第145話 パニプリ
「なんでだよ? これ美味いぞ、お前も食ってみろ」
早く小言を浴びせようと開いたジアの口の中に、ルセテリは素早くパニプリを一つ放り込んだ。
サクッ。
ゴクッ。
「んっ? 何これ?」
初めて感じる珍しい食感に、ジアの目が丸くなった。
硬い小麦粉のパンが口の中で砕けながら、押し寄せる様々な味と食感に驚いたあまり、ジアは両手で口をギュッと塞いだ。
「どうだ? 美味いだろ?」
コクンコクン。
言葉は必要なかった。
表情を見せるだけで、十分にその美味しさが伝わってきた。
それ以外に何の言葉も必要ない。
「どうですか、これ十個で一ベラなんですが、もっといかがですか?」
商人は二人の前に四つのパニプリを皿に盛り付けて出した。
出されるや否や、パニプリは瞬く間にそれぞれの口の中へと消え、皿は空っぽになった。
「よほどお気に召したようですね?」
「とても気に入りました」
「では、もう十個お出ししましょうか?」
「十個だなんて……これ全部ください」
そのまま通り過ぎるようなら、それはルセテリじゃない。
指で荷車に山のように積まれたパニプリを指差し、『全部』という単語を口にしてしまった。
「ええっ? これ全部ですか?」
やはり驚いた商人は、プリに穴を開けていた手を止め、呆然とルセテリを見つめた。
「これ全部食べたって、腹の足しにも(四分の一も)ならないのに、何をそんなに驚いてるんです?」
「長年生きてきて、ここにあるの全部くれって野郎は初めて見たもんで、つい見ちまいましてね」
ぶっきらぼうに吐き出す言葉とは裏腹に、プリを手にした商人の手は目にも止まらぬ速さで真ん中にポンポンと穴を開け始めた。
「まさか、これだけ言っておいて食い逃げなんてこたぁないでしょうね?」
「そんなはずが……。前払いで差し上げましょう。全部でいくらになりますか?」
金が問題になるわけがないだろ。
有り余るほど持っているのが、金という代物なんだから。
「さあて、一度に全部売ったことがないもんで……?」
「ふむ……。ここにあるの、大体いくつくらいに見える?」
ルセテリの大食いが伝染でもしたのか、商人と話している間にプリが皿に置かれるや否や、すばしっこくヒョイヒョイと口に運んでいたジアに向かって、ルセテリが質問を投げかけた。
「うぇえ? モグモグ」
こっそりプリを口の中に放り込んだところを見つかったように、ハッと驚いたジアが急いでプリを噛んでゴクンと飲み込んだ。
突然飛んできた予想外の質問に、戸惑っている様子が歴然だった。
いや、そうだろう。
急に荷車にあるプリが何個か当ててみろだなんて。
自分が質問しておきながら、本当にバカみたいだと思った。
「えっと……大体三百個くらい?」
普段なら小言が飛んできそうな状況に、ジアは意外にも素直だった。
何だ?
なぜかこの後に吹き荒れるであろう後遺症(嵐)が、ルセテリは心配になり始めた。
チラリと、今度はルセテリがジアの顔色をうかがっていた。
「大体そんなところだとして、ほら、ざっと四百ベラくらいだろう」
商人に向かってルセテリは金の入った袋を取り出し、目の前に突き出した。
目の前に金の袋を突き出されても、商人の疑わしげな眼差しは変わらなかった。
袋を開けて中身を確認して初めて、顔にパッと笑顔の花が咲き、態度がコロッと愛想よく変わった。
「おやまあ、お客さん。他にご入用なものはございませんか?」
親切を通り越して両手の指紋が擦り切れるほど揉み手をする姿が卑屈に見えなくもなかったが、ジアの目にはただ商売上手な人に見えた。
世の中、今じゃ金があれば何でもできるでしょ?
「さっさとこのパニプリってやつを作ってくれませんか?」
「はいはい、承知いたしましたとも」
これまで見たこともないような素早い手さばきで、男はパニプリを作ってはポンポンと取り皿に置いていく。
その速度に負けず劣らず口の中へと瞬殺する時間もあっという間だが、それだけパニプリの味は軽く、それでいて独特で美味しかった。
何個になってもそれぞれの配合によって味が千差万別なので、飽きる暇がなかったせいもあった。
あの口うるさいジアでさえ、口を閉じて黙々と食べるほどだったのだから……。
恐ろしいな、このパニプリというやつ。
荷車に山盛りになっていたプリは、いつの間にかルセテリの腹の中へと直行したのか、空っぽになっていた。
そのうちの約三十パーセントほどはジアの腹の中へと消え……。
「うーん、美味かった」
「ううっ……」
いくら食べても当然のことながらこんなもので腹の足しになるはずもないルセテリは、心地よい満腹感に腹を叩いた。
その横では、気兼ねなく一つ二つとつまんでいるうちに、いつの間にか腹の中が汁でタプタプになってしまった胃袋が揺れているのか、顔を真っ青にしたジアが手で口を覆って空えずきをしていた。
「お前は食いすぎだ」
「誰がどの口で……ウッ!」
「チッチッ……。適度に食べることも覚えなきゃな」
誰が誰に向かって言ってるのよ……!
恨めしそうな目がルセテリを睨みつけた。
「フフフ、うちのパニプリを気に入ってくださったようで光栄です、旦那。普通、帝国の方々が観光でいらっしゃると、こういうのは嫌がるのが大半なもんで」
「いや、美味かったですよ。本当に」
「長年、道端のおやつとして愛されてきたのには、それなりの理由があるってもんですよ」
かなり満足そうな二人の顔を見て、男は空になった皿を荷車に片付けながらニヤリと笑みを浮かべた。
当然そうなると思っていたというようなその表情が、なぜかだんだんムカついてくるんだけど……?
「そうですね」
「こういう美味しいものも知らない貴族の奴らが損してるってことですよ」
どうやらこの男は、ルセテリのことを少し勘違いしているようだった。
ポケットから金がポンポン出てくるから、おそらく当然貴族だと思ったのだろう。
「その通りですね。生きてるうちに半分は損してるんじゃないですか?」
あまりにも多くの誤解を受けてきたルセテリは、男に向かって肩をすくめてみせた。
「ん? 貴族の旦那じゃなかったんですかい?」
「えーい……俺は自分が貴族だなんて一言も言ってないが?」
意外だという反応を一度見せ、そしてすぐに商人は納得したように再びコクンと頷いた。
「どうやら勘違いしていたようですね。てっきり帝国のどっかの貴族かと思いましたよ。どこかで成功された商人の方のようですね」
何か勘違いしているようだが、面倒くさかったルセテリは頷いてやった。
時には真実を正すよりも、誤解させたままにしておく方がいい時もあるものだ。
「やはりお目が高い、ただ者ではないと思いましたよ。そういう意味で、ここラジスタンは良い機会に恵まれた場所です。観光地としても最高ですよ」
他のことはともかく、良い観光地だという言葉にはルセテリはもちろんジアも頷くほど同意するところだ。
ありとあらゆる異国的な品物と活気に満ちた人々、貿易港という利点を十分に生かした市場。
少し見回しただけでも、ここは他のどの地域よりも豊かで自由な雰囲気が溢れていた。
誰もが夢見る理想的な都市の姿、まさにそれだった。
「後でお時間がありましたら、この道をずっとあっちの路地へ上がっていくと、ここの人たちがよく行く飲食店が集まってますから、いつか一度覗いてみてくださいな。ここはよそ者(一見さん)は絶対に知らない、生粋のラジスタン住民たちの名店(찐 맛집)ばかりですからね」
二人に向かって手を振りながら、商人は荷車を引いて港の方へと消えていった。
「地元の名店(찐 맛집)、か……」
消えていく商人の後ろ姿を見ながら舌舐めずりをするルセテリに、ジアはビクッと体を震わせた。
まさかとは思うけど、それでも……
「今すぐ行くつもりじゃないですよね?」
そうだ。
たった今、荷車一台分いっぱいにあったパニプリを腹がはち切れるほど食べたばかりだった。
まさか今すぐ行ってみようというわけじゃないだろうな。
ジアは心の中で違いますようにと祈りに祈った。
この状態でもうこれ以上何かを詰め込む自信がなかった。
しかし、あのルセテリじゃないか。
「なんで? ミノタウロスの角も一気に抜け(善は急げ/鉄は熱いうちに打て)って言葉があるだろ」
「そのことわざがここでどうして出てくるんですか」
「そりゃあ、いい情報を聞いたらすぐに確認してみなきゃならないだろ。さあ行こう」
はしゃぐルセテリは、行きたがらないジアの手を無理やり引っ張りながら、商人が教えてくれた路地へ向かって足取りも軽くルンルンと歩き出した。
やっぱりそうなると思ったというように諦めたジアの両頬は今にも弾けそうに膨らんだが、口をギュッと結んだままルセテリが向かう通りに大人しく引きずられていくことにした。
事実上の諦めだった。
止めたところで聞くルセテリでもなかったし。
[諦めれば楽になると言わなかったですか。]
後ろをついてくるベッツィーまで大人しくトボトボとついてくるのが、こちらはとっくの昔に諦めているように、ため息を吐くように竜言で伝えてきた。
「私もある程度諦めてはいるけどね……」
朝ご飯を二回食べても平気なほど胃袋が二つあるわけじゃないのよ?
おまけに液体でタプタプになった胃をして全速力で走るのは簡単なことじゃなかった。
タプタプ。
人間ではないルセテリにとっては大したことないだろうが、純粋な人間であるジアにとっては、少し前まで食べたプリがウッ!と込み上げてきそうだった。
かろうじて口を塞いで我慢してはいたが、この状態で全速力でさらに走ったら、すぐに吹き出してしまいそうなくらい危うかった。
幸いにもルセテリは、路地の奥から漂ってくる異国的な匂いに立ち止まり、小鼻をヒクヒクさせた。
「ほう、全く嗅いだことのない異国的な匂いがするぞ」
ウエェェェッ。
吐く寸前でかろうじてルセテリが止まってくれたおかげで、出そうになるゲップを無理やり飲み込んだジアは、クシャクシャになった顔でルセテリが立ち止まった路地を見つめた。
「異国的な匂いですか?」
「ああ。なんだか甘ったるくて、それでいて脂っこいような、だけど軽い匂いだ」
……一体何なのよその匂いは!
しきりに小鼻をヒクヒクさせて正体不明の匂いを追っているルセテリを、ジアは形容しがたい奇妙な表情でしばらくじっと見つめていた。
「不思議と美味しい匂いだな」
到底理解したくならない表現だった。




