第42話 豚を食べるための
まだ夜明けの霧が晴れる前から動き始めた劇団は、ルセテリが目を覚ますよりも早くすでに出発の準備を終え、朝食の用意に取り掛かっていた。
深夜の運動をすっきりと終えて戻ってきたルセテリは、その爽快な気分を存分に満喫してしまった。
そのせいで眠りにつくタイミングを逃し、ついつい夜遅くまで『美食紀行』の本をめくっていて、うとうとと眠りに落ちたばかりのような気がした。
薄目を開けてごしごしとこすりながらようやく目を覚ますと、すでに彼の前には食事が用意され、皆が彼が起きるのを待っているところだった。
「ルッ様、起きて。朝だよ」
バシッ! バシッ! バシッ!
小さな手にもかかわらず、容赦なく手のひらで打ち下ろされる背中がヒリヒリと痛んだ。
自分のような子供でも早起きして、手伝ってもらいながらとはいえ昨夜寝た場所の片付けもして食事の準備も手伝ったというのに……。
一体昨夜は遅くまで何をしてから戻ってきて、未だに目も開けられず起き上がりもしないのか、と!
けしからんと言わんばかりに、ジアの目にはメラメラと怒りの炎が燃え盛っていた。
無理やり目をこすって起きたルセテリは、ジアの手に引かれるままに席についた。
アルが朝食を持ってきてくれた。
木で作られた深めの器をじっと見つめていると、その中にはジャガイモとニンジンが入ったクリームスープのようなものが漂っていた。
そうか、これまではウムスカークでもらった食材でかなりまともな食事ができていたんだな。
本来、野営で食べる食事はこういうものなのだ。
ルセテリは自分に暗示をかけた。
ご飯を食べるのが嫌だからでは絶対にない!
スプーンで器の中をかき混ぜ、薄いスープをつついてばかりいると、再び小さな手による爆撃が始まった。
「好き嫌いしちゃダメ。すべての食べ物を与えてくださった女神様に感謝して食べなきゃ!」
「ゲホッ、ゲホッ」
ルセテリの背中には、パシパシと叩きつけるジアの手のひら攻撃で、もみじのような真っ赤な手形がついていただろう。
思った以上に辛口な手のひらに目から涙が滲み、ついうっかりむせてしまったのか、咳が止まらなくなった。
「そ、そうだな。ジャガイモが本当に美味しいな」
嘘ではなく、本当にジャガイモがホクホクとして美味しかった。
「ニンジンも食べなきゃ」
「あ、うん。食べるよ」
なんだか主客が転倒しているような気がするんだが……。
これは自分がジアに言うべき言葉ではないのか?
案の定、向かい側でアルとジュールがクスクスと笑っていた。
ドラゴンの面目丸潰れだな、こりゃ。
ジアがさらに一言言う前に、ルセテリは慌てて口の中にニンジンを放り込んだ。
グチャッと潰れる食感かと思いきや、意外にもシャキッとした食感で、歯茎で柔らかく噛みしめるほどに甘みが滲み出てきた。
収穫してから随分と経っているわけでもなく、泥がついたまま持ち運んでいるからか、思ったよりも新鮮さが長持ちしているようだった。
少しばかり名残惜しさが残った。
ジャガイモやニンジン、サツマイモなどウムスカークでもらってきた救荒作物もこれでほぼ食べ尽くしてしまったので、もう一度戻って村ごと買い占めてきたい気分だった。
「今日の午後ブリトルに入れば、食材の問題もある程度は解決するはずですから、ご心配なさらないでください」
ローザがパンとチーズを盛った皿をルセテリの前に置きながら教えてくれた。
「最近ブリトルでは、豚のバラ肉を使った料理が人気だそうですよ」
豚のバラ肉?
ジュールが持ってきた情報は、ルセテリの耳をピクッと反応させた。
そんな話、昨日調べた『帝国美食紀行』には載っていなかった最新の情報だった。
「そういえば、最近ブリトルでは岩石加工を施した調理器具の開発に熱を上げているという話を聞いた気がします」
「石ころ焼きじゃなかったか?」
「少し前までは石ころ焼きが最新の技法だったそうです。最近ブリトルに店を構えた料理屋の主人が、元々は岩石加工をする加工師だったのに料理人に転向して、石で作った様々な道具で新しい技法を生み出したんだとか。それが最近ブリトルで大流行していると評判なんです。近隣でも有名だとかなり噂になっているそうですよ」
アルとジュールが聞かせてくれる最新のニュースに、ルセテリの耳はすでにそちらに釘付けになって久しかった。
「我々もブリトルには行ったことがありませんが、最近その料理人のおかげで花崗岩を加工する以外の生きる道ができたと、街にはかつてない活気が溢れているそうです。それ以前までは加工する岩石が枯渇しつつあり、住民たち全員が生活の不安にひどく苦しんでいたようですから」
確かに、岩石というものは本来埋蔵量が決まっている資源であるため、それを基盤に生きている人々にとって資源の枯渇とはすなわち生活の手段がなくなることを意味していた。
領主の許可もなく他所へ移住することも容易ではない彼らにとって、新たな経済手段の活路が開けたとなれば、それこそ住民たちにとっては喜ばしいことこの上ないだろう。
モグモグモグ。
古くなってカチカチに固まってしまったパンをちぎってスープに入れると、どうにかパンがスープを吸ってとろみがつき、パンもスープも食べられる代物になった。
そこに、チーズだけは常に持ち歩いているという団長の言葉が嘘ではないかのように、おろし金で削ってたっぷりと入れて溶かすと、香ばしく濃厚な味に変わり、腹持ちの良い美味しい朝食へと変貌を遂げた。
パンとチーズを容赦なくスープに次々と放り込むルセテリを、ジアが眉をひそめて睨みつけた。
すでにルセテリのスープ皿は、パンとチーズでなみなみと溢れ出す寸前だった。
自重しなければ、再び背中に向けてもみじが飛んできそうだった。
ルセテリは手に持っていたパンをこっそりと皿の上に戻した。
アルとジュールが聞かせてくれた話は、ルセテリの興味を大いにそそった。
豚の脂で揚げた料理ではなく、豚肉だとは。
今までルセテリは本でしか見たことのない、豚の脂で揚げただけの油っこいブリトルの料理ばかり想像していたというのに、肉だなんて!
久しぶりに野菜ではなく肉が食べられるという希望だけで、メラメラと生気が湧いてきた。
豚のバラ肉をどのように料理するというのだろうか?
口の中に涎が溜まった。
「じゃあ、今日の夕食は豚のバラ肉を使った料理が味わえるのか?」
「さあ、どうでしょう。おそらく団長は豚の丸焼きを用意するつもりみたいですが?」
豚の丸焼き!
豚一匹を丸ごと焼くのもいいな!
薪火でぐるぐると回る豚の丸焼きを想像するだけでも顔がほころぶ。
開いた豚の腹の中にジャガイモやハーブ、そしてリンゴをぎっしりと詰め込み、大きな串に刺して腹を縫い合わせ、ぐるぐると薪火に回しながらじっくりと時間をかけて内側の脂を完全に落としたあのさっぱり感がたまらない。
薪の強い熱で皮はパリッと、内側の肉は甘いリンゴの果汁が染み出して肉質を柔らかく甘くしてくれるだろう。
なぜだかリンゴと豚肉はよく合うのだ。
ジュワッ、肉を一口噛めば肉汁が飛び出して口の中をたっぷりと潤し、部位によってモチモチとした食感からパサッとした食感まで満遍なく楽しめる上に、溶け出した豚の脂で蒸し焼きのように火の通ったホクホクのジャガイモまで!
普段から食べられるような料理ではない。
宴の席でしか食べられない貴重なものだった。
今、ルセテリの頭の中にはあらゆる種類の豚を使った料理の饗宴が繰り広げられていた。
「ルッ様。早く食べて片付けなきゃ。そうしないと早く出発できないよ」
チッと舌打ちをして、ジアがルセテリを現実世界へと引き戻した。
世界の大行者というドラゴンの威厳は一体どこへ消えてしまったのか、片手に乾いたパンを持ち、スープ皿にスプーンを突っ込んだまま虚空を見つめてエヘヘと魂が抜けてしまったルセテリを見かねて、ジアが釘を刺したのだ。
表情を見ただけで今何を考えているか、手に取るように分かる。
さすがにドラゴンを急かすことができなかったジア以外の四人は、気まずさから器から顔を上げられず、食べることに集中しているふりをしていた。
「た、食べてるぞ?」
「ルッ様の顔に全部書いてあるよ。今、豚の丸焼きのこと考えてたでしょ?」
ドキッ!
そんなに顔に出ていたか?
「その前は、石の器で作る豚肉料理を想像してたし」
どうやらうちのジアには、占い師の看板でも出させてやった方がいいかもしれない。
どうして表情を見ただけで何を考えているのか百発百中で当てるんだ?
占い師のところに行かなくても済みそうだな?
「それに私、占い師じゃないから。それはルッ様が一番よく分かってるでしょ」
「ゲホッ」
これも見透かされるとは。
「見透かしたんじゃなくて、ただ顔に書いてあっただけだよ。分からない方がバカでしょ?」
よく見てみると、器に顔をうずめているアルとジュールはククッと笑いを堪えていた。
ローザは困ったような顔でルセテリを見つめていたし。
いつも厳格で落ち着き払っているオーギュストでさえ、頬がピクピクと痙攣していた。
ドラゴンとしての威厳が……。
「最初から威厳なんかこれっぽっちもなかったんだから、早く食べて。ルッ様のせいで私たちだけ今片付けられないでいるじゃない!」
ジアの言う通り、他のチームはすべて食事を終えて後片付けまで済ませた状態で、皆が最後尾にいるルセテリのチームを待っていた。
しかも、ルセテリ以外は全員食事を終えて片付けまで終わっていた。
裏切り者め!
慌てて残りの食事をゴクリと飲み込んだルセテリは、皿洗いが不要なほど綺麗に飲み干した器を素早く荷物の中に突っ込み、何食わぬ顔でジアと一緒にベッシーの背に乗った。
「準備が整ったら、出発しましょう!」
前の方で団長が叫ぶ声を筆頭に、劇団は再びゆっくりとブリトルへ向けて動き始めた。
「あとで休憩する時、絶対器洗ってよね。汚い」
うむ、鋭いな。ジア。
言葉に詰まったルセテリは、泣く泣く大人しく頷いて約束するしかなかった。
必ず綺麗に洗っておくことにしよう。




