今すぐは困る。
ジアを連れて、フォンテンの森で待っているだろうソラレティ様もいるしな。
ひとまずジエンへ行くとしても、後の話になるだろう。
「ル師匠、言ってることとやってることがバラバラだよ」
「ん? 何がだ?」
何食わぬ顔で平然と答えたが、ジアの目にはばっちりバレていた。
一時もじっとしていられず、モゾモゾと動いているルセテリのお尻と太ももが。
「師匠の態度を見た限りじゃ、今すぐにでも飛んで行きそうに見えるけど、私はまだ死にたくないからね?」
「そ、うむ……違ぇぞ?」
「じゃあなんで足が貧乏揺すりしてるわけ?」
案の定、ジアが指差す先には、テーブルの下でガクガクと震えているルセテリの足があった。
「これでシラを切るつもり?」
ああ、誰を誤魔化せるというのか。
気持ちとしては、今すぐにでも飛んでいきたい気分でいっぱいだった。
今のジアを連れて行くのは当然無理だという事実は、ルセテリも分かっていた。
気持ちだけなんだから、別にいいじゃないか……。
ああ、すねてやりたい。




