第16話 因果応報は当然の結果
朝っぱらから、皇帝の執務室は怒声で始まる一日を迎えていた。
「陛下、これらは一体何事ですか! いくらなんでも酷すぎます!」
アウレリア公爵は、自身に請求された請求書の束を、皇帝の机の上に叩きつけるように投げ捨てた。
恥知らずな顔で朝早くから押しかけ、唾を飛ばしながら無念そうに鬱憤を晴らす公爵を見て、皇帝は偏頭痛に襲われていた。
「アウレリア公爵。私の聞くところによると、ご子息が皇女の部屋に馬に乗って無断で押し入り、暴れ回ったそうだが」
「まだ子供ではありませんか。子供を育てていれば、よくあることでしょう」
よくあることと言うにはあまりにも頻繁で、しかも傍若無人に事を荒立てているではないか。
無礼にも程がある。皇帝の忍耐はすでに底を突いていた。
これまでジェレミアの放蕩を何度か見逃してきたのも、もう限界だった。今回、間違いなく公爵子息は一線を越えた。アウレリア公爵の強弁でやり過ごすには、皇帝の自尊心が許さなかった。
今回こそジアを本宮に呼び寄せるため、どれほど心を砕いたことか。
「子供が起こした事故と言うには、度を越しているようだが、公爵」
「何を仰いますか。まだ五歳の幼い子供です。何も分からずにやったことでしょう」
「ならば当然、その後始末は子息の親である公爵家が処理するのが筋というものではないか」
思いもよらない皇帝の怒気に、アウレリア公爵は思わず一歩後ずさった。
皇帝は、まだ公爵の手に握られている数枚の書類を射殺すように睨みつけながら、高ぶる感情を必死に抑え込んだ。
皇帝らしからぬ罵声が喉まで出かかったが、必死にこらえるせいで忍耐は限界に達しようとしていた。
公爵の手にある書類は、昨日ジェレミアがジアの部屋で暴れて壊した品々のリストがびっしりと書かれたものだった。
中でも、本が台無しになったことをジアが一番悲しんでいたと聞き、皇帝の胸もジアと共に泣いていた。
最も心を込めて準備した部分だったため、金の問題ではなく、皇帝の真心が木端微塵にされたようで、その知らせを聞いた瞬間、誰よりも心を痛めていたのだ。
よりによって、自分が宮殿を留守にしている間に起きたことだから、なおさらだった。
「皇宮で起きた事故のようなものではありませんか。皇宮の予算で処理できるのではありませんか?」
恥知らずにも、自分の息子がしでかした不始末を皇室で処理しろと言う言葉に、皇帝は首の後ろが凝り固まるような呆れを感じた。
「事故と言うには、侍従長が私に持ってきた修理費が想像を絶する額だったが。全額支払えと言っているわけでもなく、一部を公爵家で負担しろということが、それほど気に食わないか」
「ですから、この修理費というのが途方もない金額ではありませんか!」
不敬にも皇帝の御前であるにもかかわらず、アウレリア公爵は皇帝の机をドンと手で叩き、声を荒げた。
「途方もない? どの部分がだ?」
「本代が七千万ベラなど、どういうことですか? どうせ子供が読む絵本にすぎないでしょうに」
どうせ子供の絵本だと……。皇帝は公爵の言葉を噛み締めた。
間違いなく、この男は書類にきちんと目を通す労力すら惜しんだに違いない。
「公爵、リストをしっかりと確認したのか? 絵本ではないのだが」
「皇女が読む本が絵本でなければ、何だと言うのですか?」
皮肉を言う公爵の言葉に、ジョセフ皇帝は顔を真っ赤にして怒りを爆発させる一歩手前だった。
傍に立っていた侍従長が素早く駆け寄り、公爵に耳打ちしていなければ、おそらく執務室の机は真っ二つに割られていたかもしれない。
侍従長の耳打ちを聞いたアウレリア公爵は、静かに口を閉ざすしかなかった。
侍従長が教えた本のタイトルというのが、どれもこれも高価な希少本ばかりだったからだ。
「公爵家は、たかだかその程度の金額も支払えないほど経済的に困窮しているのか? 私が聞いていた話とは随分と違うようだな」
アメリア帝国で皇帝よりも金持ちだと有名なアウレリア公爵家が、たかが七千万ベラの賠償金を払えないと言うのは、通りすがりの犬でさえ腹を抱えて笑うような話だった。
それを知らない皇帝ではないし、公爵に取り入ろうと貴族たちが列をなして貢ぐ裏金がたっぷりあることも、すでに公然の秘密だった。
公爵家の一ヶ月の予算の十分の一にも満たないであろう金額を巡って抗議する公爵の振る舞いは、どう見ても見苦しい。
まだ怒り冷めやらぬ皇帝の叱責に、公爵は一瞬ビクッとしたかと思うと、すぐにまた泣き言を並べ始めた。
「いくらなんでも、このまま全額弁償しろと仰るのは……」
「この、私が! 愛する皇女のために真心を込めて用意した部屋に、そなたの息子が無礼にも押し入り、暴れ回ったのだ! それも皇宮の中で馬に乗ったまま! それなのに公爵、お前はたかがはした金で私の前で今、駄々をこねているのか?!」
これまで温厚な皇帝の姿しか見たことがなかった公爵は、初めて聞く皇帝の怒声に、その太った体を縮こまらせて丸くなった。
「私の真心と努力を無視した代償は払ってもらう。侍従長!」
皇帝の怒りを帯びた呼び声に、侍従長が恐る恐る歩み寄った。
「ここにある修理費の全額を、公爵家が負担するように処理しろ!」
初めて見る皇帝の態度の変化に、侍従長も目を丸くした。
恐れ多くもその前で否と申し立てれば、自分にもその火の粉が降りかかることを危惧した侍従長は、口を固く閉ざし、黙って皇帝が差し出す書類を受け取った。
「これまで父親として皇女にまともなことをしてやれなかったため、今回は特別に気を使って用意した部屋だ。それをそなたの息子がすべて台無しにしたのだから、当然責任を取るべきだろう!」
親としての皇帝の気持ちを計算に入れていなかったアウレリア公爵は、高いと泣き言を一度言ったばかりに、その何倍にもなる請求書を受け取る羽目になった。
たるんだ腹の肉と同じくらいポッコリと突き出た両頬の意地悪そうな肉がピクピクと動き、容易には不満を収めきれなかったが、これ以上皇帝の機嫌を損ねれば請求額がどれほど増えるか分からなかったため、公爵は一歩引いて引き下がる道を選んだ。
頭を下げ、後ずさりで執務室を出ていく薄い頭頂部を見ていると、皇帝は呆れ果てて乾いた笑いが漏れた。
分かってはいたが、これまで自分がどれほどいいように扱われ、振り回されてきたのかを改めて痛感した。
足も速いが地獄耳はさらに早いロアンは、アウレリア公爵が参内したという知らせを聞くやいなや、矢のように皇帝の執務室へと走った。
近くに身を潜めてすべての状況を見守っていたロアンは、アウレリア公爵が執務室を出るやいなや踵を返し、北宮に向かって駆け出した。
「皇帝陛下はすっかりお心を痛められたようでしたよ」
今朝もまた、たっぷりと用意されたブルーベリーパンケーキを前に、ルセテリとジアは朝食をとっていた。
「親ですからね。当然の反応でしょう」
皇帝でもあるが、一人の子供の父親でもある。
当然の反応ではないか。そうでなければただの阿呆だ。
「あの公爵、出ていきながら侍従長に『今日に限って皇帝陛下はどうされたのだ』とまで聞いていたそうですよ」
ロアンは根掘り葉掘り、詳細にルセテリにすべてを言いつけている。
よく見ると、彼もこれまで相当鬱憤が溜まっていたのだろう。
「これまでは皇宮でも公爵家の便宜を図って目をつぶってこられたのに、今回ばかりは見過ごさないと仰ったそうです。これまで公爵子息が起こした事故の収拾費用だけでも莫大な額だったのに。結局、ざまぁみろって感じですよ。今日はとんでもない請求書を受け取ったんですから」
一向に口を閉じそうにないロアンの口からは、絶え間なくこれまでのアウレリア公爵家の蛮行について、些細なことまで引っ張り出され、なかなか止まる気配がなかった。
結局、最後にはロアンのおしゃべりに疲れたジアが、食べていたパンケーキの一つをロアンの口に押し込んで、ようやく口を閉じさせることができた。
「とにかく、最近の皇帝陛下は以前とはだいぶお変わりになったみたいですよ」
ロアンがパンケーキをモグモグと噛みながら最後の言葉を吐き出した。
『パパのどこがどうなのさ』
『変わったのは事実だろ。まあ、私のせいだろうけど』
フォークでパンケーキの真ん中を刺しながら、ジアは不満げに言った。
自分に限りなく優しくて良いパパである皇帝を悪く言われるのが、どうにも気に入らなかったようだ。
『パパだって、やる時は一発カマすんだからね?』
『一発カマすって……いくらなんでも皇女がそんな言葉遣い、どこで覚えてくるんだ?』
『ロアンが言ってたもん。男なら出るべき時にしっかり出て、一発カマさなきゃダメだって』
やれやれ、頭が痛い。
子供の前ではうかつなことは言えないという昔の言葉は、全く間違っていなかった。
ジアが口に入れてくれたパンケーキが美味しかったのか、目をキラキラさせてうっとりしているロアンに向かって、ルセテリは恨めしそうな視線を送った。
ジアの言葉遣いがだんだん乱暴になっていくのは、ロアン、お前のせいだったか!




