第144話 ラジスタンで朝食を
日差しはさんさん、砂粒はキラキラ。
本当に歌の歌詞のように、雲一つない快晴だった。
帝国とは違いよく整備された道路のおかげか、半日も経たないうちにルセテリ一行はいつの間にか南西部の関門と呼ばれるラジスタンに足を踏み入れていた。
[やっぱり、財力と権力はあって損はないですね! 見てください、この道路! 蹄や足首に全く負担の掛からない、綺麗で真っ平らな舗装! こんな道なら私、百ゼロサム以上だって歩けます!]
テランカナは首都だから道路がよく整備されていて当然だとしても、ティシャールの時も道が平らに整えられているとは思ったが、これは次元が違った。
テランカナを発った時からラジスタンに到着するまで、レンガで舗装された道路だなんて……。
ベッツィーが興奮を通り越して狂喜乱舞するのも無理はなかった。
「じゃあこのままウダイプルまで……」
「何を言ってるの! 朝ご飯! 朝ご飯を食べなきゃ。すべての1日の始まりは朝からって言葉、聞いたことないの?」
全く聞いたことない言葉なんだけど? というような渋い顔で、ジアが首を向けてルセテリをじっと見つめた。
つまり、一言で言えばそういうことだ。
「お腹が空いたからご飯食べて行きましょうってことですか?」
「そ、そうよ。ご飯食べる時間過ぎてるじゃない?」
短い時間ではあったが、人生の半分以上を共に生きてきた。
それくらいになれば、『あ』と言えば『うん』と阿吽の呼吸で察するようになる長い年月だった。
変わらないのなら……そう、潔く諦めた方が精神衛生上はるかに良い。
「好きにしてください。どうせ怒られるのは私の役目じゃないですからね」
[皇女様、冷たい……]
口ではそう言いながらも、ベッツィーの蹄の音はパカパカと軽快だった。
こいつも数年ルセテリの下でこき使われているうちにすっかり慣れてしまったのか、調子のいい言葉ばかり並べるようになってしまって困ったものだ。
肝心の耳を傾けるべき相手が、ただルンルン気分でご飯を食べることで頭がお花畑になっており、何も聞こえていないのが問題といえば問題だろうか。
鼻歌まで口ずさんでいるところを見ると、今のルセテリの耳にはジアの言葉もベッツィーの竜言も何も聞こえていないようだ。
「ゴ、ゴ、ゴ、ゴハ〜ン、ゴハ〜ン、美味しいゴ・ハ・ン〜」
絶望的と言えるほどリズムと音程がバラバラな鼻歌がこの世に存在するとは。
はあ、ただドラゴンに音楽的才能は贅沢なものだということで……。
それでも唯一幸いな点があるとするなら、ラジスタンの関門までは本当に視界に入るほど近いということだ。
少なくとも市内に入れば、音痴な鼻歌くらいは止めてくれるだろう。
もう少しだけ我慢しよう。
そう思いながら、ジアは『忍』の字を心の中で黙々とギュッギュッと書き刻んだ。
***
「ふあ〜っ! この磯の匂い!」
すっかり磯の匂いに酔いしれたルセテリが、小鼻をヒクヒクさせながら思い切り息を吸い込んだ。
初めてテランカナへ行く前に船に乗って到着したシチェレを除いては、実に久しぶりの海だった。
それはつまり、
「新鮮なシーフードがたっぷり……えへへ……」
考えただけでも幸せ回路がフル回転しているのか、ルセテリのだらしなく開いた口元からはよだれがツツーッと流れ落ちた。
「そんなに嬉しいですか?」
「そりゃあ嬉しいに決まってるだろ! 陸の肉とは違うのよ。グチャグチャ噛みちぎる味とは違って、ふっくらプリプリした食感はやっぱり海ならではのものだわ!」
あ、はぁい。
さようでございますか……。
なぜかジアの表情が腐って見えるのはただの気のせいだ。
二人はラジスタンの検問所を通り過ぎ、ベッツィーの背中から降りて都市の中心部を歩いている最中だった。
城門の外と同様に、都市の中の街道もまた真っ直ぐなレンガで綺麗に整備された道路が続いていた。
足が汚れる心配もなく、気にせず歩き回れるだけでも足取りが軽かった。
あ、ルセテリだけが。
ジアは一歩後ろで、嬉しさのあまりピョンピョン跳ね回りながらあちこち覗き込んでいるルセテリの後をついて歩いていた。
「ここにしようかしら〜 いや、あっちも良さそうだし〜 ウフフ〜」
久しぶりの新鮮なシーフードの饗宴に、ルセテリはなかなかメニューを決められずにいた。
これも食べてみたいし、あれも食べたいし……。
やっぱり、海は最高ね。
こんなに美味しい食材が転がってるじゃない?
食堂を見つめるルセテリの目がキラキラと輝いていた。
ルセテリ本人は自覚していないようだが、その目はまるで獲物に向かって突進するワイルドボア(野生のイノシシ)にそっくりだった。
いや、そっくりというよりは、まさにそれ、という表現の方がより正確かもしれない。
「適当にどこでも入ればいいじゃないですか?」
我慢できなくなったジアは、声を荒げて怒った。
お腹が空いて余計に敏感になっている状態で、なかなか決断を下せずにいるルセテリにすっかりイライラしてしまったのだ。
「だってどうしろってのよ……。こんなに美味しそうな食べ物でいっぱいなのに。どこかの国とは違ってね」
両手で頬を包み込み、嬉しくてどうしようもないという態度を見ていると、ジアは腹が立って仕方がなかった。
あの異常なまでに食べ物に執着するドラゴンさえいなければ、ジアも初めて見る海辺の風景が珍しくてあちこち見物して回りたい気持ちは山々だった。
それなのに、前で軽はずみにウロウロしている誰かさんのおかげで、浮き立つ気持ちを抑え込むのにジアは死にそう(死ぬ思い)だった。
「さすが海上と陸上の貿易の中心地らしいわ。ここのすべての物が集まってるじゃない〜?」
とうとう、その場でクルクルと回りながら踊り出すおつもりですか?
ジアはツッコミを入れたい気持ちをギュッと押さえ込みながら、ズキズキ痛む額を指で押さえた。
「あんたは楽しくないの? 私の好きなものたちがここに全部集まってるのに」
ルセテリの言う通り、ラジスタンの通りには陸海空のすべての生命体が一同に集まっていた。
ジアが知っているものから初めて見るものまで、各種の食材が忙しく人々の手を通して運ばれていた。
「やっぱり本場はどれだけ歳月が流れても本場なのよね!」
港に停泊している船から絶え間なく運び出されている箱を見つめるルセテリの顔は、限りなく可愛い赤ん坊を見つめる生ぬるい母親の微笑み、まさにそれだった。
「別に帝国とそこまで大きくは違わないんですけど……」
聞こえるか聞こえないかくらいの声で、密かに帝国をバカにするようなルセテリの口調に寂しくなったジアが、頬をプクッと膨らませて呟いた。
「違わないですって! 見てごらんなさい。あの袋に入っている穀物、香辛料、それに初めて見る食材でいっぱいじゃない」
ルセテリの言う通りだった。
船から降ろされる品物の大半が、ジアは見たこともない見慣れないものばかりでいっぱいだった。
「あれがまさにオリッジというものよ」
ルセテリの指先を追って視線を移した先には、船から降ろされたばかりの袋が船着き場に次々と積み上げられていた。
商人たちのように見える人が、積み上げられた袋の一つにナイフをザクッと突き刺した。
袋の中からこぼれ落ちる白くキラキラした粒を一握り掴むと、砂粒のようにサラサラと落としながら、商人は品物の状態を確認していた。
生まれて初めて見る珍しい品物にジアが視線を奪われている間、ルセテリはビューンとどこかへ走っていってしまった。
「ルッ様! どこに行くんですか!」
背中越しにカンカンに怒ったジアの怒鳴り声が聞こえてきたが、ルセテリは立ち止まらなかった。
いや、止まれなかったというのが正解だろう。
遠くにいてもルセテリの目に入ってしまった、珍しいものを積み上げた荷車が気になって仕方がなかったからだ。
「これ、食べるものですか?」
息を切らしながら、荷車の主らしい男にルセテリは指で荷車に山積みになった品物を指差した。
「ああ、よそから来た方ですか? 初めて見るようですね?」
「はい、こんなものは初めて見ます」
「この地域では、これを道端でよくおやつみたいに買って食べるんですよ」
「おやつ?」
帝国の美食旅行本でも見たことのない食べ物に、ルセテリの目はこれ以上ないほどキラキラと輝き始めた。
「この生地を揚げたボールみたいなものの真ん中を、指でこうやってパキッと割ってから色々な具を詰めて、この、プリっていうソースをこうやって入れて食べると、これがまた絶品なんですよ。これ一つ食べてみますか?」
男は荷車に積み上げられた小さなパンのようなものを一つ取り出し、真ん中をポクッと指で割ると空洞ができた。
その中にジャガイモと豆を入れた具材に、刻んだオニョンを入れて黒っぽいソースをスプーン一杯入れたものを、ヌッとルセテリに差し出した。
不思議なことに、ソースのせいですぐにドロドロになりそうだったパンが、タプタプとソースを含んだまま形をそのまま維持していた。
差し出されたパンを恐る恐る受け取ったルセテリは、男の言う通りパンを一口でパクッと口に入れた。
サクッ。
サクサクした皮が口の中で砕けながら、中に入ったホクホクのジャガイモ、ピリ辛のオニョン、甘い味のソースが爆発し、様々な味覚が一度に押し寄せてきた。
「何これ?」
という声が自然と漏れ出るほど、どこでも味わったことのない不思議な味だった。
「フフフ。でしょ? この味が病みつきになるんですよ」
ルセテリの反応が気に入ったのか、男は満足げな笑みを浮かべてもう一つ差し出した。
「今度はミンティアとチリも入れてみましたよ」
「ゲホッ、ゴホッゴホッ!」
無意識に男が差し出したパンを一口で放り込んだルセテリは、押し寄せる辛くて酸っぱい味にむせてしまった。
「ハハハ。今度のは少し辛かったですか?」
少し辛いどころか、かなり辛いんじゃないか。
しきりに咳き込みながらも、ルセテリはこの奥深くて面白い味をやめることができなかった。
「もう一つ!」
「ルッ様!」
「もう一つ」を叫ぶルセテリの前に、慌てて走ってきたのか荒い息を吐き出すジアが、腰に手を当てたままルセテリを睨みつけていた。




