第44話 豚バラ肉の串焼き
ローザの説明は実に美味しそうだった。
どれくらい美味しそうだったかと言われれば、口の中が涎で溢れ返るほど絶品だったという表現以外に言葉が見つからなかった。
そのせいで、口から垂れた涎がジアの頭を濡らしてしまった。
「それにしても、ドラゴンの唾液なのにね……。ちょっと言いにくいけど」
「なら、唾を唾だと言って汚いって言ったのに、文句あるの?」
「い、いや。古くからドラゴンの唾液は霊薬扱いされてきたんだぞ?」
ジアの顔が一瞬にして歪んだ。
『このドラゴンは一体何を言っているんだ』というような、嫌悪感の入り混じった顔だった。
ちょっと心外なんだが?
本当に薬学の本の片隅にそう書かれていたのに?
もちろん、ずっと昔の古書に書かれていた内容ではあるが……。
これといった言い訳も思いつかず、ルセテリは苦笑いを浮かべてジアの視線から逃れた。
ローザの説明があまりにも見事だったせいで、ジアの軽蔑の眼差しを浴びながらも、ルセテリはすでに『豚の丸焼き石窯焼き』という言葉を聞いただけで期待で胸を膨らませていた。
「どうしても大人数になりますから、豚の丸焼き石窯焼きを何匹か用意して食べる方がお得なんですよ。美味しいですし」
久しぶりに味わう肉に、誰もが期待に満ちたように顔をキラキラと輝かせていた。
そうだそうだ、豚の味は不変だ。
ルセテリは頷いた。
窓から見下ろせる井戸のそばでは、人々が豚を運び込んでいるのが見えた。
その隣では、山のように積まれた薪に火をつけ、石の塊を熱し始めている光景も見えた。
ちょうど今、下ごしらえを始めようとしているところらしい。
問題が一つあるとすれば、あの豚の丸焼きだ。
完全に焼き上がるには、いくら熱した石を腹の中に詰め込んで調理するとはいえ、完成までにはかなりの時間を要するだろうということだ。
その間に、偉大なるドラゴンは空腹のあまり死にかけているというのに、どうにかならないものか?
魔法やブレスで一発! という選択肢もあるにはあったが、一歩間違えればこんがりと焼けるどころか、黒焦げの灰になってしまいそうで恐ろしかった。
いや、それに、ひとまず人前で正体を明かすわけにはいかないではないか。
でもお腹は空いてるし……グーグー鳴ってるし。
深刻な顔で窓の外を眺めていると、ローザがクスクスと笑っていた。
「ルセテリ様。時間はたっぷりありますから、ジア皇女様と一緒にブリトルの市場を見物してこられてはいかがですか? ひとまず街の中でしたら、自由に歩き回られても問題ないはずですよ」
「本当か?」
「はい。城壁の中に入ってしまえば、何も問題ありません」
そ、そそられるな?
何食わぬ顔で表情を隠そうとしても、口元が自然とニヤけてしまった。
「だ、大丈夫だろうな?」
「はい、行ってらっしゃいませ」
ローザ、親切すぎる!
[さっきからルッ様が、あまりにも熱心に飲食店を見つめてたからでしょ]
ジアがため息をつきながら不満げな竜言を吐いたが、今のルセテリにはジアの竜言など耳に入らなかった。
「私がついて行ってもご不便をおかけするだけでしょうから、お二人で行ってらっしゃい。団長やオーギュスト様には私から伝えておきますから」
間違いなく天使だ。
背中のどこかに羽でも生えているんじゃないか?
「ありがとう、ローザ。何か必要なものはないか? 出るついでに買ってくるぞ」
ローザの手をぎゅっと握りしめ、ルセテリは目に涙まで浮かべていた。
ジアから見れば、まさに……。
見苦しい。
ママが今まで聞かせてくれたドラゴンに関する話は、すべて嘘だったような気がしてきた。
世界の大行者だの、女神デメステルの意志を受け継いだ完璧な存在がドラゴンだのと言っていたが、目の前にいるこのドラゴンからは全くそんな気配が感じられなかった。
いや、初めて会った時から一貫していると言えるか?
あの時、スフレパンケーキで交渉してきた時から見抜いておくべきだった。
それなら、もしかしてもう一人の黄金のドラゴンだというソラレティ様も、ルッ様のような食いしん坊ドラゴンなのだろうか?
瞬間、頭をよぎった不安感にゾクッと悪寒が走り、両腕を抱え込んだ。
ルセテリはそんなことお構いなしに、ローザの手をしっかりと握りしめて離す気がなさそうだったが。
「それでしたら、お出かけのついでに豚のバラ肉料理をお願いしてもよろしいでしょうか?」
序盤であれば、間違いなく何も必要ないと言って断っていただろうローザだった。
すでに旅の途中でルセテリの性格がすっかり露呈した今、ローザに遠慮はなかった。
実はローザも、ブリトルの新しい料理だという豚のバラ肉料理がとても気になっていたところなのだが、石窯焼きをする他の団員たちを手伝わなければならず、外に出るのが難しかったのだ。
外に出る機会をうかがっていたルセテリが、ドラゴンの気が変わらないうちに、と、すかさずためらうことなく頼み込んだのだ。
遠慮のないローザの頼みに、ルセテリは少し戸惑った。
まさか、言葉が終わるや否や頼み事をしてくるとは思わなかったからだ。
見方によってはかなり生意気だという気もしたが、いやまあ……食べたいならそういうこともあるか。
十分に理解できた。
俺はクールなドラゴンだからな。
[それ、単にルッ様も食べたいからでしょ]
やはりジアは鋭かった。
[当然だろ? ここでしか味わえない地域特産なんだぞ! 食べられる時に食べておくのが正解だ]
[ドラゴンって、みんなそうなの?]
[え?]
[ドラゴン様ってみんな変わってるの? ルッ様みたいに]
変わっているとは……ルセテリはジアの質問にすぐには答えられなかった。
この世にたった二匹しかいないドラゴンなのに、変わっているだのなんだの、平均値なんて出せるわけがないじゃないか。
……でも、ソラレティ様も平凡とは程遠かったような気はする。
ルセテリが食べ物にすべてを捧げているとすれば、あの方は光り輝くものに対する執着があると言おうか。
ソラレティ様のレア(巣)へ行く用事があれば、色付き眼鏡の着用は必須であるほど、四方八方がキラキラと光るもので埋め尽くされていたな。
そういう意味なら、確かに。
否定も肯定もできず深刻な悩みに陥ってしまったルセテリを見て、ジアはもう諦めることにした。
ルッ様が言っていた。
諦めれば、楽になると。
「ルッ様、行こう」
ルセテリの手を引いたジアが、建物の外へと彼を引っ張った。
中身のない答えを聞くくらいなら、外に出て人生勉強でもした方がマシに思えた。
ジアの手に引かれたルセテリの足取りは次第に軽くなり、やがてポンポンとリズムに乗りながら弾み始めた。
「よし、行こう!」
目標は明確だった。
先ほど露店がずらりと並んでいた横丁へ向けて!
「そこのパパ。何をそんなに悩んでるんだい。これとこれが一番人気だって言ってるだろう?」
深刻そうな顔で、ルセテリはなかなか決断を下せず、露店の屋台を睨みつけていた。
屋台の石板の上では、ジュージューと脂が溶け出す豚のバラ肉の香ばしい黄金色が、「一度食べてみな」とばかりにその姿を誇示し、誘惑していた。
手に持って食べやすいように串に刺して焼かれたバラ肉には、それぞれガーリックソルト、塩胡椒、ピリ辛のチリソース、そして濃厚な香りを放つ魚醤ソースが塗られ、食欲を刺激した。
今、ルセテリは深刻な病を患っていた。
別名、『後天性決断障害』。
どれか一つを選ぶことなどできず、どれもこれも美味しそうに見えた。
露店の主人の強烈な推しは、ガーリックソルトと塩胡椒。
シンプルなものは好みが分かれることもなく、誰もが好むであろう味だった。
しかし、ピリッとした辛さが豚の脂のくどさを中和してくれそうなチリソースや、魚を発酵させた旨味が豚肉のあっさりとした味を極限まで引き上げ、食欲をそそる独特な匂いの魚醤ソースも諦めきれなかった。
ジュージュー。
石板の上で豚のバラ肉の脂が溶け出し、さらにその脂で肉が揚げられるように、こんがりと濃厚に焼き上げられていく光景は美しかった。
「親父! ここにあるもの全部!」
ええい! 選ぶも何もあるか、ただ全部買い占めれば済む話だ。
両目をぎゅっとつむったルセテリは、屋台の左端から右端まですべて注文した。
「あいよっ! 上客だね。ありがとよ!」
どうせ一つだけ選ぶという選択肢などなかったのだ。
「これを全部?」
なんだか露店の主人が、自分たちを変な呼び方で呼んだような気がするが?
訝しげにジアが尋ねたが、心配することはない。
「大丈夫だ。ローザやオーギュスト、アル、ジュールまで合わせれば大した量じゃないし、食べて残ったら団員たちに配ればいいじゃないか」
「これ、串一本で1420ベラなんだよ?」
高い値段ではなかった。
だからといって安いとも言えないのは、露店で売られている食べ物の値段としては1000ベラを超えているからだが、大ぶりの豚バラ肉が丸ごと刺さった串だった。
一食分の食事と考えれば、妥当な値段だった。
「全部で17万400ベラだけど、端数はまけて17万ベラでいいよ!」
問題は、今屋台に並んでいる豚バラ串を全部買い占めたということだ。
全部合わせて100本以上あるってこと?
最初の一軒目だけで17万だって?
ジアは驚愕の数字に少なからずショックを受けた。
今、ルセテリはこの横丁にある露店をすべて食い尽くしそうな勢いなのだから、恐ろしくなるのも無理はなかった。
「ほらよ、坊っちゃん。パパがたくさん買ってくれたお礼だ。これはサービスだよ」
端数切り捨てにサービスまで。
露店の主人は商売というものをよく分かっている人間だった。
腕いっぱいにジアに抱えさせてくれた大きな紙袋の中には、揚げたお菓子のようなものと一緒に、オニオンとクマトを刻み入れたソースのようなものが容器に入っていた。
「最近新しく始めようとしているメニューでね。豚の皮を油で揚げたものなんだが、容器に入ってるサルサってソースをかけて食べるといいよ」
主人の言葉に好奇心をそそられたルセテリは、ジアが持っている紙袋の中を覗き込んだ。
揚げたてなのか、ホカホカと熱気が漂ってきた。
豚の皮だと言っていたが、主人が教えてくれるまで皮を揚げたものだとは思いもしないような形だった。
「おお、豚の皮を揚げるとこんな形になるんですな!」
サクサクとした薄い生地のお菓子を揚げたような見た目に、ルセテリは不思議そうに袋から一つを取り出した。




