第33話 別れという最後の挨拶
迷路を抜けて北宮に到着するや否や、皇帝が先陣を切って周囲を確認しながら迷路から出た。
ロアンがずっと抱いていたジアを下ろすと、ミエリアはそんなジアをきつく抱きしめた。
「ジア。ジアはルセテリ様について、必ずソラレティ様に会いに行くのよ。ママとパパは一緒に行けなくても、いつもジアを想いながら女神様に祈っているからね」
「心配しないで、ママ。ルセテリ様のことは、私が必ず守ってあげる」
誰が誰を……?
「元気いっぱいに一人でできるわよね? ママとパパがそばにいてあげることはできないけど、いつもジアを愛しているわ」
「ジアもママとパパ、愛してる」
今度はジアが、ミエリアと皇帝を一度ずつきつく抱きしめた。
「ソラレティ様に会ったらすぐに戻ってくるから、心配しないで。ルッ様のことは私が守るから」
微妙に主客が転倒しているような気がしたが、家族三人の短い別れを見守りながら、ルセテリは口を固く結んだ。
ジアがルセテリに近づいてきた。
皇宮を出るための最後の段階の前に、姿を変える必要があるからだった。
自らの姿を変え、普段の男性型の状態にポリモーフしたルセテリがジアの頭の上に手を置き、いくつかの単語を羅列すると、青い光と共にジアの姿が茶色い髪をしたル先生の弟子のプーへと変わっていた。
「ここを出れば、ロアンが案内する」
依然として手に剣を握った皇帝が周囲への警戒を怠らず、プーに変身したジアに近づいた。
「ルセテリ様。我が娘ジアを、どうかよろしく頼みます」
王冠の下の哀れな髪の毛と同じくらい切ない眼差しで、皇帝がジアの首にかかっている守護のネックレスをいじりながら、名残惜しさを慰めた。
「心配しないで、パパ。ジア、行ってくるね」
「ああ、どこへ行こうとも、お前は私のたった一人の娘であることを忘れるでないぞ」
誰も手入れをしておらず、鬱蒼と生い茂った北宮の庭園の片側の壁面に絡みつく無数の葉を取り除くと、隠されていた秘密の扉が静かに姿を現した。
いつもジアと皇宮の外へ出るたびに利用していた扉だったが、今日に限ってその扉はひどく見慣れないものに感じられた。
ルセテリの腕に抱かれて扉の外へ出るジアは、皇帝夫妻に向けて最後に手を振った。
その姿に、ついにミエリアは泣き出し、皇帝の胸に崩れ落ちた。
皇帝もまた、悲しみを無理やり飲み込もうとするかのように肩を震わせているのを、ジアは見逃さなかった。
「絶対に帰ってくるから」
猛スピードで走るルセテリの胸の中に顔を埋め、ジアは低く呟いた。
生い茂る茂みの間を、スカートの中から取り出したショートソードで、道もない森の小枝を払い落としながら、ロアンが先頭に立って切り開き、前へと進んだ。
手慣れた様子で前を切り開き、しばらく進むと、三人の前に小さな空き地が現れた。
そこには劇団で見かけた長いフードを深く被った四人と、黒い馬が繋がれていた。
カサカサという物音に、フードを着た中年の男がガバッと立ち上がり、音がした方向へ向けて剣を構えた。
「あっ、叔父様。私です、ロアンです」
ショートソードを手にしたまま、ロアンが叔父と呼んだ中年の男性に向けて手を振った。
ロアンの顔を確認した男はフードを脱いだ。
「ロアンか!」
「お久しぶりです、叔父様」
重厚な年月の痕跡が感じられる顔立ちの中年の男は、黒い髪と黒い瞳の持ち主であり、コーセン公国の出身であった。
男に続き、残りの三人もフードを脱いで顔を現した。
そしてジアとルセテリに近づき、片膝をついて頭を下げた。
「帝国の小さな太陽であらせられる、ジア皇女殿下にお目にかかります。ルシネル家の封臣であるオーギュスト・ラヴァンドと申します。皇女様にお仕えできて光栄の至りに存じます」
自らをオーギュストと名乗った中年の男がジアのそばに近づき、温かい表情を浮かべてジアの手を握った。
「そして、世界の大行者様であらせられるルセテリ様にお目にかかります」
オーギュストは、ジアの後ろに立っていたルセテリに向けても頭を下げた。
いや、ちょっと待て。猫も杓子も、そこら中にルセテリがドラゴンだという噂が広まっているんじゃないか?
ルセテリはギョッとした。
「私の叔父です。皇女様をコーセン公国までお連れする護衛としてお願いしました」
ロアンの説明に、ルセテリはどうしてオーギュストが自分がドラゴンだという事実を知っているのか、なんとなく察しがついた。
チラリと後ろで頭を下げている三人へ視線を投げたが、その三人は知らない様子だった。
「あの、ベッシーが……」
ルセテリの手をジアが引っ張り、黒い馬の方へと近づいた。
黒い馬はルセテリとジアを見るや否や、嬉しいとでもいうように前足をバタバタとさせて少し興奮していた。
そういえば、すっかり忘れていた。
黄金の艶が滴るような白馬はあまりにも目立つため、北宮に連れてきてからは染色魔法を使って黒く染め上げ、今までその存在をすっかり忘れてしまっていた。
ああ、それに馬じゃなくてユニコーンだったな。
自分のことを忘れていたのかとでも言いたげに、その大きな瞳で寂しそうにジアとルセテリを見つめ、これでもかというほど首を縦に振り、なかなか興奮を鎮められずにいた。
手綱を握っていたロアンが慌てて引っ張り、落ち着かせようとしたが、相手はユニコーンだ。
力でロアンが敵うはずもなく、ズルズルと引きずられてジアの前までやってきた。
「久しぶり、ベッシー」
「ブルルルルン」
さすがに他の人間もいるため言葉を発することはできず、ベッシーはしきりに首を縦に振ってブルブルと鼻を鳴らした。
その仕草がまるで、どうして自分を忘れることができるのかと恨めしそうな声が聞こえてくるようだった。
「違うよ、私たち、あなたのこと忘れてないよ」
ベッシーの首に抱きつき、ジアが首筋をポンポンと叩いて宥めた。
「事前に連絡を差し上げられず、申し訳ありません。ルロワが予想外の動きを見せたため、伝言を送る隙もありませんでした」
丁寧なオーギュストの態度は、ルセテリのかなりのお気に入りとなった。
「構わない。何よりもジアの安全が最優先だったはずだからな」
「劇団は我がラヴァンド家の支援で運営している、一種の情報屋とでも言いましょうか。そのおかげで容易く皇宮に入り込むことができました。まさかジェレミア公子やアウレリア公爵がそこまで間抜けだとは予想していませんでしたが」
同感だ。
そもそも皇宮に、貴族のように身元が確かな人間でもない外部からの人間を入れる際、身元調査は必須であるはずなのに。
ルセテリはオーギュストの言葉に目を閉じ、頷いた。
それにしても、フルールが運営する劇団が情報屋だったとは。ロアンが情報通であるのには理由があったのだ。
全国を飛び回る劇団こそ、情報収集において最も効率的な手段だったはずだから。
まあ、ルセテリから見れば、それだけではロアンの情報力をすべて説明することはできなかったが。
「ずっと以前から我々が皇女様をソラレティ様の元へお連れするため機会をうかがっていたのですが、その機会が思いのほか早く訪れたため、急いでやって来たのですが、ギリギリのところでした。アルメニア帝国内の状況がこれ以上悪化する前に、皇女様をお連れして皇都から抜け出すことができ、本当に幸いでした」
「帝国内の状況?」
「アウレリア公爵家が虎視眈々と皇位簒奪を狙っているというのは、もはや秘密でも何でもありませんから。皇帝陛下も、ある程度はご存知のことですし」
「そうだな。皇帝も今、自分の置かれている立場をよく分かっている」
「それに加えて、民心も最悪の方向へ突き進んでいます。辺境で市民の蜂起が次々と起こっているという知らせは、まだ中央には届いていないでしょうが」
ほう、市民蜂起とは。
確かに皇都内ではなかなか耳に入らない、新鮮な情報だった。
「皇帝陛下も、いつまでも皇権を維持できるわけではないという事実を、すでに薄々認知されていたようです。アウレリア公爵が貴族を扇動し、政治ごっこに力を注いでいた時、陛下はむしろ平民政策に優先順位を置いておられました。公爵は特に興味を示さず、陛下の好きにさせていたようですが」
「ああ、皇后陛下も似たようなことをおっしゃっていました。もう貴族たちが支配する時代は終わると。民衆自身が立ち上がる日が遠からずやって来るだろうとおっしゃっていました。だからなのか、ジア様の皇室教育にはそれほど熱心ではありませんでしたね」
ロアンも横からオーギュストの言葉に相槌を打った。
確かにこの二人は、現在のアルメニア帝国の事情について、誰よりもよく理解していた。
すでに帝国は、ルセテリがリバーヒルにやって来る前、フォンテンの森のレアにいた頃から崩壊の兆しを見せていたからだ。
知識を蓄え、有能な平民が増え、中間のジェントリー層は商業で富を築き、貴族に引けを取らない財産を蓄えていく一方で、その波に乗れなかった貴族の中には、度々破産して爵位を売り払う者もいた。
帝国の貴族たちはそうした事実から目を背け、現実逃避することに必死だったが、皇帝と皇后だけはまっすぐに現実と向き合っていた。
すべて彼らの目となり耳となって代行している者たちのおかげだろう。
「そうか。よく分かっていたのだな」
腕を組んだルセテリには、ロアンとオーギュストがまた違って見えた。
「まずはここを離れなければなりません。ルロワとアウレリアの連合軍がすでにリバーヒルの近くに集結していると聞いております。彼らだけでなく、公爵派の家門の他の騎士団の合流も間もなくだそうです」
オーギュストは急いで出発の準備を整えた。




