第46話 豚バラ肉で釣りをしよう
「でも、どうするつもりですか?」
「どうするって、何をだ?」
「そのまま放っておくおつもりですか? 気がかりなんですが」
「俺が行って片付けようか?」
オーギュストとの会話を聞いていたジアが、パッチリと目を開けて手をピンと挙げた。
「ダメだ!」
「いけません!」
オーギュストとルセテリが同時に叫んだ。
「どんな危険な奴らか分からないのに、何をおっしゃるんですか! 絶対にダメです」
「そうだ、それに今はお前、魔法使用禁止なのを分かってるよな? ダメだ」
断固とした二人の気迫に押され、ジアは少しシュンとしたように肩を落とした。
「ダメなの?」
「いや、そもそもどうしてお前がしゃしゃり出ようとするんだ? 理由でもあるのか?」
ジアが気にかけるような奴らではないことは確かだった。
公爵が差し向けた人間であるはずもなかったし、ジアが乗り出す理由は何も見当たらなかったのだが。
「ただ、ちょうど殴りやすそうな体つきだったから?」
殴りやすそう……。
どこでそんな言葉遣いを覚えてきたんだ?
あ、俺か?
どうも教育方針に問題があるのではないか、一度全面的な見直しをする必要がありそうだ。
覇気に満ちたジアの言葉に、オーギュストは一瞬ポカンとしてルセテリを見つめた。
帝国の皇女が『殴る』だなんて……オーギュストにとっては少なからずショックだったようだ。
「それに、私が近づけば大して怪しまれずに簡単に片付けられそうだったから……」
すっかりとしょげ返った声で、ジアが自分の考えを打ち明けた。
ただ何も知らない子供が近づけば、怪しまれることなく不意打ちを食らわせることができると思ったから言っただけなのに、少し考えが先走ってしまっただろうか?
チラリと、ジアはルセテリの顔色をうかがった。
「悪くない考えだと思いますが?」
むしろジアの言葉にオーギュストが真剣な顔つきになり、ルセテリの説得に入った。
オーギュストの手のひら返しに、ルセテリの眉がピクリと動き、不満げな顔で彼を見た。
「なんだと?」
「油断している隙を突くんです。その隙を突いて捕らえ、背後関係を洗い出すべきです。今はどんな危険も排除しておくのが得策です」
「だからって、子供を利用することはないだろ」
全く気乗りしない顔をするルセテリに、オーギュストが近づいてそっと耳打ちした。
「そのまま放っておくおつもりではないのでしょう」
ああ、もちろん……そのつもりではあったが、だからといってジアの前でそういうことをするのはちょっと……。
「確実に、一発で仕留めることにしましょう」
良い作戦であることだけは確かだった。
子供が近づけばどうしても警戒心は和らぐだろうし、その隙を突くというのは成功する確率の高い作戦だった。
だからといって、まだ幼いジアを巻き込むというのは……。
「上手くできるよ。それに、これから私が乗り越えていかなきゃならないことなら、一度でも多く経験しておいた方がいいんじゃない?」
「いや、何を乗り越えるって言うんだ……経験するって何だよ」
「私もこれからは平民みたいに普通の生活をしなきゃならないんでしょ。それならたくさん経験を積まなきゃダメだって言ったじゃない?」
「いや、それとこれとは別の話だ。そういう意味で言ったわけじゃ……はぁ。もう勝手にしろ」
ジアと言い争おうとしていたルセテリは、ジアに両手両足を上げて完全降伏を宣言した。
その大きな瞳をキラキラと輝かせ、どうしてもやってみたいという顔でおねだりされては、断れるはずがないじゃないか。
「負けたよ。好きにしてみろ」
小さな露店で大金を惜しげもなくポンポンと支払って回る上客だった。
一目見ただけでも、どこかの貴族が平民の暮らしを体験しようと下手な真似事をしている姿に間違いなかった。
平民なら今すぐポケットに10ベラさえ入っておらず指をくわえているのが大半だというのに、十万ベラ札を平気で取り出したのだ。
「兄貴、大丈夫でしょうか?」
不安そうに頭巾を深く被った一人の男が、もう一人の頭巾を被った無精髭の男に近づき、恐る恐る慎重に動いた。
「どう見てもああいう連中の周りには、護衛の騎士が身を隠して守っているんじゃないでしょうか?」
「いや、いなかったぞ。やるなら今がチャンスだ」
「どうも俺は少し不安なんですがね」
薄暗い路地で、二人はルセテリとジアを観察しながら隙をうかがっていたところだった。
「こんにちは、おじさんたち?」
「んん? お? あ、こんにちは?」
突然目の前に現れた茶色い髪のそばかすだらけの少年が、嬉しそうに二人に手を振りながら姿を現した。
一瞬緊張したのも束の間、二人は無邪気に笑う子供に向けてぎこちなく手を振り返し、警戒を解いた。
「おじさんたち、ここで何してるの?」
「いや、ちょっと人を待ってて……」
ニコッと笑った少年が指で自分を指差したかと思うと、二人の後頭部に強烈な一撃を食らわせる何かが直撃し、視界が真っ暗になってその場に倒れ込んだ。
二人の男が目を覚ました時、目の前にはニコニコと笑っているルセテリの顔が至近距離に迫っていた。
優しげに細められた目元とは裏腹に、鋭い視線に二人はゴクリと生唾を飲み込んだ。
貴族のように上品な顔立ちで甘く見ていたのとは正反対の殺伐としたオーラに、二人の男は体がガタガタと震え出した。
「そろそろ気がついたか?」
ニコッ。
この爽やかな笑顔の前でブルブルと震えるとは、肝っ玉も小さいくせに白昼堂々の強盗とは、職業選択を間違えたな。
「それで、俺たちをつけ回していた理由は何だ? 聞くまでもないだろうが」
「あ、あの……えっと……」
「ん? 何だって? 聞こえないぞ」
「は、腹が……」
「腹? 腹がなんだ? 腹が減っただと?」
返事の代わりに、二人は激しく首を縦に振った。
少しでも同情を引いて、早くこの場から逃げ出したかったのだ。
「それなら真っ当に働いて買って食え。五体満足なくせに、こんなところで才能を無駄遣いしやがって」
「最近、仕事がないんです」
「はい、そうなんです。俺たちを雇ってくれる作業場がなくて……」
事情は気の毒だが。
だからといってドラゴンの財布を狙おうというのは筋違いだろう。
「ルッ様。この人たち、ちょっと可哀想かも?」
「可哀想なら、強盗してもいいってのか?」
「うーん、それは違うけど」
「憂いを取り除いておきましょう」
チャキッ。
オーギュストはぞっとするような鋭い刃の剣を鞘から抜き、地面に手をついている二人の手首へと突きつけた。
一太刀で手首がポーンと飛んでいきそうなほど、刃は青白く光っていた。
「も、申し訳ありません!」
「許してください! あまりにも腹が減って、つい魔が差してしまったんです」
二人は必死に両手を擦り合わせて地面に平伏し、許しを乞うた。
実のところ、最初から他人の財布を狙うつもりはなかったのだ。
ただ腹が減りすぎて、偶然道に落ちていた財布の金を届けずに自分の空腹を満たし始めたことから事態が大きくなっただけで、決して他人のものに手をつけようという考えからではなかった。
それに実のところ、本格的な強盗めいた真似をしたのは今回が初めてでもあった。
「どこも俺たちみたいな奴らを雇ってくれるところがなくて、つい」
あからさまに鼻をすすり、ポロポロと涙を流して座り込んでいる姿は哀れだった。
空腹の前では誰もが平等ということか。
「じゃあ、これ食べる?」
ポケットからジアが串焼きを二本取り出し、二人の前に差し出した。
焼きたてのように湯気が立ち上る豚バラ肉の串焼きに、思わず二人はゴクリと生唾を飲み込んだ。
「これあげるから、代わりに一つだけ約束して」
「命だけはお助けいただけるなら、何でもします!」
「いくらお腹が空いても、他人のものには手を出さないこと。できるよね?」
二人は目の前で串焼きを揺らしているジアの背後で、チビってしまいそうなほどのオーラを放っているルセテリの顔色をチラチラとうかがった。
まるで二人に「分かったら頷け」と返事を強要しているかのようだった。
ルセテリの気が変わらないうちにと、二人は必死に頷きながら両手で恭しく串焼きを受け取った。
「チッ、こんなの何の解決にもならないぞ」
「今お腹が空いてるって言ってるじゃない。グーってお腹が鳴る音も聞こえたよ」
言い終わるや否や、二人のうちの一人の腹から、容赦なく飯を寄越せという音が路地に響き渡った。
「ほらね、ひとまず食って死んだ幽霊は血色もいいってママが言ってたもん。それにルッ様。買いすぎだよ」
おいおい、なんで矛先がこっちに向くんだ?
ジアの可愛らしい文句に、オーギュストは思わず吹き出してしまいそうになり、顔をプイッと横に向けた。
「人に施して生きることも知らなきゃダメだって言ってたよ」
どれもこれも正論ばかりを的確に選び出して言った。
これではルセテリはジアに勝つ術がない。
「分かった、分かったよ。二本くらい、まあいいだろう。でも、根本的な解決策じゃないことは分かってるな?」
「分かってるよ。ただ今のお腹のペコペコがなくなるだけじゃない」
その言葉に賛成するかのように、オーギュストが頷くのが見えた。
「オーギュストおじさん」
「え……? はい? 私ですか?」
突然おじさんと呼ばれたオーギュストは、戸惑いを隠せず言葉を濁した。
「うん、おじさん」
「うっ……」
大きな瞳で両手を組み合わせ、ウルウルと自分を見つめるジアの眼差しに、オーギュストの心は揺らいだ。
「ル、ルセテリ様?」
戸惑ったオーギュストは助けを求めるような切実な思いを込めてルセテリを見つめたが、そんなオーギュストの視線を無視するように、ルセテリはプイッと顔を背けてしまった。
「何か方法ない?」
いや、それを自分に聞かれたところで、妙案があるはずがないだろう。
「もちろん、こうやって人が道端で飢え死にしそうになってるのは国の責任だけどさ、せめてこの人たちだけでもどうにかしてあげる方法はないかな?」
「ど、どういうことでしょうか?」
「おじさんなら、この二人がどこか働ける場所を探してあげることくらいできるでしょ?」
オーギュストの背筋に冷や汗が一滴流れた。
すでにジアはすべての計算を終えていたに違いない。
そうでなければ、おじさんだなんて……。
オーギュストの完全な敗北だった。




