第138話 危機一髪
長い沈黙を破って最初に口を開いたのはナビルだった。
気になったのだ。
まだ各国の首脳部の中でもごく一部の人間しか知らない情報のはずなのに、一介の薬師が知るような内容ではなかったからだ。
「どうしてご存知なのですか?」
「どうしてって、まあ適当に?」
「各国でも機密扱いされている内容です。それをどうして……」
考えてみれば、初めて会った時からルセテリは平凡とはかけ離れているように見えた。
魔物を処理する時に見せた流麗な動き、薬師とは思えない豊富な知識、何があっても慌てることなく常に余裕のある態度。
どこからどう見ても平凡な薬師だとは信じ難かった。
いっそ、帝国の皇室が隠しているどこかの王子様だと言われた方が全く違和感がなかった。
たまに高貴な身分の方々が平民に偽装して世の中を流浪しているという話を聞くこともあるが、まさかそんなことないよな?
「もしかして、皇族でいらっしゃいますか?」
ナビルは恐る恐るルセテリに向かって尋ねた。
ナビルの頭の中には、これまでのカイランのありとあらゆる無礼な振る舞いがグルグルと駆け巡っていた。
もし本当にルセテリが皇室の一員だとするなら、無礼も甚だしいことこの上なかった。
「誰が? 私がですか?」
いきなり核心を突いてきたナビルの突拍子もない発言に、珍しくルセテリの顔に当惑の色が浮かんだ。
それと同時に、隣に座っていたジアのピリッと辛い手の感触が太ももを通じてビリビリと伝わってきた。
見えないように、ありったけの力でルセテリの太ももをつねったのだ。
涙がちょちょ切れるほど痛かったが、どうにか顔には出さないように耐えた。
見ていなくても、おそらく真っ青なアザができているだろう。
「違いますか? そうでなければそのような内密な情報まで知っている人は限られています」
うーん、どうやらジアから背中への強烈なスマッシュ(お仕置き)を食らいそうな角(気配)じゃないか?
ルセテリの予想以上にナビルの観察力は遥かに鋭かった。
「少し考えてみれば分かることじゃありませんか? 帝国を代表する皇帝が最近外部に姿を現していません。そして会談も本来なら皇帝が出てきて収拾をつけるべき問題です。それなのに公爵家が出たということは、皇帝の身辺に何か問題が生じたということではありませんか」
隙のないルセテリの説明に、ナビルはしばらく考えるように眼鏡をいじった。
「確かに、ル先生のおっしゃる通りだ。会談の書簡にサインしていたのも皇帝ではなく公爵の印章だったからな」
アークまでもがルセテリの説明に頷いて納得すると、ナビルは自分が少し敏感に反応しすぎたのではないかと悩みに陥った。
「確かに、正式な公文書に皇帝ではなく公爵の印章が押されているとなれば、誰だって変だと思うでしょうね」
「でしょう?」
ルセテリは白々しく笑ってみせさえした。
とにかく一山越えたと思ってもいいだろうか?
ほっと安堵のため息をつこうとしたその時だった。
[ルッ様。いつかはルッ様がドラゴンだってバレちゃいけないって言ってたじゃないですかっ!]
すかさずジアの叱責が続いた。
今度は脇腹か。
狭い空間でバレないようにという意志は分かるが、ジアがありったけの力でつねればドラゴンだって痛い。
涙が込み上げてくるほどに……。
[バレてないだろ]
[バレそうになったじゃないですか!]
ああもう、あんな風に目を丸く釣り上げながら一言一言口答えしてくるんだから、ビビるに決まってるだろ。
[バレてないならいいだろ、何をまた……]
[何ですって?]
[分かったよ……これからは気をつけるから、気をつければいいんだろ]
口を尖らせて無言の反抗をしてみたが、ジアの前では無駄だったか。
さっきより遥かに恐ろしく睨んでいるような気がするが、ただの気のせいか?
[本当よな]
[本当ですよね?]
[ああ、本当だ。約束する]
[少しでもバレそうな気配を見せたら、すぐにソル様に言いつけますからね]
小生意気にチクッと刺すようなジアの言葉に、ルセテリは即座に降参を叫ぶしかなかった。
ソラレティ様に言いつけるだなんて……反則じゃないか。
[分かった。俺の心臓にかけて約束するよ]
ドラゴンの心臓をかけて約束するとは……。
もし約束を破ろうものなら、一年間は薬もヒールもなく高熱にうなされ、心臓が締め付けられるような苦痛に耐えなければならない。
どうして知ってるかって?
何も知らずに無邪気だったハッチリング時代、無鉄砲にもソラレティ様と心臓をかけて約束なんてものをして、こっぴどく痛い目を見た記憶が未だに生々しかったからだ。
あんな苦痛、一度で十分だった。
心臓までかけるという言葉に、尖っていたジアの唇がスッと元の位置に戻った。
チラリとまた尖りそうになっているのを見ると、まだ完全には機嫌が直っていないようではあるが、それでもとりあえずは一歩引くようだ。
うう……俺の脇腹と太もも。
わざわざ服をまくって見なくても、間違いなく青黒くアザになっていることだろう。
何者にも貫けないというドラゴンの皮膚を傷つけるとは、さすがルシネル家の直系血統だけあって容赦がなかった。
「ル先生のおっしゃる通り、これまでの状況から推測するに、意図的であれ自発的であれ、間違いなく皇帝が不在であるという事実は暗黙の了解として広まっている可能性はありますね」
「それに今更なことでもないが、アウレリア公爵が皇帝の座を狙っていたというのは秘密でもないしな」
「それはそうだな。おかしな点は、皇宮まで襲撃しておきながらなぜすぐに皇帝の座を奪わないのかということだが……」
アークと会話を交わしていたナビルの視線が答えを求めるようにルセテリへと向けられたが、わざと知らないふりをして顔を車窓の外へと向けてしまった。
ここでうっかり引っかかろうものなら、明日から寝込むこと予約確定だ。
「確かに、あの欲深い公爵がいまだに皇帝の座を奪っていないのは疑問ではあるな」
ナビルの意見に同意するように、アークは静かに頷きながらアウレリア公爵との初対面を回想した。
欲がベタベタと張り付いたような腹の肉を揺らす公爵が、目の前に獲物を置いてじっとしているというのはアークが考えてもおかしいことだった。
「まあ、それなりの理由があるのだろうが、結局小公子が言ったように皇女と結婚することになれば、どうせ帝国は公爵の手中に落ちることになるだろうからな」
「時間の問題だってことか?」
「そういうことだ。だからさっき説明の途中で途切れたことなんですがね」
ナビルがカイランをじっと見つめた。
一瞬、皇女の結婚という言葉に反応してカッとなりそうだったのに、いつの間にか落ち着きを取り戻しているカイランだった。
一度も見たことがないはずの皇女のことにカッとなるカイランが、ナビルは気になった。
「カイラン様がもし帝国の貴族で、今すぐ食べていくのも大変で飢えに苦しんでいるとしたらどうされますか?」
「外に出てお金を稼げばいいんじゃないか?」
極めて商業が発達した公国民らしい答えを返すカイランだった。
あまりにもカイランらしい答えに、ナビルは思わず口元からプッと笑いが漏れた。
「公国民なら当然そう考えるでしょうね。帝国は違います。見栄を張る(虚飾)ことが重要な連中が多いもので」
「見栄?」
「私ならパンを選びますがね、帝国の貴族たちにとって最も重要なのは彼らの名前の価値(名声)なんですよ」
「名前って……貴族という地位のこと?」
おや、こいつめ?
ナビルの眉がピクッと動いた。
しばらくルセテリと一緒に行動していたからか、かなり頭の回転が良くなっているようだ。
ナビルの予想以上に早い結果に、口元にこっそりと穏やかな笑みが広がっていった。
「その通りです。死んでも貴族だという体面を重んじる帝国の貴族たちは、餓死することはあっても絶対に平民がやるような生産活動は全くやろうと考えないんですよ」
「じゃあどうやって生きていくんだよ?」
「方法が一つあります。ヒントを一つ差し上げましょう。最近帝国には自分の技術を利用して物を作ったり商売をしてお金をたくさん稼いだ新興の金持ちが多いです。お金をたくさん稼いで裕福になった彼らが次に必要とするものは何でしょうか?」
カイランはナビルの質問に対してかなり真剣に考えているようだった。
しばらくウンウンと唸っていたが、今回ばかりは簡単に答えを思いつかなかったのか、ナビルの顔色をチラチラとうかがいながら謎解きの答えを探すように質問を投げた。
「品物ですか?」
「違います。形のある品物のようなものというよりは、無形の資産に近いと考えるべきでしょう。よく考えてみてください。人間が経済的に豊かになると、何を欲しがるか分かりますか?」
「権力や名誉でしょうね。同じ言葉かもしれませんが」
ジアがスッと割って入り、ナビルのヒントにさらに手がかりを付け足した。
何でもないふりをしていたが、内心ではカイランがジェレミアの呆れた戯言にカッとなって前に出てくれたことがありがたかったようだ。
普段なら一通り小言を言っても足りなかっただろうに、手がかりまで投げてやるとは……。
ルセテリはそんなジアが不思議で、こっそりと横目でジアの様子をうかがった。
しらばっくれてすました顔で座っていたが、なぜかルセテリは腹の中がねじれるような嫌な気分だった。
正体の分からない妙な違和感に、ルセテリは苦い顔をして舌打ちをした。
「じゃあ売るってのは、もしかして貴族の爵位のことか?」
間違っていたらどうしようという焦りから、カイランは恐る恐る手を挙げて答えを言った。
いやもう、ここまでヒントを出してやったんだから当然だろ?
カイランの答えを聞いて誇らしげに微笑むナビルとは違い、ひねくれるルセテリだった。
「正解です。お金を持て余している平民たちが、経済的に困窮した貴族たちから彼らの爵位を買い取るのです」
「爵位って売り買いできるものだったんですか?」
「簡単ですよ。ジェレミア小公子が言っていたじゃありませんか。皇女と結婚すれば帝国は自分のものだと。それと同じことです。結婚で結びつくか、養子になるか。そうやって貴族の地位を買うのです」
ナビルが淡々と続ける説明を、カイランはすべて理解することはできなかった。
ただそういう風に地位を売り買いするようになれば、何だかまた別の問題が爆発するのではないか、その点が気になった。
「じゃあ爵位を売らない貴族たちは、そういう風にして爵位を買った貴族たちのことを嫌うんじゃないか?」
意外にも鋭いカイランの質問に、今度は驚いたルセテリがカイランの方へ首を向けた。
全くの石頭ってわけじゃなかったみたいだな?




