第30話 宴の朝
朝から慌ただしい始まりだった。
五の月の最初の日。
たとえ皆から歓迎されていない皇女であろうとも、皇帝直系の誕生日だった。
皇宮の雰囲気が早くから熱を帯びているのも当然だ。
「ジア皇女様、起きてください」
「ううん、もっと寝る、ロアン……」
「私、昨日絶対に遅くまで本を読まずに早くお休みくださいと言いましたよね?」
今日に限って、ロアンの小言がやけにジアの耳に響いた。
昨晩、ルセテリから一足早い誕生日プレゼントとしてもらった本がジアの興味を引き、七歳にとっては遅すぎる時間まで夢中になって読んでいたせいだ。
開かない目を再び閉じ、布団を頭の先まで被ってもう一度眠りに落ちたかった。
そんなジアの願いとは裏腹に、今日に限ってロアンは容赦なく布団をサッと剥ぎ取り、部屋の中に大勢の侍女たちをゾロゾロと呼び入れた。
「ただでさえ支度が遅れているんですから!」
普段とは違うロアンの姿が、非常に見慣れなかった。
枕を抱きしめて無理やり起き上がり、ベッドに座ったまま、慌ただしく動き回る侍女たちをジアは呆然と見つめた。
『これ、一体何事?』
ロアン以外にこんなに大勢の人がジアの部屋に入ってきたことがなく、不思議だった。
「浴槽にお湯を張って、スイートローズとオレンジの皮を浮かべてください。それからそっちは、皇后陛下がお送りくださった装身具をこちらへ持ってきて。ああ、そこはドレスがよく見えるようにあちらにズラッと掛けてください」
意外にも有能に次々と指示を出すロアンが不思議だった。
「お風呂は昨日寝る前に入ったじゃん。どうしてまた入るの?」
「皇女様」
ロアンの真剣な顔が近づいてきた。
「今、その目の下のクマ(ダークサークル)をぶら下げたまま、帝国貴族たちが勢揃いしている宴に出られるおつもりですか? 冗談でしょう?」
ロアンから見れば、パンダも逃げ出すほどに垂れ下がったジアのクマは、到底七歳の子供が持っているような代物ではなかった。
近くで観察したジアの状態は、はるかに深刻に見えた。
「顔の温湿布とパックも追加しなければいけませんね」
「ひぃっ!」
「変な声を出さないでください」
「だって、あの変なジメジメしたやつ、顔にのせるつもりでしょ」
「そうさせたのは皇女様ではありませんか。この顔じゃ、今日の宴には出られませんよ」
逃げ出そうとするジアの首根っこを掴んだロアンは、そのまま彼女を浴槽の中へザブンと押し込んだ。
お湯に入るやいなや、鼻先に爽やかで甘い花の香りと柑橘系の香りが漂ってきた。
朝風呂も結構、悪くないかも……と思ったのも束の間、頭に一人、手足にそれぞれ一人ずつ侍女たちが張り付いて体を洗い始めた。
生まれて初めて味わう感覚にジアは死にそうだったが、ロアンがそんなジアの気分を察してくれるはずもなかった。
侍女たちはロアンの指示に従い、ジアの体の隅々までゴシゴシと、真っ白になるまで長い時間をかけて磨き上げた。
しばらく浴槽で磨かれた後、外に出た時はこれでようやく解放かと思ったが、それも束の間、寝かされたかと思うと何かを顔にペタペタと塗りたくり始めた。
冷たい感触の何かが顔にたっぷりと乗せられ、その間身動き一つできずに横たわり、侍女たちの終わりのないマッサージを受け続けたジアは、宴が始まる前だというのに死にそうなほどの疲労感に襲われた。
「ロアン、まだ終わんないの?」
「あら? まだ始まってもいませんよ。今からそんなんじゃどうするんですか」
我慢しきれなくなったジアがぐずると、ロアンは容赦なくピシャリと遮った。
まだ終わらないという言葉にすっかりしゅんとしたジアの表情とは裏腹に、朝からフルコースでケアを受けたジアの肌と髪は艶やかに輝いていた。
鏡台の前に座らされても終わる気配を見せない着飾りは、ドレスと装身具を選ぶ時に絶頂に達した。
掛けられたドレスを見ながらロアンは真剣に悩んでいるようだったが、当のジアは適当に何でもいいから着て、この長くて長い拷問を終わらせたいという気持ちでいっぱいだった。
「このドレスはピンクピンクしてて花柄も華やかで可愛いけど、なんだか落ち着いて見えない気がするわね? うーん、こっちはヒラヒラしすぎててなんだかインパクトに欠けるというか……」
慎重を通り越して真剣に選ぶ姿が怖いくらいだった。
肝心のドレスを着る本人であるジアは、適当に何を着ても全部可愛く見えたが、ロアンは違った。
鷹の目で、掛けられているドレスの素材から合わせる装身具まで、事細かに品定めをしていた。
「ロアン……」
「あ、ちょっと待ってくださいね。これがいいかしら?」
ジアの急かすような言葉にもかかわらず、ロアンの迷いは続いた。
あまりにも念入りに調べるものだから、無傷のドレスに穴でも開きそうなほど鋭い視線だった。
ロアンの手には、藍色のシルク素材に茶色のリボンがあしらわれたドレスが握られていた。
「それ、それ。それが良さそう!」
特別ジアの目に可愛く見えたわけではなかった。
面倒くさくて、適当にロアンの手に握られているドレスを指差しただけだった。
慎重に慎重を重ねてなかなか決断を下せないロアンの代わりに、ただ無難そうに見えたからだ。
「そうですか……?」
ロアンは疑わしそうに、再びドレスを持ち上げて悩みの沼にハマりそうな気配を見せた。
「ヒラヒラしすぎてないし、落ち着いてて可愛いよ!」
もしかしてまた気が変わるのではないかと恐れたジアは、大げさに持ち上げた。
「そうですね。高級感があってエレガントに見えますわ。お色も皇女様によくお似合いですし」
ようやく心が決まったようで、密かに安堵の息を漏らした。
一体ルセテリはどこへ行って顔も出さないのか、おそらく誰よりも優柔不断さを発揮しているロアンを止められる唯一の人物、いやドラゴンが見当たらなかった。
「ルティアは?」
「ルティア様も今お忙しいのですよ。宴会場の点検もして、何か探すものもあると仰っていたような……?」
ジアの服を着替えさせながら、ロアンは首を傾げた。
一体ルセテリが何を探しているというのかは分からなかったが、ひとまず聞いた通りに伝えた。
「そうなの?」
ロアンの言葉に、ジアの表情が急激に暗くなった。
それでも宴会場に入る直前までは一緒にいられると思っていたのに、そうではないという言葉にがっかりしたようだった。
「宴が始まる前にはいらっしゃるんじゃないでしょうか?」
ドレスの色に合わせたかのような、深い色のサファイアがちりばめられたサテンのヘアバンドをロアンは手に取った。
ロアンが頭にヘアバンドを着けるやいなや、待っていましたとばかりに侍女たちが駆け寄り、キラキラした粉が混ざったパウダーを顔にポンポンと叩き込み、髪に艶を出すオイルも塗って着飾りの仕上げをした。
朝早くからロアンたちに振り回されたジアは、外見とは裏腹に真っ白に燃え尽きて灰だけが残っていたが、ロアンはジアの姿にかなり満足したような表情で手を叩いて喜んだ。
「素晴らしいです。ジア皇女様のエレガントで知的な部分が強調された、完璧なお姿です」
顔には誇らしささえ感じられた。
「あ、そう?」
「もちろんですわ〜。元々お可愛らしいですが、エレガントで洗練されたお姿であっても、このように抑制の効いたポイントで飾ると完璧でございます!」
心の中では、宴も何もかも放り出して、ベッドで布団を被って一日中ゴロゴロしながら本でも読んでいたいんだけどね……。
ジアは口の中が苦くなった。
「皇帝陛下と皇后陛下のお成りです」
タイミングよく知らされた皇帝の来訪の知らせに、すでに逃げ出すタイミングを逃してしまった。
「お父様、お母様。昨晩はよくお休みになられましたか?」
扉が開いて入ってきた皇帝夫婦に向かって、おしとやかにドレスの裾を掴み、そっと膝を曲げてツンとすました挨拶をした。
これはすべて、これまでルセテリがしっかり教育してきた結果だった。
そうでなければ、幼い頃のようにタッタッと駆け寄って皇后の胸の中にすっぽりと抱きついていただろうが、今日だけは違った。
どうやら七歳の誕生日を迎える朝であるだけに、少しは礼儀作法に従うのも良さそうだと思ってとった行動だったが、なぜだかロアンの肩が誇らしげにそびえ立った?
周囲の侍女たちの反応もまた、感動に浸ったように目に涙を浮かべていたし。
「七歳のお誕生日おめでとう、皇女」
皇帝と皇后が近づいてきて、代わる代わるジアをぎゅっと抱きしめ、頬にキスをしてくれた。
節度のある動作だったが、彼らの行動からはジアへの愛情がたっぷりと滲み出ていた。
いつの間にロアンが行って知らせたのか、ジアと合わせたかのように皇帝と皇后の服装も同じ深い藍色で統一されていた。
ミエリアのドレスは、深い藍色のシルクのシンプルなオフショルダーガウンで、大きなサファイアが強調されたネックレスを身に着け、白い毛皮で作られた長いマントを肩に羽織っていた。
皇帝もまた、普段着ている赤色の皇帝のローブの代わりに、藍色のベルベットに金糸で刺繍が施された生地に白い毛皮がついたローブを羽織り、長い金のチェーンで繋がったサファイアのピンをローブに挿してアクセントをつけていた。
「ありがとうございます。お母様、お父様」
微笑ましい笑顔が二人の顔に咲いた。
いつの間にこんなに立派になったのかと、万感が交差しているようだった。
コンコン。
ノックの音と共に扉が開き、ルセテリが扉を少し開けて中に入ってきた。
「皆様、ご出発の準備は整いましたでしょうか?」
今回の宴にジアと共に参加することになったルセテリは、別の部屋で準備をしてきたせいで、ジアと朝を迎えられなかったことに不満があったのか、少し頬を膨らませていた。
部屋の中に家族三人以外にも大勢の人がいることを確認したルセテリの言葉が、急に丁寧なものになっていた。
「皇女様、準備がすべて整いました」
「それでは、そろそろ参りましょうか」




