第28話 素人にも程がある
騎士団の姿が見えなくなるやいなや、ようやく息を吹き返したかのように、人々は不満をこぼし始めた。
「なんだい、俺たちみたいなもんは見物するのも贅沢だってのか?」
「皇室の偉いさんたちだけで楽しもうって魂胆じゃないか」
「ええい、とうとう流れの興行団まで取り上げやがって」
「うちの子が興行団が来るのをどれだけ楽しみにしてたか……」
皆が口々に不満を漏らしてみたが、すでに興行団は騎士団によって皇宮へ連行されてしまった状況であり、ここでの「諦め」は馴染み深い言葉だった。
『ロッ様、この人たちはお芝居とか見ちゃいけないの?』
『そんなわけないさ。ただアウレリア公爵家が特権を振りかざして独占しようとしてるだけだ』
『独占? それって悪いことじゃないの?』
『時と場合によっては有益なこともある。だけど、あれはただ貴族っていう身分を笠に着て民をいじめてるだけだ』
「それ、悪いことでしょ?」
「ああ、悪いことだ」
ジアは人々の表情の一つ、彼らの言葉の一言を心に刻み込むように、ゆっくりと辺りを見渡した。
誰が育てたのか、本当によく育った。
ルセテリはそんなジアの姿を、またしても誇らしく見つめた。
おっと、ぼうっとしている場合じゃない。大変なことになるところだった。
これ以上遅くなる前に早く皇宮へ戻らないと、本当にオークのような顔になったロアンが二人を待ち構えているような気がした。
一刻の猶予もなかったルセテリは、素早くジアを抱き上げて皇宮へと向かって走り出した。
「とりあえず、これ飲んで」
皇宮が近づくと、変身を解く薬をジアに渡した。
いつも皇宮を抜け出す時に使っている犬穴(抜け穴)にたどり着く頃には、変身魔法はすべて解けているはずだ。
キョロキョロと辺りを見回し、周囲に誰もいないことを確認したルセテリは、ツル草の奥深くに隠された小道の扉を開けた。
最初は人が通った痕跡が全くなかったため、通り抜けるやいなや全身葉っぱだらけになってしまい、それを払い落とすのが一苦労だったが、あまりにも頻繁に通ったせいで、今ではツルツルに磨かれて艶が出ている道だった。
皇宮の北の庭園と繋がる扉を開けるやいなや、天の助けか、幸いにもロアンが気づく数秒前に到着することができた。
どれほど安堵したことか……。
遠くから、ルセテリとジアを探し回っているロアンの姿が見えた。
断言するが、今日のロアンの夕食のネタは、ジェレミアが連れてきた興行団の話になるだろう。
皇宮の外にはセンティが、中にはロアンが。本当に、どこでどうやって聞いてくるのか、情報収集能力の高さには恐れ入る。
もしかすると、噂が広まるよりも早いのが「ロアン通信」かもしれない。
「ジェレミア公息が、皇女様のお誕生日の宴に合わせて皇宮に興行団を呼んだって話、お聞きになりましたか?」
やはり、案の定だった。
今日のロアン通信のヘッドラインは、ジェレミアが引き連れてきた興行団の話から始まった。
「興行団を連れてきながら何て言ったかご存知ですか? まさか、幼い自分の未来の婚約者のために、街で公演している流浪の興行団を連れてきたら喜ぶだろうと思って連れてきただなんて! 未来の婚約者ですって! 女神様が適当にこねて放り投げたような顔をしておいて、うちのお美しい皇女様にくっつけようとするなんて! こんな話、あり得ますか?」
呆れ果てたようにすっかり頭に血が上ったロアンが、唾まで飛ばしながら鬱憤を晴らした。
先ほどルセテリが初めてジェレミアの口から聞いた時も同じ心境だったため、十分に共感できた。
「いやはや、まだ十歳にも満たない、やっと七歳になられたばかりの幼い皇女様に向かって婚約がどうのこうの。その上、子供だから流浪の興行団の公演が好きだろうだなんて、あれ絶対に皇女様を遠回しにバカにしてますよね?」
相槌まで完璧で、ルセテリが言いたいことをかゆいところまで手が届くように表現してくれているのが、非常にグッジョブだった。
「あ、そうだ。ルティア様。夕食が終わったら、皇帝陛下がお知らせするようにと仰っていましたが」
まるで忘れていたのを思い出したかのように、ロアンがさりげなく皇帝からの言葉を伝えた。
いや、それより忘れてたら大問題じゃないか?
時々、ロアンの肝が据わっているのか、それともただの図太いだけなのか区別がつかない時があった。
「皇帝陛下がお呼びですか?」
「はい、皇后陛下と共に夕食後、ご機嫌伺いにいらっしゃりたいと……」
通常、夕食後の予定を終えた時間帯であれば、特別な用事がない限り二人がジアに会いに来るのは日常茶飯事だった。
その上、事前に知らせてから来るケースはほとんどなかったので、一体何事かと非常に気になってきた。
「分かりました。皇女様がお休みの準備を終えられたら、お知らせするようにしてください」
今日センティから聞いた情報もあることだし、二人が今更どんな話をしようとしているのか、ルセテリは興味津々だった。
見た目には、一日の日課を終えた後の仲睦まじい家族の時間のようにも見えるだろうが、なぜか今日は少し違うような予感がした。
コンコン。
「皇帝陛下と皇后陛下のお成りです」
ノックの音と共に、急に真剣になったロアンが、皇帝夫婦の来訪を告げる案内を大きな声で知らせた。
「お父様、お母様。今日一日、ご機嫌麗しゅうございましたか」
座っていた席から立ち上がったジアは、パジャマのスカートの裾を両手でそっと持ち上げ、皇帝夫婦に向かって礼儀正しくお辞儀をした。
非の打ち所がない完璧な帝国皇室の作法だった。
「ジアも今日一日、ルティアと一緒に楽しい時間を過ごしたかしら?」
ジアが愛おしくてたまらないというように、ミエリアはジアのそばに近づいてぎゅっと抱きしめながら尋ねた。
その横にはジョセフ皇帝、いや、すでに親バカが絵に描いたような二人の姿を見て、感激のあまり目に涙を浮かべていた。
いい加減、そろそろ慣れてもいい頃じゃないか。
「ルティア様と一緒に、今日一日も一生懸命お勉強しました」
一生懸命お勉強したさ、うん。
外の世界をな……。
扉の前に立っているロアンの疑いの目がルセテリに向けられているのは公然の秘密だ。
仕方ないだろう……すでにジアが学んで知っておくべき基礎的なことは全部読み終えてしまったせいで、これ以上教えることがないんだから。
言いたいことは山ほどあったが、ルセテリは必死に口を閉ざした。
ミエリアの手をぎゅっと握ったジアが、明るく笑いながら暖炉の前に置かれたソファに座った。
皇帝もその前に置かれた安楽椅子に腰を下ろし、手振りでロアンに下がるように合図を送ると、ロアンは耳をピクピクさせながら静かにお辞儀をし、部屋の扉を閉めて外へ出て行った。
遠くへ立ち去る気配でも聞こえるかと、ルセテリは全神経を集中させてみたが、やはり無駄だった。
遠くへ消えていく足音も、近くで耳をそばだててここの様子をうかがう気配も、何も感じられなかった。
さすがはロアン、と言うべきか。
「今日、何かあったのか?」
すっかりリラックスした姿勢で長椅子に寝転がりながら、ルセテリは皇帝に尋ねた。
「その通りです。ルセテリ様は、もしかして最近の貴族たちの動向についてご存知のことはおありですか?」
やはりその話題が出ると思った。
親バカの姿から、いつの間にか真剣な皇帝の顔に戻ったジョセフ皇帝だった。
「ルロア家が動いているとか」
「さすが、すでにそこまでご存知でしたか」
皇帝はミエリアと目を合わせると、やがて声を静かに落とした。
「今日に限って、ルロア伯爵が会議中に強硬に私に側室を迎えるよう要求してきましてね」
皇妃を迎えるのは諦めたんじゃなかったのか?
てっきりジアの婚約の話だと思っていた予想が、見事に外れてしまった。
「自分の末娘と共に入宮したルロア伯爵が、愛妾でも構わないから連れて行けと、私に半ば強制的に押し付けてきたのですよ」
ジアと一緒に皇宮の外へ出かけている間に、何か大変なことがあったようだ。
「その末娘っていう子はいくつなんだ?」
ルロア伯爵家の娘たちは皆嫁に行ったと聞いていたのに、どこから湧いて出た末娘だというのか、十分に怪しむ余地があった。
あの血統にうるさいルロア伯爵が、どこの馬の骨とも知れない娘を路地裏で拾ってきて、皇帝に愛妾にしろと突き出してくるはずもないだろうし。
「今年成人式を迎えて、たしか十九歳だったか? 十八歳? それくらいのはずです」
「完全な泥棒じゃないか、それ。どうやって十八のまだ血の気も引いていないような(まだ口の端の黄色いような)小娘を、四十近くなる初老の男に押し付けるんだ? それ、本当に実の父親か?」
齢四十の初老の男となってしまった皇帝が、苦々しく微笑んだ。
皇帝自身が考えてみても自分の好みではない、しかもひと回り以上も若い娘を愛妾にしろだなんて……正気の沙汰ではないと思った。
「末娘とは言っていましたが、ルロア伯爵が妾に産ませた子供ですからね」
「いくらなんでも、それはあり得ないだろ?」
「ははっ、そうでなくてもその令嬢は顔面蒼白になってブルブルと震えているのが目に見えて分かるほどでしたよ」
いくら妾の子供だとはいえ自分の子供なのに、側室でもなく愛妾だなんて……。
まあ、ルロア伯爵ならやりかねないか。
あの人種差別主義者で男尊女卑の思想を持つクソジジイめ!
「あの伯爵家は少し、保守的ですからね」
部屋の中にいた全員が、長いため息をついた。
「それで? 断ったんだろ?」
あの親バカでミエリア一筋の皇帝が承諾したはずがないだろうが、それでも確認だけはしておかなければならない重要事項だ。




