第20話 世界唯一の魔法使い
『それで、天気を操る魔法だって?』
久しぶりの育児相談を兼ねて通信具を立ち上げたルセテリは、しばらくの間、ソラレティの笑い声に耐えなければならなかった。
ようやく落ち着きを取り戻し、目元に浮かんだ涙を拭いながら放ったソラレティの最初の質問だった。
天気操作魔法。
並大抵の魔力量では到底及ばない自然を操る魔法を、まだたった四歳の赤ん坊が発動したという話を聞いて、ソラレティはまず笑い出したのだ。
「すでにこれほどの魔力量だなんて、笑い事じゃありませんよ」
ルセテリは眉をひそめた。
それなりに心配になって連絡したというのに、いきなり笑われるなんて、気分を害した。
『いやいや、そうじゃなくて……』
クスクスとこぼれ出る笑いを必死にこらえようとするソラレティの声が、通信具から流れてきた。
『その祝福がそこまで強力だとは、私にも予想できなかったことで……』
「祝福ですか?」
『ああ、まあ……昔、ルシネルとアルメニア家が互いに結ばれればいいなと思って……』
また、やらかしたな、これ。
「私には、人間の事にむやみに関与してはならないと言っていたじゃありませんか」
『うん、それはすべて経験からくる忠告というか』
つまり、自分は散々楽しむだけ楽しんでおいて、私にはやるなと言っているわけだ。
『私が思い通りにしたいからって、そうなるわけじゃないから言ってるわけで、それをそんなに捻くれて受け取る必要はないんじゃない?』
「だったら、許可も得ずに私の心をなぜしきりに覗き見るんですか?」
『私がいつ?』
「いつって、さっきはっきり言ったじゃないですか。捻くれて受け取るって」
『私、お前の心を覗き見たことなんて一度もないぞ? ただお前がそう思ってそうだからカマをかけてみただけなのに、図星だったのか? 水臭いなぁ』
その時になってようやく、ルセテリは自分がソラレティの罠にハマったことに気がついた。
今まで自分の心を許可もなく覗き見ていたと思っていたが、そうではなかったようだ。
じゃあ、あれ全部カマをかけてただけ?
いや、むしろそっちの方が怖いんだけど?
ルセテリはゾクッと全身に鳥肌が立った。
『すべて血となり肉となる人生の先輩としての助言だから、よく肝に銘じておけ。何をするにせよ、それはお前の選択だから、私がとやかく言うつもりはない』
それがそれじゃないか!
何だか理不尽で大声で叫んでやりたかったが、ルセテリは知性あるドラゴンらしく、必死に理性で抑え込んだ。
「それで、どうすればいいんですか? このまま帝国にいては、すべて吹き飛んでしまいそうなんですが」
『私の知ったことか?』
「ソラレティ様!」
『やれやれ、通信具越しにブレスが飛んできそうだ。言葉のあやってやつだよ、言葉の。冗談だ』
ルセテリは長いため息をついた。
経験豊富なソラレティに比べ、ハッチリング(幼竜)を卒業したばかりのルセテリに育児の経験などあるはずがなかった。
あったとしても、このようにドラゴンに匹敵するほどの莫大な魔力を持つ幼い子供を育てた経験など、あるわけがない。
『祝福を与えたのは確かだけどね、だからといって人界に影響を与えるほど干渉したわけでもないし、すべてはただ女神様の采配ってやつじゃないか?』
「魔法が消えゆく世界に、魔法使いですよ?」
『それは分からないさ。それがその方のご意志ならそうだろうし、違うならまた別の理由があるんだろう』
ルセテリの胸中が黒焦げになるほど焦っているかどうかなんて知る由もないソラレティは、ただ淡々としていた。
「それで? 魔力が溢れ返っている子供をこのまま放置しろと? フォンテンの森まで行くには、ジアはまだ幼すぎるんです」
ルセテリは半泣きでしがみついた。
魔法使いを育てたことがないから分からないのだ。
ソラレティなら莫大な魔力を扱う方法を知っているだろうと思い、気乗りしない通信石を取り出して連絡したというのに。
『私はドラゴンの育て方しか知らないけど、それでも構わないなら。たまに人間の中でも魔力を持って生まれ、魔法使いの素質を見せるケースは見たことがあるが、自然の一部を操るほどの莫大な魔力を持つケースは見たことがなくてね』
そのドラゴンというのは、間違いなく自分、ルセテリのことを指しているのだろう。
人間ではないという点が気がかりだったが、まあ仕方ない。
『とりあえず基本書を読ませろ。それだけの魔力量なら暴走する可能性もあるから、基本的にマナをコントロールする能力を養ってやらなきゃな。「魔法学概論」、「世界のすべてのマナ」、「数式学の基礎」だ』
ルセテリはソラレティが教えるリストを書き留めながら、どこか妙に聞き覚えのあるタイトルだと思った。
「これ、昔ソラレティ様が姿を消す直前に、私に投げつけていった本じゃないですか」
『それで?』
ああ、やっぱり。
ソラレティ様はあの時、あまりの空腹でフォンテンの森の土まで掘って食べて生き延びていた自分のことなど、すっかり忘れているに違いない。
あれほどお腹が空いた、助けてくれと哀願したのに、おまけで投げ渡された通信石は反応もなく、どれほど涙で滲んだ歳月だったことか。
あの時、涙で濡れたパンがどういう意味なのか、身をもって体得することができたのだ。
『死んでないだろ。いや、そもそもドラゴンがどうして死ぬんだ? それに、お前が飢えないように人も送ってやったじゃないか~』
ええ、送ってくれましたとも。
なんと300年も経ってからですけどね。
「ええ、あの時私を助けてくれたのがミエリアでしたね」
だからルセテリにとって、ミエリアが作ってくれるお菓子は「おふくろの味」だったのだ。
『いや、お前はまたそれをどうして……』
「正直、私のこと忘れて遊びに行ってたんですよね!」
他のことはともかく、食べ物の恨みは恐ろしいものだ。
天下のドラゴンが餓死しかけたのだから、あの時も言葉を濁して回答を避けたが、口が十個あってもソラレティには返す言葉がないのは明らかだった。
今日も大きなスフレパンケーキがぷるんと揺れながら、ルセテリのナイフを待っていた。
黄金色に輝くシロップはしっとりとしたシャンティクリームの上にトローリと美味しそうに流れ落ちており、今日はベリーの代わりにチョコレートカールとシナモンがまぶされていた。
甘すぎず、適度な苦味とシナモンのほのかな甘味がこれもまた絶品だった。
その上、皇宮で例の公爵家の人間の顔を全く見ずに済むので、せいせいしているせいか、ひときわ甘く感じられた。
ロアンが近づいてきて、ちょろちょろとルセテリの前に置かれた空のカップにお茶を注いでくれた。
いつの間にか、いつもこの時間になると期待することが一つできた。
それはズバリ……ドゥルルルル!
早くて信頼できるロアン通信。
今日はどんなニュースをくわえて来るのか気になり、思わず目を輝かせてロアンを、正確にはロアンの口が開くのを心待ちにして、その口元ばかりをじっと見つめていた。
「もしかして、『女神の涙』って聞いたことありますか?」
「ああ、北のフォンテンの森の境界にあるラタナ鉱脈で発見されたというダイヤモンドのことか?」
「はい、優に10カラットは超えるだろうと言われていた、あのブルーダイヤモンドですよ」
ただでさえ希少なカラーダイヤモンドである上に、並外れた大きさでもあるため『女神の涙』という名が付けられた、最近の帝都で最も熱い話題を知らないはずがなかった。
「皇帝陛下が今度の皇后陛下のお誕生日にプレゼントされるためにダイヤモンドを買い取り、職人にネックレスにしてもらうよう注文まで済ませていたんですよ。皇帝陛下の私財で準備されるものなので、本来なら予算会議なんて必要ないことなんですが……」
言葉を濁し、辺りをキョロキョロと見回すその様子は、間違いなくアウレリア公爵家が絡んだ話のようだ。
案の定、
「公爵が予算会議で難癖をつけて、最後まで支払う予算がないと言い張ったせいで、結局そのネックレスが競売にかけられることになったって聞きました?」
「ん? 皇帝陛下の私財で支払うのに、予算会議?」
もしかして聞き間違えたのかと思い、再度ロアンに尋ねたが、聞き間違いではなかった。
「はい。皇帝陛下の個人財産から支払うとまでおっしゃったのに、そんなお金はないそうです」
一体どういうトンデモない言い分だ?
いくら10カラットのブルーダイヤモンドをあしらったネックレスで、価格が相当なものだと予想されるとはいえ、帝国の皇帝ともあろう者がそれを支払う能力がないだなんて……筋が通る話か?
「今回、東北部地域に深刻な干ばつが起きて民が飢えているのに、模範を示すべき皇室で贅沢品の購入とは何事かと、公爵が頑なに反対したそうなんですよ」
東北部地域だって?
どこからか非常にきな臭い匂いがするんだが……?
「東北部地域といえば……」
「アウレリア公爵領がある場所です」
声を潜めたロアンが、そっとルセテリの耳元で囁いた。
やっぱりな、どうりで。
「皇帝の個人財産をはたいてでも救済金を出せと、皇帝陛下に圧力をかけたみたいですよ」
「東北部地域の干ばつか……本当なのか?」
「さあ、公爵は知っているんじゃないですかね?」
いやはや、本当に斬新な手口で皇帝からカツアゲするもんだな。
ルセテリはアウレリア公爵の手段に舌を巻いた。
『干ばつが何だって。天気が良くて、あっちの地域は今回豊作になるって言ってたけど』
ため息をつきながら、ジアは読んでいた本を置いた。
「魔力制御の基本修練」というタイトルで、以前ソラレティが逃げながらルセテリに投げつけていった本の一つだった。
一度読んだ後は亜空間に突っ込んでおいたせいで、探すのに少し骨を折ったが、ソラレティが挙げたリストにあった本の一つだった。
「結局、皇室で支払えなくなったため、職人がそれを競売にかけることになったそうです。それでも売らなければならないですからね」
「でも、それがどうしたんです?」
「あくまで噂ですが……公爵夫人が狙っているという話を聞きました」




