第31話 魔法使い
ジアの手をしっかりと握った三人は、部屋を出て宴会場へと向かった。
その後をルセテリが続き、ルセテリの後ろにはロアンが続いて、列をなすように歩いていった。
一行の前に、いつの間にか大きな宴会場の扉が現れた。
「皇帝陛下と皇后陛下、そしてジア皇女様のお成りです!」
侍従長の朗々とした声が宴会場に響き渡った。
扉が開き、皇帝夫妻とジアが登場すると、全員の視線が階段へと続くバルコニーに集中した。
一斉に多くの人々の視線が注がれると、ジアは瞬間、緊張したように顔を強張らせた。
「大丈夫、ママとパパがそばにいるから」
ミエリアが小さな声でジアの耳元で囁くと、やがて緊張が少しほぐれたのか、口元に淡い微笑みを浮かべて前へ一歩踏み出した。
侍従が持ってきたシャンパングラスを手にした皇帝は、階段の上のバルコニーへ進み出て、グラスを高く掲げた。
「今日でジア皇女が7歳となり、正式にそなたたちに紹介することとなった。この喜ばしい日をそなたたちと共に迎えられて、この上なく嬉しく思う」
「皇帝陛下の御恩に感謝いたします」
皇帝の祝辞に、階段の下に集まっていたすべての貴族が、一斉に頭と膝を下げた。
手をつないで立っているジアを、ミエリアが手でそっと前に押し出すと、ジアは一歩前に進み出て、ドレスの両裾をつまみ上げながら軽く膝を曲げた。
「ジア・イル・アルメニアです」
皇帝とミエリアの顔に満足げな笑みが浮かんだ。
この一言で、これまで口が利けないと指を差されていた状況から抜け出せるだろう。
後ろで見守っているルセテリの表情にも、誇らしさがこみ上げてきた。
「皇女様の7歳のお誕生日、お祝い申し上げます」
思っていたよりも貴族たちの反応は冷ややかだった。
動揺を引き起こすほど騒がしくなってほしいとまでは思わなかったが、少なくともある程度のざわめきは予想していたのに……。
どうも、あまりにも淡白ですっきりとした反応だった。
これくらいの挨拶は当然だと言わんばかりに、貴族たちの前で堂々と立っているアウレリア公爵も、公爵夫人も、そして放蕩息子のジェレミアも、眉一つ動かさなかった。
「祝ってくれて感謝する」
雰囲気に飲まれて怯えていないかとハラハラしたが、意外にもジアは堂々としていた。
「アルメニアに黄金のドラゴンの祝福があらんことを!」
皇帝は隙を見せるまいと、素早く乾杯の音頭をとった。
皇帝の隣にいたミエリアを皮切りに、宴に集まった貴族たちのシャンパングラスが一斉に宙へと掲げられた。
「祝福を!」
乾杯を終え、皇帝と皇后のグラスを侍従が下げるや否や、階段からアウレリア公爵一行が挨拶のために上がってきて、スッと前に立ち塞がった。
「皇女様の7歳のお誕生日、お祝い申し上げます、皇帝陛下」
「感謝する、公爵」
これまでの出来事を考えれば、皇帝の視線が冷ややかなのは当然だった。
帝国唯一の公爵だからこそグッと堪えているだけで、それでなければ公爵家がこの場に立っていることなどできなかったはずだ。
不快げな表情で皇帝が公爵を見つめていると、アウレリア公爵はニヤニヤとした笑みを浮かべ、その視線をジアへと向けた。
「私の息子であるジェレミアが、皇女様がお気に召すかと思い、街で公演をしている流浪の劇団を連れてまいりました」
「私が特別に、皇宮の宴に不慣れであろう皇女様の余興のために、わざわざ平民たちの住む街まで出向いて連れてまいったのです」
皇女のために大層なことをしてやったという顔で、首をピンと立てながらジェレミアが一歩前に出た。
おそらくこれを狙って、わざわざ北の貧民街まで姿を現したのだろう。
この一言を狙って!
「ギリッ!」
どこからか歯軋りする音が聞こえてきたが、皇帝はわざと気づかないふりをした。
正確には、ミエリアの後ろで凄まじい勢いで怒りの炎を燃やしているルセテリから、必死に目を背けているところだった。
皮肉めいた公子の言葉の裏には、皇室の宴のような品格ある場はジアには難しいだろうから、平民が楽しむような見世物でも存分に見て引っ込んでいろ、という意図が多分に含まれていたが。
「聞くところによれば、劇団の中にはフォンテンの森に近い北の出身の浮浪者もいるとか。皇后陛下や皇女様がさぞお喜びになるだろうと思い、わざわざ連れてきた次第でございます。ハハハ!」
あからさまにフォンテンの森周辺の出身者を浮浪者と嘲笑う公爵に向けて、一発殴り飛ばしてやりたいルセテリだった。
皇帝もまた、容赦なく眉をピクピクとさせているところを見ると、相当怒っているようだった。
宴会場で、それも他の貴族たちが皆見ている前で怒りを爆発させるわけにはいかなかった皇帝は、全力を振り絞って怒りを押し殺した。
「そうか。それは感謝する」
唇を強く噛みしめ、皇帝は公爵を睨みつけた。
「私が、皇女様がお気に召すようなものを見せろと命じましたので、きっと見応えがあるはずです」
空気の読めないジェレミアがしゃしゃり出て、さらに言葉を重ねた。
「さて、他の貴族たちはどう思うか……」
「まあ、構わないではありませんか。貴族といえども、常に平民たちの日常に気を配る義務があるというものです」
厚かましい顔で、平然と『平民』という言葉を口にする公爵が、憎たらしくて仕方がなかった。
皇帝が体をワナワナと震わせているのが見えた。
全員の目がバルコニーに向かい、チラチラと様子を伺っていた。
今、皇帝はすべての忍耐力をかき集めて怒りを抑え込んでいた。
「そうだな。上に立つ者の義務でもある」
「でしたら、いかがでしょう。ほんの少しの余興程度なら、よろしいのでは?」
公爵の言葉に、皇帝はしぶしぶ頷いて許可を出した。
むやみに拒否して、不名誉な口実を与えられるよりはマシだった。
「わかった。その程度なら……」
皇帝の許可が下りると同時に、ジェレミアは待っていましたとばかりに、素早く下にある宴会場の扉を守る近衛兵たちに合図を送った。
待っていたかのように扉が開くや否や、劇団の団員たちは演技をしながらホールに列をなして入場してきた。
ジャグリングをするピエロを先頭に、曲芸を披露する団員の柔軟な身のこなしや、口に火を含んで吹き出す怪人たちまでが続いた。
荷車の上で演劇の一場面を演じる役者たちの後ろには、ジアとルセテリが街で見かけた、長いフードを被り神秘的な雰囲気を漂わせる数人を最後に、劇団は入場を終えた。
雰囲気だけはどんな祭りにも劣らないほど華やかだったが、ルセテリは貴族たちの表情から滲み出る冷ややかな嘲笑を見逃さなかった。
劇団を皇宮に連れ込んだ公爵家までもが、ミエリアとジアに向けて嘲りの視線を送っているのが見えた。
まさかここまでだとは思わなかったが、実際にその視線を目の当たりにしてみると、ミエリアがなぜこれほどまでに皇室の行事を不快に思っていたのか、理由がわかるような気がした。
その点を狙って、わざわざ連れ込んだのだろう。
ルセテリは露骨に不快な表情を浮かべた。
どうせ、誰も皇室の使用人の一人に過ぎない彼に注目する者などいなかったからだ。
宴会場を一周した行列は、ミエリアとジアの前でピタリと立ち止まった。
劇団の中央が割れると、黒いフロックコートに黒いシルクハットを被った、ほっそりとした体格の中年の男が歩み出てきた。
男が帽子を取り、ミエリアとジアに向けて深くお辞儀をすると、すべての団員が一斉に彼女たちに向けて膝を折り、頭を下げて、帝国の皇后と皇女に対する礼儀を尽くした。
「帝国を導く黄金の太陽と月、そして小さな太陽様にお目にかかります」
すでに失われた古い王国の礼法だった。
「そして、小さな太陽様のお誕生日を心よりお祝い申し上げます」
「お祝い申し上げます」
男の言葉が終わると、団員たち全員が声を揃えてジアの誕生日を祝う言葉を合唱した。
「私の誕生日をこのように祝ってくれて感謝する」
「身分卑しき我々に、空のように高き皇家の皆様の前で公演する機会をお与えいただき、感謝の念に堪えません」
男の丁寧な口調に、無駄に恩を着せたかったアウレリア公爵が、コホンと咳払いをした。
「……我々を連れてきてくださった公爵家の皆様にも、深い感謝を申し上げます」
男はしぶしぶ公爵に向けても軽く頭を下げた。
「我々の劇団には、奇妙な才能を持つ者が多くおります。曲芸師から演劇を行う役者もおり、特に、今では見ることも難しくなった魔法を扱うことができる『魔法使い』もおります」
魔法使いという言葉に、宴会場がざわめいた。
ずっと昔には数が少なかったとはいえ、帝国にも魔法を使える魔法使いは数名いた。
それすらも、マナを生まれ持つ魔法使いの数は徐々に減り、今ではすっかり種を絶やしてしまったが。
だからこそ、人々が当然のように魔法使いといえば童話や伝説にのみ存在するものだと考えていたため、当たり前の反応だった。
そんな魔法使いを連れ歩いているとは、この劇団が特別に人気があったのには理由があったのだ。
魔法使いという男の言葉に、ルセテリの目は好奇心に満ちて輝いた。
一番良いものは一番最後にあるというから、おそらく長いフードを深く被った後尾のあの者たちが魔法使いということらしい。
ルセテリはゆっくりと、フードを被った団員たちを観察した。
確かに微弱ではあるが、彼らからマナを感じることができた。
深く被ったフードのせいでよく確認はできなかったが、ジアやミエリアに似た濃い黒い瞳に黒い髪の毛であることからして、コーセン公国出身者たちのようだった。
[ルッ様。ルッ様以外にも魔法を使う人がいるんですね?]
ジアもやはり不思議だったのか、ドラゴン語(竜言)で尋ねてきた。




