第131話 難癖つけるならちゃんとつけなさいよ?
過熱していた雰囲気が一瞬にして冷え込んでいった。
カイランが先に前に出たおかげか、バツが悪くなった伯爵と子爵が一歩後ろに下がり、気まずさの代わりにしきりに空咳をした。
「コホン、ルロア伯爵だ」
「アングロ子爵です」
本人たちもやりすぎたことをよく分かっているからこそ引いたのだろうが、見たところ死んでも謝る気はなさそうだった。
それもそのはず、帝国という大層な後ろ盾を背負っていると思っているのだから、いくらシェイクの息子だとしても頭を下げる気など毛頭ないのだろう。
それが彼らのちっぽけなプライドという代物だ。
そしてここにもう一人、頭をツンと高く上げ、絶対に下げようとしない高貴な血統が、このすべてが気に入らないというように目を吊り上げていた。
「帝国皇室、アウレリア公爵家の後継者であられる、ジェレミア・ド・アウレリア小公子様でいらっしゃいます」
張り詰めた気迫の応酬に両側で顔色ばかりうかがっていたアングロ子爵が、仕方なくためらいながらジェレミアをカイランに紹介した。
ジェレミアの表情が気に入らないというように、しきりにピクピクと動いていたのはおまけだ。
「……ジェレミア・ド・アウレリアだ」
気まずい雰囲気を打開しようと握手でもしようと差し出したカイランの手を無視するように、ジェレミアはポカンと見つめたかと思うと、プイッと顔を背けた。
その姿に忍耐の限界を感じたアークが、こらえきれずに月刀を抜こうと腰に手をやろうとした瞬間だった。
「同じ公子という立場で、握手くらいは交わせるんじゃないのか?」
前に飛び出そうとするアークを制止しながら、カイランが一歩ジェレミアの近くへと歩み寄った。
今まで一度も経験したことのないであろうカイランの気迫に押されたジェレミアが、ビクッと目立たないように体を震わせたのをルセテリは見逃さなかった。
ここで重要なのは、ルセテリがカイランに対する評価を厳しくしているだけで、実際はカイラン程度であればかなり優秀な後継者候補だということだ。
本人があまりにも自覚していないため追い込んではいるが、ジェレミア程度なら軽くひねり潰すくらいは十分にお釣りがくるほどだった。
「フン! 畏れ多くも公国のような小国の公子と僕を同じ土俵に上げて考えるとは! やはり無礼だな!」
いやあ、あれをマジでフィルターも通さず、バックギアなし(ノーブレーキ)であんな風に言えるのか?
肝っ玉が据わっているジェレミアの勇気に向かって、ルセテリは拍手でも送ってやりたかった。
変わらない姿が微笑ましくさえあった。
「そんな風に思っているとは、遺憾だな。よく考えてみる方がいいと思うけどね」
「何だと?」
それでも分際も弁えずに、皮肉っぽく浮かんだカイランの笑みだけはしっかりと捉え、カッとなって拳が飛んできた。
もちろん、そんなへなちょこパンチを食らってやるカイランではなかったが。
「何のためにここまで来たのか分かってないみたいだな? そちらの公子様は」
「当然よく分かっているとも。そっちが不当に捕らえているうちの兵士たちを返してもらうためじゃないか!」
ギャーギャーと叫ぶジェレミアを、伯爵と子爵が困ったような様子で止めるべきか止めざるべきか、焦っている手の動きがルセテリの目に入った。
間違いなく、ここに来る道中ずっと耳にタコができるほど一生懸命説明してやったのだろう。
当然のことながら、ジェレミアは馬耳東風で聞き流していたのだろうが。
プライドを曲げて頭を下げても足りない状況で、火に油を注ぐようなジェレミアの行動は明白だった。
帝国は今回の件を深刻に受け止めていないということだ。
事態が実におもしろく転がってきた。
「不当に、か……ナビル、今ジェレミア公子が使われた『不当』という単語は、この状況で適切に使われる表現で合っていますか?」
首を軽く傾げながら、カイランは横に立っていたナビルの方へ体を向けた。
「ふむ……そうですね、カイラン様。『不当』という言葉の意味は、道理に外れているという意味ですが……」
ナビルは感情の欠片もない冷ややかな眼差しでジェレミアを見つめながら、眼鏡をクイッと押し上げた。
「許可なく国境を越え、略奪を働く犯罪者たちを適法に拘禁したことに対して使うには、いささか過分な語彙のようですね。むしろ、帝国側の『非礼』と『無能』について話すのであれば別ですが」
堂々と反撃に出るナビルとカイランの攻撃に、帝国側はまともに手も足も出ず、キャンキャンと尻尾を巻いた。
「略奪だと! 誇り高き帝国軍がそのような真似をするはずがなかろう!」
首に青筋を立てて大声を上げながら、ルロア伯爵は発作でも起こしたように座っていた席からガバッと飛び上がった。
「その通りだ。何が不足して帝国軍がそのような真似をするというのだ! 盗賊団じゃあるまいし」
アングロ子爵もまたルロア伯爵の言葉に相槌を打ちながら強く否定した。
果たして伯爵の口から次に飛び出す言葉をあらかじめ知っていたとしても、あんな風に唾を飛ばしながらまで同調したかは疑問だが。
「あくまで帝国軍は、逃げた領主民たちを探すために川を渡っただけだ! 公国間の条約にも明記されている事案だしな。拘禁は明白な越権行為だ。まあ、アングロ子爵の兵士たちが少し目が眩んでミスをした可能性はあるだろうが」
伯爵の最後の言葉に、子爵が発作のようにカッとなった。
「伯爵様?」
「そうではないか? 誇り高き帝国の騎士団であれば、そのようなことは一切ないはずだ。コホン」
伯爵の知らぬ存ぜぬの態度にかなり頭にきた様子の子爵だったが、その前では一言も言い返すことができず、ブルブルと震えているだけだった。
「そんな……はずが。うちの者たちもそのようなチンピラのような真似、するはずがありません。そんな細々としたものを盗んで何に使うと言うのですか?」
おお、子爵にしては結構強く出るじゃないか!
ますます面白くなってくる構図の対立に、拍手を送ることはできなくてもこの最高の見せ場(꿀잼각)を見逃すわけにはいかなかった。
ここにメイズ(トウモロコシ)を弾いたポップコーンでもあればまさに打ってつけだっただろうに、その点が少しだけ残念だった。
「細々としたもの……とおっしゃいましたか?」
ピスタチャを細々としたもの扱いされたことに腹を立てたのか、カイランの怒りを抑えた声が聞こえてきた。
幼いながらも予想以上に激しいカイランの気迫に、言い争っていた伯爵と子爵の口がすぐに閉じた。
「たかが豆の欠片一つがどれほどのものだと言って、それを盗むというのかね」
知らないふりをしてしらばっくれる子爵の演技が実に見事だ。
たかが豆の欠片だなんて……カイランがもしテランカナだけでずっと生活していたなら、そう思ったかもしれない。
あくまで帝国のジェレミアを基準に考えればの話であって、彼らは知る由もなかった。
カイランが早くから商団について大陸のあちこちを回りながら、製品の価格と利益に飛び抜けて明るいということを。
世間知らずの公子扱いされたことに、カイランはカッとなった。
「少なくとも、その豆の欠片が帝国の首都リバーピルでいくらで取引されているかくらいは知っていますが」
「え……?」
「ここは産地ですから、通常ピスタチャの取引価格はキロあたり3万5千ベラくらいで取引されるでしょう。それが首都に行けば、原価の10倍くらいは軽く取れるはずですよね。違いますか?」
具体的なピスタチャの価格の額まで登場したせいで、二人は言葉を失ってしまった。
何と言い訳する言葉もなくなった二人は、顔色をうかがいながら互いになすりつけ合うだけだった。
「フン! 10倍だと言ってもたった30万ベラにしかならないものを、どうして盗むって言うんだ?」
やはり、ジェレミア。
期待を裏切らないねえ。
30万ベラという貨幣の価値を正確に分からずに吐き出したのは明らかだった。
「せいぜいご飯一食分の値段にもならないようなもの」
ジェレミアの発言に、後ろに整列していた騎士たちの間に小さな動揺が走った。
まさかいくらなんでもあそこまでおつむが足りない(頭が悪い)とは思わなかった……。
[うわあ、あれで大丈夫なんですかね?]
[そんなわけあるか。いくら第1騎士団だって言ってもあいつらの給料がいくらだと……]
30万ベラという金額が、彼らの1ヶ月分の食費に匹敵する額だということを、ジェレミアが知るはずがなかった。
もちろんルセテリにとって30万ベラはドラゴンの爪の垢ほどにもならないちっぽけな金ではあったが、それはあくまでドラゴン限定の話であり。
貨幣の価値くらいはよく分かっていた。
ところがこいつは、全くそんな概念すらないってのか? ハハハ。
自然と呆れ笑いが漏れた。
ジェレミアの妄言に伯爵と子爵はどう収拾をつければいいか分からず戸惑っているようだし、名ばかりの帝国騎士団という騎士たちの給料のレベルも見なくても火を見るより明らかだ。
あのアウレリア公爵がまともに払ってやっているはずが……。
衝撃を受けたのは帝国側だけではなかった。
ナビルはジェレミアの言葉に、しばらく言葉を失っていた。
まさか帝国公爵家のいわゆる子息という奴が、市場原理すらまともに把握していないとは!
ルセテリはナビルの心情を十二分に理解できた。
「私の知る限りでは、そのご飯一食分の価格であれば、庶民の家族が1ヶ月は食べていける額だと認識しておりますが」
「そうなのか? 庶民の事情なんか僕の知ったことじゃないし。たかが30万ベラのために帝国軍がそんな野蛮な真似をするはずがないだろう」
図々しいにもほどがある(盗人猛々しい)。
どうしてああも堂々と自分の無知を叫べるのか、ただただ不思議でならない。
「そ、その通りだ。たかがそんなはした金のために帝国軍がそのような事件を起こす理由がない」
遅れて我に返ったような伯爵がジェレミアの味方をし、激しく首を縦に振る。
強い肯定は強い否定だとも言うけれど……ふむ。
「そのはした金のおかげで、これまでこちらが被った被害額だけでも相当なものになりますが」
手に持っていた書類の束の中から、ナビルは紙を一枚取り出して伯爵に差し出した。
しかし伯爵はナビルが差し出す書類には見向きもせず、机を「タンッ」と叩いて再びナビルの方へ押し返した。
「そんなものは知らん。公国側で捕らえている帝国兵たちを連れてきて尋問すれば明白になる問題なのだから、長引かせるのはやめようじゃないか。さっさとうちの兵士たちを連れてきなさい」
机を手でポンポンと叩きながら、伯爵は帝国軍さえ連れてくればすべての問題が消え去るかのように振る舞った。
まさか帝国軍の面子にかけて泥棒をしたとは死んでも生き返っても言わないだろうから、このまま押し通せばいいと考えているのだろうが、事態は実におもしろく転がっていくだろう。
こっそりとルセテリはニヤリと、腹黒そうな笑みを浮かべた。




