第142話 どこかとは違います
長い沈黙の中、シェイク・ミルザが先に口を開いた。
「……叔父上、そういうことですか? 私がそれほどまでに頼りなかったと?」
知らず知らずのうちに、シェイクの言葉には微かな怒りも滲み出ていた。
慌てて叔父と呼ばれる貴族は床に膝をつき、頭を下げた。
「そ、そんなはずがございましょうか。ただのこの老いぼれの行き過ぎた懸念でございます。この世にシェイク・ミルザ様の眼力ほど正確なものがどこにありましょう」
一言で要約すれば、ビビったってことだな。
「行き過ぎ、ですか……少々度が過ぎていますね」
「え?」
「そうではありませんか。まさか私がそのような有象無象を連れてきて、この会議室に入れたとでも?」
鋭く冷ややかなシェイクの気迫に顔を上げようとした叔父は、ハッと驚き再び鼻が床につくほど深く頭を垂れた。
「外ばかりほっつき歩いていたカイランをここに座らせたのは、すべてル先生の功績です。ここにいる誰にも劣らず、公国の未来を真剣に考えてくださった方ですよ」
ん?? ちょっと待て??
公国の未来??? 俺が??
後ろで気楽に喧嘩でも見物していたルセテリとしては、シェイクのその一言は青天の霹靂も同然だった。
おまけにただの一度だって公国の未来なんて考えたこともなかったのに、外を飛び回る仔馬を一匹引き入れて座らせたくらいで未来まで懸けるというのは、飛躍しすぎな話ではないかと思った。
急にそこまでスケールがでかくなる?
目を丸くしたルセテリがシェイクを見つめた。
狂ってるんじゃないか、自分はそんなこと望んだことも考えたこともないと叫びたかったが、あの刃のように冷ややかなシェイクがルセテリに向かって片目をウィンクしてきた。
そのせいで、ルセテリは口をパクパクさせるしかなかった。
[ルッ様、フナなの? どうして喋れないの?]
ジアの言う通りだった。
何か言いたいのに、たかが人間の気迫ごときに押されて口もまともに開けないドラゴンが一匹、ここにいた。
いや、ドラゴンではなく本当に巨大な鯉にでもなったかのように口をパクパクさせている。
「考えが浅うございました、申し訳ございません」
「おじいさん。今、おじいさんが謝るべき相手はこちらではないですか?」
シェイクの前でしきりに頭を床にこすりつけながら謝罪する叔父に向かって、カイランの冷ややかな声が直撃した。
顔を上げようとした叔父という男は、予想外の孫のような年齢のカイランの叱責に頭が真っ白になり、再びそのまま頭を床に突っ伏さなければならなかった。
父親と息子が代わる代わる老人の腰すら上げられないようにいじめているようで、可哀想に見えるほどだった。
そんな中で間違った言葉でもなく正しい言葉なので、密かにカイランが『俺、よくやっただろ?』という堂々とした視線をジアにビームのように送っていた。
あいつは少しでも隙があればすぐにフラテーティング(アピール)して大騒ぎなんだから、シッシッ!
もはや隠す気すらない堂々としたカイランだった。
「そうですね。私が自らカイランの師匠として、この場に同席してほしいと招待したというのに」
さらに輪をかけて、シェイクまでもが顎を撫で下ろし、頭を垂れている叔父に向かってチクッと痛い一撃を放った。
可哀想と言うべきか、それとも自業自得と言うべきか、ブルブルと震えている姿は、まるで巨大な狼の魔物の前で恐れ知らずにふざけてこってり絞られているチワワのようだった。
「も、申し訳ございません。存じ上げませんでした」
いや、無理やり謝罪を引き出したとしてもだ……。
目つきだけは悔しいとばかりにメラメラと燃え上がっていれば、受け取っても後味が悪いものなのだ。
「いいえ。やはり私が同席できる場ではありませんでしたね」
ここは素直に引き下がるのが勝ちだ。
言い終えたルセテリは、引き止めたそうな素振りを見せるアークとナビルに軽く目礼した後、手から本を放さなかったジアの手を引いて会議場を出た。
ナビルやシェイク、特にカイランがそこまでしなくてもいいと引き止めたが、針のむしろに座っているような気分は真っ平ごめんだからな。
だから二度考えるまでもなく、ジアを連れて会議場を出た。
それに、いたところで役に立つこともなかったし。
「意外ですね、ルッ様?」
「何がだ?」
「てっきりぶち壊しに(大暴れ)でもするのかと思ったのに」
ぶち壊しだなんて……それでも帝国の皇女の口癖が、だんだんと市場で転がり回っていたカイランのように下品に(粗っぽく)なってきていた。
「俺は闘鶏(喧嘩っ早い奴)か? あそこで何を喧嘩するってんだよ。穏便に済ませようってだけだ」
「ふーん?」
何か、かなり疑わしげな視線が……。
チラリとルセテリはじっと自分を見つめるジアの視線を避けながら、頬をポリポリと掻いた。
いや、完全に否定するわけではないが、あの場で騒動を起こすのもなんだろ?
シェイクもいたし、せっかく気を使って会議室の中に入れてくれたナビルの体面もあるしな。
少なくともルセテリは、足を伸ばしていい場所と伸ばしてはいけない場所(出しゃばるべき場所とそうでない場所)の区別くらいはつけられた。
「いずれにせよ、深く関わらない方がいいだろ? 足を洗う(身を引く)のも難しくないし」
「……ふむ、やっぱり全部お見通しだったんですね?」
チラリと視線を落とした先には、ジアがつまらなそうな顔でじっとルセテリを真っ直ぐ見上げていた。
いや、そうだろう。
あの叔父という男の言葉も間違ってはいないのが、ルセテリは人間界の事に口出しできないドラゴンだし、ジアは帝国の皇女なのだから、後々かりに事がこじれてしまったりでもしたら困るのはこっちだってことだ。
「こう見えても、一応お前よりは長く生きてるからな?」
「誰が何か言いましたか?」
「じゃあ、その問題児の思春期の息子でも見るような目は何なんだよ?」
ムスッと突き出た唇でちょこちょこと小走りに歩くのが可愛かった。
考えていたのとは違う展開にすねてでもいるのだろう。
「つまんない」
「いや何だよ、じゃああの会議場で殴り合いの喧嘩でもしなきゃならなかったって言うのか?」
「ううん」
少なくとも胸ぐらくらいは掴むと思ったのに……
一言も言葉も竜言も発していないジアだったが、なぜかそう言っているように思えた。
「そろそろここも発たなきゃならないのに、後腐れを残しちゃマズいだろ」
「連絡が来ましたか?」
「いや。そろそろ来る頃合いかとも思って……」
マンギフェラも飽きるほど十分に楽しんだし、ソラレティ様から連絡が来る時期にもなっているようだし、な……。
連絡が来てからでは遅い。
それだけ美味しいものを食べに行く機会がなくなるのだから。
「確かに、ここが戦時状況になれば抜け出すのも難しくはなりますね」
「うんうん」
ジアの小言が怖いからだということにしておこう。
頷きながらまるでジアの言葉に同意しているように振る舞った。
ほんの一瞬、ジアの疑わしげな視線がルセテリに留まったが、口は固く閉ざした。
「それで出発はいつですか?」
「早ければ早いほど良いんじゃないか?」
うん、できることなら今夜にでもな。
ドラゴンの本能がそう告げていた。
ジリリリリン
「はあ、終わった(やっちまった)……」
ポケットの中に入れておいた通信石が、どうやって分かったのか恐ろしいほど正確に鳴り響いた。
これはもう、近くでソラレティが自分たちを見張っているのではないかと思えるほど、絶妙なタイミングだった。
[おっ、久しぶり! 元気にしてたかい?]
水晶球の中には、明るく笑って手を振っているソラレティがいた。
「ソル様! お久しぶりです! 突然どうされましたか?」
[あら、あなた。どうしたって……。当然ジアに会いたくなったからに決まってるじゃない!]
相変わらずデレデレした顔で誤魔化す腕前だけは一級品だった。
「嘘つかないでくださいよ? 後ろを飛び交っているあれは何ですか、一体」
[あ、あれ? 鳥が飛んでるんじゃないの、まあ。気にしないで]
いいえ、めちゃくちゃ気になりますが。
おまけに、よく見ると短剣や手裏剣が飛び交っているんじゃありませんか??
「この前も気になったんですが、一体何をして回っていらっしゃるんですか? え?」
[もう反抗期かい? 今日はなんだか随分とひねくれてるね?]
「いつそうじゃなかったですか? おまけに、この前は炎だったのに今は短剣ですか?」
[えーい、そんなもの飛んでないってば]
口にツバでも塗って(嘘をつくなら上手くつけ)……いや違うな?
すでにテカテカの唇にツバまであらかじめ塗って嘘をついている最中だな? うん、もう……。
ルセテリはカッとなって水晶球を勢いよく投げ捨てたい強烈な衝動に駆られた。
代わりに、手に乗せた水晶球を遠ざけるために、最大限に腕を伸ばしてみた。
まだ遠ざかれば焦点が少しぼやけてマシになるな。
「それで、ジアに会いたいと?」
[当然のことを聞くんだね。このおばあちゃんは早くうちのジアに会いたくて連絡したのよぉ。]
その割には1年間一度も連絡しなかったじゃないですか……と聞き返したかったが、返ってくる答えは目に見えているので、あえて口には出さないことにする。
[まあ、それもそうだけど、そろそろこっちに来ても良さそうだから]
「今ですか?」
ルセテリはゆっくりとまばたきをした。
これはもう、時宜にかなっているというか、絶妙なタイミングで待っていたかのように、ちょうど公国を発つ準備を考えていた矢先に合わせて連絡してくるなんて……。
まさかずっと近くで俺たちを見張っていたり、なんてことはないよな?
突然背筋を伝い落ちる寒気に、ルセテリはブルッと体を震わせた。
[どうせそろそろ発つ頃合いだっただろ? なら、一日でも早くこっちに来る方がいいじゃないか、そうだろ?]
発つ頃合いになってジアと話していたのは確かだが、フォンテンに早く行きたいという意味ではなかったのに……。
不安だ。
ルセテリは後に続く言葉が何なのか、すでに分かっているような気がした。
[だから、早くおいで]
ニッコリ笑うソラレティの顔に、危うく拳が飛んでいくところだった。




