第147話 尾行者
結論から言うと、やはり食堂に口の悪いおばあさんがいれば成功だということだ。
ガラムマサラを使った魚は強い香辛料の香りのおかげで生臭さなど全くなく、プレシア公国の南部でよく使われるというココナッツミルクがその強いガラムマサラをまろやかでクリーミーにしてくれており、香辛料に不慣れな人でも食べやすいように優しくて甘かった。
それでいて魚の身は火を通しすぎず生焼けでもない絶妙な温度で、モチモチしつつも軽くつつくとホロッととろけるような食感で、幸せなひとときを過ごすことができた。
満足げな顔でお腹をポンポンと叩きながら食堂を出るルセテリを見て、ジアは呆れたように首を振った。
どう考えても、あの腹の中は無限、まさにそれだった。
自分の分の皿まで綺麗に平らげたルセテリが「もう一つ」と叫ぼうとした時、必死に腕を引っ張って止めたからよかったものの、そうでなければ食堂の中に用意されていた食べ物をすべて平らげていたかもしれない。
このドラゴン、一体満足して『お腹いっぱい』になることがあるのか疑問だった。
「私なんてさっきのプリだけで十分お腹いっぱいだったのに、それがまた全部入るんですか? どういうブラックホールですか?」
「おや、当然だろ。俺だって『適度』って言葉は知ってるぞ?」
「はあ、本当に? 今も新しい食べ物を見つけたらまた食べるに決まってるじゃないですか」
ギクッ。
いや、食べないわけじゃないけど……。
せっかく港まで降りてきたんだから、新鮮な海鮮を食べる機会なんてそうそうないだろ?
もうルセテリのことは知り尽くしているジアだった。
どうしてこうも阿吽の呼吸でお見通しなんだか。
ルセテリは満足そうにさすっていた手をそっと下ろし、知らぬ存ぜぬとばかりにしらばっくれた。
[それで、知り合いですか?]
チラリと後ろを振り返ったジアは、ルセテリの袖口を恐る恐る引っ張った。
食堂からずっとついてくる視線を、敏感なジアが見逃すはずがなかった。
どうにか気配を消そうと努力しているようだったが、無駄なことだった。
こういうのは消そうと努力すればするほど、かえって逆効果になるものだ。
泥棒? 強盗?
どうせ人間風情だ、逆に痛い目(真の教育)を見せてやればいいだけのこと。
そう考えて、執拗についてくる視線を避けて逃げることもできたが、ルセテリはそのまま放っておくことにした。
[あのままつけさせておくんですか?]
[俺たち二人がどうこうされるわけでもないし、放っておけ。なんだ、心配なのか?]
[そういうわけじゃないですけど……]
ジアは遠くから自分たちの後をつけてきている視線をチラチラとうかがった。
なぜか見知らぬような、それでいて見覚えのあるような、そんな異質な感覚にしきりに後ろを振り返らずにはいられなかった。
[危険じゃないでしょうか?]
[プッ、俺が? それともジア、お前が? そんなわけないだろ]
何を心配しているのかは分からないが、可愛らしいジアの言葉にルセテリは吹き出した。
いや、そうじゃないか。
誰が手を出すっていうんだ、世界観最強のドラゴンと世界唯一の魔法使いに。
心配するなら相手の方を心配してやるべき状況だ。
足取りの重いジアとは違い、ルセテリは堂々と前へ歩いていった。
おそらく奴は、人通りのない行き止まりのあの場所で姿を現すだろう。間違いなく。
スタスタ。
路地の奥深く、人通りの少ない場所へ行くにつれ、奴の足音が大きくなる。
なんだこいつ、もう隠す気すらないのか、堂々と後ろから近づいてきていた。
行き止まりの路地に着くや否や、ルセテリは不意に振り返り、追いかけてきた者に向かって準備していた光魔法を思い切り放った。
「何者だ、お前は!」
瞬く間に目も開けられないほどの強烈な光が降り注いだ。
そしてこの辺りで奇襲を受けた相手側から悲鳴が上がるはずなのだが……。
ルセテリとジアはあらかじめマントで視界を遮って備えていたからよかったものの、それにしてもあまりにも無反応すぎるのではないか?
被っていたマントを少しだけめくり、状況を確認するために目だけをチラリと出してキョロキョロと瞳を動かした。
光魔法は初級の中でも最も基礎的な初級魔法だったが、強烈な光だけは一級品で、こういう奇襲攻撃には非常に有効な魔法だった。
それにピカッと光を放つ以外は被害を与えることもないので、隠蔽するのにもこれ以上なく最適で。
一石二鳥、お互いにとって良いことずくめ……。
「それで、みんなにとって良いことだって?」
「うわっ! ビックリした」
マントをめくって顔を突き出してきた相手に向かって、危うくルセテリは拳を飛ばすところだった。
幸いというべきか、拳は相手の顔に向かって飛んでいこうとしたところをガシッと手首を掴まれたせいで不発に終わったが、相手の深く被ったフードが脱げた瞬間、ルセテリの瞳孔が大きくなった。
眩しいほど明るい日差しの下、フードから飛び出したクルクルとした日差しのような黄金色の髪、白い肌に縦に長くスッと切れ長の黄金色の瞳。
「ソラレティ様……?」
思いもよらぬ人物のサプライズ登場に慌てたルセテリは、後ろにひっくり返って尻餅をついてしまった。
無様な格好で……。
「ソラレティ……様ですか?」
ジアもまた、初めて見るソラレティの実物に脳が一瞬停止したように、ただ呆然と見つめるだけだった。
無理もない。
一体あのキラキラ光るものにどれだけ金を注ぎ込んだのか、日差しを背にしたソラレティの顔をまともに直視できないほど眩しかった。
ルセテリはソラレティの髪の毛の節々にジャラジャラとぶら下がっている小さなダイヤモンドが目に入った。
初めて見る物であるところを見ると、その間にまたソラレティのコレクションが増えたようだ。
「そうそう、私がソラレティよ。あらやだ〜 なんて可愛くて愛らしいのかしら、あなた」
私心(下心)たっぷりの笑みを顔に浮かべたソラレティは、ジアに自分の顔を近づけた。
「ストップ、ストップ。近すぎませんか」
かろうじてソラレティの唇がジアの頬にチュッと触れる直前、ルセテリは手で防ぎ、徹底封鎖に成功した。
思い切り可愛がることに失敗したソラレティは、ブツブツと文句を言いながら名残惜しそうに一歩下がった。
「自分の子供を可愛がることもできないのかい?」
「誰がソラレティ様の子供ですか」
れっきとしたパパとママがいる子に自分の子供だなんて……ルセテリは呆れ果てた。
「そりゃあ、みんな私の子供みたいなものよ。ルシネル家の子供たちはみんな私の子供も同然なんだから」
「そうですか? それは知りませんでしたね」
ぶっきらぼうに吐き出すルセテリの答えに、ソラレティの目つきが細くなった。
「私が来たのがそんなに気に入らないの?」
「そんなはずが」
口では笑っていた。
放っておいても勝手にフォンテンの森までたどり着いただろうに、わざわざここまでやってきた真意が気になった。
いや、かなり疑わしかった。
誰か一人はフォンテンの森を守っていなければならないと言って、帝国の皇女を誘拐してこいという理不尽な命令を下したのがソラレティではなかったか。
それなのに今、ソラレティは森の外に出ていた。
「俺に嘘までついて追い出した理由が気になりますね」
「それは当然のことじゃない? そんな雑用は下の者がやるものよ」
「下の……者ですか」
「じゃあ下の者でしょ、あんたが私より上の者だっていうの?」
ぐはっ、正論すぎて反論できない。
唇をギュッと噛み締めながら、ルセテリはその言葉には降参するしかなかった。
「誰か一人はフォンテンの森を守らなきゃならないって言ってたじゃないですか。あれはどう説明するつもりですか」
「ちょっとの間なら大丈夫よ、ちょっとの間なら。うちの赤ちゃんに一日も早く会いたくて来たのよ」
怪しい。
見ない間に、ソラレティの首や手首、そして指の間に何かキラキラ光るものが増えているような気もするが?
ルセテリは静かにソラレティの耳元に近づいて囁いた。
「嘘つかないでください。ジアのせいじゃないでしょう」
「あら〜 何のことかしら〜」
知らないふりをして誤魔化すソラレティだったが、なぜかいつもより鋭いルセテリの視線を避けることはできなかった。
「いくら無駄遣い(散財)したんですか?」
「無駄遣いだなんて。なんて恐ろしい言葉なの。ついでに安かったからいくつか買っただけよ?」
安かったからいくつか?
今目に見えているダイヤモンドだけでもいくつあるっていうのに、どこで白々しい嘘を……。
「今身につけているものだけでも、数億はあっという間に飛んでいきそうですが?」
「あら、違うわよ。これは元々持ってたものよ? あんたに見る目がないからそう思うのよ」
見る目がないだなんて……。
一目見ただけでも金属の装飾部分がピカピカに光っているところを見ると、新品じゃないか。
そうだった。
ルセテリが食べ物に目がくらむ(目がない)のだとしたら、ソラレティの場合はキラキラ光るものに目がないドラゴンだった。
たった二人だけの存在なので、それがドラゴンの種族特性なのかどうかは確認するすべはなかったが、ことソラレティに限ってはキラキラして可愛いものを見ると我を忘れてしまうのだった。
「はあ、子供の前ですからやめてください。一目でバレバレですよ」
「そんなにバレバレ?」
「そんなにギラギラ光るものを身につけて、よく無事にここまで来られましたね?」
帝国よりはマシだったとはいえ、今自分たちが立っているここは港だった。
荷役労働者や肉体労働者で溢れ返るこの場所に、どんな危険が潜んでいるかは誰にも分からないことだった。
比較的治安は良い方だったが、だからといってあんなに高そうな宝石をジャラジャラとぶら下げて街を闊歩するには危険すぎるのではないか?
「私をあんたと一緒にしないでくれる? 認識阻害魔法くらい、横になってマカロンを食べるより(朝飯前より)簡単よ」
俺だってその魔法、使えるんですけど? と反論する言葉が喉元まで出かかったが、かろうじて飲み込み、努めて落ち着くために必死になった。
「俺だって使えますけど?」
「じゃあ何をしてたのよ? こんな可愛い子をこんな姿にしておいて。この子の格好は何なのよ?」
ソラレティから飛んできた叱責にすっかりムッとしたルセテリは、とても口に出す勇気はなく、口の中でモゴモゴと呟いた。
そんなことは全く気にも留めないソラレティは、空中で指をクルッと動かした。
金色のキラキラとした光が線を描いてジアの頭の上に触れると、ルセテリがかけていた変身魔法が瞬く間に解け、本来のジアの姿に戻った。
「そうよ、やっぱりこっちの方が可愛いわ。ね?」
ニコッと笑うソラレティが、ルセテリを振り返った。




