第128話 再び戻ってきたロアン通信
空を旋回していた鷲は、笛の音を聞くや否や真っ直ぐジアたちに向かって降下してきた。
突然の鷲の登場に、カイランはビクッと体を震わせた。
魔物の攻撃だと思った彼は、腰に差した月刀に手を伸ばしたものの、足はブルブルと震えていた。
しかし、ジアやルセテリの立場からすればそうではなかった。
やはり見覚えがあると思ったら、以前オーギュストたちと一緒にブリトルで見たあの鷲だったのだ。
まさに、ロアン通信を届けてくれていたあの鷲のことだ。
地上に降り立った鷲は今、ジアの肩に止まって羽を折りたたみ、くちばしでジアの頬をくすぐっていた。
「うん、久しぶり。会えて嬉しいわ」
「ピーピー」
ひよこでもあるまいし、ピーピー鳴きやがって……。
あの鷲、間違いなくオスに違いない。
そうでなければ、あんな風に愛嬌を振りまくようにベタベタと優しいはずがない。
「ギリッ!」
「……ル先生?」
不本意ながら、歯ぎしりの音が大きすぎた。
ただでさえ魔物が攻撃してくるのではないかと不安だったカイランは、緊張を解くこともできず、恐る恐るルセテリの顔色をひたすらうかがっていた。
人間でもなく口の利けない動物に警戒心を抱くのは、少しやりすぎだったか?
「何でもない」
何でもないと言うには、骨が砕けるような音に聞こえたけど……。
言いたいことは山ほどあったが、ここでは口を閉ざすのが賢明だという事実をカイランはよく分かっていた。
空気の読み方だけは本当にすばしっこいんだから。
ジアは鷲の足にぶら下がった筒を開け、慎重に中に入っていた紙を取り出して広げた。
「わあ、ロアン通信だ」
本当に久しぶりに受け取るロアン通信だった。
そろそろロアンが聞かせてくれていたあれこれの噂話や陰口が恋しくなり始めていた矢先だったのに、どうして分かってピッタリのタイミングで送ってくれるのか、この絶妙なタイミングの合わせ方がロアンらしいと言えばロアンらしかった。
今ではすっかり寛いでジアの肩の上で丸くなり、目を閉じている鷲が憎たらしかったが、ロアン通信という言葉に気になったルセテリが近づいてきて、肩越しにメモを覗き込んだ。
「ほう、本当にロアン通信か? 皇宮で今まで見つからずに上手くやってるみたいだな?」
「そういうことはここには書かれていませんけど、上手くやってるからこうやってロアン通信も送ってきたんでしょうね?」
確かに、そうだな……あのロアンだからな、心配するだけ無意味だ。
「ロアン……通信って何ですか?」
目を輝かせる二人を見て、好奇心を抑えきれなくなったカイランが質問を投げかけた。
無我夢中で小さな紙にびっしりと書かれた文字を見ていたジアとルセテリ、二人の視線が交錯した。
しまった、と思った。
いや、実際はロアン通信に気を取られたあまり、カイランの存在をすっかり忘れていたという表現の方がより正確だろう。
ジアはカイランにロアンについてどう説明すべきか悩んだ。
皇室に残っている侍女と言うには、ロアンの能力は絶対に平凡なものではなかった。
認識阻害魔法を使う偽装に最適化されたスパイ侍女だなんて……どこをどう見ても、平凡という言葉からは百万ゼロサムほどかけ離れているロアンだった。
「皇宮にいた時にいた専属の侍女……?」
「専属の侍女が、新聞まで作るのか?」
「とにかく顔が広いから、色んな噂話をよく聞きつけてくるのよ」
ロアンが顔が広いのは確かだ。
どこでどうやって聞いてくるのかは分からないが、リバーピルで出回る噂はすべてロアンの元へと集まってくるのだから。
ルセテリもまた、カイランに向かって『実は皇室に潜り込んだスパイ侍女なんだ』と言える自信はなかった。
「ただ、皇宮で起きていることを報告してくれるうちの側の侍女だと受け取っておけ」
カイランの肩を掴んだルセテリの手に力が入った。
これ以上詮索するなという、一種の軽い警告のようなものだった。
あくまで、だが。
痛がって顔をしかめるカイランに向かって、ルセテリはニッコリと笑ってみせた。
「それで、その紙には何て書いてあるんですか?」
「ええっと、つまり……『帝国軍、南部で泥棒しようとして公国に摘発、このままでいいのか』だって?」
新聞の見出しそのまんまじゃないか。
カイランは呆れた。
ロアンという侍女が、まるで皇宮に潜入したアンダーカバーの記者でもやっているのかと思った。
二人の口ぶりからして記者とまではいかないだろうが、紙に書かれている内容が気になるのはカイランも同じだった。
カイランの好奇心を満たすためでなくても、ジアは続けてロアン通信を読み進めた。
「今回の件でアウレリア公爵は激怒、アングロ子爵とルロア伯爵に叱責を浴びせた。結局解決のために、今回の会談にはアングロ子爵とルロア伯爵、そしてジェレミア公子が参加することで確定……」
久しぶりに聞く忌々しい名前に、ロアン通信を読み進めていたジアの眉がピクッと動いた。
それはルセテリも同じだったのか、一目で嫌悪感を露わにした表情でジアに確認するように念を押して尋ねた。
「ジェレミアだと? あいつがなんで?」
「うーん……ここには大義名分を立てるためだと書かれてはいますけど」
「大義名分もクソもあるか……他に立てる人間がいないからってジェレミアを前に出すってのか?」
「まさかアウレリア公爵が直接ティシャールまで来るとでも?」
確かに、あのアウレリア公爵がこんな面倒なことに自ら出向くはずがない。
だとしても、公爵でもなくたかだか公爵令息の分際で、国同士の重要な会談で一席を占めたというのがどうにも気に入らなかった。
やって来て無駄にぶち壊しにでもしなければ御の字だが。
「そのジェレミアって誰なんだ? 二人ともなんでそんな反応なんだよ?」
あからさまに嫌な顔をしている二人の態度に、カイランは結局気になって仕方がなかった。
「ええっと……アウレリア公爵の後継者?」
渋い顔でルセテリが答えた。
むしろカイランは、ルセテリのその答えに首を傾げるしかなかった。
今皇室を掌握しているというあのアウレリア公爵の後継者なら、資格はあるんじゃないのか? というのがカイランの考えだった。
だから二人のこんな反応が理解できないのも無理はなかった。
「俺と同じようなもんじゃないですか? なのに二人はなんでそんな顔してるんですか?」
「同じ……。ある意味同じかもしれないな」
「何か問題でも?」
「問題、だらけだ」
「うん、だらけよ。すごくたくさん」
深刻な表情のルセテリとジアは腕を組み、互いに同じように頷いた。
「あの救いようのない放蕩息子を重要な場に引っ張り出すとは……よほど人材がいなかったみたいだな?」
「公爵を除いてはいませんよね」
「それにしてもジェレミアだなんて……。帝国も落ちるところまで落ちたな」
ため息をつきながら、ルセテリはカイランを見つめた。
ジェレミアに比べれば、まだまともな放蕩息子であるカイランの方がはるかにマシだった。
そんな思いを込めて、ルセテリはカイランをじっと見つめた。
「な、何ですか……」
「それでもこっちの放蕩息子の方がはるかにマシだな」
「ほ、放蕩息子? 俺がですか?」
ハッと驚くカイランを見て、ルセテリは放蕩息子という言葉を訂正したかった。
こっちはまだ救いようのある放蕩息子だとすれば、帝国側の放蕩息子はそれこそ更生不可能なクズ野郎も同然なのだから、比較すること自体が無理な話だった。
それでもバカで空気を読むべき時にとてつもなく空気が読めず、勝手に出しゃばる傾向はあったが、カイラン程度なら息を吸う空気さえもったいないジェレミアに比べれば人間だった。
少なくとも、だが。
「それでも救いようがないレベルじゃないから良かったよ。頭の方は少し努力が必要だろうが、基本的な人間性はまともだからな」
「だから、俺がなんで放蕩息子なんて言われなきゃならないんですか」
聞いているうちに、カイランは悔しくてたまらなくなった。
少なくとも問題ばかり起こしてうろついていたわけでもないのに、役立たず扱いされるのがかなり悔しかったようだ。
「今まで勉強もせずに逃げ回ってほっつき歩いてたんだから、放蕩息子って言われたって無理はないだろ。良心にチクッともこないのか?」
そこまで言われると、何か言い訳するのも難しくなった。
「そこまで言われちゃ、返す言葉もないですけど……」
カイランはすっかり落ち込んでしまった。
肩をガックリと落としたカイランが可哀想に見えなくもなかったが、ただそれだけだ。
「それで、その放蕩息子が会談に出席するためにティシャールに来るって?」
「どうやら……そういうことみたいですね、ロアン通信によれば」
「……ふむ、そういうことか?」
ジアは顎を手で支えたまま、じっくりと何かを考えているようなルセテリがなぜか不安になった。
「また何をするつもりですか?」
と言っておいて、「またどんな問題を起こすつもりですか?」と解釈すればいい。
「ジェレミアがこの会談に出席することで得られる利益が何だと思う?」
「それは、見え見えでしょう。帝国での公子の政治的な立場を作ってやろうとしてるんじゃないですか」
あえて答える必要もない質問だった。
当然、まだ十歳にしかならない公子のために、偉い方々が公爵に媚びへつらったのだろう。
今回の機会に会談を上手くまとめれば、ジェレミア公子様の手柄になるのではありませんかと。
そうでなければ、公爵が自分の息子のために席を用意しろと脅迫まがいのことを言った可能性もあるし。
結論はすべて、ジェレミア公子の政治的な立場と実績のためだということだ。
「その通りだ。あっちもあんな風に出るって言うなら、こっちだってできないことはないんじゃないか?」
「えっ?」
なんだかすごく不安なんだけど……?
「こっちも前に出せばいいじゃないか」
「誰をですか?」
ルセテリの視線を追っていった先には、もしかしてと思ったらやっぱりだった。
「あいつがいるじゃないか。ちょうどいい。こっちも公国の後継者、あっちは……これから蹴落とされる予備候補」
腹黒い笑みを浮かべるルセテリに、ジアは恐ろしくなった。
どんな問題を起こすつもりなのよ、一体……。




