第40話 導火線
第40話 導火線
村を抜け出した劇団は、ブリトルへ向かう街道沿いで、時折行商をする一団に出くわしたり、旅行者たちとすれ違ったりしながら、長い旅を続けていた。
数日間続いた野宿は、皇宮でしか過ごしたことのないジアにとっては不慣れだったはずだが、そんな素振りは微塵も見せず、地面にタオルを一枚敷いただけでもよく眠り、特別な食材が入っていない味気ないスープがすべてだったが、食事もしっかりと食べた。
特に、ウムスカークの住民たちが包んでくれた農作物は本当に重宝した。
毎食無駄なく使っているため、一日一日と袋の中身が減っていくたびに名残惜しさも増していった。
旅をしながら新鮮な食材を手に入れるのは、そう簡単なことではなかったのだから、決して大げさな話ではなかった。
それでも、ブリトルに到着すればその地域ならではの特産品が何かあるのではないかという期待感から、ルセテリはまさか堂々と本を開くわけにもいかず、代わりに頭の中で『帝国美食紀行』の内容を思い浮かべていた。
「明日の夕方遅くにはブリトルに到着できそうですよ」
深夜、街道から離れた平地にキャンプを張った劇団は、それぞれのチームごとにまとまって夕食を作り、寝床を整えて休んでいた頃、団長からの呼び出しからオーギュストが戻ってきた。
単独で動く時よりはかなり時間がかかってしまうが、これだけの大人数であるため、移動に時間がかかるのは仕方ないことだった。
今はジアと二人きりで動いて目立つよりは、こうして劇団に紛れて移動する方が安全でもあった。
近くの草むらにベッシーを放したルセテリは、ローザたちと一緒に荷馬車にそれぞれの寝床の準備をしていたところだった。
「明日の夕方か」
「明日になれば別の村に到着できるの?」
時間を計算しているルセテリに向けて、布団を被って寝る準備をしていたジアが、突然パッチリと目を開けた。
おやすみ、と言いながらジアの頭を撫でていたルセテリの手がピタリと止まった。
「ああ。ブリトルという村だそうだ」
「この前の村みたいに良い所だといいな」
同感だ。
その確率がどれくらいあるかは分からないが、この前のように人情の厚い村であれば言うことなしだろう。
「そうだな。そうだといいな」
「うん。そうすればルッ様のお腹がいっぱいになるでしょ」
「プッ!」
誰かは分からないが、ルセテリとジアの会話を聞いていた誰かが吹き出した。
瞬く間にルセテリの顔が赤く染まった。
違うと言いたかったが、すでにあまりにも多くのことが露見してしまっていたため、否定することもできなかった。
それに、よく言うではないか。
強い否定はかえって肯定に近いという……まあ、そういうやつだ。
「分かるよ、ルッ様。ルッ様はドラゴンだから、きっと私たちより胃袋も大きいからでしょ」
違う!
ルセテリは決して口に出して叫ぶことはできなかった。
ポリモーフ(変身)をすると、体内の臓器もすべて小さくなるという事実を。
だから、着るものも食べるものも、そして排泄することさえも普通の人間と同じなのだと、明かすわけにはいかなかった。
明かした瞬間、自分はただ食べ物にしか目がない、そんなドラゴンになり下がってしまうからだ。
「そ、そうだな。つ、次の村にも美味しいものがたくさんあるといいな」
ククッと笑いを堪える声が聞こえてきたが、ルセテリは奥歯をギリッと噛み締めた。
「おやすみ、ジア」
「ルッ様もおやすみ」
最大限の忍耐力を発揮したせいで、すっかり気疲れしてしまった。
やはり子供の世話というのは簡単ではないものだ。
いつ、どこで、どのように事件を起こすか分からないからだ。
ジアがスヤスヤと眠りにつくのを確認して外に出ると、星が降ってきそうなほど無数の星が瞬く真夜中になっていた。
明日はブリトルか……。
記憶が正しければ、間違いなくブリトルの特産品は『石』だった。
硬いことで有名な花崗岩地帯からなるその土地の人々は、大半が岩石の加工に従事している者が多かった。
仕事の特性上、岩石の粉を大量に吸い込む職業であるため、それが体内に蓄積されれば体に悪いという事実をよく知っていた。
そこで食べられるようになったのが、豚の脂だ。
脂を多く摂取することで、体内に溜まった粉を体外へ排出できると信じていたのだ。
そんな迷信のおかげで、豚の脂であるラードを使った料理が発達したと『帝国美食紀行』に書かれていたのを思い出した。
ラードか……微妙だな。
もちろん豚肉は美味しい。
時折、どんな餌を食べて育ったのが美味しいかで激しく論争が起こることもあるが、とにかく豚は美味しい肉だ。
その脂については言うまでもないだろう。
黄金色を帯びた白い脂だけが持つ、あの香ばしさ!
火と出会い、脂がジュージューと溶け出して肉の間に染み込むあの味こそが最高だった。
問題は、ブリトルの人々は何にでも豚の脂を使うということなのだが……。
ラードを使いすぎるあまり、この地域の料理の大半が脂っこすぎて胃がもたれるということだ。
ルセテリの立場からすると、かなり深刻な悩みだった。
「ルセテリ様は何をお考えなのでしょうか?」
「おそらく、皇城に残されたミエリア皇后陛下をご心配されているのではないでしょうか?」
「それとも、ジア皇女様の行く末について悩んでおられるのかもしれませんね」
深刻な顔で考え込んでいる様子のルセテリに容易には近づけず、荷台でボソボソとオーギュストたちは、彼がどんな悩みを抱えているのかについて話し合っていた。
本人たちは自分たちの話し声が聞こえないほど小さな声だと思っているかもしれないが、ドラゴンの聴力は想像以上に鋭敏だった。
あまりにもはっきりと聞こえすぎるせいで、まさかブリトルで何を食べるかについての真剣な考察をしていたなどと言えば、ドラゴンのメンツに傷がつくかもしれないな?
「コホン、お前たち四人はこれからどうするつもりだ?」
聞こえないふりをして、ルセテリが四人に向かって歩み寄り、尋ねた。
「我々は、まあ……劇団についてそのまま全国を回ってみるつもりです。そうすれば動向も探れますし」
「今までと変わりませんよ」
ジュールとアルが後頭部を掻きながら答えた。
よく見てみると、ローザは目に涙を浮かべていたのか指で目元を拭っており、さらにオーギュストは後ろを向いていたが、肩が震えている!
いや、お前たち、ドラゴンがプレッシャーに感じるだろうが!!
「我々に頼み事ができた時は、いつでもご利用ください」
オーギュストが小さな紙切れを一枚、ルセテリに差し出した。
紙の中央には『ラヴァンド』と書かれており、その周りにラベンダーの花が取り囲む紋様が描かれていた。
「我々の家門が運営している雑貨店です。帝国のあちこちに支店がありますので、いつでもお気軽にご利用ください」
見た目とは裏腹に、知ってみればオーギュストもかなり大した人物だった。
帝国のあちこちに店もあり、商団もあり、劇団まである。
ロアンもすごかったが、また別の意味でオーギュストも並外れた人間だった。
「我々の家門が運営している場所でもありますが、各地に散り散りになったルシネル家の封臣たちの献金によって運営されている小さな店々です」
ああ、コーセン公国独立連合のように、独立のための資金を調達するための店ということか?
「この名刺を見せれば、どんな事であれ全面的な支援を受けられるはずです」
ただブリトルで何を食べるかだけを悩んでいたのに、思いがけない情報だった。
コーセン公国の独立か……。
アウレリア公爵が聞けば、泡を吹いて倒れそうな知らせだった。
人間界への介入が許されていないドラゴンにとっては不要な情報だが、よく言う言葉があるじゃないか?
情報はなんだって?
武器だ。
知っておいて損はない情報などない。
時折それが偽情報であったとしても、それを利用することも力になる。
「本当に必要になった時は利用させてもらうが、それ以上はしないぞ」
紙を受け取ったルセテリは、はっきりと一線を引いた。
自分が介入できる部分は、ちょうどそこまでだった。
帝国の人間からすればドラゴンといえば神話や童話に出てきそうな伝説の動物扱いだったが、フォンテンの森を境界に発展したコーセン公国出身者たちは、世界の大行者であるドラゴンという存在を幼い頃から聞いて育ってきた。
特にルシネル家のすべての娘たちは、一定期間フォンテンの森へ入りソラレティ様と共に生活して過ごしていたため、物語の中の存在ではなく実在するものであることをよく知っていた。
オーギュストもコーセン公国出身のはずだから、その点はよく理解しているはずだった。
「もちろんです。よく存じております。ご心配には及びません」
万が一独立に手を貸してくれと言い出されるのではないかと、老婆心から一線を引いたのだが、ルシネル家の封臣家門であった彼はよく分かっていたようで、ルセテリだけがいたたまれなくなった。
「うむ、そうか」
無用な心配をしてしまった。
「ルセテリ様はお休みにならないのですか?」
二人の話し声が邪魔になったのか、荷台からローザが出てきた。
「少し運動でもしてこようかと思ってな」
「運動ですか?」
皇城にいた時は定期的に一度ずつポリモーフを解き、本来の姿に戻って一回り飛び回ったりしていたのだが、劇団について回るようになってからはなかなか機会がなく、体がなまっていたところだった。
首も凝っているし肩も張っているし、どうやら大きくストレッチでもする時が来たようだった。
折しも夜空も飛行するにはもってこいの澄み切った天気で、寒くもなく暑くもない、絶好の条件だった。
心配するような事態にはならないだろうが、ひとまず夜中に突然ジアが目を覚まして探すかもしれないので、ローザには伝えてから行こうと思っていたところだった。
「ひとっ飛びしてくるだけだから、心配するな」
「はい。お気をつけて行ってらっしゃいませ。その間、皇女様は私がしっかりとお見守りしますから」
ローザの深く濃い黄褐色の瞳が、さらに深みを増した。
どうも、少し誤解をしているようだが?




