第14話 思いがけない幸運
「やっぱり殺処分されるみたいです」
あっという間に外へ出て戻ってきたロアンは、息を整える間もなくハァハァと喘ぎながら、ジアとルセテリのいる部屋に戻ってきた。
「もったいない」
「本当ですよ。以前、公子が手に入りにくい血統の良い馬を買ったと自慢していた記憶があるんですがね」
本当に、そんな馬を平気で殺してしまうだなんて、アウレリア公爵家だからこそ言えることだった。
『とにかく、馬がもったいないって分かってない。本当に綺麗な馬なのに……』
『綺麗な馬?』
『うん。本当に本当に綺麗で良い馬なのに、殺しちゃうなんてひどい』
破れてダメになった本たちを、一つ一つ手で丁寧により分けているジアを、ルセテリは静かに見つめた。
綺麗だという言葉を溢れんばかりに強調するのは、普段のジアらしくないと思った。
ルセテリは真剣に、初めて馬を見た時の光景を思い浮かべてみた。
引き締まった太ももの筋肉とすらりとした脚、名馬の条件を余すところなく備えた立派な白い……ん、白い?
そういえば、白いタテガミにシミ一つない真っ白な皮膚、そして光り輝く後光。
ただの馬じゃないじゃないか。
ルセテリの口元がピクッと動いた。
『もしジアがその馬の飼い主なら、どうする?』
『私なら……隠しておいて、たーっくさん可愛がってあげる』
『どうして隠すんだ?』
『だって、普通の人の目にはただの角の生えた怪物にしか見えないでしょ。本当に本当に綺麗で白い光を放ってる馬なのに……』
なんだそれ、ユニコーンじゃないか。
ジアの竜言を聞いていたルセテリは、手でピシャッと額を叩いた。
「あの……ルティア様?」
唐突な行動に驚いたのか、ロアンの目がまん丸になった。
「いやいや。そうか、そうだな。馬がすごくもったいない」
「本当ですよ。公爵がカンカンに怒って、とりあえず馬小屋に馬を移したらしいんですが、蹴りを入れるわ鼻を鳴らすわで大騒ぎらしいですよ。今、馬飼いがなだめるのに冷や汗をかいてるって話です。その馬飼いが言うには、血統の良い馬をこんなにあっけなく手放すなんて本当にもったいないって、すごく残念がってましたよ。公爵家だからですかね? お金が腐るほどあるんでしょうね」
金の問題じゃなく、すでにその前に公爵家というには審美眼が最低レベルで惨憺たるものだったじゃないか。
ルセテリは改めて、アウレリア公爵家の男たちが着ていた、黄金で塗り固められたようにギラギラと光る野暮ったい服装を思い出し、静かに身震いした。
「ところで、馬が皇宮の馬小屋にいるって?」
「はい。公爵家が使えるスペースが特別に用意されているとか言ってました」
ロアンの答えにルセテリは呆れた。
これって、叩いても叩いても埃が出る権力の乱用、いや違うな。
超強力な寄生虫としか言いようがない。
『ねえ、ロッ様が馬盗んでくるの?』
「ゴホッ!」
ジアが近づいてきてルセテリのドレスの裾を引っ張りながら「盗むのか」と聞いたため、思わずルセテリはむせてしまった。
いくらなんでも盗むだなんて……それはちょっと。
「あら、大丈夫ですか? ルティア様?」
ポケットからハンカチを取り出してルセテリに手渡すロアンの目にも、間違いなく期待が込められているように見えた。
『盗むだなんて……ドラゴンである俺がそんなことするわけないだろ』
『盗まないの? 馬が可哀想じゃないの?』
『いや、こういう時は盗むじゃなくて、もう少し上品な表現で「救出する」って言うんだ』
『……何が違うの?』
じっと見つめながら質問するジアの視線から、思わずルセテリはスッと目を背けてしまった。
いくらなんでもドラゴンが泥棒だなんて、あってはならないことだった。
そっと目玉だけキョロキョロと動かしたルセテリは、ジアの表情を窺った。
『とにかく、助けに行くんでしょ?』
『コホン、わかったよ。行くよ』
『私も行く。綺麗な馬、見たい』
ジアはルセテリの表情を見ただけで、自分だけを置いて馬小屋に行く気満々であることを見抜いていた。
ジアの言葉に、ルセテリは胸の片隅にあった「良心」というやつがチクリと痛んだ。
『わかった、行こう、行くよ』
ルセテリはギュッと目を閉じ、仕方ないというように小さく頷いた。
最初から答えは決まっていたのだ。
ルセテリがジアに勝てるはずがないではないか。
ドラゴンとして生まれた以上、そう決まっているのだから……。
バサバサッ!
茂みに止まっていた鳥が飛び立つ音が聞こえた。
夜になるやいなや、ルセテリはジアを背負い、皇帝が教えてくれた秘密の通路を通って北の宮から抜け出していた。
生い茂る雑草をかき分け、草むらを抜け出した二人は今、馬小屋の近くで静かに様子を窺っているところだった。
窓から明かりが漏れているのが、中に誰かいることを知らせていた。
やがて中から飼い葉桶を持った男が一人、文句を言いながら外に出てきた。
「ちぇっ、あんな貴重な馬をもったいない。処分だなんて」
馬飼いもまた、殺処分される馬が惜しいのは同じだったようだ。
彼は馬小屋の横の小さな倉庫に入っていき、何かの準備をしようとしているように見えた。
盗み出すなら今がチャンスだった。
『ロッ様、ロッ様。ただポリモーフを変えればいいんじゃないの? 泥棒してるのバレたら困るなら、姿を変えればいいじゃん』
地面を這ってノロノロと馬小屋へ向かっていたルセテリは、ジアの一言にギクッとした。
『あ、そうだな。言われてみれば』
何事もなかったかのように手についた土を払い、ルセテリが立ち上がった。
『ドラゴンは世界の代行者なんでしょ』
ジアの言葉が一つ一つ骨に突き刺さった。
バツが悪くなったルセテリは、ジアが口を開いてさらに攻撃してくる前に、慌ててポリモーフの変換を試みた。
頭頂部から振りかけられるように始まった黄金色の粉は、やがてルセテリの全身を覆い尽くし、慈愛に満ちた中年女性から、あっという間に帝国でよく見かける茶髪の平凡な少年の姿へと変わった。
どこからどう見ても完璧な姿に満足したルセテリは、ジアの前で誇らしげに胸を張った。
『どうだ、これくらい完璧だろ?』
ルセテリを見るジアの目は、ジト目になって彼を見つめていた。
ジアは今、真剣に悩んでいた。
これまでママから聞いていた話とはあまりにもかけ離れていたため、果たしてルセテリが本当にドラゴンなのか、ポリモーフをしていなければ疑ってしまいそうだった。
やっている行動がどう見ても4歳にしかならない自分よりも子供っぽく見える姿に、ジアがルセテリに隠れてため息をついたのは秘密だった。
『私は?』
『ジアはここで待ってるのはどうだ?』
『私も行って、綺麗な馬連れてくるところ見たい!』
思いがけないジアの意地に、一瞬ルセテリは戸惑った。
ジアなら大人しく安全な場所で待っているだろうと思っていたため、意外な反応に驚いたのだ。
『ジアが目立つとマズイんじゃないか?』
『ドラゴン様は魔法を自由自在に使えるんでしょ。だったら、私が見えなくなる透明化の魔法も使えるんじゃないの?』
やはり4歳にしては非常に賢く、同年代に比べて落ち着いているところがただ者ではなかった。
腰に手を当てて指を二回鳴らすと、ジアの体は徐々に透明に変わっていった。
『見えないだけで、物にぶつかったり人にぶつかったりしないように気をつけるんだぞ』
『わかった。ありがとう、ロッ様』
透明になっていくジアの顔にパッと笑顔が浮かぶのを見たルセテリは、誇らしくなった。
まさにこの快感があるから子育てはやめられないと言うのか。
とにかく、そうだった。
こっそりと忍び込んだ広い馬小屋の中で、あの白い馬を見つけるのは難しいことではなかった。
自ら発光センサーでも搭載しているかのように、一際馬房の一箇所から光でも放っているかのように明らかに違っていたからだ。
見知らぬ者の近づく気配を感じ取ったのか、ただでさえ神経質になっている馬は、繋がれていた手綱をピンと張り詰めて苛立ち始めた。
「ウォウウォウ、大丈夫、大丈夫だ」
ゆっくりと腕を伸ばし、ルセテリが馬の首を撫でてやると、すぐに馬は落ち着いたようにブルルッと鼻を鳴らし、気に入らなければすぐにでも蹴り飛ばすつもりで上げていた前脚の蹄をおとなしく下ろした。
『わぁ、本当に綺麗』
近くで観察することになった馬は、想像していたよりもはるかに立派だった。
触れる筋肉の隅々までが引き締まっていて調和のとれたバランスを保っており、骨格も太すぎず適切な大きさで頑丈だった。
緊張していたせいかルセテリの手は汗でびっしょり濡れていたが、大きな目をクリクリと動かしてルセテリの様子を窺いながらも、おとなしくしていた。
『私も触ってみたいのに』
羨ましかったジアが少し不満を漏らしたが、お構いなしにルセテリは手でスッと撫で下ろし、馬の隅々まで調べた。
問題の馬の額に垂れ下がったタテガミを払うと、確かにそこにはポッコリと盛り上がった皮膚の下に何かがあるのが見えた。
「お前、ユニコーンだろ?」
「ヒヒーン」
言葉を理解しているのかいないのか曖昧に、馬はいななきながら首をシュッと横に向けたが、すぐに手綱が繋がれているためか、左に約15度ほど傾けただけでそれ以上は動けなかった。
それでも馬は耳の後ろも見ることができるというから、関係ないのだろうか。
「フォンテンの森の奥深くに生息している白いユニコーンの一族が、どうして森の外へ出てくることになったんだ?」
予想は的中した。平凡な白い馬のように見えたが、フォンテンの森の最も奥深くにレア(巣)を構えて住んでいたルセテリは、一目で見抜いた。
最も高貴だとされるフォンテンの森のユニコーンの一族、その中でも最も高貴な存在であるホワイトユニコーンだった。




