第26話 ドラゴンはスラム街に潜伏する
ルセテリとジアは、丘の上にある古くてみすぼらしい小屋へと向かった。
二人は時折こうして変装し、皇宮を抜け出して街を歩き回り、皇宮とはまた違う自由を満喫していた。
特にルセテリの場合、帝都のあちこちに点在するあらゆる屋台を完璧に把握していた。
例えば、熱した石で焼いて売る焼き芋が一番美味しい屋台は、北の城門の入り口から十歩離れた場所にあるところで、そこが一番美味しい温度と時間で焼いて売っているだとか、焼き芋と一緒に飲むと美味しい温かいミルクを売る露店は、その角を曲がったところにあるお婆さんの店がいいだとか……そういった具合で、ルセテリは「社会科見学」という名目のもと、ジアを連れてこの三年間、思う存分皇都を駆け回っていた。
貴族たちが出入りする南門や、平民が多い東門、西門とは違い、北門は帝国のあちこちから流れ込んできた貧民たちで形成された街だった。
あまりにも流入する数が多く、正確に把握されていない大勢の人々がその日暮らしをしている場合がほとんどであり、一部の場所は犯罪者たちが集まる本当に危険な路地も存在していた。
そのため、二人が変装してこの場所に紛れ込んでも、彼らを怪しむ者は誰もいなかった。
さらに、ルセテリが薬草を扱いながら薬師のような仕事をしているため、スラム街の人々から「先生」と呼ばれ、尊敬めいたものまで受けており、薬草を採集するという理由で何の疑いもなく城門を自由に出入りできる利点もあり、非常に便利だった。
「ルー先生。薬草採りに行ってこられたんですか?」
小屋へ上がる丘の入り口で、白髪交じりの男の一人がルセテリを見るなり嬉しそうに挨拶をしてきた。
「ヤンさん。この前怪我したという足の具合はどうですか?」
ヤンと呼ばれた男は、左の太ももを手でポンポンと叩いて見せ、ルセテリに向かって豪快に笑ってみせた。
「ルー先生がしっかり治療してくださったおかげで、なんだか前より丈夫になったみたいですよ? ありがとうございます、先生」
「まだ治療が完全に終わったわけでもないし、骨がくっついたからって鋼鉄になるわけじゃないんですから、当分の間はどうか気をつけてくださいよ」
「はははっ。あまりにも見事に治してくださったんで、前より動きやすくなったくらいなんですよ」
ルー先生と呼ばれたルセテリは、ヤンに念を押すことを忘れなかった。
彼は骨が折れた翌日にも働きに行き、また折って帰ってきたという前科があった。
「ところで、どうも今日に限って街が浮き足立っているような雰囲気ですね?」
「ああ、薬草を採りに行って今日戻られたなら、ご存知ないかもしれませんね。今日、この通りを興行団が通るって話じゃないですか」
「興行団? ここをですか?」
「ええ。おそらく、もうすぐある皇女様のお誕生日に合わせて一稼ぎしようと考えて立ち寄るんでしょう。見物する金はなくても、俺たちみたいなもんには興行団が通り過ぎるのを見るだけでも、これ以上ない良い娯楽ですからね」
なるほど。
ヤンが言っていることは間違っていなかった。
実際、貧民たちにとって劇場に入るための10ペリの金よりも、まずはパンが優先だったのだから。
「今年の皇女様のお誕生日には、皇女様が初めて皇宮の外に出られるそうですね? それを記念して都心で大きな祭りも開かれるとか」
そうだった。
今回7歳の誕生日を迎えるジアのために、ジョセフ皇帝は盛大な計画を立てていた。
皇宮のテラスから市民たちに向かって手を振るという行事ではあったが、初めて大衆にジアをお披露目するのを皮切りに、夕方には皇宮で誕生日の祝賀宴を盛大に開き、市民のための祭りを開く計画を立てていた。
おそらく皇帝も薄々感づいているはずだ。
そろそろソラレティ様のもとへジアを連れて行く時期が近づいているということを。
それに気づいた皇帝夫婦が、あえて大きく盛大に祝ってやろうとしたものだったのだが……。
大臣たちは、ジアが7歳になったことを口実に、あの忌々しいジェレミア公息との婚約をジアに押し付けようとしており、最近の皇宮内の雰囲気はまさに薄氷を踏むような有様だった。
皇宮でスケートができそうなくらいだ、まったく。
まだ7歳にしかならない子供たちに婚約だなんて!
しかも、顔も見たくないあの丸々太った短足公爵家と!!
おそらく、新しい皇妃を迎えろという大臣たちの圧力が通用しなくなると、帝国唯一の後継者も同然のジアの婚約を持ち出して、皇帝を脅迫しているようだが……。
このドラゴンが両目を青くして見開いているというのに(目の黒いうちは)、目に土が入るまで(死ぬまで)絶対にあり得ない話だ。
皇帝が激怒する前にすでにルセテリが烈火のごとく暴れ回ってくれたおかげで、皇帝は遠回しな拒絶に拒絶を重ね、大臣たちを押し留めてはいた。
間違いなくこの件にも、アウレリア公爵の息が十二分にかかっているのだろう。
「わあ、面白そうです。僕、そういうの初めて見るんです」
「だろ? 坊主もその日になったら、面白い見世物がたくさん見られるぞ」
まだ硬い本を読んでいるようなぎこちない口調だったが、ヤンさんは気にする様子もなくニコニコと笑いながら、そっとジアの頭を撫でてやった。
「とにかく、ルー先生が遅れずに戻ってこられて良かったです。祭りは人が多ければ多いほど楽しいもんでしょう?」
伝えるべきことはすべて伝えたとばかりに、ヤンさんはルセテリとジアに向かって手を振り、再び路地の奥へと消えていった。
『ロッ様。私の誕生日に大きなお祭りをやるの?』
『ああ、皇帝がそう言っていたが? その日、都心で大きな祭りを開いて、貴族たちは宴を開くそうだ』
『私、お祭りの方が見たいな』
そうだろ。貴族たちの退屈な挨拶が続く宴なんかより、祭りの方がずっと楽しいに決まっている。
ルセテリも激しく同意するところだ。
その上、祭りの華といえば、やはり屋台の食べ物ではないか?
考えるだけでも、ドラゴンの口の中に唾がポタポタと落ちてきそうだった。
だめだ。
どうにかして機会を見つけて、宴の途中でサボって抜け出さないとな。
『途中でこっそり抜け出したら、ロアンが怒るよね?』
それよりもまず、ロアンの目を盗むという前提自体が不可能ではないか?
やはりジアも同じ考えのようだ。
二人は再び歩を進め、城壁近くの丘を登り、みすぼらしい小屋の扉を開けた。
部屋の真ん中に置かれた机の上には様々な薬瓶や道具が並んでおり、壁や窓枠にはルセテリとジアが採集してきたハーブのブーケが吊るされて乾燥していた。
カゴを机の上に置いたジアが、中に入っているハーブを取り出して整理し始めた時だった。
バタンと扉が開き、小屋の中にがっしりとした体格の男が入ってきた。
「ルー先生。お帰りですか」
男の手には大きな風呂敷包みが一つ提げられていた。
「どうした?」
「先生がお戻りになったという話に、うちの女房が早く先生に届けてこいと俺の背中を押して追い出したんですよ」
ゴソゴソと風呂敷包みを解き、中にあるものを取り出しながら男が言葉を続けた。
「俺が先生には大して必要ないだろうと言っても、うちの女房はどうにも人の話を聞かなくてですね。人が恩を受け取ったなら返すのが筋だろうと言って、足で蹴飛ばすまでしてきやがったんですよ」
いくら人相の悪い山賊のような男でも、妻の前に出れば大人しい羊以下の存在になるようだ。
不憫そうな目でルセテリが男を見つめているように見えたのか、男はバツが悪そうに後頭部を掻いた。
包みの中にはパンや、料理に使う食材から、服や靴など、庶民が使うような品々が山のように入っていた。
今、ルセテリとジアが着ている服装もすべて、男の妻が調達してくれたものだった。
おかげでこのスラム街でも、二人は目立つことなく静かに溶け込むことができた。
ジアは文句も言わず、男が差し出す品々を受け取って整理し始めた。
その姿を見た男はルセテリに近づき、真剣な顔つきで静かに口を開いた。
「それから、ルー先生に伝言です。南部ルロア伯爵家が、アウレリア公爵家に合流したそうです」
「南部ルロア伯爵家だって?」
「はい。保守的な伯爵家が公爵家と手を結ぶのは、予想されていたことではありませんか」
「それはそうだが、なぜ今になって?」
ルセテリが真剣な顔つきになり、手で顎を撫でた。
男の名前はセンティ。
以前の競売場の事件の時、ルセテリを襲撃した男たちの中でガタイが良かった人物で、あの時ルセテリから受け取った資金を元手に、このスラム街で情報屋を営んでいた。
あの時一緒にいた痩せこけた二人の男も、その資金を元手に皇宮を離れ、帝国内の他の都市に散らばって小さな店を始めたという知らせをセンティを通じて聞くことができた。
おそらく彼らもセンティと同様に情報屋を営んでいるのだろう。
見た目はただの酒や雑貨を売る普通の店のように見えるだろうが、実態は帝国で情報を集めて売る情報部屋だった。
運良くタイミングよく起きた競売場の火災事件によって、アウレリア公爵が彼らの身柄を確保できずに逃してしまったのが公爵の最大のミスというべきか。
意外にもセンティの情報収集力は、ルセテリが認めた情報通であるロアンと似たり寄ったりのレベルだった。
目ざとさもずば抜けていて、ポリモーフで姿を変えたはずなのに幽霊のように見破り、そのままルセテリの周囲をうろついているのだから仕方なかった。
それでも彼らのおかげで、ルセテリとジアはスムーズに警戒心の強いスラム街に拠点を構え、溶け込むことができたのだから、あながち悪いことばかりではなかった。
裏路地は牛耳っているというセンティの言葉は嘘ではなかったようで、皆がルセテリを「ルー先生」と呼び、薬師の先生として定着させてくれたのは間違いなくセンティの功績だった。
それにしても、ルロア伯爵家か……?




